第百三十六話「会敵!」
マルガレーテ・フォン・グライフは物心がつく前からルートヴィヒ第三王子の婚約者候補として育てられてきた。それは何もグライフ公爵家が勝手にそう考えていただけではない。エリーザベト王妃が積極的に薦めていたこともありヴィルヘルム国王も反対はしておらず一先ず成り行きに任せることになっていた。
エリーザベトは二人が幼い頃から何度もマルガレーテを王宮に呼び引き合わせていた。エリーザベトとマルガレーテも頻繁に会うようになりいつしか二人も家族のように接するようになっていた。
周囲の者達はもうルートヴィヒ第三王子の結婚相手はマルガレーテで決まりかと思っていたくらいだ。しかし三年が経ち、五年が経ち、八年が経っても婚約発表はされない。
ルートヴィヒとて別にマルガレーテを憎からず思っている。生母エリーザベトの薦めもあるためにこのまま将来はマルガレーテと結婚するのかとぼんやり考えていたものだ。
しかしその頃になると周囲はルートヴィヒの許婚がマルガレーテではないと認識するようになっていた。それこそ産まれた時から家族ぐるみで付き合いをしてきているというのに未だにマルガレーテとの婚約発表がない。それはすなわちマルガレーテとは婚約しないのではないかとまことしやかに囁かれていたからだ。
そんな憶測が流れるようになると次は『ではルートヴィヒ殿下の婚約者は誰か』という話題で持ち切りになる。正室であるエリーザベト王妃の嫡男であるルートヴィヒ第三王子の婚約者の席が空いていれば当然誰もが考えることは同じだった。
自分の一族や関係者からルートヴィヒ殿下の婚約者を送り込み王家と縁戚になることで権勢を握る。
アマーリエ第二王妃を送り込んで権勢を握っているジーゲン侯爵家や、ジーゲン侯爵家の本家筋であるナッサム公爵家が王家との縁戚であることを良いことに好き放題にしている。もし自分の家が次期国王であるルートヴィヒ第三王子に嫁を出すことが出来れば現在のアマーリエ第二王妃一派を超える権勢を握ることが出来るだろう。
それがわかるからこそ誰も彼もが必死になってルートヴィヒ第三王子に擦り寄り自分の娘や関係者の娘を売り込み始めた。当然アマーリエ第二王妃派からすればそれは容認出来ない。
現王の次にルートヴィヒ第三王子が王位に就くのは覆せないだろう。それくらいの時世はアマーリエ第二王妃派も読めている。しかしもし仮にルートヴィヒ第三王子が子孫を残すことなく早世すれば?ルートヴィヒの次に王位継承権のある自分の子供達が王位を継ぐことが出来る。
ルートヴィヒ第三王子派の体制が盤石にならないように有力貴族家との結婚を妨害し、出来ることなら結婚そのものをさせずに子孫を残させない。そうすれば王家を乗っ取りナッサム公爵家がこの国を支配することも出来る。
だからアマーリエ第二王妃派はルートヴィヒ第三王子との婚約話を全て妨害していた。どのような方法でも良い。相手のご令嬢に関するあらぬ噂を流して王族の嫁には不適格であるという場合もあった。あるいは相手の家を脅迫して身を引くように脅したこともある。
ありとあらゆる手段を使い、時には議会に圧力をかけて国王が許可しないように妨害したこともある。そうして数々のご令嬢達がルートヴィヒの婚約者として不適格という烙印を押されてきた。
アマーリエ第二王妃派たちは自分達の策がうまくいっているのだと思っていた。だから全ての婚約者候補達は篩い落とされて誰一人許婚の地位につけないのだと思っていたのだ。しかしそうではなかったと後に知ることになる。
軍事力には目を見張るものがあることは認めているが中央政界には興味がないかの如く領地に引き篭もっているカーザース辺境伯家との縁談が持ち上がった時、アマーリエ第二王妃派は今回は妨害も楽だろうと考えていた。
それまでの家は家運を賭けてルートヴィヒ第三王子との婚約話を纏めようと必死だったのだ。だから妨害するのも一筋縄ではいかず、権力や勢力的にジーゲン・ナッサム両家に匹敵しかねないような強敵派閥も多数いた。
それに比べてカーザース家はこれまで中央政界ではどこの派閥にも属さず興味もないような素振りだった。もし中央政界に興味がないのならばルートヴィヒとの婚約話を妨害した所で相手も抵抗しないだろう。それならば婚約させないことなど難しくはない。相手が乗り気でないのならいくらでも方法はある。
そう思っていたのに事態は思わぬ方向へと転がった。
いつものように相手の家に赴き婚約話を断ってくると思っていたルートヴィヒがむしろ積極的にカーザース家のご令嬢との婚約を進め始めたのだ。いつもと違いルートヴィヒが婚約に前向きになっているとアマーリエ第二王妃派が気付いた時にはもう遅かった。多少妨害は出来たがそれでもカーザース家との婚約が非公式ながら内定してしまったのだ。
そしてその事態に慌てたのはアマーリエ第二王妃派だけではなかった。マルガレーテとの結婚を推していたエリーザベト王妃派もまた青天の霹靂とばかりに驚かされていた。
まさかルートヴィヒがマルガレーテ以外の女性の婚約を受けるとは思ってもみなかった。エリーザベトから見ても二人の仲は順調に進んでいると思っていたのだ。それなのに一体何故ルートヴィヒがカーザース家のフローラなどという聞いたこともない相手との婚約を受け入れたのか。
そもそもルートヴィヒの気性でたった数日会った程度の相手のことを気に入るとは到底思えなかった。ルートヴィヒは女性に、いや、そもそも周囲の人間に興味などない。そしてそういう風にしてしまったのは周りが原因だった。生母であるエリーザベトもそのことはよく理解していた。
だからこそ家族以外で唯一と言っても良いほど心を許しているマルガレーテと結婚するものだと思っていたのだ。アマーリエ第二王妃派の妨害を甘んじて受けていたのも最初から他のご令嬢になど興味もなくマルガレーテと結婚するつもりだったからだと思っていた。それなのに何故……、という思いしか湧いてこない。
ルートヴィヒとフローラの婚約が内定して以来エリーザベトはますますマルガレーテを呼ぶことが多くなり二人で話し合う機会が多くなった。
中央政界に興味がないと思われていたカーザース家が何故突然次期国王確実と思われるルートヴィヒとの婚約に乗り気になったのか。
これまで数々のご令嬢達との婚約話を全て断ってきたルートヴィヒが何故突然カーザース家のフローラなるご令嬢との婚約を受け入れたのか。それもアマーリエ第二王妃派の虚を突いて自分が積極的に動いてまで成立させている。その真意は何なのか。
「やはり……、次期国王との婚姻ともなれば欲が出たのではありませんか?」
ルートヴィヒとフローラの婚約が内定してから早数年、ルートヴィヒから見て三歳年上、フローラから見て四歳年上のマルガレーテはすでに十七歳を超えて学園を卒業していた。マルガレーテは今年十八になりルートヴィヒが学園に通うことになる。そして来年にはフローラが入学してくるだろう。
そのうち婚約の内定も取り消されるかと思い積極的な行動はせず様子見を続けていたエリーザベトとマルガレーテだったが、いつまで経っても婚約が解消されそうにないことに流石に焦りを覚えていた。
これまではベルンとカーザーンという距離が二人を隔てていた。だから滅多に会うこともなかったのは知っている。しかし来年になりフローラなる者が王都にやってくれば二人が会う機会は格段に増すだろう。それまでにどうにかしなければと最近は最早マルガレーテは王城に住んでいると言えるほどに入り浸っていた。
「カーザース卿もその妻マリアさんのこともよく知っています。あの二人はそのような方ではありませんよ」
マルガレーテを宥めるようにその考えを否定する。カーザース家夫婦に限って王家との縁戚目当てに政略結婚させようなどと考えるはずはない。ただしだからといってルートヴィヒとフローラの結婚を断るとも限らない。
カーザース家は良くも悪くもプロイス王国のために忠節を尽くしている。プロイス王国のためになるのならば娘ですら差し出すことを厭わないだろう。つまりカーザース家がルートヴィヒとフローラの婚約を受け入れたのは自らの権勢のためではなくその方がプロイス王国のためになると判断したからだ。プロイス王国のためになると判断すればカーザース家はそれを受け入れるだろう。
「お二人が立派な方であったとしてもフローラ嬢はどうでしょうか?フローラ嬢がルートヴィヒ殿下との結婚を望みご両親に頼み込んだとすればご両親はそれを断れるでしょうか?」
マルガレーテはこれまでルートヴィヒに言い寄ってくる女達を数多く見てきた。王子との結婚のために家に言われて擦り寄ってきている者達も数多く居た。しかしルートヴィヒの端整な顔立ちと上品な佇まい、そして何でも出来る優秀な王子への憧れで付き纏う女達もまた数多く居たのだ。
両親にも娘にも中央政界への進出や王族との縁戚になるという欲はなかったとしても、素敵な王子であるルートヴィヒに惹かれて結婚したいと娘が言い出せば両親も無下には出来ないだろう。権力への欲というだけではなくそういう欲求によって突き動かされている可能性も捨て切れない。
「これだけ時間が経っても王が反対なされないということは恐らく政治的なものだとは思いますが……。私達はあまりにフローラさんのことを知りません。まずはフローラさんのことを知るのが第一ではないでしょうか。来年フローラさんが王都に来られればいずれ接触する機会も得られましょう」
「はい……」
マルガレーテは渋々その場ではエリーザベトの言葉に従った。しかし内心では納得などしていない。それでは遅いのだ。フローラが王都にやってきて自分達がフローラと接触する以上にルートヴィヒと接触する機会が増えてしまえばルートヴィヒを誑かしてしまうかもしれない。
マルガレーテは自分こそが最もルートヴィヒのことを想っているという自負がある。マルガレーテは実家の権勢も権力争いも興味はない。またグライフ公爵家も権力争いのためにルートヴィヒに娘を嫁がせようとしていたわけでもない。あくまでグライフ家とマルガレーテは王家とルートヴィヒのことを想ってこのようにしているのだ。
だからルートヴィヒを利用して権勢を握ろうとしているような不埒な者にルートヴィヒと結婚をさせるわけにはいかない。ルートヴィヒは自分が守らなくてはと心に誓いながらも相手を害するなどのような手など考えつきもしない箱入りのマルガレーテはどうすれば良いのかわからないまま時だけが過ぎ去ったのだった。
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焦る気持ちはあるがフローラに対する策は何もないまま一年が過ぎた。とうとうフローラは王都の学園に通いだしルートヴィヒと会う機会も格段に増えてしまっている。ヴィルヘルム国王もルートヴィヒもフローラの話ばかりでエリーザベトもマルガレーテも面白くない。そんな日々の中でマルガレーテは王家の末子であるエレオノーレの面倒を見ながら過ごしていた。
「エレオノーレ様!勝手に動き回られてはいけませんよ!」
「おにいたま~!……いない」
勝手にルートヴィヒの部屋に乗り込んでいったエレオノーレを追いかけてきたマルガレーテも部屋の中にルートヴィヒがいないことに気付いて首を傾げた。
エレオノーレは重度のお兄ちゃんっ子であり事ある毎にルートヴィヒに付き纏う。だからエレオノーレの面倒を見ているマルガレーテもエレオノーレを追いかけてルートヴィヒと会える。自分一人でルートヴィヒの部屋になど押しかけるわけにはいかないが、エレオノーレを追いかけてきたという大義名分があれば自分もルートヴィヒの部屋へと入れるのだ。
いつもそれを期待してエレオノーレを多少自由にさせて兄の下へと向かうのも半分容認している。そして今日も期待通りに兄ルートヴィヒの部屋へと駆け込んでくれたというのに肝心のルートヴィヒがいない。
もう学園から帰って来ていることは確認済みだ。兄が帰って来ていることを知っているからこそエレオノーレも兄の部屋に突撃したのである。
そもそも部屋に乗り込んでみれば大量に脱ぎ散らかされている服とそれを片付けているメイド達が大勢いた。ここで着替えたのは間違いなく、そしてまだそれほど時間が経っていない証拠でもある。
ビシッと決めている出来る印象が強いルートヴィヒだが実は普段は案外ズボラだ。それを知っているのは生母エリーザベトやマルガレーテのような極一部の親しい者しかいない。
そんなルートヴィヒは普段の服装などあまり頓着がなくそこらの服を適当に着ている。メイド達が準備している物を何の疑問も持たずに着たりしているくらいだ。
そのルートヴィヒがこれほど衣装をひっくり返して選んでまで着替えて一体何をするつもりなのか。そこまで考えてマルガレーテはピンとくるものがあった。
「まさか……、今日はルートヴィヒ殿下は誰かとお会いするのかしら?」
突然押し入ってきたエレオノーレとマルガレーテに頭を下げていたメイド達に聞いてみる。その答えは予想していた通りのものでマルガレーテはすぐに行動に移った。
「はい、本日はフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース様が参られております」
「そう、ありがとう。エレオノーレ様、ルートヴィヒ殿下がおられる場所がわかりましたよ」
「おにいたまどこ~?」
自室に招き入れていない所からルートヴィヒとフローラは談話室で会っているのだろう。普通ならルートヴィヒが客を招いて談話室にいるのに乗り込んでいくなど不敬にあたる。しかしマルガレーテの立場とエレオノーレを利用すれば乗り込むことは容易だ。
「見極めて差し上げましょう。フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース!」
エレオノーレを先導して談話室に突入させて二人の間に割って入る。そして出来ることならばそのままフローラの人となりを自分の目で確かめてやろうとマルガレーテは燃えていたのだった。