第百三十七話「圧倒的差!」
談話室にお茶が運ばれていることを確認したマルガレーテはそこに目的の人物達がいることを確信した。本来であれば先日立太子されたルートヴィヒ王太子が客人を招いてお茶をしてるのに呼ばれてもいない者が乗り込んでいくなど相当な不敬にあたるだろう。
しかしそれが分別もつかない幼子であれば話は別だ。そしてその幼子が王太子の実妹である王女ならば厳しく罰せられることもない。そもそもルートヴィヒはお茶会に乗り込んでいって邪魔をしたからといって怒って厳罰を与えるような者ではないと知っているというのもある。
「エレオノーレ様、ルートヴィヒ殿下はあの部屋におられますが今はお客様とお話をされているのでそれが終わるまでお待ちくださいね」
マルガレーテは建前上そう言っておく。もちろん本心ではない。こう言えばエレオノーレが乗り込んでいくとわかっていての言葉だ。
「やぁ!おにいたまとあそゆの~!」
そして予想通りにエレオノーレは談話室に駆け込んでいく。学園も卒業してしまっている上に王城で暮らしているとは言っても王族の一員ではないマルガレーテではフローラと会える機会はほとんどない。グライフ公爵家は遠縁とはいえ王家の血が入ってはいるが王族とは呼べない程度のものだ。
「おにぃたまぁ~~!」
「ほわぁっ!かっ、かわいぃ~~~っ!」
エレオノーレが駆けて行ったのを見送ってからゆっくり扉に近づく。中の様子を窺ったマルガレーテは予想外の光景に思考が停止した。
そこにいたご令嬢、恐らくその人物こそがフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースであろう。見た目は美しい。今まで自分が見てきたどのようなご令嬢よりも見た目も所作も美しく完璧だ。もしかしたら長年正妃として相応しいように振舞ってきたエリーザベトよりも綺麗な所作かもしれない。
また今までルートヴィヒに言い寄ってきていたどんなご令嬢よりも美しい。マルガレーテですらその美貌に見惚れてしまいそうになる。
しかしそんなことではなく……、そのご令嬢はルートヴィヒに駆け寄ろうとしたエレオノーレの前にいくとしゃがんでその頭を撫で回し始めたのだ。
「あ~~!かわいい~!貴女お名前は?」
「ん~!」
見知らぬ人に頭を撫で回されたエレオノーレはご令嬢の手を振り払ってルートヴィヒの足元に隠れてしまった。それでもご令嬢は変わることなくエレオノールに微笑みかける。
マルガレーテには信じられない。ルートヴィヒがいる状況でルートヴィヒを無視するかのように放り出して部屋に入って来た子供の相手をするなどということが許されるはずがない。それなのにフローラと思われるご令嬢はそのように振る舞い、ルートヴィヒもまたそんなフローラやエレオノーレに何も言わない。
フローラとエレオノーレが名乗りあったのを部屋の外で聞いていたマルガレーテはハッと我に返り動き出す。自分も部屋の中に入ってルートヴィヒに頭を下げた。自分もフローラと名乗りあって席に着く。ルートヴィヒは勧めていないがマルガレーテは最初から引く気などなかったのだ。フローラに勧められたのを良いことにその場に混ざる。
お互いに表面上は『フフフ』『ホホホ』と笑いあう。マルガレーテは精一杯相手を威圧するようにしているのにフローラにはまるで効いていない気がする。
家格の違いがわからないほどの馬鹿ではないだろう。それでもグライフ公爵家の娘である自分の威圧に屈しないというのはヴィルヘルム国王やルートヴィヒ王太子の後ろ盾があると思ってのことに違いない。それを思うと腹が立つ。
自分の力でもないのに人の力をあてにして偉そうに振る舞う。マルガレーテはその手の輩が嫌いだった。何のことはない。このフローラなる者も結局はそうなのだ。ヴィルヘルムやルートヴィヒに気に入られているという他人の権力を笠に着て偉そうに振る舞う。何故ルートヴィヒはこんな者に傍にいることを許しているのか。マルガレーテはギリッと奥歯を噛み締めた。
そもそもルートヴィヒは何をデレデレしているというのか。他のご令嬢相手には見せたこともないはにかんだ笑顔でフローラにデレデレなのが一目瞭然だ。二人してイチャイチャと親しげに話しているのに腹が立つ。
だから自分もついついルートヴィヒに突っかかってしまう。そうするとルートヴィヒも自分に言い返してくる。どうしていつもこうなってしまうのだろうか。自分はただルートヴィヒと楽しくおしゃべりがしたいだけなのに……。何故かいつも自分達二人は言い争うようになってしまう。
それに比べて落ち着いているフローラはルートヴィヒと話していても激昂するようなことはない。もちろん王太子に対する遠慮というものもあるのだろうが、二人の会話や接し方を見ていれば到底ただの王太子と辺境伯令嬢の関係には見えない。相当に親密でなければここまで遠慮なく接することは出来ないだろう。
悔しい……。それこそ自分はルートヴィヒが産まれた時からの付き合いだというのに何年か前に急に許婚になって、これまで数度しか会ったこともないような者が自分よりもルートヴィヒと親しくしているのだ。それを悔しいと思わずに何というのか。そう思ってルートヴィヒにますますあたってしまう。
どうして自分はこうなのだろう。もっとフローラのようにお淑やかにしていればルートヴィヒもあのように接してくれるようになるのだろうか。そう思いながらフローラを横目で見ているとさらにマルガレーテは打ちひしがれた。
自分とルートヴィヒが言い争っている横でフローラは卓上に手を伸ばそうとしているエレオノーレをさっと抱え上げて椅子に座らせていた。何故フローラがエレオノーレを椅子に座らせたのかはわかる。もしあのままエレオノーレが卓の下から手を伸ばしていればいずれお茶をこぼして火傷していたかもしれない。それに気付いたフローラはエレオノーレを救ったのだ。
自分がついていながら何という失態。そもそも自分はエレオノーレを利用してこの談話室に乗り込んできてしまった。今更ながらにそのことに気付いて青褪める。自分は何ということをしてしまったというのか。エレオノーレ王女殿下を利用してルートヴィヒ王太子殿下が客を招いている場に割り込む。そんなことが許されるはずがない。
それに比べてフローラはどうだ。割り込んできた自分達に嫌な顔一つせず席を勧め、エレオノーレが火傷をしないように事前に事故を回避するだけの気配りが出来ている。さらに自分のお茶請けをエレオノーレに差し出し自分とルートヴィヒが放ったらかしにしているエレオノーレの相手を務めてくれていたのだ。
「でもクッキーだと喉が渇きますよね。エレオノーレ様にならプリンでも持ってくればよかったですね」
「ぷりん!ぷりんすきー!」
聞こえてきたエレオノーレとフローラの会話からマルガレーテは驚いた。どうしてフローラがプリンを知っているのか。マルガレーテは普段王族達と食事を共にしている。先日夕食の折にヴィルヘルム国王陛下がお土産として食後に出してくれたのがプリンだった。それはまだどこにも出回っていない最新のお菓子だ。
確かにマルガレーテですらプリンなどというものは見たことも聞いたこともなかった。その不思議な見た目とプルンとした食感が癖になる。何故国王陛下が直々にそのようなものを探して持ってこられたのかもよくわからないがたかが一辺境伯家の娘が知っているはずもない。
国王陛下もどこでどうやって手に入れてきたのかは一切語られなかった。アマーリエ第二王妃やその息子達が自分達も手に入れたいからと少々国王陛下に食い下がっていたが結局その出所を教えることはなかった。そんなものを何故フローラが……、と思うのは当然だろう。
「ぷりんたべるー!ぷりんー!」
そして案の定騒ぎ出すエレオノーレ。何よりもマルガレーテもエレオノーレの気持ちがよくわかる。アマーリエ達だけではなくヴィルヘルムもエリーザベトもルートヴィヒも、あの時プリンを食べた者全員がプリンの虜になったのだ。また食べることが出来るのならばマルガレーテも是非食べたい。
しかし手に入れようがない。国王陛下が言うにはまだどこにも売っていないという。ならば国王陛下はどうやって手に入れてきたのかと思う所ではあるが売っていない物を手に入れることは出来ない。騒ぎ出したエレオノーレに今更プリンは食べられないなどと言えば泣き喚くことだろう。それを宥めるのは相当に骨が折れる。
そう思っていたのに何故かあれよあれよという間にフローラが厨房に立つことになった。しかし当然そんなことは認められない。貴族のご令嬢が王宮の厨房に入るというのも異例中の異例であり、しかも毒を盛られる恐れもあるのに宮廷料理人でもない者に料理などさせられない。
そのはずなのに何故かヴィルヘルムまで話が通りフローラが厨房に立つことが認められたのだった。
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厨房の扉からこっそりとマルガレーテが覗き込む。ルートヴィヒは談話室で『ぷりん!ぷりん!』と騒いでいるエレオノーレをあやしている最中だ。マルガレーテは席を外すと言ってこっそりフローラの様子を見に来たのである。
厨房の中は異様な雰囲気に包まれていた。宮廷料理人達がフローラを囲んで真剣な目でその作業を見つめている。傍目に見ていてもフローラの料理の腕は高位貴族のご令嬢にしては相当に高いだろう。普通なら高位貴族のご令嬢は料理などしたことがない者ばかりであり多少なりとも心得があれば大したものだ。
それらに比べればフローラの料理の手際の良さや慣れた様子は相当に料理をしたことがあるというのが窺える。しかしそんなものは所詮素人の腕前であり本職の料理人達があれほど真剣に見詰めている理由がわからない。
マルガレーテにはわからなくとも料理人達はそうではなかった。料理人達は以前に教えられたお菓子の調理方法もフローラが齎したものだと知っている。そして今回また新たなお菓子を目の前で作ってくれるのだ。料理の腕や手付きが自分達に比べて劣るからとフローラを侮る料理人達はいない。皆真剣にプリンという新しいお菓子の作り方を学ぼうと必死だった。
その異様な雰囲気に飲まれたマルガレーテは怖くなって覗きをやめて談話室へと戻った。するとそこにはヴィルヘルム国王陛下やエリーザベト王妃まで来ていた。一体何事かと思ってマルガレーテは驚く。
「何でも今プリンを作ってくれている者がいるとか……。再びプリンを味わってみたいと思って顔を出したのですよ」
エリーザベトはそう言っているがそれはついでだろうということはマルガレーテにはわかった。普段滅多に外に出てこないエリーザベトがわざわざこのような場所にまで現れたのはフローラに会える良い機会だと思ったからだろう。
プリンのためと言えばこの場に出てくる理由としては十分だ。何しろあの時プリンを食べた者は全員再びあれを食べたいという気持ちはよくわかる。だからエリーザベトがプリンのために後宮から出て来たとしても不思議には思わない。
暫く待っているとフローラがお椀とお皿を持って現れた。お椀の内側を串でクルリとなぞってからお皿の上にひっくり返す。するとプリンがお皿の上にプルンと出てきて黒いタレがトロリと垂れていた。
「お待たせいたしました。さぁどうぞ」
「ぷりんーー!」
フローラはずっとぐずっていたエレオノーレにすぐにプリンを差し出す。前に食べた時は器のまま掬って食べたがどうやらこうして食べるのが正式らしい。
「あの……、こちらの方は?」
「おお、フローラは初対面だったか。妻のエリーザベトだ」
「エリーザベトよ。よろしくねフローラさん?」
それからようやくフローラはこちらを向いて話しかける。普通なら国王陛下を放っておいてこのような態度は許されないだろう。それにその横にいるのは正妃だ。国王夫婦に向かってこのような態度など到底許されることではない。ないはずなのに誰もそれを咎めない。もちろんここが非公式の場であるからというのもあるだろう。だが何よりもフローラの行動の意味がわかるから誰も何も言わないのだ。
プリンと聞いてからエレオノーレはずっとプリンプリンと騒いでぐずっていた。そのエレオノーレに一番にプリンを差し出すというのはフローラの優しさなのだ。
相手が大人ならば国王陛下に挨拶するまで待ってろと言えばわかるだろう。しかしまだ今年で四つになろうかという程度のエレオノーレにそのようなことを言っても理解出来ない。目の前にプリンが持ってこられているのにこれ以上我慢して待っていろと言っても無理な話だ。
だからこそフローラは自分が咎められるとしてもまずはエレオノーレにプリンを用意した。他の者の分はまだ器に入ったままだ。エレオノーレに用意してからようやく国王陛下達と話し始めた。
普通なら不敬だと怒っていたかもしれない。しかしマルガレーテはもうそんな気は起きなくなっていた。女性としても、大人としても、貴族としても、子供を大切に思う人間としても、何においても自分はフローラに圧倒的に劣っている。そのことを思い知らされたマルガレーテはもうフローラに突っかかろうという気はなくなっていたのだった。