第百二十四話「夜会が始まる!」
次々に高級な馬車が入ってきては高級なドレスに身を包んだ淑女が降りてくる。馬車から降りて足早にダンスホールに向かう者もいれば周辺にいる他の招待客と世間話に花を咲かせる者など様々だった。
そんな玄関口に一台の馬車がやってくる。確かに高級な馬車ではあるが他の馬車と比べて特別何かあるということもない誰も注目しない普通の馬車だ。
乗ってくる馬車の質もその家の財力を示すために利用される。王族主催の夜会に質素な馬車でやってくるような貧乏人はいない。ただ高級な馬車とは言ってもそんなものはここにやってくる者は皆乗っている。だからこそ派手な装飾があったり奇抜なデザインであったりそれぞれ趣向を凝らした馬車に乗っているのだ。
そんな中にあって高級ではあるが質素とすら言えるほどに派手さのない、よく言えば落ち着いた、悪く言えば何の特徴もない馬車が玄関口に止まった。その馬車の御者が降りて昇降台を用意する。若くてハンサムな御者の姿に世間話をしていた奥様方の熱い視線が集まった。
「準備が整いましたお嬢様」
「ありがとう」
ハンサムな御者の声は予想していたよりもさらに甘く奥様方の心に響いた。その声を聞いただけで忘れかけていたときめきが戻ってくるかのようだ。
しかしこの場に居た全員の目が奪われたのはこの若くてハンサムな御者にではない。馬車の扉が開いてメイドが先に降り立ち昇降台の左右で御者とメイドが主人が降りてくるのを待ち受ける。メイドの質も非常に高い。若く美しいメイドだというのにその所作の美しさはそこらのご令嬢の比ではないのだ。そんな高レベルなメイドを従えているなど主人は一体何者なのか。
先ほど御者の呼びかけに応えた時に聞こえたまるで天使のような声の持ち主。その人物は一体どのような者なのか。この場に居る者全ての視線が集まってからたっぷり時間をかけてついにその馬車の主が姿を現した。
「「「「「おぉ……」」」」」
まず男性陣から声があがる。長い金髪を結うことなく流している薄いブルーの瞳の美少女。動くたびにサラサラ流れる金髪に目が奪われる。
「あれは……」
「あんな衣装見たことが……」
そして続くのは女性陣の声だ。薄いピンクの生地、現代地球でプリンセスラインと呼ばれる大きく広がったスカート、スカート部分には全周囲に渡って五段のレースの襞がある。不思議な光沢を放つその生地はこの世界でも存在はするがまだ貴重であまり知れ渡っていない絹で織られたものだ。
本人の出で立ち、所作の美しさ、髪形から衣装に到るまでの装い、その何もかもが規格外だった。
普通低位の者が上位の者を差し置いて目立ちすぎるのは良くない。伝統に則らない髪型や衣装などもっての他だ。そのはずなのに誰もそんなことを考える余裕すらなかった。
五年前、社交界デビューの時も確かに注目を集めはしたがそれでも敵意をむき出しにして絡んでくる者が現れるくらいには周囲も正気だった。しかし今は違う。成長してその美しさに磨きがかかった今のフローラの姿を見てそんなことをしようだとか、嫌味を言いに行こうとするような者は皆無だった。
「ありがとうヘルムート。それではカタリーナ、参りましょうか」
「はい」
ヘルムートと呼ばれた御者に手を取られて昇降台から降りたそのご令嬢はメイドを連れて歩き出す。誰も彼もがただ見惚れて見送ることしか出来ない。
「受付はここで良いのかしら?」
「……え?あっ!はい!招待状を拝見いたします」
ご令嬢に声をかけられた受付はようやく我に返り職務を思い出す。メイドが差し出した招待状が本物だと確認して扉を開けた。
「はい。確かに確認させていただきました。ようこそおいでくださいました。フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース様」
その名前を聞いて周囲もようやくフリーズが解けてザワザワと騒がしくなり始めた。
「カーザース……、あれが……」
「どこが田舎者だって?私が見てきたどんなご令嬢よりも様になっているじゃないか」
「あれほどの許婚がおられるなどルートヴィヒ殿下が羨ましい」
「まったくですな」
概ね男性陣の評判は上々だった。主に下心で……。今のフローラを見て閨を共にしたいと思わない男はこの場にはいなかった。
「あのような衣装でアマーリエ第二王妃様主催の夜会にやって来るだなんて……」
「主催者であるアマーリエ様よりも目立ってしまうのでは?」
「主催者よりも目立つなんて普通の招待客では許されないわ」
「でも……、主賓ならば主催者であるアマーリエ様より目立ってもおかしくはないわよね」
「もしかして今日の夜会は……」
そして女性陣はフローラの装いに目がいってしまう。自分達が着ている地味な色に野暮ったいドレスとは違う。こちらは伝統的な装いではあるが長年大きな変化の無かったありきたりな装いだ。それに比べて先ほどのフローラの装いは奥様方を魅了した。
自分もあのような装いをしてみたい。そう思わせるだけの魅力に溢れていたのだった。
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会場入りしたフローラは手早く場内を確認する。今の所人員の配置も全て予定通り進んでいることを確認して一先ず胸を撫で下ろした。
「来たわねフローラ」
「御機嫌ようミコト様」
もうすでに会場入りしていたミコトがフローラを見つけて声をかけてくる。にっこり笑った顔に畏まった言葉。まるでいつもと違うフローラの様子にミコトは笑いを堪えるのに必死だった。
「うぷぷっ!……ちょっとやめてよね。吹き出しちゃうじゃない……」
「そうですか?何かおかしいでしょうか?」
普段通りですよとばかりにそういうフローラにミコトはますます笑いを堪えるのに必死になる。ミコトにとってはあくまでフローラは森で会っていたフロトのイメージでしかない。学園や公の場での今のようなフローラの方が取り繕っているようにしか感じられない。
「フローラの本性はそんなのじゃないでしょ?」
「まぁっ!ミコト様ったら……」
確かに可愛らしいご令嬢そのものではあるがフローラのそういう態度にミコトは必死で笑いを堪えていた。
「ミコト様こそ……、今日はデル王国の王族としてしっかりお願いいたしますね」
「大丈夫よ。任せておいて」
そう言って胸を叩くミコトに不安を覚えながらもフローラはそんな様子をおくびにも出さずに笑顔で応じた。そんなフローラとミコトの近くをとあるご令嬢が通りかかる。
「御機嫌ようリンガーブルク様」
「…………」
縦ロールのドリル頭になった金髪のウィッグを被ったご令嬢がそのまま通り過ぎる。フローラの言葉にも何も反応を示すことはなかった。
「ふ~ん……、あれがアレクサンドラってわけね」
今のやり取りの一部始終を見ていたミコトは通り過ぎて行ったアレクサンドラの後姿を見詰めながらニヤリと笑う。
「はい。先ほどの女性がアレクサンドラ・フォン・リンガーブルク嬢です」
フローラも通り過ぎていったアレクサンドラを見詰めながらそう口にしたのだった。
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夜会の開始時刻となり招待客達がホールに集まる。ホールの上階に姿を現した今日の夜会の主催者アマーリエ第二王妃の挨拶が始まった。
「皆様、本日はようこそおいでくださいました。今日の夜会では重大発表を行ないます。ですがまずは私からのおもてなしをお楽しみください」
パチパチパチと拍手が鳴り響きアマーリエの挨拶が終わる。皆がそれぞれ思い思いに立食形式のパーティーを楽しむ。出される料理を食べる者。早速踊り出す者。友人知人や敵対派閥まで様々な人に声をかけていく者。あらゆる人がいる中でも全員からの注目を集めていたのはやはりフローラだった。
「今夜何か重大発表があると……」
「やっぱりカーザース家の?」
人々の会話はフローラのことで持ちきりだ。上階に現れて挨拶をしたアマーリエ第二王妃よりもフローラのドレスの方が斬新で派手で美しい。どう考えても今日の主役はフローラにしか見えない。王族の主催者を差し置いて客の方が目立つということは今日の主賓はフローラであろうと誰もが考えていた。
ならば今夜発表されるという重大発表とやらも主賓であるフローラに関することであろうと想像するのは当然のことだろう。そしてフローラのことで王族であるアマーリエ第二王妃が発表することと言えばルートヴィヒとフローラのことについてしかあり得ないという結論に到る。
ルートヴィヒとフローラが婚約しているというのは一部の者には正式なこととして知れ渡っている。しかし公式に発表されているわけではなく国民全てが知っている周知の事実というわけではない。知っているのは一部の重鎮のみであり高位貴族ですらまだ正式には決まっていないと思っている。
そんな状況下で王族であるアマーリエが開いた夜会で主賓として迎えられているカーザース家のご令嬢についての重大発表となれば、ルートヴィヒとフローラの婚約発表であろうと誰もが考える。そしてそれはもう一つの大きな意味がある。
アマーリエ第二王妃は我が子に王位を継承させたいがために権力闘争に明け暮れていると噂になっていた。しかしそのアマーリエ第二王妃主催の夜会でルートヴィヒとカーザース家のご令嬢との婚約発表があるとすれば一体それは何を意味するのか。
考えるまでもない。第二王妃の王子達は正妃でもなく嫡男がいる状況で王位に就くなど難しい状況だ。その上第二王妃派は名門のナッサム公爵家がついているとはいってもルートヴィヒ派にはまったく敵わない。
それなのにさらに軍事力だけで言えばプロイス王国の中でも飛び抜けて高いと言われているカーザース家までルートヴィヒ派に入るとなれば第二王妃派の巻き返しは絶望的になるだろう。カーザース家の兵力はプロイス王国の同盟国であるオース公国と同等、あるいはそれ以上とすら言われているのだ。
元々中央政界で優勢だったルートヴィヒ派に一国に匹敵するほどの兵力が加われば最早第二王妃派に王位継承が回ってくることなどあり得ない。そんなことはわかりきっているというのに、そのアマーリエ第二王妃主催の夜会でルートヴィヒとカーザース家のご令嬢の婚約が発表される。それは即ちアマーリエ第二王妃が王位継承争いをしていない、もしくは手を引くという意思表示ではないのか。
この日この場に居た貴族達は皆そう理解していた。アマーリエ第二王妃が最初から王位継承権争いに興味がなかったのか、諦めてルートヴィヒ第三王子に従うことにしたのかはわからない。ただ一つわかることはこの場でそのような発表があれば最早次期国王は決定するということだ。
もしかしたら婚約発表と同時に立太子の発表もあるのではないか。そんな噂で持ち切りなのだった。
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挨拶をしてから一度下がったアマーリエ第二王妃は控え室で荒れていた。
「あの桃色の衣装を身に纏っていた身の程知らずはどこの馬の骨です!?この私の衣装よりも派手で目立つなど!」
ガシャンッ!と音がして姿見が割れる。正室であるエリーザベトが使っている大きな姿見とは違う小さな鏡だ。もちろんこれでも十分大きいはずではあるがエリーザベトが誰かから献上されたという巨大な姿見とは比べるべくもない。
「はっ……、本日桃色の衣装を身に纏っているのはフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースだけでございます」
「フローラ!あれが!あの小娘がぁっ!」
アマーリエの怒りはますます募る。アマーリエにとっては第三王子派は全て敵だ。しかしその中でも単独でオース公国を超えるほどの兵力を持つと言われているカーザース家の力は侮れない。中央政界ではカーザース家など田舎者と思われているが軍事力にかけては右に出る者はいない。敵についたらこれほど厄介な者もいないだろう。何しろカーザース家が向こうについた時点で武力蜂起は自殺行為になる。
そして何よりもフローラの着ていた衣装。あの衣装にアマーリエですら心が惹かれている。絹の光沢に美しい薄い桃色がよく映えていた。アマーリエほどの立場ならば当然絹そのものは知っている。しかしプロイス王国が接していない南の海から渡ってくる絹は本来プロイス王国ではまず手に入らない。それこそ南の海に接するオース公国や他の国々からまわってくるのを期待するしかないものだ。
それなのにそんな絹で織られた衣装を身に纏っている。それが一体どれほど力を示すことになるだろうか。財力はもとより外交能力や交渉能力も高くなければそのような品は手に入らない。つまりそういうものをひけらかすということはカーザース家の力を誇示していることに他ならない。
また斬新な作りに細かい刺繍、さらにレースをあれほどふんだんに使っているなど一体あの衣装を一着作るのにどれほどの費用がかかるだろうか。アマーリエが今日のために用意させた最高級の衣装などフローラの衣装に比べれば貧民が着ている襤褸と変わらない。
「ふっ……、ふふふっ!まぁいいわ!今日がカーザース家臣団の命日よ。精々今のうちに最後の春を謳歌しておくのね!お~ほっほっほっ!」
これから起こることを、重大発表を考えてアマーリエは高笑いしていた。