第百四十四話「プリン!」
今日も厨房に入っていた俺はいい加減ゲンナリしていた。皆が俺の作ったものをおいしいと言って食べてくれるのは素直にうれしい。だけど限度というものがあるだろう。こうしょっちゅうプリンプリンと言われて作らさせられていたらいい加減いやにもなってくるというものだ。何故皆こんなにプリンを気に入っているんだろうか?
ヴィルヘルム国王やエリーザベト王妃、ルートヴィヒやエレオノーレ、マルガレーテに至るまで王家の面々にも大変好評だった。そしてディートリヒやルトガーのクレーフ公爵家の評判も上々だ。プリンを出した相手、出した相手、全てがおいしい、もっとよこせと言ってくる。うちの家族もそうだしいつもの五人もそうだ。事ある毎に俺にプリンをねだってくる。
そんなにおいしいか?バニラもないから風味もあまりない。ただ甘くて柔らかいだけのプリンだ。
まぁこの世界ではあんな食感は今までなかっただろうし甘味もそんなにない。甜菜糖の生産量が増えて徐々に砂糖も価格が落ちてきているとは言ってもまだまだ庶民には高いものだ。クレープカフェが出来たことで甘味も浸透しつつはあるけどまだまだ珍しいことに変わりはない。
そもそもクレープが庶民にも買える価格を目指して作られ販売されているとはいっても決して安いものじゃない。仮に現代日本でクレープが一つ五百円から千円くらいするとしたらそれが安いと言えるだろうか?
確かに千円だったとしてもほぼ誰でも買える程度の値段だろう。だけどそれは決して安いとは言えない。誰でも買えるのと安いのは別の話だ。家で自炊すれば千円あれば何食分の食事が食べられるだろうか。何食もお腹一杯に食べられるほどのお金を払ってクレープ一つしか食べられないのならば『買えはするけど安いとも言えない』んじゃないだろうか?
この世界でも同じことであり、極限まで価格は下げているけど決して安くていくらでも買えるというようなものじゃない。ちょっとしたプチ贅沢とか、他を削って我慢してでも食べたい、というようなものだ。決して毎日外食代わりに食べられるというようなものじゃない。
それはわかる。甘味も珍しいし食感も新しい。皆が珍しがって食べたがる気持ちはわからなくはない。だけどこんなしょっちゅうおねだりされて作らさせるのは勘弁だ。いくら何でも頻度と数が多すぎる。
そこで俺は考えた。全て俺が自分で手作りしようと思うから大変なんだ。誰か違う人に作ってもらってそれを買えば良い。そうすれば俺の手間は減るし欲しい人はいつでも手に入れられるようになればまさにウィンウィン。気をつけるべきは自由に買って手に入るようになったからって食べ過ぎて太ることくらいだろう。
王都のカーザース邸には料理長のダミアンと彼の信頼出来る部下が来ている。父や母がこちらに来ているからダミアン達も遅ればせながらこちらにやってきたからだ。
俺は当初父と母は俺の入学式が終わったらすぐカーザーンに帰ると思っていた。だけどオリヴァー達と一緒にダミアン達もやってきたのを見て父と母は帰る気がないのだとすぐに察した。恐らくだけど少なくとも長期休暇で俺が領地に帰るまではここにいるつもりじゃないだろうか。
そのダミアン達にはプリンの作り方を教えても良い。どうせ王城で調理している所を見せたから宮廷料理人達はもう作り方を理解しているだろう。というかダミアン達も俺が調理している所を見ているからもう今更口で言わなくてもやり方自体はわかっているはずだ。
プリンは作り方自体は難しいものじゃない。そして材料も今となっては入手困難というほどでもなくなっている。昔は砂糖も卵も牛乳も入手困難だったけど今ではうちの牧場から全て仕入れることが出来るようになった。そしてだからこそ問題でもある。
プリンは作り方さえ理解すれば誰でも簡単に真似が出来てしまう。俺が今までプリンの製法を広めたり商売にしてこなかったのはそれが理由だ。
例えばクレープは生地の作り方と焼き方さえわかえればあとはクリームや果物を入れて巻けば終わりでありとても簡単に見える。だけど実際にはそんな簡単な話じゃない。何故かと言えばクリームの入手が困難だからだ。クリームはクリームでうちの牧場から仕入れる必要がある。だけど誰でも彼でも自由に買えるほど量もないし製法も流出していない。他人がクレープの真似をしようと思ってもまずクリームで躓く。
そして仮にクリームがどうにかなったとしても次は果物だ。果物自体は市場に行けば誰でも買える。でも普通に市場で買える果物は旬の物しかない。日持ちもしないし手に入る期間も短い。それぞれの季節に合った材料で期間限定メニューのようなものを作るにしても安定しないだろう。
うちはジャムにしたり冷蔵や冷凍の真似事をして保存したりと色々とコスト度外視なことをしているから多少季節はずれになってもある程度安定して供給出来ている。他所がうちの真似をしようと思ったらラインナップが寂しいことになるし、コストが上昇しすぎて販売価格が何倍にもなるだろう。そんな店がうちの後追いで出店しても勝負にならない。だから誰もまだ真似してこない。
それに比べてプリンは必要な材料も少なく簡単に手に入る。製法さえわかれば誰でも作れるものだ。だからプリンを独占しておくなら製法が流出しないように気をつけておく必要がある。クレープのようにパートやアルバイトのような店員に作り方を教えて接客させる、というようなことは出来ない。
宮廷料理人達が製法を漏らす心配はない。すでにクッキー等の製法を教えているけど未だに流出していないのが良い証拠だ。彼らは徹底的に教育され選ばれたエリート達であり不用意にそのような情報を漏らしたりしない。またそんなことがあれば家族ともども無事には済まないだろう。王族の食卓を預かるということはそういうことだ。
うちの料理人達もダミアンとその部下達なら大丈夫だ。今まで俺が教えた料理や調理法も流出していない。もともと王都にいた者達はどうか知らないけどカーザーンやカーンブルクから来た者達はまず心配ない。
でもダミアン達に毎日毎日プリンを作れというのも問題だし、折角だからこれを機にプリンも販売してみるのも悪くない。流出して真似されたらその時はその時だ。違う者が違う視点で考えればもっと色々な味や工夫も出てくるかもしれない。それは決して悪いこととは言えないだろう。
ただだからって無闇に真似されるのも面白くない。なるべく製法が流出しないに越したことはないししばらくはうちが元祖として利益を回収したい。少々遅い時間だけどちょっとカンザ商会王都支店の責任者フーゴに相談に行ってみようか。
向こうで試食してもらうために何個かさっき出来上がったプリンを持って俺はカンザ商会王都支店へと向かったのだった。
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店舗の方じゃなくて事務所の方に向かってフーゴ達に俺の考えを説明してプリンを試食してもらった。プリンの評判はこちらでも上々で大ヒット間違いなしだと全員が太鼓判を押していた。ただやっぱりネックは使う材料も製法も簡単であり製法が流出してしまえばすぐに真似されるだろうということだった。
「このプリンというものも素晴らしいですね。ですがフロト様は何故こうも次々とこのようなものを思いつかれるのでしょうか」
「うっ……」
フーゴ達の突っ込みに何と答えたものかと言葉に詰まる。前世の異世界の知識ですとか言えないしな……。
「こちらの商品はしばらくの間は会員限定にされてはいかがですか?そうすれば多少製法の流出まで時間が稼げましょう」
「なるほど……」
そのものに触れる人数を減らしておけば流出や誰かが作り方に行き着くまでに時間が稼げるだろう。それに会員専用にしておけば価格も高めに設定出来る。一日の数量限定にしておけば作り手の負担も安定するだろう。カフェのように大量に人手を入れてしまうとどこから情報が流出するかわからないからな。決まったメンバーだけで決まった量を作るなら当分は秘密も守れそうだ。
「それから……、そろそろ二号店の店長であるビアンカにもフロト様のことをお伝えしても良いのでは?」
「それは……」
俺は未だにビアンカに俺のことを教えないようにしている。別にビアンカを信用していないわけじゃない。ただもしビアンカが俺のことを知ったら気軽にクレープカフェに行きづらくなる。今のままただの一庶民として一人の客として気軽に店に通いたいというのは俺のわがままだろうか。
「クレープカフェを切り盛りしているビアンカの意見も聞いてみるべきだと思いますよ」
「うぅ……、わかりました……」
こうして俺はフーゴを連れてクレープカフェに向かうことになった。今から向かえば到着する頃にはカフェも閉店しているだろう。他の店員達にまで俺のことを知られるのは困るけど閉店後ならフーゴにビアンカだけ呼び出してもらって話をすれば良い。
クレープカフェの方はもう閉店時間だろうけど一般客用のカンザ商会二号店はまだしばらく開いている。二号店の応接室か事務所でフーゴとビアンカを交えて少し話をしてみよう。そう覚悟を決めて俺達は二号店へと向かったのだった。
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クレープカフェの前まで近づいた俺達の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「このような時間に申し訳ありません。今商品を売って欲しいというお話ではないのです。一週間後のある夜会でこちらの商品を出していただきたいのです!このようなお話はどこでどなたにすれば良いかわからず……、また日中にはたくさんのお客さんが来られているのでこのような時間にやってきました無礼はどうかお許しください」
「はぁ……?」
クレープカフェはもう閉まっているはずだけど扉が開かれそこにビアンカとクリスタが立っていた。何でこんな時間にこんな場所にクリスタが?
本来カンザ商会では時間外の業務は一切受け付けない。例えばサービスとして誰か一人にでも対応してしまえば他の客が『何故あいつには対応したのに自分には対応しないのか』と言い出す可能性がある。それならばと他の者まで対応し始めてはどんどん業務も増えて時間も遅くなってしまう。だから一律に時間がくれば全てのサービスを終了するように徹底している。
それなのに今クレープカフェの前でビアンカとクリスタが話をしている。もちろん別に時間外だからといって一切話をするなとは言わない。どのような用件かもわからないのに一切相手にするなと言っているわけじゃないからだ。販売や接客やクレーム対応をするなと言っているだけでそれ以外の用件まで全て一切相手にしてはいけないわけではない。
例えば近隣の住民からの騒音への相談やゴミの出し方に関する話などがあるかもしれない。飲食店なら当然そういう問題が起こるだろう。そういう話し合いをするのに真昼間の客でごった返している時にそんな話など出来ない。そういったことは朝や夜の閉店中に対応するのもやむを得ない。
ただクリスタがいるということはそういった用件ではないのは確実だ。貴族街に住んでいるクリスタがそういう用件でやってくるはずがない。じゃあ何なのか。俺が一人で考えていてもわかるはずもないので聞いてみるのが一番だろう。
「クリスタ?どうしたのですか?」
「フロト……、フロトもお願い!一週間後の夜会でプリンを!ヘレーネ様の夜会でプリンを出して!」
その言葉を聞いて……、それだけでもう用件がわかった。確かにあと一週間ほどでヘレーネの夜会がある。俺もその夜会に呼ばれているからな……。
でも今更夜会の準備?これはどういうことだ?普通なら夜会の準備の目処が立ってから招待するだろう。まだ何の目処も立っていないのにとりあえず先に招待状だけ送るなんて馬鹿はいないはずだ。特に主催者にとっては夜会は自らの力を誇示する場でもあるわけで絶対に失敗出来ない。それなのに準備の目処もなく招待状だけ送るはずがない。
そもそもつい一週間ほど前にアマーリエの夜会があったばかりだ。当然こんな時期に夜会をぶつけてくればアマーリエの夜会と比べられる。王族の夜会は当然それだけ気合が入っているわけで、その王族の夜会のすぐ後に夜会をぶつけてくるなんて相当な自信がなければ出来ないだろう。
それなのに今更こんなことを言っているということは何かあったのか?そうだろうな。わざわざ手下であるクリスタにまでどうにかするように言っているということは相当切羽詰っているに違いない。何かよほどのアクシデントでもあったんだろう。
例えば予定していた食材が届かなくなったとか、料理人が怪我をしたとか、来れなくなったとか、何らかの重大なアクシデントがあって慌てているんだろう。でなければわざわざバイエン公爵家ほどの者がクリスタにどうにかするように命じたりするはずもない。
急遽どうにかしなければならなくなったヘレーネがクリスタに何か代替案を準備しろと命令したんだろう。だからクリスタはクレープとプリンを夜会で出せないかと相談に来たんだ。ビアンカに相談した所でビアンカにはそんな決定権はないけどクリスタがそんなことを知るはずもない。とにかく必死で誰に相談すれば良いかもわからず店に訪ねてきたんだろう。
正直俺はヘレーネはあまり好かない。もちろんヘレーネの行動原理も理由もわかるつもりだ。貴族というのはどこまで行っても競争社会であり、貴族のルールを破らない範囲内でお互いに足を引っ張り合い、出し抜き合い、常に競争して自分が一つでも上に立とうと必死だ。
ヘレーネのやり方も貴族としては極ありふれたもので特別非道ということもないだろう。あの程度ならばどこの貴族でもやっているとすら言える。だけどだからって俺がヘレーネのやり方を気にしないとか許すというのとは別の問題だ。正直俺はああいうやり方は気に入らない。
でも……、貴族の矜持を捨ててでも平民のビアンカにあそこまで頭を下げてまでヘレーネのために動いているクリスタは助けてあげたい。これはヘレーネのためではなく俺の友人であるクリスタのためだ。
そう覚悟を決めた俺はフーゴの方を見る。フーゴも黙って頷いてくれた。ならばやることは一つだ。
「クリスタ、ビアンカ、こんな場所ではなんでしょう。カンザ商会の応接室へ行きましょう」
「……え?」
俺が仕切っているのが不思議なのだろう。ビアンカがポカンとした顔で俺を見ているけどそんなことは気にせず俺はカフェの隣にあるカンザ商会二号店の中へと入って行った。それに続いてフーゴが入るのを見てビアンカとクリスタも続いて入ってきたのだった。