第百四十八話「夜会前!」
ヘレーネの夜会を少しでも成功させるためにクリスタは駆けずり回っていた。あちこちに協力を求め頭を下げて頼み込む。
しかし……、誰も協力してくれない。派閥の者はおろかいつもの五人組のゾフィー達三人ですら馬鹿にしたように鼻で笑うだけで協力してくれる者はいなかった。それでもクリスタは協力者を探し駆けずり回る。
このままではヘレーネの夜会が失敗するのは目に見えている。バイエン公爵家ならば今からでも普通の公爵家に相応しい程度の夜会ならば準備出来るだろう。思わぬ労力と出費にはなると思うが今からでもそれを間に合わせるだけの力はある。しかしそれだけだ。
今回はいつもと同程度の夜会を開けば良いというものではない。協力してくれなかった派閥の者達やゾフィー達はそれがわかっていない。『今から準備したとしてもバイエン家ならば十分夜会の準備が出来る』『この程度の日数でバイエン家が夜会の準備が出来ないと侮っているのか』と逆に怒られたことすらあった。
そうではない。今回はアマーリエ第二王妃主催の夜会の直後であり、夜会開催の名目はルートヴィヒ殿下の立太子のお祝いということになっている。そんな状況でいつも通りの夜会など開いても顰蹙を買うだけだ。
クリスタとていつも通りの夜会を開けば良いだけならばこんなに慌てたりはしない。バイエン家の力をもってすれば最悪の場合は二週間もあれば公爵家に相応しい夜会は開けるだろう。そんなことはわかっている。そうではないのだ……。
しかし誰もわかってくれない。もしかしたらヘレーネは気付いているのだろうか。だからこそ普段は自分達にあのようなことを言って弱味を見せることなどないのに何か案を出せと頼み込んできたのかもしれない。
最早クリスタが声をかけられる者には全て声をかけた。それでも誰も協力してくれない以上は……、クリスタは覚悟を決めて一人で町へと繰り出したのだった。
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クリスタの秘策はクレープカフェに頼み込んでヘレーネの夜会にクレープを出してもらうことだった。貴族の中にはクレープを庶民向けの下賤のお菓子と思っている者がいることは知っている。しかし一度でも食べてみればその感想が変わることも知っている。
学園の生徒達はおろか一部の大人の貴族ですら変装したり代理の者に買いに行かせてクレープを食べていることをカフェの常連であるクリスタは知っていた。だから庶民の下賤のお菓子という風評さえなくせば貴族にも受け入れられる。
それからもう一つの目玉……。フロトに作ってもらって感動したプリン。これも絶対にウケる。クリスタが甘味好きだからというだけではない。あれは間違いなく貴族にも流行る。何とかしてこの二つをヘレーネの夜会で出してもらわなければ……。この二つを出せればせめて夜会が大失敗に終わることだけは防げる。
そう考えたクリスタは一人でクレープカフェへと訪れその扉を叩いた。いつも丁寧に接客してくれている女性が困っている。困らせているのはわかっているがそれでもクリスタが諦めるわけにはいかない。必死に食い下がっているとここ最近聞き慣れた声が聞こえてきたのだった。
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クリスタはカンザ商会とクレープカフェの資本関係、というかそもそもクレープカフェがカンザ商会の店舗だと知らなかった。中で隣の日用雑貨店と繋がっているなとは思っていたがそのどちらもがカンザ商会の店だとは気付いていなかったのだ。
しかしフロトに声をかけられカンザ商会とクレープカフェの責任者だという二人を交えて話を聞いて色々とわかった。何故フロトの家でクレープが作られていたのか、プリンのような素晴らしい物を考え付いたのか、それらは全て一つに繋がっていた。何のことはない。フロトがカンザ商会の経営者でありクレープもプリンもフロトが考えたのだ。
ならばとクリスタはフロトに頭を下げて頼み込んだ。フロトは頭が良い。自分達五人組がフロトをいじめていたのもヘレーネが裏で指示していたからだと理解している。それでもクリスタは都合の良いことを言っていると自覚しながらも一縷の望みを賭けて頭を下げた。
断られて当たり前。それどころかこんな時だけ何を都合の良いことを言っているのかと罵られても仕方がない。それなのに……、フロトはフワリと微笑んであっさり引き受けてくれたのだ。クリスタは涙が溢れそうになるのを我慢しながら話を続けた。
フロトが引き受けてくれたことでヘレーネの夜会は危機を脱するはずだ。あとはフロトとカンザ商会と話を詰めるだけで……。そう思って示された見積もりにクリスタは青褪めた。到底クリスタのお小遣いで払える金額ではない。
もちろんバイエン公爵家にとっては微々たる金額だろう。あるいはクリスタのラインゲン侯爵家であっても余裕で払うことが出来る金額だと思う。しかし……、しかしである。クリスタの協力者は誰一人いない。それは派閥内の他の家だけに留まらず自らの両親ですら協力してくれないと言われたのだ。ならばこのお金はクリスタ一人で工面しなければならない。
まけてくれとは言えない。この金額がすでに支出に見合わないだけの額であることをクリスタも理解している。現時点ですら赤字覚悟で可能な限り安くしてくれているのにさらにまけろなどとは言えない。
ヘレーネの夜会を成功させるためにはこの程度のお金は何とか工面するしかない。そう決意したクリスタはフロト達に支払いを約束して準備を進めてもらうことにして急いで家へと帰ったのだった。
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クリスタは自宅の部屋中にあった売れる物を片っ端から売り払った。ヘレーネの夜会に出るために一着は衣装を残しておかなければならない。それと一応最低限の宝飾品一式は手元に置いておく。あとは売れるものは衣装でも宝飾品でも小物でも何でも売り払った。
残す衣装も一番お金にならない古臭くてくたびれた衣装だけをおいておく。宝飾品も一番価値がなくみすぼらしいものを一式残しただけだ。最低限体裁を繕える程度に必要な物だけを残して他は全て売り払った。それでもまだ全然お金が足りない。
フロトに何て言おう……。やっぱりお金が払えませんと言うわけにはいかない。どうにかしてお金を工面しなければ……。そう思って契約の約束をしているギリギリまで金策に走り回った。それでもまったく足りない。クリスタはトボトボとカンザ商会の事務所だという場所へと向かう。
もしこれでフロトに契約を断られてもやむを得ない。お金を集められなかった自分が悪いのだ。正直に話そうと思っていても怖くて言い出せない。バイエン家やラインゲン家の後ろ盾があるからこそ自分のような子供相手にもこれほどの規模の商談を引き受けてくれたのだろう。それがもし両家からの支援もなくお金が払えるかもわからないと知られたら……。
正直に話した方が良いと思う気持ちと、もし本当のことを言って断られたらと思う気持ちがせめぎあう。でもそんな心配はなかった。フロトはすぐに察してしまった。やはりフロトには隠し事は出来ない。商談は断られても諦めるしかない。そう思っていたのに……。
「さっ、新しい契約書を作って契約しましょう」
にっこり笑ってそう告げるフロトの真意がわからずクリスタはただ不安そうにうろたえることしか出来なかった。
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クリスタは今何故か女性達に囲まれて体中を測られている。そして濃い青、いや、綺麗な藍色の見たこともない意匠の衣装が運ばれてきた。それを着せられてさらに測られる。
まったく寸法が合わない。この藍色の衣装は腰が異様に細いのに胸元は大きすぎてクリスタが着ると腰は入らないのに胸はブカブカだ。衣装そのものは素敵だと思うが今の自分の姿を見ると情けなくなる。やはりこういうものは似合う人が着なければかえって情けなく映るものだなと自嘲気味に笑う。
それなのに周囲の女性達は笑うこともなく一生懸命に寸法を測り、今の衣装に見合うように宝飾品を見繕っていく。あれよあれよと仮とはいえ寸法が直されて宝飾品で彩られた自分の姿に見惚れる。
「これが……、私?」
「はい。とてもよくお似合いですよ」
クリスタには信じられなかった。侯爵家であるクリスタが持っていた最上の物よりも、いや、それどころかバイエン公爵家のヘレーネですら持っていないであろう最上級の装い。これはまるでどこかのお姫様のようでついつい笑顔がこぼれてしまう。
「どうですか?……まぁ!まぁまぁまぁ!とてもよく似合っていますよクリスタ!」
「フロト……」
一応仮の寸法直しが決まり一式揃えた所でフロトがやってきてクリスタの姿をべた褒めにした。流石にそれは言いすぎだろうと思うほど褒められたがクリスタも満更ではない。そもそも衣装や宝飾品が素晴らしすぎて誰が着てもお姫様に大変身出来るだろう。
「でもこの衣装は?」
「あぁ……、それは元々私が意匠を考えて作らせていたものですがクリスタが夜会に着ていってください」
その言葉を聞いてクリスタは失意体前屈をする所だった。それはつまりクリスタはフロトよりも腰は太く胸は小さいということだ。直す前のこの衣装が入っていたなんてフロトは一体どういう体型をしているというのか。ここで打ちひしがれない者はいないだろう。しかし衣装を直してくれていた女性達がフロトは特別だと教えてくれたので少しは気が持ち直した。
「夜会に着ていく衣装がなくてはクリスタも困るでしょう?」
「なっ!?どうしてそれを……」
ふっ、と笑って軽い調子でそう言うフロトを驚愕の表情で見詰める。確かにクリスタはカンザ商会に前払金を払うために衣装も宝飾品も売ってしまった。一応衣装一着と宝飾品一式は残しているがとてもラインゲン侯爵家の娘として相応しいものではない。少しでも高く売れるものは全て売ってしまったから残っているものは最も安いものだけだ。
「クリスタがどうやってあのお金を集めてくれたのかは想像がつきます。ですから私はそんな高潔なクリスタにはきちんと報われて欲しいと思います。これは私のわがままですからどうか私のためにこの衣装で夜会に参加してもらえませんか?」
「――ッ」
フロトの言葉に……、クリスタは涙が溢れそうになった。慌てて顔を逸らす。こんな情けない顔を見せるわけにはいかない。少しだけ顔を逸らせて気持ちを落ち着けたクリスタは胸を張って答えた。
「ええ、それではそのお気持ちはいただくわ。今度の夜会にはこの衣装で参加させていただきます」
「ありがとうクリスタ」
何故フロトがお礼を言うというのか。本当はお礼を言いたいのは自分の方だ。こんな素敵な衣装を着られるなんて他のご令嬢達には一生ないことだろう。バイエン公爵家ですらこんな素晴らしい衣装は用意出来ない。
もちろん懸念はある。伝統的な衣装とは違うこのようなものを着ていけば目立つことこの上ない。そして主催者であるヘレーネよりも目立ってしまうだろう。
それがフロトであるならば問題はない。元々ヘレーネはフロトに絡んでいるのであって今更主催者に恥をかかせただどうだと言われた所でフロトの知ったことではないだろう。元々絡まれているのだからここでさらに気に入らないことをしたとしても何も変わらない。今まで通りのことがこれからも続くだけだ。
それに比べてクリスタがこのような衣装を着ていくというのは相応の覚悟が必要だろう。ヘレーネの派閥の手下であるクリスタがヘレーネより目立ってしまってはどんなお叱りを受けるかわかったものではない。最悪の場合はエンマの代わりに今度は自分が派閥内のいじめの対象にされる可能性もある。
それでもクリスタはこの衣装を着ていく覚悟が出来た。ここまでしてくれているフロトのために……。夜会への協力だけではなくクリスタが衣装や宝飾品のほとんどを売り払ってしまったことを察して衣装を用意してくれているフロトに報いるために……。
「……って、今気付いたけどこの姿見、物凄く大きくない!?」
全ての覚悟を決めたクリスタはようやくその部屋に置かれている姿見を良く見て気付いた。そこにある姿見は超巨大な大鏡でありバイエン家でも見たことがないようなものだった。
「うちの領地の特産の一つなんですよ。これはまだ小さいですけど領地には運ぶのも困難な大鏡があります。今度見に来ますか?」
「…………ははっ」
もうクリスタには乾いた笑いしか出てこない。この規模の大鏡を小さいと言える者がどこに存在するだろうか。クリスタは気付き始めている。領地の大小や田舎だ都会だというのは関係ない。多少の僻地にあろうとも領地が小さかろうともそれが全てではないのだ。
小さな領地でも力のある領主も居れば、広大な領地を治めていても弱小領主も存在する。誰が治め、どのように発展させているかが重要であり、それが王都から近いか遠いかは関係ない。王都などの都会に近いほど有利であることは否めないがそれだけが全てではないのだ。
自分達が田舎者だのバイエン家に比べて領地が小さいだのと思っていた相手はバイエン家など相手にならないほどに真の実力を備えた大貴族だった。そのことに気付けたクリスタはこれからはそのようなことで相手を侮ってはならないと肝に銘じたのだった。