第百三十四話「ようやくお茶に誘えたのに邪魔ばかり入る!」
ルートヴィヒはとても上機嫌で学園から帰って来た。何故ならば今日はフローラが訪ねてきてくれる日だからだ。フローラから贈られた大きな姿見の前で入念に衣装を選ぶ。
フローラからすれば別にルートヴィヒに姿見を贈ったつもりはない。ただ大きな板ガラスとそれを用いた大きな鏡の生産をするようになったから王家に五枚の大鏡を献上しただけだった。
その内の一枚は王であるヴィルヘルムが使い、正室であるエリーザベト王妃にも一枚が渡されている。そしてエリーザベトの子であるルートヴィヒと妹のエレオノーレにも一枚ずつ。最後の一枚は予備として保管されることになった。
ただ末子のエレオノーレはまだ幼いために大鏡を渡しても割ってしまう危険が高いので大きくなってから渡されるということになり現在では二枚が保管されている。
「フローラはあまり派手なのは好まないからな。これでどうだろう?」
「はい。とてもよろしいかと存じます……」
何着も着替えているルートヴィヒに辟易しているメイド達はそれでも表情を崩すことなくそう答えた。どうでもいいからさっさと決めろや、とは口が裂けても言えない。
そんな時、ルートヴィヒはふと悪い予感に襲われた。具体的なことは何もわからない。ただ何となくそんな気がしただけだ。しかしそこからルートヴィヒの行動は早かった。
今日はフローラがやってくる大事な日だ。そんな日に悪い予感がするということはフローラにまつわることに違いない。即座にそう判断したルートヴィヒは今試着していた服のまま廊下へと飛び出した。城内を走るのは作法上よくないので可能な限り急いで歩く。
もし予感が外れていて何もなければそれはそれで良い。部屋で踏ん反り返って待っているよりも入り口でフローラを待っていれば良いだろう。そう思って受付のある入り口の方へ向かっていたルートヴィヒの耳に声が聞こえてきていた。
悪い予感というものは当たるものだな、と思いながら急いで廊下を曲がるとその先に見えた光景に一瞬で頭に血が昇った。
「おい、そこの女。お前俺の女にしてやるぞ。可愛がってやるからついてこい」
「…………は?」
異母兄であるマウリッツ第二王子にフローラが絡まれている。マウリッツのあまりの言葉にフローラは衝撃を受けているようだった。初心なフローラが乱暴なマウリッツにこのように迫られていてはきっと怯えているに違いない。恐怖で泣きそうな顔をしているフローラの姿が物語っている。
「聞こえなかったのか!お前のような端女をマウリッツ第二王子殿下が抱いてくださるというのだ!泣いて喜び感謝の言葉を述べぬか!」
マウリッツの取り巻き達がさらにフローラに脅しをかける。顔を伏せてフルフルと震えているフローラ。何と可哀想な……。きっと恐怖で竦んで動けないに違いない。ルートヴィヒはそう考えて足を速める。
「何をしている?兄上」
「あぁ?ルートヴィヒ!貴様は下がっていろ!」
フローラに手を伸ばそうとしていたマウリッツとフローラの間に体を滑り込ませたルートヴィヒはマウリッツを睨んで声をかけた。後ろ手にフローラを庇いながら少しだけ振り返って安心させるように微笑みかける。
「フローラ、後は僕に任せるといい」
「あっ、はい……」
ほっとしたような顔で少しだけ微笑んでそう答えてくれたフローラの美しさに見惚れそうになる、……というのはルートヴィヒから見た視点だ。フローラは別に安心したわけでもなければ微笑んだわけでもない。面倒事に巻き込まれた上にルートヴィヒの芝居がかったくさい台詞に引き攣った顔をしただけだった。
「僕の許婚に何かご用ですか?兄上?」
「許婚ぇ?……ふん。そいつがカーザース辺境伯家の娘か。道理で田舎臭いと思った。おい、行くぞ」
「はっ……」
ジロジロと露骨にフローラを眺めながらマウリッツはそう言って歩き出した。マウリッツの取り巻き達も不満そうにしながらもルートヴィヒとフローラを睨みつつマウリッツに従って歩き去る。その場に残ったのはフローラと案内していた者とルートヴィヒだけだった。
「すまないフローラ。不快な思いをさせてしまった」
「いえ……」
まだ俯いたまま歯切れの悪いフローラにますます心配になる。
フローラが強いことは知っている。剣の腕だけなら未だにルートヴィヒはフローラに敵わないだろう。しかしそれでも中身は初心で謙虚な年頃の女の子だ。あのような連中に絡まれて凄まれたらきっととんでもない恐怖を味わったことだろう。
マウリッツ第二王子は悪評が絶えない。娼婦を買うだけに飽き足らず町に出て一般市民まで強引に攫い暴行しているという噂が流れていた。さらに一般市民だけではなくその地位を使って貴族のご令嬢達ですら手篭めにしては捨てているという。それが真実ならば到底許されることではない。
しかしアマーリエ第二王妃の権勢もあり今までマウリッツを取り締まることは出来なかった。そもそも王家の醜聞が広まればヴィルヘルムとディートリヒがしようとしている改革の足枷になる。二人も対応に苦慮していたが決定的証拠があるわけでもなく、大々的に表立って捜査するわけにもいかず頭を悩ませていた。
そんな相手に初心なフローラがあれほど露骨にいやらしいことを言われればさぞ怖かったことだろう。ルートヴィヒはそのことを思いフローラを不安にさせないように笑顔を浮かべながら部屋へと誘う。
「さぁ、こんな所に居ても仕方がない。部屋へ行こう」
「はい」
ここまで案内していた者を帰させてルートヴィヒは未だに元気のないフローラを連れて談話室へと向かったのだった。
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いくら許婚同士とはいっても若い未婚の男女が男の私室で、ましてや寝室で二人っきりになどなれば大変な騒ぎになる。ルートヴィヒは当然そんなことでフローラに迷惑をかけるつもりはないので二人は談話室で向かい合って座りながらお茶を飲んでいた。
「このお茶はどうかな?」
「はい、とてもおいしいです。さすがはルートヴィヒ殿下が選ばれるものですね」
自分が選んだお茶をフローラに褒められてルートヴィヒは舞い上がる。談話室に入ってお茶を飲んでからはフローラも落ち着いたのか笑顔を見せてくれるようになっていた。
「それとこのお茶請けのクッキーもおいしいです」
「そうだろう!それはうちの料理人が色々と試行錯誤してフローラに教わったクッキーに手を加えたものなんだ」
ようやくいつもの調子を取り戻しつつある。いい雰囲気で話せているとルートヴィヒは手応えを感じていた。
「それで僕達の婚約発表のことなんだけど……」
「ルートヴィヒ殿下、プロイス王家としては政情が安定している西部諸侯と婚姻を結ぶよりも現在不安定な南方か南西の諸侯と結ぶのが良いでしょう。プロイス王国の未来を考えられるならば婚姻は慎重になさってください」
ルートヴィヒがフローラとの婚姻を公式に発表しようと言おうとしたら機先を制されてしまった。
「フローラ!結婚は愛する人同士がするべきだ。そんな政略結婚のようなことではなく愛し合う僕達の気持ちが大事だろう?」
「市井の者であればそれでも良いでしょう。ですが上に立つ者はそうは参りません。そもそもプロイス王家とカーザース家の婚姻も政略結婚です。そしてカーザース家よりももっと相応しい相手がいるのならばそちらを優先すべきです」
フローラの言うことは正しい。王族や高位貴族である二人が自らの感情を優先させて国や領地に対する責任を放棄するようなことはしてはならない。しかし、と思う。
「だったらフローラ……、カーザース家との政略結婚なら良いのか?カーザース家と政略結婚する以上に優先すべき相手とその理由は?」
本当は二人が愛し合っているからどんな困難も乗り越えて結婚を目指すという理由だけで十分だ。それでフローラが納得しないというのならばどうしてフローラが自分以外が良いと考えるのかその理由を全て聞いた上で説き伏せれば良い。フローラは賢いからそう簡単に説き伏せることは出来ないだろう。しかし理由に正当性があれば納得もしてくれる。
「現在西方のフラシア王国との争いは小康状態でありカーザース家もプロイス王国に忠誠を尽くしており裏切る可能性はありません。それに比べて南西のオース公国とは近年紛争が勃発しており緊張が高まっております」
「ふむ……」
フローラの言葉にルートヴィヒも頷く。そのこと自体を否定するつもりはない。確かに現状ではそうなっている。しかしだからといってどうするというのか。
「南方に広大な領地を持つ大貴族バイエン公爵家、また南西の大領主であるサクゼン公爵家は元々オース公国と近い家でもあります。ここで両家のどちらかと結んでプロイス王国側に完全に取り込んでおけばオース公国との橋渡しとしても期待出来ます。逆に両家がオース公国側につけばプロイス王国は主要都市をいきなりオース公国に攻撃される危険に晒されます」
「それは……」
オース公国と国境を接しているバイエン公爵家やサクゼン公爵家がオース公国側に立ち奇襲された場合、一気に北方の主要都市へ侵攻される恐れがある。王都ベルンを含めたプロイス王国北方の主要都市が壊滅すれば致命的だろう。
「あるいは北方の安定と発展のためにグライフ公爵家と……」
フローラがさらに言葉を言いかけた時に談話室の扉がノックもなしに開けられた。
「おにぃたまぁ~~!」
入ってきたのはルートヴィヒの妹エレオノーレ・フォン・プロイス第一王女だった。ルートヴィヒの同母妹でありプロイス王家の第四子にして長女で末子である。
「ほわぁっ!かっ、かわいぃ~~~っ!」
今まで真剣な表情で話していたフローラは一転ふにゃんと表情が崩れてエレオノーレに駆け寄った。ルートヴィヒに駆け寄ろうとしていたエレオノーレの前に立ち塞がるとしゃがみこんでその頭を撫で回す。
「あ~~!かわいい~!貴女お名前は?」
「ん~!」
フローラが撫でる手を振り払うとエレオノーレはフローラを避けてルートヴィヒの足にしがみ付いた。
「ほら、エレオノーレ、きちんとご挨拶しなさい」
「ん~!」
ルートヴィヒにそう言われてもエレオノーレはますます兄の足の影に隠れて出てこなくなった。
「妹が済まないフローラ」
「いいえ、私もあまりの可愛らしさに少々取り乱してしまいました」
あれが少々だったか?と普通の者ならば思うかもしれないが『恋は盲目フィルター』がかかっているルートヴィヒには今のフローラの振る舞いも気にならない。
「私はフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース。貴女のお名前は?」
「……エレオノーレ」
今度は落ち着いてフローラがそう名乗るとルートヴィヒの足の影から少しだけ顔を出した女の子が小さな声で呟いた。それを見ていたフローラの顔がまたほわんと崩れる。
「こらエレオノーレ。もっときちんと挨拶しなさい」
「申し訳ありません。こちらにエレオノーレ様が参られませんでしたか?」
ルートヴィヒが足に隠れたエレオノーレにそう言うとほぼ同時に開けっ放しにされている扉をノックして声をかけてくる人物がいた。全員の視線がそちらに集まる。
「マルガレーテか……」
ルートヴィヒがそう呟きマルガレーテと呼ばれた女性とフローラがお互いに見詰めあう。マルガレーテはメイドではない。それは姿を見れば一目瞭然だった。エレオノーレを追いかけてやってきたことは言葉からわかっている。メイドでもない人が何故エレオノーレを追いかけてきたのかはフローラにはわからない。
「初めまして。私はフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースと申します」
「あっ、これはご丁寧にどうも。初めまして。私はマルガレーテ・フォン・グライフです」
お互いに名乗りあって相手が何者か理解する。マルガレーテは当然ルートヴィヒの許婚であるカーザース家のご令嬢の名前くらいは知っている。そしてフローラもまたグライフ家のことは知っていた。
グライフ家は名門公爵家でありプロイス王国北方に領地を持つ。領地そのものは飛び抜けて広大というほどでもないが北方の海に面しているために要衝でありこれからの発展も見込める。古くからの名門であり発言力があり遠縁とはいえ現王家とも一応の繋がりはある。
フローラがルートヴィヒに宛がうのに良さそうな相手を考えた場合に出て来た候補は、南方のバイエン公爵家、南西のサクゼン公爵家、そして北方のグライフ公爵家はどうかと思っていたのだ。
南方、南西の両家はオース公国とも近しい間柄であり敵に取り込まれる前に取り込んでおくのが定跡である。
それに比べて何故一応遠縁とはいえすでに縁戚関係にある北方のグライフ家を取り込むというのか。グライフ家とは縁戚とはいってもすでに非常に遠い関係にある。ここで再び王家と縁戚関係を結ぶこと自体は不自然ではない。さらに領地がハルク海に面しており今後重要になる地であり発展することも間違いない。
プロイス王国の領土上、オース公国と接していてやや領土が括れている場所の南北に近い位置に領地を持つのが前述三家なのだ。だからそのうちのどこかだけでも取り込んで補強しておかないと三家全てが敵に寝返れば括れている地域を敵に奪われ国家が分断される恐れがある。
バイエン家、サクゼン家が嫌ならば逆に北側に領地を持つグライフ家くらいは取り込んでおかなければオース公国との戦争で領土を分断されてしまう可能性が高まるのだ。
何よりグライフ家にはフローラやルートヴィヒより少し年上の美姫がいるとの噂だった。それならばルートヴィヒの婚約者としても良いのではないかとフローラは考えたのである。
そんな二人はお互いに視線を向けたまま『ホホホ』『フフフ』と笑いあっていたのだった。