第百三十八話「王妃が見定める!」
いつもは後宮に篭りっきりのエリーザベトは人と会える装いを準備しながらどうやって出て行こうか考えていた。
今日ルートヴィヒの客人として件の許婚が来ることは知っている。しかし普段ほとんど後宮から出ない自分が突然表に出て行くにはそれなりの理由が必要だ。
ルートヴィヒが使うであろう談話室も後宮内にあるとは言っても相当手前にある。客を招いて話をする談話室、応接室なのだから入ってからほどなくの場所にあるのだ。普段後宮の奥に引き篭もったままのエリーザベトが出て行くような場所ではない。
後宮の浅い場所に行ったり、まして後宮の外になど滅多に出ないとはいっても家人や家族とは会うのだからエリーザベトも普段からきちんとした格好はしている。家の中では寝間着でウロウロ、というようなことはない。それでも今日はいつものような簡単な衣装や化粧ではなくきちんと余所行き用に準備する。
準備をしながらもどういう名目でルートヴィヒ達の間に入り込もうかと思案していると部屋の外が騒がしいことに気付いた。
聞こえてくる話の内容は今日突然どこかのご令嬢が王宮の厨房に入って料理をするという話だった。そのために色々と騒がしくなっている。そして騒がしくなる理由も当然だろう。厨房に入って料理をするということは毒殺のために毒を混ぜたりということが出来てしまう。宮廷料理人とは料理の腕が良ければ誰でもなれるというものではなく絶対にそのようなことはしないという信用がなければ出来ない。
それほど厳格な場である王宮の厨房に今日突然見ず知らずのご令嬢がやって来て入るなど異例中の異例だ。そしてそれと一緒に聞こえてくる『ぷりん』というものを作るらしいという言葉でエリーザベトは全てを察した。
今日やってきているご令嬢といえばルートヴィヒの許婚、フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースしかいない。そして先日ヴィルヘルムが持ち帰ってきたプリンなるものの出所は結局一切明かされなかった。今日突然厨房を使うことが許可されプリンが作られるらしいとなればもう全ての答えは明白だろう。
プリンの出所はカーザース家であり何かの流れで今日フローラがプリンを作ることになったに違いない。よくよく考えてみれば王家が突然クッキーやドーナツといった新しいお菓子やお茶請けを作るようになったのもカーザース家が関与していたのだろうことがわかる。
「少し私も出ましょうか」
「エリーザベト様、どちらへ?」
準備を終えて出て行こうとする主に向かってエリーザベト付きのメイドが尋ねる。エリーザベトはクルリと振り返ると満面の笑みで答えた。
「私もプリンは大好きなのですよ」
「はぁ……?」
先日ヴィルヘルムがプリンを持って帰ってきたことを知る者は少ない。このメイドもエリーザベトの言葉の意味がわからずに首を傾げる。しかしエリーザベトは気にも留めずに足早に談話室へと向かったのだった。
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談話室には主要な者が勢揃いしていた。エリーザベトはヴィルヘルムをチラリと見やる。エリーザベトの視線に気付いてヴィルヘルムは小さくなっていたが出て行くことはない。そこまでしてプリンが食べたいか、と思いながらも、それもわかる、と思ってしまった。
今はまだ政務の時間のはずでありヴィルヘルムがここにいるということは仕事を放り出してやってきたのだということは一目瞭然だ。にも関わらずエリーザベトがその意味を込めて視線を送っても小さくはなっても仕事に戻ろうとする気配はない。
そして逆にヴィルヘルムもエリーザベトに視線を送ってくる。いつもは後宮の奥から出てくることなど滅多にないエリーザベトが何故ここにいるのかという意味だ。それはわかるがそんな視線を送られてもエリーザベトもまた素知らぬ顔でその場に留まる。フローラと会う良い機会だというのは確かだがプリンを食べたいのもまた本心なのだ。
そうこうしている間に時間が経ち談話室に入って来た見るからに高位貴族のご令嬢とわかる人物は、チラリとエリーザベトやヴィルヘルムに視線を送ったというのに挨拶もすることなく手際良く器の周りをクルリと串でなぞってプリンを取り出した。それをすぐにエレオノーレに差し出す。
同じ部屋に居たのだから今までエレオノーレがずっとぐずっていたことは当然知っている。ヴィルヘルムのことは知っているであろうしその横に座る自分が誰なのかも想像がついているだろう。だからこそ入室してすぐに視線を向けてきたのだ。それでも二人への挨拶を後回しにしてでもぐずっているエレオノーレに先にプリンを用意した。
ここが公式な場であったならば不敬だとして周りの者が責め立てていたことだろう。しかしここは非公式な場でありこの場にいる者以外は誰もいない。それをわかった上でまずはエレオノーレを泣き止ますために先にプリンを用意したのだ。
普通の者にそのようなことが出来るだろうか?王や王妃である自分達にゴマをすろうとする者は大勢いる。そういった者達ならばまず最初にこちらに挨拶をしてくるだろう。しかしこの者は何をおいてもまず泣いている子供を優先したのだ。それはただ権力に擦り寄ってくるだけの輩とは明らかに違う。
自分が咎められることになったとしてもそれを覚悟の上で泣いている子供をまずあやすことが出来る者がどれほどいるだろうか。それもその子供は自分の子供でもない。そして相手は王と王妃だとわかっていてだ。
エリーザベトのフローラに対する第一印象は非常に良いものになった。想像していた時まではもっと評価は低かったのだ。それがたったこの一コマの出会いだけで非常に好印象を抱いた。
どうせ王太子に近づき婚約したがるような者など権力が欲しいだけではないかと思っていた。それならば心根が真っ直ぐで権力や家のためではなくルートヴィヒのためを想ってくれるマルガレーテの方が良いと考えていた。
しかし今エリーザベトはフローラがマルガレーテ並に打算もなくエレオノーレに尽くしてくれたことに気付いた。もし権力が目当てで擦り寄ってきているのならば何を置いてもまずは王と王妃のご機嫌を窺うはずだろう。自分が咎められる覚悟で泣いている子供の相手などするはずがない。
ルートヴィヒが未熟なために見た目の美しさにでも騙されたのか、おだてられて乗せられたのか、など色々と考えていたがそんなことはなかった。ルートヴィヒの見る目は確かであり良い相手を見つけてきたものだとエリーザベトは考えを改める。
「さぁ、こうしていても仕方がないわ。フローラさんが用意してくださったプリンをいただきましょう」
この場の主導権は王であるはずのヴィルヘルムではなくエリーザベトが握っている。エリーザベトがフローラの不敬を咎めるかどうかが焦点だったがそう言って水に流したことでこの場の緊張は一気に解けた。
フローラは手際良くプリンをお皿の上に出していく。先日食べた時は器のまま掬って食べたが本来はこうするものなのだと理解出来た。こうしてお皿に出すことで見た目にも楽しめる上に黒いドロッとしたタレがトロリと垂れて食欲をそそる。
見た目や色が不気味で食べたことがない者は躊躇するのだろう。しかし一度でもこれを口にしたことがある者からするとこの色やタレもおいしそうだとしか映らない。
急に人数が増えていたために持って来た数では足りず頭を下げて取りに行ったフローラを見送り王族達はプリンを堪能する。プルプルと柔らかいプリンを掬いこぼさないように気をつけながら口に運ぶ。口の中に入ると噛むこともなく崩れて甘さが口いっぱいに広がるとあっという間になくなってしまう。
すぐに戻ってきたフローラがマルガレーテの分も用意して全員で楽しむがそんな幸せな一時はすぐに終わりが訪れる。あっという間になくなってしまったプリンに残念に思いながらも余韻を楽しみつつお茶で口に残った甘さを流す。とても素晴らしい一時だった。
「お口の周りについていますよエレオノーレ様」
「ん~!」
そして……、自分達がプリンを食べて至福の時を味わっている間フローラはエレオノーレの横に座って口についたプリンをハンカチで拭っていた。その顔はとても慈愛に満ちていてまるで本当の母親ではないかとすら思えるほどだった。
「とても素晴らしかったわ。ありがとうフローラさん」
「もったいないお言葉です」
エリーザベトに声をかけられたフローラはすぐに切り替えてピシっと綺麗にそう応じた。先ほどまでエレオノーレにかまってデレッとしていた者と同一人物とは思えない切り替えぶりだ。その姿にクスリと笑みを浮かべながらエリーザベトはこの後について命令を下す。
「それではフローラさん、素晴らしいプリンをご馳走してくれた貴女にお礼をいたしましょう。このあと私の部屋へいらっしゃい。エレオノーレとマルガレーテもね」
「なっ!母上!」
自分がお茶会に呼んだというのに母がフローラを連れて行くと聞いてルートヴィヒが驚く。しかしエリーザベトにジロリと見られたルートヴィヒは黙り込んだ。やはりこの場を支配しているのはエリーザベトなのだ。
「良いわね?さ、それでは参りましょうか」
フローラの返事もルートヴィヒの意見も聞くことはなくエリーザベトは立ち上がり歩き出したのだった。
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王妃様直々にそう言われて断れるはずもないフローラを伴ってエリーザベトは後宮の奥へと向かった。そこは後宮の手前にあって客を相手にするためにある談話室や応接室と違う王妃の私室だった。もちろん私室とはいっても何部屋もあり寝室とは違う。言うなれば王妃専用の応接室とでも言うべきものだ。
「緊張することはないわ。寛いでちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
エリーザベトの言葉にフローラは優雅に答える。到底緊張しているようには見えない。エリーザベトから見ればマルガレーテは今でもエリーザベトに対する時に緊張している。それに比べてフローラは優雅で自然体だ。
自分を前にして不敬な!というようなことではない。別に不遜な態度でもなければ礼を失してるわけでもないからだ。ただあるがまま自然体のままで優雅に礼を失することなく振る舞っている。生まれつきの王族ですら中々ここまで完璧には振る舞えないだろう。それが自然と身に付いているフローラの胆力は大したものだと思う。
エリーザベトはフローラの人となりを知ろうと何気ない世間話から始める。マルガレーテも加えて女三人で他愛無い話をしているだけだ。しかし当然やり手であるエリーザベトがただの世間話をしているはずもない。その会話の端々から相手の様子や考え方や内面を知ろうとあらゆる角度から会話を切り込む。
しかしフローラは全てに穏やかに応じ取り乱すことがない。本来であれば慌てたりするようなことを聞いてもまるで穏やかな浜辺を見ているかのような静けさと安心感がある。そしてその大海は一度でも荒れ狂うことがあれば全てを飲み込み押し流してしまう恐ろしさも併せ持っている。
エリーザベトですら圧倒されてしまいかねないほどの器を見せ付けてくるフローラにマルガレーテだけではなくエリーザベトも飲み込まれていく。
「んっ……、しょっ……」
「エレオノーレ様?ふふっ、はい、どうぞ」
「あいあとー!」
そしてルートヴィヒ以外にはほとんど懐かないエレオノーレがフローラの膝の上に乗ろうとしていた。それだけでも珍しいことだというのにフローラもまたエレオノーレを抱え上げて自らの膝の上に乗せていた。まるで本当に仲の良い姉妹のようだ。いくら非公式な場とはいっても王妃を目の前にして子供を膝の上に乗せて話をするなどという者が未だかつて居ただろうか。
この者の器は計り知れない。エリーザベトはそれを感じ取った。そしてこの者を逃がしてはいけない。必ず王家で囲い込んでおかなければ罷り間違っても敵に回すことがあってはならない。ヴィルヘルムがどうしてフローラを推し相当な便宜を図っているのか会って初めて理解出来た。
マルガレーテもそれが理解出来ているのだろう。だから自信を喪失し諦めてしまっている。フローラにならばルートヴィヒを奪われても仕方が無い。譲っても当然。そう思ってしまっている。それを見ているとエリーザベトもこのままで良いのかと悩まずにはいられない。
王家のため、いや、王国のためを思えばフローラに王妃となってもらい国を引っ張っていってもらうことが国益に適う。しかし幼い時から知っていて本当の親子のように接してきたマルガレーテの想いも知っている。何より自分がそうなるように焚き付けてきた部分もある。
それなのに今更フローラという素晴らしい者が現れたからとマルガレーテを捨ててフローラに乗り換えて良いものか。王妃として国のことを考えればフローラしかあり得ない。しかしエリーザベトとて人の子だ。自分がここまで家族のように接してきたマルガレーテを今更そのように扱うことにも抵抗がある。
「…………一つ、お願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「あら?何かしら?」
それまで穏やかに、完璧に受け答えしていたフローラが少し表情を曇らせてそんなことを言い出した。一体フローラほどの者が何を望むというのか。金や権力でないことは明らかだ。このままルートヴィヒと結婚すれば正妃として最大限の金と権力が手に入る。今わざわざ心証を損ねてまでエリーザベトにおねだりする必要があるとは思えない。
「私は今日一日見ていてルートヴィヒ王太子殿下はマルガレーテ様とご結婚なさるべきだと確信いたしました。どうかそのためにご協力いただけないでしょうか?お二人のために、そしてこの国のために……」
「「なっ!?」」
フローラからの思わぬ申し出にエリーザベトもマルガレーテも驚きのあまり言葉を失ったのだった。