第百二十三話「いざ王城!」
アマーリエ主催の夜会までもうそれほど日がない。イザベラがうまく手紙を彼女に渡してくれたお陰で一応準備は着々と進んでいるはずだ。彼女に事情も説明した上で決行日まで先走ったことはしないようにも何度かの手紙のやり取りで釘を差している。
リンガーブルク家のメイドだったハンナの話を聞けばほとんどの人間は怒りを覚えるだろう。そしてその怒りの元凶に対して迂闊な行動を取ってしまう可能性が跳ね上がる。だけどそのリスクを犯してでも彼女に事情を説明して協力してもらう以外に俺達が逆転する方法は思いつかなかった。
彼女自身もきっと今すぐにでも飛び出して行動してしまいたい衝動に駆られているだろう。それでも我慢してくれている。全ての準備を整えて万全を期しておかなければ権謀術数に長け、これまでプロイス王国貴族社会で凌ぎを削りのさばってきた者達を相手に戦えない。
いくら多少王様やディートリヒの援護があるとは言っても所詮俺達は子供だ。社会的信用もなければ指示通り動いてくれる仲間も少ない。派閥や配下もなく表社会にも裏社会にも顔が利かない。
何もかもが足りない俺達がこの状況を逆転させるには狙い済ました一撃を見舞うより他にはないんだ。だから彼女自身にも動いてもらうしかない。その説得が効いているから彼女もまだ安易に動かず堪えてくれているんだと思う。今日はその彼女と直接顔を合わせての打ち合わせだ。
僅かに体が震える。これはどういう感情だからだろうか。彼女と会うのが怖いから?彼女を解放するために失敗出来ないという不安から?こんなことをしておいて未だにのうのうと暮らしている犯人達が許せないから?
どれでもあってどれでもない。全てが含まれているようでまったく別の感情のような気もする。ただ一つだけ言えることは俺は彼女を助けたいということだけだ。
今度の作戦で彼女を解放する。ただしそれはアマーリエ第二王妃派と決着をつけるとかナッサム公爵家を完膚なきまでに叩き潰すという意味じゃない。
王様とディートリヒに貰った書類の証拠を使えば完全に潰すまではいかなくともナッサム公爵家、ジーゲン侯爵家に相当なダメージを与えることは出来るだろう。だけどそれは出来ない。俺に流してくれたこの証拠のうちのほんの一部だけを俺が独自に裏付け捜査をして利用しても良いという意味でこれを渡されたんだろう。
もし第二王妃派やナッサム公爵家を徹底的に潰そうとこの証拠を持ち出せばプロイス王国を真っ二つに割った内戦に発展する。しかもその先に待っているのはフラシア王国、オース公国、ホーラント王国などの周辺各国による干渉だ。プロイス王国が内戦で揺らげばこれらの周辺各国はすかさず介入してくる。
だから俺がこの証拠を全部使って第二王妃派やナッサム公爵家を徹底的に潰そうとしたら王様は俺を見捨てるだろう。第二王妃派やナッサム公爵家にも多少のダメージはいくだろうけど王様の取り成しで第二王妃派は権勢を失いつつも残存。逆にこの証拠を使った俺はプロイス王国を揺るがす大罪人としてよくて投獄か打ち首というところか。
王様やディートリヒが俺にこれを渡したのは一種の踏み絵でもある。これを知って、証拠を押さえてもなおこの国を一気に崩壊させてしまいかねない行動に走らず理性的に行動出来るかどうか。
もし俺が王様やディートリヒの目論見通り大人しく俺にとって有用な部分の証拠だけを独自に集めて第二王妃派を抑えるのならば良し。そうすれば暴走しがちで下手をすれば権力争いから外国の干渉を招きかねない第二王妃派を自分達の手を使うことなく抑えることが出来る。
逆に俺が他の証拠も使って徹底的に第二王妃派を潰そうとすれば王様達が割って入り第二王妃派を潰すまではさせないように止める。そして俺のことを第二王妃派以上に理性的判断も出来ず暴走しがちな危険な子供として処分する。
このことからヴィルヘルムやディートリヒが目指している先が読めるというものだ。二人は恐らく穏やかに中央集権化を進めたいのだろう。
現在のプロイス王国は封建領主達の上にプロイス王が立つという形にはなっている。だけど地方領主達の権限が強くほとんど独立国状態に近い。小国同士が寄り集まった穏やかな連邦制とでもいうような形だ。その中でプロイス王家が一番権限が強く代表として上に立っているにすぎない。
それに比べて周辺各国は国家元首の権限が強い。まだ周辺各国とは言っても国によってその度合いは違うけど、地球の歴史も鑑みればこの先は中央集権化による専制君主、絶対王政というような政治体制、国家体制に移行していくものと思われる。
そんな中にあってプロイス王国だけが今のままの体制では周辺各国から取り残され後塵を拝することになるだろう。それを避けるためにはプロイス王国も中央集権化を進める必要がある。だけどいきなり全ての権限を取り上げるなどと言えば貴族が一斉に反発するだろう。
そこで俺を使って現在一番出ている杭である第二王妃派を叩いてしまおうというのだ。その際の俺の手腕を見て、一気に第二王妃派を潰そうとするようなら俺が切られる。
多少ダメージを与えて制限をかけるくらいなら第二王妃派も大人しく従うだろうけどいきなり潰そうとされたら誰でも反発する。そうなればナッサム公爵家や第二王妃派が集まって国を割っての内戦の始まりだ。あくまで徐々に権限を縮小したり没収したりしなければならない。いきなり全てをひっくり返すような改革は不可能だ。
俺にとってはヴィルヘルムやディートリヒの目指すこの先のプロイス王国というのはそれほど重要じゃない。反発したり敵対したりするつもりはないけど積極的に協力したいとも思っていないからね。俺にとって致命的なことにさえならなければ首脳陣がその時々に応じて国家の形を考えていけば良い。
重要なのは彼女を取り戻すにあたってヴィルヘルムやディートリヒの協力が不可欠であり、そして二人の協力を得るためには多少は二人のために働かなければならないということだ。二人が俺を使って第二王妃派やナッサム公爵家を少し抑えたいと思っているのならば俺はその役割を演じなければならない。そうすることで彼女を救い出せるというのならば俺はいくらでも道化を演じよう。
腹を括った俺は彼女と打ち合わせを行うために家を出たのだった。
~~~~~~~
もう夜会までいくらも時間がない。全部万全に準備しているはずだ。何の落ち度もない、……はずだ。だけど落ち着かない。本当に大丈夫か?何か手抜かりはないか?忘れていることは?見落としは?
焦っても仕方が無いということはわかっているけどどうしても気が焦ってしまう。何か落ち着く方法はないだろうか。陣頭指揮を執っている俺が慌てていては他の者達にまで動揺が広がりかねない。
そうだ!新魔法の練習をしておこう。この魔法が失敗したら元も子もない。今回の作戦でも重要な役割がある魔法だけど今回のために開発していたわけじゃなく偶然役に立つことになっただけだ。
この魔法はある決められた範囲内の振動が外に伝わらないようにするための一種の結界とも言えるものだろう。単純に空気を遮断してしまうというものとも違う。元々風の魔法に一定範囲を真空状態にするという魔法はあったようだ。その使い手には会ったことがないけど……。
ゲーム風に言えば所謂ウィンドカッターとかいう名前になりそうな魔法とはまた違う。あれらも真空の刃を飛ばすという発想においては近いものかもしれないけど、一定範囲を真空にして維持する、という魔法とは別種として考えられている。
これに対して俺が新しく開発しようとしていたのは、範囲内から範囲外に向かって出る波、振動を感知して遮断する、というものだ。それに一体何の意味があるのか?
音というのは波だ。空気を伝わる波が広がることで音が伝わっていく。じゃあその波、振動が遮断されたら?当然音は聞こえない。もし自分の周りをその結界で囲んだとしたらどうなるだろうか?
答えは簡単だ。自分の方から外に向けて出て行く音は全て結界に遮断されるけど周囲の音は自分に聞こえる。もっと物凄く頑張れば光も遮断出来るかもしれない。光も波だからな。もし光も遮断出来たらステルス迷彩のようになると思うか?多分違うだろうな。もし完全に光の波まで遮断してしまったら突然ぽっかりと黒い穴があるようにでも見えるんじゃないだろうか。実際にやってみないとわからないけど……。
俺が開発した魔法は内部から出る音に対して反応してその音を遮断するように真空の層が出来る、というような感じのものだ。だから完全に全ての音を遮断出来るというものでもないし多少は外の音も一緒に遮断してしまう。
光にも反応するようにすれば真空空間を通る際に光も屈折して見え方がおかしくなる可能性はあるけど完全に遮断してしまえるような類のものじゃないだろう。
俺が何故こんな魔法を開発したのか。それは考えるまでもないだろう。密談しようと思ってもこっそり話せる場所がないからだ。カーザース邸に帰ればスパイなんていないとは思っている。だから家人に会話を聞かれてもそれほど問題はないだろう。
だけど例えば学園の中とか、王城とか、いつどこで誰の目や耳があるかわからない状況で秘密の会話をするのは常に危険が付き纏う。そこで俺はかなり前からこちらの会話内容が外に漏れないような魔法が作れないものかと試行錯誤していた。そういうものがあればジーモンとの密談でも色々と役に立ったはずだからな。
そうして俺が着目したのが風魔法の真空を発生させる魔法だった。これをベースに改良すれば遮音空間を作り出せるんじゃないかと思って研究を開始した。ただ普通に真空空間を発生させるだけだと色々と問題もある。
まず完全に真空状態で囲んでしまったらこちらの音が漏れないとしても外の音も聞こえなくなるということだ。相手に聞かれる心配はなくてもこちらも外の気配や会話を聞けない。それは非常に都合が悪い。
それから『長時間真空空間で囲んでいたらその中はどうなるのか?』という問題だ。真空空間とそれ以外の空間はお互いに空気が流れ込まないようになっているから周囲の空気が入り込んで真空が解けるということはない。そんなもので自分の周りを完全に囲ってしまったら?当然そのうち酸欠になる。長時間の使用には耐えない。
だから俺が考えたのは結界内から外に向かって出て行く音だけに反応してその音が通過しないように真空が発生して音を遮断する、というものだ。これならこちらから出て行く音か、それとほぼ同時にこちらに到達しようとしている音だけしか遮断されない。
さすがにこちらの音を遮断してしまっている時にこちらに到達するはずの音だけを一方通行で取り入れることは不可能だ。だから結界内で常に音を鳴らしていれば外の音も常に遮断されてしまうということになる。この結界の遮断方法はあくまで内側の音が外へ漏れないようにそのタイミングだけ音を遮断する真空の膜が出来るという感じのものだ。
まだ完全ではないしこの機能も不十分ではあるけどとりあえず間に合わせとしては上出来だろう。前々から外部に会話を聞かれたくないと思って研究していたのが今度のことで大いに役に立ってくれるはずだ。
……よし、ちょっと落ち着いてきたぞ。落ち着いている間に最後の確認をしておこう。今回だけは絶対に失敗出来ない……。
~~~~~~~
学園が始まってから二ヵ月半余り。今日王城でアマーリエ第二王妃主催の夜会が開かれる。この夜会が何の名目で開かれるのかはまだ発表されていない。
元々夜会なんてしたいからやっているようなものだ。名目として取って付けたような理由を掲げるけど結局はただ夜会で自分の権力を誇示したいとか、招待した他の家と繋がりを持ちたいとかそういった打算や駆け引きが働いている。
それでも一応名目や建前は必要だ。何の理由もなく派手なパーティーを開いてばかりとあっては様々な所からの反発もすごいだろう。だからどんなパーティーでも最初にそういう名目がある。それなのに今回はまだその名目が伏せられたままとなっている。
どうせ碌な事は考えていないだろう。相手の思う壺にさせていたら碌な事にはならないことだけは断言出来る。
今日、絶対に俺はアレクサンドラを救い出す。そのために出来ることは全てしてきた。もし今日駄目だったら俺は全てを捨ててでもアレクサンドラを攫って逃げるかもしれない。もちろん失敗しないのが一番だし失敗するつもりはないけどそれくらいの覚悟だ。
「大丈夫ですフローラ様……。今日この時のためにあらゆる手を講じてきたではありませんか」
「カタリーナ……、ありがとう……」
カタリーナの言葉で心が落ち着く。初めての夜会ということで余計な緊張もあったようだ。社交界デビューは昔にしたしその後も何度か小さな社交場には行ったことがある。だけどそれは全てカーン騎士爵としてだった。今の俺のようにカーザース辺境伯令嬢として相応しいドレスに着飾っての夜会は初めてだ。
社交界デビューのあの日……、俺はカーン騎士爵なのに真っ赤なタイトスカートのドレスを着ていって随分な目に遭ったっけ……。そのお陰でアレクサンドラと出会えたんだからあんな思い出なんてただの笑い話だ。
「ふふっ」
「フローラ様?」
つい笑いが零れてしまった俺をカタリーナが不思議そうに見詰めている。
「何でもありません……。さぁ!参りましょうか!」
「はい!」
いざ決戦の地へ。ヘルムートが控えている前を通って馬車へと乗り込む。あとはもうなるようにしかならない。人事を尽くして天命を待つのみ!