第百四十九話「夜会後!」
クリスタはヘレーネに夜会当日の裏口付近の場所を借りる約束を取り付けていた。カンザ商会はヘレーネと正式な契約を交わしているわけではないので厨房にも入れない。そこでフロトの案により裏口付近に場所を借りて資材、食材の搬入や調理を行なうということになっていた。しかし今その裏口近辺で揉め事が起こっていた。
「どういうことですか!?ここは私がヘレーネ様にお願いしてお借りした場所のはずです!」
「うるせぇ!こっちは今忙しいんだ!こんな邪魔な場所に余計な物を置いてるんじゃねぇ!とっととどけろ!」
今夜が夜会ではあるがまだ日中の早い時間であり夜会開催まで時間がある。なのでクリスタは夜会用の衣装ではなく少々みすぼらしい格好でバイエン公爵家の裏口付近に運び込まれる資材や食材を誘導していた。
そこへ夜会の準備のために忙しなく働いているバイエン家の家人や料理人達がやってきてクリスタとカンザ商会が運び込んでいる物が邪魔だからどけろと言って来たのだ。
「こっちは遊びじゃねぇんだ!今夜の夜会の準備で忙しいんだよ!関係ないガキのどうでも良い荷物をこんな所に広げられたら迷惑なんだ!とっととこれを持って出て行け!」
「そうよそうよ!どこの子供か知らないけどこっちは遊びじゃないの。邪魔だから出て行きなさい!」
売れる物は片っ端から売り払ってしまったのが悪かったのだろう。今のクリスタの格好は到底侯爵家のご令嬢には見えずバイエン家の裏で働いている者達にはクリスタが何者かよくわからなかったのだ。
表から煌びやかな衣装を身に纏って馬車で入って来たならばヘレーネの子分のご令嬢達だと判断されただろう。しかし裏口から肉体労働者のような者達を連れて大荷物を運び込んでいるみすぼらしい格好の少女となればそれが誰で何の荷物なのかなどわかるはずもない。
クリスタの出で立ちからせいぜいどこかの商人の娘程度にしか見えず、荷物運びの労働者達を連れてこれだけの大荷物を運んでくるのだから何らかの荷物を持ってきただけだと思ってもやむを得ない。そして今ここで働いている者達は今日の夜会に向けてギリギリまで大忙しの準備を進めている最中だ。
夜会のための荷物が届くというのならこんな態度は示さなかっただろう。しかし自分達が知る限りでは夜会のための食材や道具の搬入は全て終わっている。つまりこの者達にとっては今忙しい時に関係ない荷物を運び込んできた馬鹿な商人にしか見えていないのだ。
確かにその商人が運んできた商品というのはバイエン公やヘレーネお嬢様用の物なのかもしれない。しかし現在は今夜の夜会こそが最優先でありこんなてんてこ舞いの忙しい中で邪魔な荷物を運び込まれても迷惑でしかない。
夜会のためのものだというのなら黙って受け入れるが夜会に関係ない物ならばまた後日持って来させれば良い話であって今日こんな邪魔な所に広げて置くなと思うのも無理のないことだった。
「あぁん?何だこりゃ?白い皿?はっ!こんな皿なんざこのバイエン公爵家には掃いて捨てるほどあるんだよ!邪魔だからとっとと持って出ていけ!」
「あっ!やめて!」
バイエン公爵家の家人の一人がクリスタ達が運び込んでいる荷物の一つを開けて中を確認する。厳重に梱包されたその中身は何の変哲もない白い皿だった。ただし皿は金色に縁取られ色とりどりの美しい模様が描かれてる。
男はその皿を持ち上げて地面に叩き付けようとした。クリスタが悲痛な叫びを上げるが、その皿が地面に叩き付けられることはなかった。
「ぐっ、あっ!はっ、放せ!」
「…………」
一人の男が後ろからその男の腕を掴み、そっと傷つけないように皿を奪い取ると男の手を放して綺麗に皿を片付けた。どこにでもあるブラウンの髪と瞳でありながらその顔立ちはとても端整な執事の格好をした若い優男が口を開く。
「このヘクセン白磁は当商会の会頭が命をかけて作り上げたものです。それを貴方のような者が割るようなことはこの私が許しません。当商会の財産を毀損しようとする者は全て私が排除します」
「うっ……」
その執事のあまりの迫力にバイエン公爵家の家人達がたじろぐ。見た目は軟弱な優男にしか見えないというのにその迫力に圧倒されて誰も声を出せず一歩二歩と下がった。
「おっ、おい……、ヘクセン白磁といえば……」
「一枚数十万ポーロ、下手すりゃ数百万ポーロ以上する物もあるっていう?」
「まさか……、こっ、ここにある皿全部ヘクセン白磁だっていうのか?」
バイエン公爵家でも何枚かのとっておきの物としてヘクセン白磁が置かれている。それらはバイエン公と同等以上の客を迎える時だけに出されることになっている本当に特別な物だ。それがここに無造作とも言えるほどに並べられている木箱の中全てがヘクセン白磁だとすれば一体どれだけの値段なのか想像もつかない。
「これは今夜の夜会で出されるものです!私はヘレーネ様に許可をいただいてここの場所をお借りして夜会のための準備をしているのです!信じられないという方がおられるのでしたら今から私と共にヘレーネ様の下へ確認にまいりましょう!」
「ぅ……」
「いや、俺は……」
「なぁ?」
「あっ!私はまだ準備がありますのでこれで……」
そこへ畳み掛けるようにクリスタがそう言ったことでようやく家人達はゾロゾロと引き上げて行った。家人達が皆引き上げた後にクリスタはへなへなとその場に崩れ落ちそうになった。張り詰めていた気が緩んでしまったのだ。しかしクリスタが冷たい地面にへたり込むことはなかった。
「あっ……、ありがとうございます……。ヘルムート様……」
崩れ落ちそうになったクリスタを今助けに入った優男、ヘルムートがそっと支える。そのお陰でクリスタは地面にへたり込まずに済んだが、代わりにヘルムートに密着されて支えられることになった。
先ほどはヘルムートが割って入って助けてくれたお陰でフロトが貸してくれたヘクセン白磁を割られずに済んだ。今もまた地面にへたり込む所だったのを支えてくれている。しかし腰に手を回されてヘルムートと密着してるクリスタは顔が赤に染まり火照って仕方がなかった。
「いえ、クリスティアーネお嬢様も立派でした」
フワリと甘い笑顔を向けられて……、今まで以上に真っ赤に染まったクリスタは慌ててヘルムートから離れた。
「あっ!申し訳ありません。もう大丈夫です」
これ以上密着していたら自分のこのドキドキとうるさい心臓の音まで悟られてしまいそうで慌てて離れた。それなのに、自分から離れておきながら少しがっかりしている自分に苦笑してしまう。それに今の自分はこんなみすぼらしい格好をしている。とてもビシッと決まった超高級な執事服に身を包んだヘルムートとでは釣り合わない。
「お気になさらないでください。クリスティアーネお嬢様をお守りすることが私の役目です」
「――ッ!?」
真顔でそう言われてクリスタはついにヘルムートの方を見ることが出来ずに顔を逸らしてしまった。
わかっている。ヘルムートはフロトの執事であって今はクリスタの手伝いをするためにここに派遣されて来ているだけだ。クリスタを守るのもフロトに言われたからだとわかっている。わかってはいるが……、今少しだけは……、この気持ちを噛み締めておきたい……。そう思いながら二人で残りの搬入の陣頭指揮を執ったのだった。
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やばい。クリスタは焦っていた。予定外に搬入を妨害されたり、あの後バイエン家の家人達と話し合い裏口付近の借りた場所を狭められたりしたために準備が遅れている。さらに運び込んだ調理器具もきちんと台数を設置出来なかったために準備が間に合っていない。
「ここはもう大丈夫です。クリスティアーネお嬢様はご自身の準備に向かってください」
「ですがヘルムート様……」
もう夜会が始まるまで間がない。どう考えても最初に料理を並べておくのは間に合いそうになかった。
「大丈夫です。会頭がおっしゃるにはこれらは『デザート』と呼ぶものだそうで食後に出すのが良いそうです。ですからまだ時間はあります。夜会が進み招待客達が食事をある程度終えた後で出します」
「さぁさぁ、クリスティアーネお嬢様、こちらですよ」
「あっ!ちょっ!待って!イザベラさん……」
老メイドに連れられてクリスタは無理やりこの場から移動させられた。ヘルムートが見送ってくれている。確かにいつまでも自分があそこに居ても出来ることはない。しかしこれだけの人に仕事を任せて自分だけ着飾って夜会に出るなど……、と思ってようやく思い至った。
今まで自分はどうだった?そんなことを気にしたこともなく当たり前のように享受していなかっただろうか?まさか裏でこんなにたくさんの人が一生懸命働いてくれているなど考えたこともなかった。お給金を払っているのだから当たり前だとすら思っていた。
一生懸命働いてくれている人達に支えられて自分達の生活がある。お金を払ってやってるんだから当たり前だと思わずにこうしてお互いを少し思い合うだけでその関係性は一変する。それが出来ているからこそフロトの周りはこれほど温かいのだとようやく理解したのだった。
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老メイドに見えるというのにラインゲン侯爵家のどのメイドよりもキビキビと最短、的確に動くイザベラは圧倒的に格が違った。若くて綺麗なメイドやハンサムな執事を連れていれば良いのではない。このような老練の家人がいるからこそ家が支えられているのだ。イザベラに着替えさせてもらったクリスタはそのことが深く身に染みた。
夜会の開始時間に間に合わなかったクリスタは表から入らず再び裏口へと向かった。そこではまだカンザ商会から派遣されてきた者達が一生懸命にクレープの準備を進めていた。
「ヘルムート様……、もう夜会も中盤に差し掛かっているでしょう。このままでは……」
「いえ、問題ありません。これから参列者の皆様方を驚かせに参りましょう」
「え……?」
ヘルムートにそう言われてもクリスタは信じ切れない。それでもこれ以上迷っている時間がないことはわかる。覚悟を決めたクリスタはカンザ商会から派遣されている給仕達を伴って会場へと向かった。
会場の扉の前に立って深呼吸を繰り返す。本来クリスタはこのような場に立って前に出るような性格ではない。それでも……、やるしかない。ここで盛り上げなければヘレーネの夜会は失敗に終わってしまうだろう。
最後に……、隣に立ってくれているヘルムートの袖をキュッと掴んだ。それに気付いたヘルムートがクリスタに視線を向ける。不安そうに見上げるクリスタを安心させるように微笑んで頷いてくれたヘルムートにクリスタも頷き返して扉をバンッ!と勢い良く開ける。
会場中の視線が集まっていた。自分などよりよほど高位の貴族も多数居るこの場であれほど大きな音を立てて扉を開けば何か言われるのではないか。作法がなっていないと噂されないだろうか。そんな不安が一瞬よぎるが振り切って声を張り上げた。
「本日お集まりの皆様には他では味わえない特別な体験をご用意いたしております!それではご堪能ください!」
クリスタの言葉で会場中がざわめく。否定的な反応はない。あとはもう勢いに任せてクリスタは考えていた口上を述べていったのだった。
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それまで湿った雰囲気だった夜会が一気に賑やかになった。クリスタは自分の判断が間違いではなかったことを確信した。
下賤のお菓子と蔑まれていたクレープも一口齧ればその評価が一変する。未知のお菓子であるプリンに舌鼓を打つ。フロトが貸し出してくれた大量のヘクセン白磁をうっとり眺める貴族達もたくさんいた。
クリスタもヘクセン白磁のことは知っている。ラインゲン家ではほとんど手に入れられない価格だ。いや、買おうと思えば買えるが皿一枚にそのような金額を出している余裕はないと言うべきか。そんな超高価な白磁をこれだけ用意し、気軽に貸し出せるなどフロトの家は一体どうなっているのか。
また本来ならばクリスタが話も出来ないような高位貴族の当主や夫人が次々に話しかけてくる。いつもなら両親と共に挨拶に伺っても一言挨拶するだけでほとんど取り合ってもらえないというのに普段とは圧倒的に違う。
クリスタに話しかけてくるのはクレープとプリンに関して。そしてクリスタが着ている素晴らしい衣装についてだった。クリスタが扉を開けてこのような演出をしたのだから貴族達が挙って集まってくるのは当然だろう。何よりもヘレーネやアルトに聞きにいってもまともな答えが返ってこないので皆その演出が誰のお陰であるのかすぐに理解したのだ。
それまでお葬式のように湿っていた夜会は大絶賛のうちに幕を閉じた。自分が高位貴族達にあれほど注目されるという今までにない体験をしたクリスタは後片付けに入ろうとしてゾフィーに呼び出された。
「あの……?」
「黙ってついて来なさい。わかってるでしょ?」
「…………」
わからないはずがない。主催者であるヘレーネよりも目立って注目を集めたのだ。お叱りを受けるであろうことは予想していた。しかしクリスタがああでもしなければこの夜会でバイエン家とヘレーネは大きく評判を落としていただろう。
別に褒めて欲しいわけではない。クリスタにとってはヘレーネもゾフィー達も皆幼馴染だ。あまり良い思い出もない集まりではあるがそれでも幼少の頃から共に育った幼馴染達であることに変わりはない。だからただ幼馴染の危機をどうにかしたいと思っただけだった。それなのに……。
パシンッ!と乾いた音が響く。
頬をぶたれたクリスタはヨロヨロと倒れ呆然とヘレーネを見上げる。
「ふんっ!そんなに私に恥をかかせたかったの!今まで散々目をかけてきてあげたというのに飼い犬に噛まれた気分だわ!」
「わっ、私は……、あのままでは今夜の夜会が……」
「言い訳なんてするんじゃないわよ!」
「うっ!」
今度は倒れているクリスタを足蹴にする。蹴られたクリスタは仰向けに倒れこんだ。
「はっ!随分綺麗な衣装ね?クスクス、それはさぞお高いのでしょうね。主催者であるこの私を差し置いて!伝統に則らないこんなはしたない衣装を着て!そこまでして目立ちたいの!なんて浅ましいのかしら!それならもっと目立つように肌を露出させれば良いんじゃない!この売女!貴女達、もっと目立つようにしてあげなさい」
「はい、ヘレーネ様」
「貴女も馬鹿なことをしたものねクリスティアーネ」
「貴女が悪いのよ」
ヘレーネは一人下がって椅子に腰掛けると四人の様子を離れて眺めた。ゾフィー達三人は醜悪な笑顔を顔に張り付かせてクリスタに迫る。
「いっ、いやぁ~~!やめて!これは借り物なの!お願い!この衣装だけはやめて!」
「それはそうでしょうね。あんたのとこみたいな弱小侯爵家がこんな高級そうなものを用意出来るはずないもの。そんなことわかってるわよ。だからこそ意味があるんでしょう?」
おぞましい表情を貼り付けたゾフィーがそう言いながら迫る。そして三人による暴行が始まった。衣装は破られ、切り裂かれ、見るも無残なただの布きれに成り果てる。顔も体も関係なく全身を痛めつけられる。
貴族の少女達が足で蹴る程度なので致命傷というほどではない。しかしだからこそそれが生殺しのようにいつまでも続くのだ。
数十分?あるいは数時間?クリスタにとって永遠とも思える時間が過ぎ去った後、バイエン家の家人達に抱えられたクリスタは荷物のように雑に荷馬車に放り込まれラインゲン家の門の前に捨てられていった。
中々戻らないクリスタを探そうとラインゲン家の家人達が屋敷を出ようとした時、門の前に転がされていた虚ろな目をしたクリスタを発見したのだった。