第百四十七話「サプライズ!」
アマーリエ第二王妃主催の夜会が開かれてから僅か二週間後、バイエン公爵家にてヘレーネ・フォン・バイエン主催の夜会が開かれようとしていた。
その日バイエン公爵家の夜会会場に集まっているのは高位貴族から中流貴族まで幅広く人数で言えばアマーリエ第二王妃の夜会を上回っている。また参列者の顔ぶれもアマーリエ第二王妃の夜会よりも豪華になっていた。
ほとんどの者は知らないことではあるがアマーリエ第二王妃はあえて王族や王家に近い公爵家を呼ばなかったからだ。ジーゲン侯爵家とナッサム公爵家がより権勢を握るための夜会でありそれを利用しようと思っていたために邪魔になるであろう王族や王家血筋の公爵家を極力排除していたのである。
それに比べて全てに満遍なく招待状を出しているバイエン家の夜会の方が規模も大きく顔ぶれも豪華になるのは自明の理だ。アマーリエ第二王妃派もそれは理解しているので今回あてつけのようにアマーリエ主催の夜会の後により大きな夜会を開かれても文句は言えない。
続々と集まってくる招待客達は期待に胸を膨らませていた。単純な領地の規模だけで言えば王家に次いで広大な領地を有するバイエン公爵家が、あえてアマーリエ第二王妃主催の夜会の僅か二週間後に夜会をぶつけてくる。その自信は相当なものであろうことが窺える。一体そんな自信のある夜会とはどのような夜会なのか。その期待はいつもの比ではないほどに高まっていた。
そしてもう一つ。前回アマーリエ主催の夜会の参列者達も、あるいはその参列者達から話を聞いただけの者達も、今回はある人物に非常に注目していた。その者が参列すると聞いてわざわざ参列することに決めた者も多い。伝統にとらわれない奇抜な衣装とやらを一目見てみたいと大勢の参列者達がその人物の登場を今か今かと待ちわびていた。
そんな中一台の馬車が門を潜り玄関口へとやってきた。その馬車に刻まれているのは王家の紋章に王太子専用の紋章が添えてある。先日立太子されたばかりのルートヴィヒ王太子が乗っている馬車だと一目でわかるものだった。
その王太子を乗せているであろう馬車が玄関口で停車すると昇降台が用意され一人の青年が降りてきた。しかしその姿は王太子ではなく……。
「あれはルトガー殿下?何故ルトガー殿下が王太子専用馬車に?」
「立太子されたのはルトガー殿下だったのか?」
そんなわけはないのだが混乱している参列者達はヒソヒソと思い思いのことを口にしていた。そしてルトガーが馬車から降りて横に寄るとさらに人物が降りて来た。その人物を見てようやく参列者達も納得した。
「おお、ルートヴィヒ殿下も乗っておられたのか」
「どうやらルトガー殿下とルートヴィヒ王太子殿下が一緒に乗ってこられただけのようだ」
普通ならこのような場でルートヴィヒとルトガーが同じ馬車に乗ってくることはまずあり得ない。現代地球でパーティーに行くのにどうせ目的地も一緒だから同じ車に乗って一緒にいこうぜ、なんていうのとは話が違う。
確かに慣例や作法から考えてあり得ないことではあるが絶対にしてはいけないという決まりがあるわけでもない。また何らかの想定外の事態が起きてそうなってしまう場合もあるだろう。一切例外を許さず作法や慣例に反することをすることは許されないということはない。
しかしそれだけではなかった。真に参列者を驚かせたのはその次の出来事だ。昇降台を降りたルートヴィヒはルトガーと逆の方に立つと二人が馬車に向かって手を伸ばす。その手に手を乗せて天使が舞い降りてきた。
長い金髪を伝統に則った髪型に結い上げることもなく流し、薄いブルーの瞳で全てを見透かすように周囲に一度だけ視線を流す。
昇降台の左右に立つルートヴィヒ王太子殿下とルトガー殿下に手を取られながら馬車から降りたその姿は他のご令嬢が着ている衣装とはまったく異なるものだった。
薄い黄色の生地と薄い桃色の生地で織られた絹の衣装。腰から下はフワリと膨らみ縦にいくつもの襞が走っている。その襞と襞の間に真っ白なレースが縫いつけられており両横には大きなリボンがある。
今まで見たこともないまったく新しい衣装。それも前回アマーリエ主催の夜会で着てきた衣装とも異なっている。前回アマーリエ主催の夜会でその姿を見た者は今回も同じ衣装が見れると思って期待して来ていた。そして前回見れなかった者は今回見れるかもしれないと待っていたのだ。
しかし今回はまた新しい衣装を着てきている。たった二週間しか経っていないにも関わらず前回の素晴らしい衣装に勝るとも劣らない別の衣装を着てきているのだ。
一体どうすればあの入手が困難な絹をこれだけ手に入れることが出来るというのか。そしてその意匠だ。今まで見たこともない意匠をたったこれだけの間に二着も考え出し作る。その感性や財力や先見性は一体どれほどだというのか。ほとんどの者が同じ衣装を何代にも渡って着まわしているのも普通な中で殊更際立っていることに疑いの余地はない。
その美しいご令嬢は左右にルートヴィヒとルトガーを伴って会場へと向かう。左右に同伴の男性を二人も連れて歩くなど異例中の異例。しかもその相手がルートヴィヒ王太子殿下とルトガー殿下であり、王太子専用馬車に乗って三人で現れるなど最早ほとんどの者の理解を超えている。
あまりの出来事とご令嬢の美しさのあまり言葉を失っていた参列者達は王太子殿下やご令嬢達が受付を済ませて場内へと入って暫くしてからようやく動き出した。
「おっ、おい……、あれが噂のカーザース家のご令嬢か?」
「ルートヴィヒ殿下とルトガー殿下のお二人も同伴でやってくるとは……」
「やはり噂通り王太子殿下の許婚というのは本当のことなのか」
「王太子殿下と結婚されなくともルトガー殿下が結婚されるということだろうな。うらやましい。俺もあんな妻を迎えたい……」
男性陣の話題は専らフローラの美しさとルートヴィヒやルトガーとの関係についてだった。ほとんどの者はその美しさに惑わされ自分もあのような妻を迎えたいという話で持ちきりだった。
「今の衣装見ました?」
「とっても綺麗ねぇ……」
「新しい衣装があるのなら前回の衣装は私に譲っていただけないかしら」
「あら……、貴女の体では大きさが……」
そして女性陣は主にフローラの衣装について語り合っていた。前回フローラの衣装を見た者は今回もう一度見れると期待していた。前回見れなかった者は今回こそは見れると期待していた。しかしフローラが着てきた衣装は前回の物とは異なる。だがそれについて不満を言う者は一人もいなかった。
今回の衣装もまた前回の衣装に勝るとも劣らない素晴らしいものであり、あのような衣装を短期間に何着も用意出来る感性や財力がうらやましくもある。一体どこの工房に注文すればあのような衣装が手に入るのかと製作者探しに躍起になっている者もいた。
もちろんどこを探してもフローラが着ている衣装が手に入るはずがない。意匠を考えているのはフローラ自身でありそれを元にカンザ商会や協力関係にあるクルーク商会の職人達が作り上げている。普通の者が同じような衣装を注文しようと思ったら衣装一着に払える金額ではないような予算が必要になる。
ある者はフローラ自身の美しさに見惚れ、またある者はその衣装の素晴らしさに見惚れる。そしてルートヴィヒ王太子殿下とルトガー殿下の二人を同伴にしても堂々と歩いているその姿からフローラの器を知り、今のうちに近づいておいた方が得だと考える者が徐々に増えていたのだった。
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参列者も集まり時間となったので主催者からの挨拶と夜会の開始が告げられる。参列者達が注目する中、前の壇上に上がったヘレーネ・フォン・バイエン公爵令嬢が挨拶を始める。
「皆様、本日は私が主催する夜会にご参列いただきありがとうございます。本日はルートヴィヒ殿下の立太子のお祝いとしてこのような会を催させていただきました。どうぞごゆるりとお楽しみください」
ヘレーネの挨拶にパチパチと会場中から拍手が起こる。そして始まった夜会ではあるが……、参列者達の反応はいまいちだった。
「ルートヴィヒ殿下の立太子の祝いということは立太子が公表される前から情報は掴んでいたのであろうが……」
「夜会そのものは平凡だな……」
この日の夜会は公爵家が主催する夜会として何ら恥じることのない立派なものではある。しかし特別何かがあるわけでもない。あくまで普通の公爵家が主催する普通の夜会という程度でしかない。
普段であったならばこの夜会でも誰も落胆などしなかっただろう。むしろ素晴らしい夜会に呼ばれたと満足して帰る者が大多数だったはずだ。だが今回は話が違う。アマーリエ第二王妃の夜会のすぐ後で、第三王子の立太子の祝いという席で、にも関わらず普通に並の公爵家程度の夜会を開いていては不評でもやむを得ない。
それでももしかしたら途中で何かあるのかもしれない。そう思ってまだ僅かに期待している者達もいたが時間が経ち夜会が進行していくにつれてその期待は落胆へと変わっていった。
バイエン家の内情を知る者からすれば別の評価に繋がる。たった一ヶ月で、それも途中まではここまでするつもりではなかった夜会で急遽これだけの夜会を準備したのだからバイエン家の力と財力がいかにすごいかがよくわかる。
しかしそんなことは参列者達には関係ない。むしろそれなら何故夜会をもっと後にしてきちんと準備してから招待状を出さなかったのかと言われるだけのことだ。きちんとした段取りや準備も出来ずに見切り発車で物事を進めてしまうのは愚か者の証であり、それを最後にいくらか辻褄合わせしたからといっても評価するには値しない。
公爵家の夜会としては何ら不足はないにも関わらずいまいち盛り上がりに欠ける夜会もそろそろ中盤、そして終盤へと差し掛かろうとしていた。
このままではまずい。招待客達の反応を見ているヘレーネやアルトはそれが感じられていたが今更どうすることも出来ない。フローラに嫌がらせをするために開いたというのに、フローラに嫌がらせするどころか普段ならルートヴィヒ達と仲睦まじくしているフローラに激怒しているはずのヘレーネも今日ばかりはそんなことを気にしている余裕もなかった。
その時……、バンッ!と扉が開かれた。招待客達の視線が一斉に扉の方に集まる。
「本日お集まりの皆様には他では味わえない特別な体験をご用意いたしております!それではご堪能ください!」
「「「「「おおっ!」」」」」
扉を開いて立っている少女、知っている者は知っている。バイエン公爵家派閥のラインゲン侯爵家ご令嬢、クリスティアーネ・フォン・ラインゲンだった。しかしその姿は皆が知るクリスティアーネではない。
濃い青、藍色の生地にフローラほどではないにしろ広がったスカート。胸や腰の辺りに布を丸めてまるで薔薇のように作った物、フローラが『コサージュ』と名付けた造花があちこちにあしらわれている。スカート部分にはベールのように薄いシースルーの生地が上からかけられておりラメがキラキラと輝いていた。
まったくもって見たこともない衣装であり誰もが驚きと興奮を隠せない。フローラが着ている衣装に引けを取らない素晴らしい衣装だ。
それも当然でありそもそも今クリスティアーネが着ている衣装も元々はフローラが意匠を考え作らせていたものである。急遽クリスティアーネに着せるために仕立て直してはいるが本来であればフローラが着ていたかもしれないものだ。
そのクリスティアーネが手を叩くと開かれたままになっていた扉から大勢の給仕達が様々な物を持って入ってくる。突然並べられ始めた物に参列者達はワクワクが止まらなかった。
一体どんなものを体験させてくれるというのか。給仕達が持って入って来た物からして食べ物のようだとは見当がつくがどのような物であるのかはわからない。
そして何より給仕達のレベルが圧倒的に高い。高位貴族の各家で最上級クラスのメイドや給仕と同水準の知識と技能を身につけていると思われる者が一度にこれだけ集まるなどとてつもなく凄いことだ。例えるならばスポーツなどの各チームのスター選手級の者ばかりが集まったオールスターレベルの集まりと言える。
「まずご用意いたしましたのは今流行りのクレープでございます」
「ほう……。これがあの……」
「私は食べたことが……」
「あぁ、貴女もですか。実は私もこっそり……」
クレープなど庶民向けの下賤な食べ物だ、と普段言っている者も、最初から興味津々だった者も、様々な反応があるがほとんどの者が考えていることは同じだ。食べてみたいと思っていても食べられなかったクレープなるものを食べてみたい。
こっそり庶民のふりをして食べに行ったことがある者や、誰かに買いに行かせて食べたことがある者もいる。そういう者はもうすでにクレープのおいしさを知っており食べたいと思っている。しかしこの場の雰囲気がクレープを食べることを邪魔する。高位貴族ともあろう者が庶民向けのお菓子など食べるのかとお互いに牽制し合ってしまうのだ。
「何だ、お前達は食べないのか?なら俺がいただこう」
「あっ!待てルトガー!ずるいぞ!まずは僕が先だろう!」
綺麗に並べられたおいしそうなクレープ達。それを遠目に眺めていた者達を尻目にルトガーが手を伸ばしルートヴィヒも負けじとかぶりつく。それを見て他の貴族達も徐々にクレープに手を出し始めた。王太子と王族で宰相一家の嫡男が手を出しているのだ。自分達が下賤の料理だなどと言えるはずもない。
そもそも本当は興味があったのだ。それほど話題になっているのならば一度は食してみたいと思っていた。それがこうして堂々と食べられるとあっては食いつかないはずがない。あっという間にクレープに手を出す者が増え見る間にクレープの数が減っていった。
「本日はクレープに加えてまだどこにも市販されていない最新のお菓子『プリン』もご用意いたしております」
「ぷりん?」
「何だ?」
「聞いたことがありませんわね……」
クリスティアーネの口上にほとんどの者が首を傾げる。クレープなら知っているがプリンなどというものは知らない。一体どのようなものなのか。クレープを味わいそのおいしさを理解した者達はそのプリンなるものにも期待せずにはいられない。
「ほう!プリンか!それでは今度こそ僕が最初にいただこう」
「あ!ルートヴィヒ殿下!まずは俺が毒見をしますよ!」
またしてもルートヴィヒとルトガーが一番に手を出す。他の者達はまずはそれを見届けるために暫し待つことになった。
「なんだあれは?」
「ぐにゃぐにゃとしているぞ……」
「それにあの色……、焦げているのではなくて?」
器をひっくり返してお皿の上に乗せられたプリンを遠巻きに見ていた者達は様々な感想を述べる。その見た目の色とぐにゃぐにゃ動く様に気味の悪さを覚える者までいた。
「うん!うまい!」
ルートヴィヒやルトガーがおいしそうに食べているのを見て……。
「こっちにもいただこうか」
「私もだ」
「こちらにもくださるかしら?」
近くの給仕達に声をかける者が次々に続いた。そして一口口に含めばその甘さと柔らかさの虜になる。
「おいしい!」
「このような食感があろうとは……」
「おい!このお皿……、ヘクセン白磁じゃないか!?」
「えっ!?あっ!これも、こっちも……、すっ、全てヘクセン白磁!?」
「まさかこれだけの枚数のヘクセン白磁を!?」
プリンの美味しさに夢中になっていた者達は一人が言い出したことでようやくそのことに気付いた。安い物でも数十万ポーロ、高い物になれば数百万ポーロするのも当たり前の今流行りのヘクセン白磁が何十枚何百枚と使用されているのだ。
後から入って来た給仕達が用意したのは器もお皿もカップも全てがヘクセン白磁だった。また透明なガラスコップも多用されている。一体この一式分だけでどれほどのお金がかかることだろうか。一枚二枚買うのとは訳が違う。王都で巨大な屋敷が何棟も買えるほどの金額だ。
「素晴らしい!」
「さすがはバイエン公爵家だ」
「このプリンというものもとてもおいしいわ」
「売り出されたらすぐに買いにいかなくてはならないわね」
その後の夜会は大いに盛り上がった。給仕達のレベルの高さ、庶民のお菓子と侮っていたクレープのおいしさ、まだどこにも売られていないというプリンという新しいお菓子の斬新さ、ヘクセン白磁や透明なガラスを多用した財力。そのどれもが驚きに満ちていた。
夜会も終盤に差し掛かりかけた頃に次々に披露されたサプライズに参列者達はこれまでの夜会で感じたことがないほどの満足感を覚えて帰っていったのだった。