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第百四十話「エンマとジーモン!」


 アマーリエ第二王妃主催の夜会の後から、否、もっと言えばヴァルテック侯爵夫人が捕まった後からエンマ・ヴァルテックの周囲は全て変わってしまった。ヴァルテック侯爵夫人が捕まった後から親しかった者達もエンマを避けるようになり、手足のように言う事を聞かせていた者達も従わなくなった。


 そして決定的だったのが夜会の後だ。夜会が終わった次の日、ゾフィー達いつもの四人に呼び出されたエンマはひっぱたかれ、押し倒され、砂塗れにされて激しく罵られた。エンマの人生で今までこのような扱いを受けたことなど一度たりともない。自分が相手にすることはあっても自分がこのようにされるような立場になどなったことはなかった。


 それが、ヴァルテック侯爵家のご令嬢である自分がこのような扱いを受けるなど……。


 夜会の後からということはあの夜会でバイエン公爵とヘレーネがこうするようにと決めたのであろうことは想像がつく。今まで長年バイエン家とヘレーネに仕えてきたエンマならばそのやり口もよく知っている。あの夜会で他家とそういう取引でもしたのか。ヴァルテック家だけに全てを擦り付けてトカゲの尻尾切りをするつもりなのか。


 何にしろこれからのエンマとヴァルテック侯爵家の未来はもうわかりきっている。今まで自分が他の者にそうしてきたように、これからは自分が同じことをされるだけだ。


 泣きを入れて絶対服従を誓って序列の最下層でこき使われるか。逃げ出して二度とヘレーネ達の目に入らない所へ引き篭もるか。精神がおかしくなって診療所送りになるか。それらのいずれかにでもならない限り今日のようなことが延々続く。今まで自分がそうしてきたのだからそのやり口は熟知している。


 こんなことで負けてたまるか!私はヴァルテック侯爵家のエンマ・ヴァルテックだ!


 その矜持だけを胸にエンマは立ち上がったのだった。




  ~~~~~~~




 ゾフィー達は顔を合わせるたびにエンマに嫌がらせを行い攻撃してくる。令嬢同士の揉め事なので攻撃とは言っても直接命に関わるようなことはさすがにしてこない。それでも何かをかけられたり、投げつけられたり、ひっぱたかれたり、押し倒されたり、精神的にも肉体的にも苦痛を受ける。


 親戚であり姉妹よりもずっと一緒につるんできたはずのゾフィーは掌を返したかのようにエンマにきつく当たってくる。格下のはずの他の三人にも蔑まれ馬鹿にされる。


 今まではあの三人だってエンマの言うことを何でも聞いて後ろに付き従ってきていたというのに……。


 廊下で他の組の生徒達もいる前で辱めを受ける。食堂へと向かう廊下の途中で足を引っ掛けられ庭の水撒き用の水を頭からかけられる。本格的にいじめられるようになってたった一日、二日のことでエンマの心はもう折れそうになっていた。


 最初の時こそ自分はヴァルテック侯爵令嬢だと歯を食いしばって立ち上がった。しかしこうして本格的にいじめられるようになってまだ数日と経っていないのにエンマはもう泣き出しそうだった。いや、もうすでに陰で何度も泣いている。


 これほど辛いことだとは思わなかった。負ける奴らは根性が足りないだけだと思っていた。でもそうじゃない。自分がやられて初めてわかる。これは本人に根性があるとかないとか、耐えるとか耐えられないとかそういうものではない。


 エンマはもう矜持も何もかも投げ捨ててゾフィー達の足に縋りつき泣いて許しを請おうかとすら思ってしまう。しかしそれは出来ない。


 別に最後の矜持が残っていて、とかいう話ではない。もしゾフィーにそんな姿を見せようものならばゾフィーの性格上もっと酷い目に遭わされるのは目に見えている。ゾフィーは相手が泣いて謝って許しを請うたからといって許すような性格ではない。余計に残忍な目になりますます酷い仕打ちを受ける。エンマはそれらを目の当たりにしてきたのだから良く知っていることだ。


 ではゾフィーが駄目ならば他の者の足に縋りつくか?それも無理だ。これまで他の三人はエンマに散々こき使われていやなこともさせられてきた。エンマやゾフィーに逆らえないのを良いことにこの三人に対してだって相当に高圧的に命令してきたことは自覚している。そんな相手に今更泣き付いた所でゾフィーやヘレーネに逆らってまで自分を助けてくれるとは思えない。


 ならばどうするか。考えるまでもない。最初から打つ手などなかったのだ。そこでふとエンマは隅の方にこっそりといるだけのクリスティアーネ・フォン・ラインゲンと目が合った。


 いや、まだ手があった。クリスティアーネならば、クリスティアーネの足に縋り付いて泣き喚けば助けてくれるのではないか。ラインゲン家はこの五人の中でも一番格下だ。そんな家がヴァルテック家のご令嬢であるエンマと親しくなれるというのなら向こうから泣いて喜んで受け入れてくれるに違いない。そう考えたエンマはまさに今クリスティアーネの足に縋り付こうとした。その時……。


「待ちなさい!」


 エンマと四人組の間に割り込んでくる者がいた。まさかこんな面倒事にわざわざ首を突っ込む者がいるなど誰も思っていなかった。だからこそこの五人のみならず周囲で様子を窺っていた者達も全員が驚いた。


 エンマは一瞬割り込んできたのがヘレーネかと思った。ヘレーネはよくそういうことをする。自分達五人に誰かをいじめさせてあたかも自分はいじめられている方の味方かのように割って入ってくるのだ。


 そうすることでいじめられていた者から信頼されるように仕向けたり、周りで見ている人々に自分の良い評判を振りまいたりとつまらない小細工を弄していた。まさかエンマ相手に信頼されるようにもっていけるとは思っていないだろうが、元配下同士が揉めているのを止めて仲裁すればまた名声が上がるかもしれない。そういう狙いかと思って間に立った人物を見てエンマは目を見開いた。


「貴女達……、何をしているのですか?」


 自分の前に立ち四人組に相対しているのは長い金髪を靡かせた美少女だった。今まで自分達がいくらいじめてもまったく意に介さなかった相手。エンマは自分がやられて初めてようやくその辛さがわかった。だというのにこの辛いいじめにも平然としていたその相手は……。


「フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース……。どきなさい!貴女には関係ないことでしょう!」


 その相手を見てゾフィーが語気を強めて追い払うかのように手を振る。


 確かにその通りだ。フローラにとってはゾフィー達もエンマも自分をいじめていた相手でしかない。その両者が内ゲバで揉めていてもわざわざ助ける必要などないだろう。普通の者ならばざまぁみろとばかりに笑って見ているに違いない。


 またそうやってゾフィーとエンマが潰し合ってくれれば自分をいじめてくる相手が勝手に弱ってくれるのだから助ける理由などないだろう。


 それなのにフローラは明らかにエンマを庇うように立っていた。そしてゾフィーにそう言われても一歩も引き下がらない。


「いつまでこのようなくだらないことを続けるつもりですか?」


「くっ、くだらないですって!何も知らないくせにでしゃばるんじゃないわよ!ヴァルテック家は私達に多大な迷惑をかけた。だからこれはその償いであり当然の報いなのよ!」


 ゾフィーの言葉にエンマも俯く。確かに……、エンマにも多少なりとも負い目はある。エンマの生母、ヴァルテック侯爵夫人、アウグステ・ヴァルテックが商会への脅迫容疑や国王陛下、宰相殿下への暴言で逮捕されてしまった。


 そのためにヴァルテック家に捜査の手が入り、ヴァルテック家からバイエン公爵派閥の者達の裏の商売が国王陛下に知られることになったと思われる。


 今の所国王陛下側からバイエン公爵家どころかヴァルテック家に対してもまだ裏の商売、投資詐欺に関しては何のお咎めもない。しかしだからといって今後ずっとないとは言い切れない。むしろ今はまだ捜査段階であり下手に動くと証拠隠滅をされたり重要人物が逃げたり殺されたりするかもしれないから動いていないだけという可能性もある。


 そんな重大な失敗をしてしまったヴァルテック家がバイエン公爵派閥から追い出されたりこういう目に遭わされるのはある意味当然とも言える。もしエンマが逆の立場で他の誰かから秘密が漏れたとなれば相当激昂して自殺するまで追い込んでいるのではないかと自分でも思う。


 そしてそれがわかるからこそエンマはますます絶望するしかない。死人に口なし……。ヴァルテック家から余計な情報が漏れないようにするためにはヴァルテック家の口が塞がれば良い。死人はしゃべることが出来ない。ならばエンマ達の未来は……。


 それを想像するとブルリと体を震わせた。死にたくない。まだ死にたくなどない。


 もちろんゾフィー達が直接エンマを殺すようなことはしないだろう。しかしこのまま自殺するまで追い詰めるということくらいはしてくる。そういう連中だ。何しろ自分も長らくそこに居たのだ。ゾフィー達のやり口くらい重々承知している。


「実にくだらないではないですか。償い?報い?それは誰が決めるのですか?貴女達ですか?それとも貴女達に指示を出しているヘレーネ様ですか?貴女達は一体何様のつもりですか?貴女達に人を裁く権利も償いをさせる権利もありません」


「なっ、何を言っているのかしら?ヘレーネ様は私達とは関係ないわよ。ねぇ?」


「えっ、ええ、そうね……」


 ヘレーネの名前が出た途端にゾフィー達はあからさまに挙動不審になった。


「ふっ、ふんっ!これでおしまいだと思わないことね!いくわよ!」


「はい」


 周囲もザワザワと騒がしくなってきていることに気付いたゾフィーはそれだけ言い残すと三人を引き連れて去って行った。後に残されたのはフローラ達とエンマだけだ。


「……こんなことで助けたなんて思わないでちょうだい!私は貴女なんかに助けてくれなんて言った覚えはないわ!」


「別に貴女を助けたわけではないので感謝も気にする必要もありません。ただ複数で寄ってたかって一人を囲んで逆らえないのを良い事に好き勝手しているのが見苦しいと思っただけのことです。それでは御機嫌ようヴァルテック様」


 フローラはそれだけ言うとエンマの前から立ち去った。その言葉にズキリとエンマの胸が痛む。今まで自分達がしてきたことがいかに醜い行いであったのか。逆の立場に立たされてようやくそのことが理解出来た。フローラの言うことも尤もだ。


 自分がそちらに立って参加している時は気付かなかった。自分達の行いがいかに醜く見苦しいのか。どうして自分達が陰ではヒソヒソと悪評が流されていたのか。それはそうだ。自分だって傍からあの様子を見ていれば四人組のことを陰からヒソヒソと悪口を言ったに違いない。


 しかし……、だからといって今更ヘレーネやゾフィー達から離れることは出来ない。かといって昔のようにゾフィーの次の位置に立って偉そうにすることも出来ない。もうどうしようもないのだ。エンマに出来ることは精々このいじめに黙って耐えて向こうが飽きるか自分よりも優先的に狙うべき次の対象が出てくるのを待っていることしか出来ない。


「ふっ、ふふっ、あははっ!」


 ずぶ濡れのエンマは人に気づかれないように笑いながら涙を流した。どうせこれだけ濡れているのだから多少涙で濡れているのが増えても誰にもわからないだろう。エンマはただ愚かで滑稽だった自分を嗤っていた。


「これ……」


「……何よ?」


 そんなエンマの前に再び立つ人物がいた。こんな自分にかまってくる物好きがフローラの他にもいるのかと思いながらその相手、ジーモン・フォン・ロッペを睨みつける。ジーモンの手にはハンカチが握られており自分に差し出されていた。


「はっ!あんた馬鹿なの?今更私におべっかしても無意味なのよ!そんなこともわからないの?だからあんたは馬鹿なのよ!」


 ロッペ侯爵家の借金はヴァルテック侯爵家が貸していることになっている。だから今までジーモンにはエンマが指示を出していた。しかし最早エンマにもヴァルテック家にも何の力も権限もなく、そもそも詐欺で騙して背負わせた借金も捜査が進めば無効か取り消しになるだろう。そうなればジーモンがエンマに従う理由はなくなる。今更まだエンマのご機嫌を取ろうなどとするのは何もわかっていない馬鹿でしかない。


「おべっかでもご機嫌取りでもないよ」


「は……?じゃあ何だって……」


 そう言いかけたエンマはそれ以上言葉を紡げなかった。目の前でしゃがんだジーモンはただそっとエンマの顔をハンカチで拭う。その瞳は真っ直ぐエンマを見詰めていた。


「幼馴染がこんな目に遭っていれば誰だって心配するのは当たり前だろう?」


「…………」


 幼馴染……。確かにその通りだ。エンマとジーモンはジーモンがヘレーネ達に目をつけられる前から顔見知りだった。


 ロッペ侯爵家とヴァルテック侯爵家の領地は直接隣接してはいないがとても近い。その気になれば一日で行って帰ってこれる。そしてヴァルテック家の飛び地がロッペ家の領地と隣接していた。だからエンマは幼い頃からその飛び地の保養地に行く度にジーモンと会っていたのだ。


 ロッペ家とヴァルテック家は領地が近く飛び地が隣接していることもあって昔から親しい間柄だった。家族ぐるみの付き合いもあったために飛び地の保養地に静養に来るたびにジーモンとエンマは顔を合わせて一緒に遊んだ仲だ。


 それは大きくなっても変わらず二人はずっと幼馴染として過ごしていた。あの時までは……。ヘレーネがジーモンを気に入らないからいつも通りにしろと五人組に言うまでは……。


 ヘレーネはそれまでもいつも気に入らない者がいれば五人組にいじめさせていた。それでその者が五人組に屈服するならそれはそれで良し。屈服しないのならばヘレーネが対象者に近づいて味方のような顔をして信頼を得る場合もあった。そのどちらでもなければ対象者が逃げ出して二度と顔を出さなくなるか自殺するまで追い込むまでだ。


 ジーモンのような大人しくて目立たない者の何が気に入らなかったのかエンマにはわからない。ただヘレーネがそう言った以上はジーモンはそのいずれかの結末に辿り着くまで許されることはない。それ以外で助かることがあるとすれば今の対象者以上に先に狙うべき対象が現れてそちらにヘレーネの興味が移る場合のみだ。


 そんな都合の良いことが丁度起こるとは思いにくい。だからエンマは率先してジーモンをいじめた。ジーモンも自分にならば屈することが出来るだろう。他の者の下につくよりは自分の下についた方がまだ良い。エンマは他の者に自分とジーモンの関係が知れ渡らないように気をつけながら必死でジーモンをいじめ続けた。


 それなのにジーモンはまったく屈しない。どれほどいじめても、どれほど追い詰めても、いつまで経っても屈しなかった。そしてとうとうヘレーネの我慢の限界に達してしまった。


 ヘレーネはロッペ侯爵家を投資詐欺で騙して借金漬けにするようにと言い出したのだ。もちろんエンマには逆らう術はない。だからせめてヴァルテック家が貸元になるように頼み込みジーモンを誘い出して騙して借金の借用書に判をつかせた。


 ただその時に不可解なやり取りがあった。ジーモンは投資にお金を出すのではなくエンマに、ヴァルテック家にお金を出すと言っていた。その時のエンマには意味がわからなかった。だけど今になって思えばその意味がわかってくる。


 ジーモンはエンマやヴァルテック家が今自分に言っているような投資詐欺で騙されて借金を背負わされていると考えたのだ。だからジーモンは自分がその借金を肩代わりすると言っていた。判をつかせた書類にもそのような趣旨が書かれている。


 何のことはない。当時の自分は馬鹿すぎて何もわかっていなかった。自分がここ数日に受けたいじめの何倍もの壮絶ないじめを受けても屈しなかったジーモンは情けない男などではない。そしてジーモンが投資詐欺に騙されて借金を背負ったのは、本当は投資詐欺に騙されたのではなく、エンマが同じ目に遭って借金を背負わされていると勘違いしてその借金を背負ってくれたのだ。


 自分はずっとジーモンに守られていた。そんなことにも気付かずに良い気になってジーモンに偉そうにして自分が馬鹿のようだ。いや、確実に馬鹿だった。そして今更ながらにそんなことに気付いた大馬鹿者だ。何もかももう手遅れだというのに……。


「うっ……!うぅっ!」


「……これは返さなくて良いよ」


 人に見られないようにこっそり涙を流すエンマにハンカチを押し付けるとジーモンはその姿をそれ以上見ないようにその場を立ち去ったのだった。



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