第百三十二話「甘い匂いに誘われる!」
どうしてミコトが怒っているのかはわからないけど逆らうと余計怖いから黙ってミコトの言葉を待つ。一体何を言われるんだろうか……。
「昨日四人でお泊りしたんでしょう!どうして私だけ仲間外れなのよ!ひどいじゃない!」
「あぁ……」
一体何を言われるのかと思ってドキドキしていた自分が馬鹿みたいだ。そんなことでプリプリ怒っているミコトが可愛らしくてつい笑みが零れてしまった。
「ちょっと!何笑ってるの!私本気で怒ってるんだからね!」
「ごめんなさい……。まさかクラウディアとルイーザも泊まるとは思っていなかったから……」
これは本当だ。アレクサンドラが俺の家に滞在することはミコトも知っていた。そして昨晩は救出作戦の結果を聞くために二人がやってくるだろうことも想定内だっただろう。だけどまさか二人がそのまま泊まっていくとまでは思ってなかった。それは俺もミコトも一緒だ。
「まぁもう過ぎたことはいいわ。だけど今日は私もフローラの家に泊まるから!いいわね!」
「はい……」
別にそれは構わない。急に連日客人を泊めたら家人達が大変だろうけど昨晩と違って今日ならまだお昼にカタリーナに伝えておけば準備もしておけるだろう。それにこの五人なら客人といっても高位貴族を迎えるような本格的なお出迎えをする必要もないからそれほど負担にもならないだろう。ミコトは一応俺よりも高位なはずだけどうちじゃそんな扱いでもないしな。
でも……、あれ?何でミコトはそんなことを知ってるんだ?クラウディアやルイーザはそのまま仕事に向かったり、一度家に帰ったりするとは言ってたけど朝から今までの時間の間にミコトに会っているとは思えない。アレクサンドラは三組にいるけどミコトが三組に寄った様子もなかった。じゃあ何故ミコトが昨晩のことを知っているのか?
「ミコト?どうして昨晩クラウディアとルイーザが泊まったことを知っているのですか?」
俺はもう直球で聞いてみることにした。別に隠しているとか言えないことというわけでもないはずだろう。それとも俺の家に隠密でも放っているのだろうか。
「どうしてってさっきカタリーナが教えてくれたのよ。そういう約束だからね」
「は?」
カタリーナ?何してくれてんだ?何でわざわざこうなるのがわかっているのにあえてミコトに教えるというのか。それにそういう約束って何だ?どういう約束だ?
「その約束というのは?」
「カタリーナだけ一緒に暮らしててずるいって前に言ったでしょ?だけどじゃあカタリーナにフローラの傍から離れて生活しなさいって言っても無理な話でしょ?だから何かあったらきちんと情報を伝える密約をしたのよ」
そうですか……。でもそれだけ堂々と宣言していたら密約って言わないと思うんですよ。ミコトさんは密約って使いたいだけでその言葉の意味通りに使ってるわけじゃないですよね?まぁそれはどうでも良いか。つまりはその約束のためにカタリーナはわざわざ昨晩のことをミコトに教えたというわけだな。
「というわけで今日は私も泊まりに行くからね」
「わかっていますよ……」
そう念を押さなくても忘れもしないし誤魔化しもしないよ……。別に泊まりに来たって何かあるわけでもない。ただ一緒にご飯を食べたり普通よりは少し遅い時間までおしゃべり出来たりするだけのことだ。同じ部屋で寝るわけでもないし夜這いもない。
ともかくミコトが泊まりに来ることになったからお昼にお弁当を受け取る際にカタリーナにそのことを伝えておこう。多分カタリーナのことだから俺が言うまでもなくミコトが泊まりに来ることを予想して準備しているだろう。だけどだからって言わなくても良いわけじゃないのできちんと伝えておく。
そのことを忘れないようにしながら今日も授業を受けたのだった。
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学園が終わってからミコトは一度家に帰って準備をしてから来るということだったのでアレクサンドラと二人で家に帰って来た。まぁ馬車の中にはカタリーナもいるわけで二人っきりで帰って来たわけじゃないけど……。
今日はミコトが来ることはカタリーナには伝えておいたしアレクサンドラにも馬車で話してある。ミコトとは夜会で話をしたとはいってもあの場には色んな目や耳があったから下手な会話は出来なかった。当たり障りない会話だけだったから遠慮なく詳しい話が出来るのは今日が初めてだ。
「今日もクラウディアとルイーザも来ます。二人は今夜は泊まらずに帰るそうですがご夕食は共になさるでしょう」
「え?そうなのですか?」
「はい。今日ようやく五人揃う機会ですのでお伝えした所顔を出すとおっしゃられておりました」
なるほど……。そう言えば五人揃うのは今日が初めてということになるな。それならもう全員一度に揃った方が良い……、のか?俺にはよくわからないけど皆がそう思うならそうなんだろう。別に断る理由もないし皆のしたいように任せておけば良い。それよりも二人も来るなら晩御飯の準備が少々増えることになる。
「そうですか……。まぁ五個作るのも十個作るのも大した違いはないので良いですが……」
「フローラ様が何かお作りになられるのですか?」
俺の呟きにカタリーナが耳聡く食いついてきた。別に大したことじゃないから隠す必要もない。
「ええ、まぁ……。ミコトがまたプリンが食べたいというので食後にプリンでも出そうかと思っていましたが……、どうせならプリンの他にクレープも作っておやつにしましょうか」
プリンは冷やすのに多少時間がかかる。食後のデザートにプリンを出すとして帰ってから午後のおやつにクレープも一緒に作るのもいいだろう。クレープはクリームが崩れたりするし作り置きというのはあまり向かない。プリンの用意をしてからクレープを作ってすぐに食べよう。
「プッ、プリンですか!プリンが食べられるのですね!」
カタリーナさん食いつきすぎじゃないですかね?そんなにプリンが気に入ったのか?俺はバニラの風味が足りないからいまいちな気がするんだけど……。まぁ気に入ったなら良いけどそこまでのものか?という気がしないでもない。
「『ぷりん』というのは存じませんが『くれーぷ』なるものは聞いたことがあります。学園でも話題ですわよ。どうしてフローラがその『くれーぷ』の作り方を御存知なのかしら?」
あぁ……、アレクサンドラとはあの時別れて以来あまり接触出来ていなかったから知らないのか。その後も何やかんやでわざわざ教えることでもないから言ってなかったな。
「クレープを販売しているカンザ商会は私が立ち上げた商会ですので……」
「えっ!あのカンザ商会の経営者はフローラでしたの!?それでお風呂に話題の石鹸がありましたのね!?」
思いっきり食いついて来たアレクサンドラを何とか宥める。びっくりした。そんなに話題になってるのかな?
「まぁ……、カンザ商会の経営者は私ですね……。そんなに驚くようなことなのですか?」
「当然ですわ!今やカンザ商会の商品と言えば学園中でも話題ですのよ!特に会員専用の商品は大貴族ですら中々手に入らないということで持っているだけでも周囲から一目置かれるほどですわ!」
そうなのか……。そこまでかね?別に数量制限をしているわけでもないし会員への入会も制限しているわけじゃない。生産出来次第売っているし需要に対して供給が追いついていないのはあるだろうけど入手困難ってほどでもないはずだけど……。
「それから『くれーぷ』ですわ!何でも庶民でも買える店に庶民でも買える価格で売っているとかで、学園の生徒達も密かに変装して通っている方も多いそうですわよ!私の取り巻き達で通っている子も多いそうですわ!」
自分で自分の取り巻きとか言っちゃうんだ……。貴族としてはアレクサンドラの方が正しいんだろうけど現代日本人の感性を持つ俺からするとすごい言葉に聞こえるな……。ここでは俺の方がおかしいんだけどやっぱりそう思わずにはいられない。
「実は私も『くれーぷ』に興味がありましたのよ……。ですけれども私の状況からして諦めておりましたの……。それが食べられるなんて!それもフローラが考えたのでしたらカーザース家で食べられる物はまさに本物ということですわよね!」
「そっ、そうですね……。頑張って作ります……」
あまりのアレクサンドラの勢いに気圧されてそう言うのが精一杯だった。店で売っているのは価格や手に入る食材の縛りがあるからメニューもありきたりのものになっている。それに比べて自宅で少量作るだけなら中に入れる具材の値段や種類に頭を悩ませることもない。そんなに楽しみにしてくれているなら色々と作ってみるのも良いだろう。
そんなことを考えながら俺は皆が来るまでにデザートやおやつの準備をするためにアレクサンドラ達とは別れて厨房へと向かったのだった。
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どこから聞きつけてきたのか。午後のティータイム、おやつの時間に大勢の人達がテーブルを囲んでクレープを頬張っていた。
アレクサンドラやカタリーナがいるのは良い。一緒の家に住んでいるし一緒に帰って来た。むしろ居て当然だろう。
ミコトはまるで俺がおやつを用意していると知っていたかのようにすぐにやってきた。普通高位貴族のご令嬢、どころかミコトは魔族の国のお姫様なわけで俺の家に遊びに来るにしてももっと準備に時間がかかるものじゃないだろうか。それなのにミコトはすぐにやってきて一緒におやつを頬張っている。
ルイーザももう来ていた。俺が厨房に入る前にはいなかったのに出てきたらもう居た。基本的に農場の仕事の大半は午前中に終わらせてしまう。午後からは緊急時用に待機している者や責任者くらいしかいないだろう。だけどその責任者の一人であるルイーザがこの時間に帰ってきていて良いのだろうか?
さらに何故かクラウディアまでいる。近衛師団の勤務はまだ終わっていないはずだ。本当なら今頃は午後の訓練か巡回警備のローテーションに入っていれば巡回に出ている時間のはずなのに何故かここにいる。
ここまではまだ辛うじて良いとしよう。三人は家に遊びに来ると言っていた。思ったよりも来た時間は早かったけど今日は来る予定だったのだからそれは良い。それより他のメンバーが問題だ。
父と母も当たり前のような顔をしてクレープを頬張っている。母はともかく父はまだ仕事中のはずの時間じゃないかな?どうしてここにいるのかな?それにガブリエラも一緒になってクレープを食べている。別に大人だからクレープを食べちゃ駄目だとは言わないけど……、それに皆で食べてるのに仲間外れにしようとも思ってはいないけど呼んでもいないのにちゃっかり座っていたのはさすがなのか?
そして何故かその大人達が座るテーブルの方にヴィルヘルムとディートリヒがいる。今日は前のような変装じゃなくて王様と宰相に相応しい格好だから一応公務なんだろうか。クラウディアがやってきたのもこの二人に付いてだった。護衛役にクラウディアを指名してくれたということだろう。
しかもこの二人が公務の格好で来ているんだから昨晩の夜会のことや、アマーリエやナッサム家のことかと思ったらまったくそんなことはなかった。ただどこから情報を仕入れたのか知らないけどプリンのことを聞きつけたらしくプリンを食わせろとやってきただけだ。そんなことで王様と宰相がわざわざ訪ねてくるとかこの国はそんなに暇なのか?
さらに俺達子供が座るテーブルにはクリスタまで座っていた。今日来るという約束はしていなかったはずだ。それなのに何故ここにいるというのか。来てはいけないという意味で言っているわけじゃない。
ただこの世界では高位貴族というのは友達だからと気軽に相手の家にアポなしで訪ねて行って遊ぼうなどということはない。普通なら事前にアポを取って何日の何時に伺うと約束してから訪ねるものだ。いきなりやってくるなどということは普通はしない。その普通はないことが起こっている。それを不思議に思わないはずがないだろう。
「クリスタ、何か緊急事態でもありましたか?」
だから一応聞いておこう。そう思っただけなんだけどクリスタは申し訳なさそうな顔をして謝って来た。
「急に訪ねて来てごめんなさい……。だけど何故か今日はどうしてもここに来なければならない気がしたの……。そしてやっぱり来てよかったわ。ひどいじゃないフロト。新作が出来たら私も呼んでくれる約束でしょう?」
あ~……、どうやら甘味に対する超直感でやってきたらしい。クリスタの甘味に対する嗅覚には脱帽だ。だけど待って欲しい。これは店に出すためのものじゃなくて自分達が食べるためにコストや食材の確保を度外視したものだ。新作じゃない。
「これは家で個人的に食べるためのものでお店に出す新作というわけでもありませんし……」
「そう!それよ。どうしてフロトがクレープの作り方を知っているのかしら?」
そう言えばクリスタにはカンザ商会が俺の商会だって言ってなかったな……。アレクサンドラには不用意にあちこちで俺の商会だと言わないように口止めしておいたからアレクサンドラが口を滑らせることもないだろう。
それにしてもクリスタも最初は王様や宰相が居て大人しくしていたのにこちらのテーブルに座ってクレープを食べ始めたら急に元気になってこの通りだ。何と答えたものだか……。
「皆様よろしいでしょうか?お持ち帰りいただくプリンはいくつご入用ですか?」
ナイス!カタリーナ!俺が答えに窮しているのを察して話題を逸らしてくれた。カタリーナの声に皆が何個欲しいと答えていくのでそれをまとめていく。まぁお土産としてプリンを持って帰るのはヴィルヘルムとディートリヒとクリスタだけだ。他のメンバーは夕食の後にデザートで食べるわけでお持ち帰りはしない。
クリスタもプリンのことになると必死なのかすぐにカタリーナの方との会話に夢中になっていた。時間稼ぎでしかないかもしれないけど一応追及から逃れることが出来た。今のうちにクリスタをどうやって丸め込むか考えながら俺はまたプリンの追加を作る必要があることに気付いて厨房へと戻ったのだった。