第百二十二話「同志が増える!」
俺の合図で外に待機していた家人達が新作を持って入ってくる。この新作についてはカタリーナにも秘密にしてあった。今日皆で試食会をする時に一緒に驚いてもらおうと思ってのことだ。
プルプルの薄茶色のボディに頭からトロリとこげ茶色の液体が垂れている。プッチンする空気穴がないとなかなか器から出てきてくれなくて形が崩れたりして苦労したものだ。別にひっくり返してお皿に出さなければならないということもないだろうけど、今回は一応正式?っぽく器から出している。
そう!皆大好きプリンだ!
プリンの作り方自体はそれほど難しいものじゃない。砂糖、卵、牛乳が確保された時点でとっくに作っていてもおかしくないものだと思っただろう?だけどそれだけじゃ致命的なものが足りていない。そのため俺は今までプリンを作ってこなかった。
今のプリンに致命的に足りない物、それはバニラだ。バニラの甘い香りつけがないとプリンの魅力が半減してしまう。味そのものはバニラには甘味はないから変わらないだろう。ただあの甘い香りがおいしさを引き立てていると思う。バニラがなかったために俺は今までプリンの他にアイスクリームやカスタードクリームも作らず諦めている。
もっと香辛料や熱帯原産、南北アメリカ大陸原産の材料が欲しい。俺のベースは日本人だから俺個人としては山葵、からし、唐辛子のような日本や東アジアの香辛料が恋しい。だけどそれだけじゃなくてバニラのようなアメリカ原産の香辛料や胡椒のようなインド原産の香辛料が必要だ。胡椒とバニラがあるだけでも作れるものや味付けの幅は格段に広がる。またカカオのようなアメリカ原産のものもこの世界ではまだ発見されていないのかもしれない。
コーヒーや胡椒はすでにこの辺りにも出回ってはいるようだけど俺は実物を見たことすらない。中世ヨーロッパでもあるにはあっただろうけど地域も限られていて価格もとても高価だった。アフリカ大陸をまわってインドへ到る航路が発見されるまでは胡椒やコーヒーは陸路で中東を越えて地中海を渡ってこなければならなかったからだ。
チャノキがあるから紅茶は栽培して作り方さえ伝えれば作れる。それに比べて熱帯の高地や雨季乾季のあるサバンナのような気候でなければコーヒーノキは栽培が難しい。種や苗さえ手に入れば領地で作れるというようなものじゃない。
胡椒もそうだ。温かい気候で雨や水捌けの問題がある。種だけ仕入れれば領地で栽培出来るというようなものじゃない。コーヒーと胡椒は貿易で入手する必要がある。
海へ……、大洋に出なければ……。俺の望む物を手に入れようと思ったら遠い海へと出かけるしかない。今はまだ貿易も小規模だけどいずれうちの船で香辛料やコーヒーや紅茶を運ばなければ……。
まぁそれはともかくバニラがないから香りが不十分で俺にとっては不満の残る出来ではあるけど味や甘さはそう変わらない。これでも受け入れられるようならプリンを売り出すという手もある。
「なにこれ?」
「うわぁ……」
「何か色が……」
だけど皆の反応はいまいちだった。初めて見る人からすればプルプルぐにょぐにょの茶色い変な物体だ。皿を揺すってプルプルさせたりしている。カラメルもこげ茶色であまりおいしそうには見えないのかもしれない。バニラの香りがしないから余計に匂いでそそられるということもないんだろう。やっぱり香り付けは重要だ。
「皆さん食べないのですか?それでは私からいただきますね」
誰も手をつけないからまずは俺が率先して食べてみせる。プルプルのプリンをスプーンで掬って口に運ぶ。口に入れたプリンは崩れて噛む必要もなく口の中に甘味が広がり喉を通ってすぐになくなる。
「うん。甘いですね」
味そのものに不満はない。何度も言うようにバニラそのもので大きく味が変わるというものじゃないからだ。バニラはあくまで香りを付けて楽しむものであって焼き菓子等ならばどうしても絶対必要というほどのこともない。ただやっぱりアイスクリームやカスタードクリームには欠かせない。バニラが手に入るまではアイスクリームやカスタードはお預けだろう。
「じゃ、じゃあ私も……」
俺が食べたのを見てまずはミコトがいった。他の皆はミコトをじっと見ている。俺だけじゃ信用出来ないということだろう。他の人間が食べるのを見てから食べるかどうか決めようというのだろう。
「ん~~っ!!!」
「だっ、大丈夫?吐き出す?」
プリンを口に入れたミコトの声を聞いて隣のクラウディアが慌てる。何かルイーザは俺のことを睨んでいるような気すらする。俺は別に変な物は食べさせてないぞ?
「おいしい!何これ!すごい!」
「「「「…………へっ?」」」」
ミコトの感想を聞いて他の四人が間抜けな顔でポカンとしている。ミコトも紛らわしい。あれじゃまるで俺が変な物を食べさせたみたいじゃないか。
「何この幸せな食べ物は?ホロッと崩れてすぐになくなっちゃう!」
ガツガツ食べ始めたミコトを見て他の四人も恐る恐るプリンをスプーンで掬う。そして目を瞑りながら口に放り込んで……。
「甘い!?」
「柔らかい!」
「こんな食べ物食べたことがありません!」
クラウディア、カタリーナ、ルイーザがそれぞれ感想を述べる。しかし一人だけ黙ったままの者がいる。一口食べてからスプーンを持ったままじっと止まってしまったクリスタに声をかける。
「クリスタ、おいしくなかったですか?」
「…………」
俺が声をかけてもクリスタは動かない。ただじっとプリンを眺めている。
「クリスタ?」
「……ごい」
「え?」
呼びかけても返事もしないクリスタに何か異常でもあったのかと思って近寄ろうかと思ったらボソッと何か言葉を漏らした。よく聞こえなかった俺が聞き返すと急にクリスタの口が回り始めた。
「すごい!おいしい!これは何?どうしてフロトがこんな甘味を知っているの?これは一体何?」
「これはプリンです。作り方は~……、まだ秘密ですね。どうして知っているかというかこれは私が考えた新しい甘味です」
まぁ本当は俺が考えたんじゃなくて前世の知識を元に再現しただけなんだけどそれは説明のしようがない。だからこの世界で再現されている数々の料理やお菓子は俺が考えたということになっている。人が努力したり長年の研究の結果出来たものを自分の功績として奪っているようで心苦しいけど仕方が無い。最初に公表した人が製作者になるのならこの世界では俺ということにしておくしかない。
「こんな素晴らしいものを考え付くなんてフロトは天才ですか!?もしかして……、他にももっとあるんじゃないですか?ねぇ?私達は同志なのでしょう?もっと他にも素晴らしい甘味を!」
「えっ……、えぇ……、まぁ……、新しい物が出来たらまたクリスタにも試食してもらいますよ……?」
いきなり食いついてきたクリスタに少々気圧されながらもそう答える。だけどクリスタは『絶対ですよ!』と言いながら夢中でプリンを頬張っていた。そして全員に絶望の瞬間が訪れる。
「もう……、ない……」
「そんな……」
「たったこれだけなんて……」
そう、全員のプリンはもうなくなってしまった。カップ一杯分くらいしかないプリンなんて急いで食べたらあっという間になくなる。小さなスプーンでゆっくり掬って食べればまだしもあんなにがっついて食べればすぐだろう。
「フローラ様!もう一つ『ぷりん』を要求します!」
「そうだね。僕も欲しい!」
カタリーナの言葉にクラウディアが賛同する。そしてそれに倣うかのように全員が次々とプリンを要求してくる。だけど駄目なんだ……。こいつはやばいんだ……。
「プリンそのものはまだ出せます。ですが良いのですか?一つ言っておきますがプリンを食べ過ぎると『太ります』よ?」
「「「「「――ッ!?」」」」」
その瞬間全員の顔が雷に打たれたかのような顔になって固まった。ピシャーンッ!とかドッカーンッ!とかいう効果音が聞こえてきそうだ。
プリンだけに限った話じゃないけど当然甘味を食べ過ぎれば太る。この世界ではまだ砂糖が貴重だったからあまり砂糖の摂りすぎで太るというイメージは湧かないだろう。だけど俺が甜菜糖を広めたことで徐々にではあるけど砂糖の使用量が増えてきている。当然そうなると摂りすぎて太ったり病気になったりする者も徐々に出てきているということだ。
「例え太ったとしても!もう一個!もう一個だけください!」
「クリスタ……」
何か悲壮な覚悟をした顔でクリスタがそう言いながら頭を下げる。
「僕も!僕なら大丈夫なはずだ!だからもう一個!」
「私だってもう一個くらい大丈夫よ!」
残りの皆ももう一個もう一個と言い出した。ただ一人ルイーザだけが俯いている。その視線が向かう先は自分の胸……、あるいはお腹だろうか。この中でルイーザは一番豊満な体をしている。多分だけど仕事の内容からしても甜菜糖を口にする機会も多いだろう。当然カロリーもたくさん摂っていて若干お腹辺りのお肉もアレな感じがする。
もちろん太っているというほど太ってはいない。だけど気にする人は気にするのかもしれない。こんな世界だから多少太っているくらいで気にするということもないと思うんだけど……。現代地球ほど何でもかんでも痩せている方が良いと勘違いしている人はあまりいないけどやっぱり多少は体型を気にしたりするんだろう。
「ルイーザ……、ルイーザは決して太ってなどいませんよ。ある程度は女性らしい体つきをしている方が良いと思います」
「フロト……」
俺がフォローを入れるとウルウルした目で俺を見ていた。うんうん。うまくいったようだ。何でもかんでも痩せていれば綺麗というわけじゃない。太りすぎは良くないけど痩せすぎだって問題だ。それがわからず何でも痩せていれば痩せているだけ良いと思う勘違いはなくしていかなければならない。
「わかったわ!ありがとうフロト!私ももう一個!」
いやいや……。確かにルイーザは太っていないと言ったよ?気にしすぎない方が良いという意味で言っただけでだからってプリンを食べろと言ったわけじゃないんですけど……。
そして他の三人よ。自分の胸やお尻を確認するのはやめようか?俺は確かに女性らしい体つきの方が良いと言ったけど全員にそういうものを求めているわけじゃない。そもそも一番大事なのは誰の体なのかであってどんな体なのかじゃない。それは間違えないようにな!
こうして大盛況のうちにプリンの試食会は幕を閉じた。途中からは四人とクリスタも楽しそうに話をしていてかなり打ち解けたように思う。やっぱり甘い物を食べて幸せな気持ちになれば打ち解けるのにも役に立つということだ。甘味は世界平和に役立つということがここでも証明されてしまった。
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試食会が終わりクリスタが帰るので玄関口まで見送りに行く。
「フロト今日はありがとう」
「いえ、また新しい甘味が出来た時には試食してくださいね」
「ええ。是非!」
やけに力強い返事が帰って来た。クリスタは何度も何度も他にも甘味があったら食べさせろと散々言ってから帰った。賑やかで楽しい時間だった。またこういう機会を作りたいものだ。同級生の女友達とこうして遊べる日が来るなんて思ってもみなかった。
ちなみに他の四人は四人だけで密談している。俺は追い出されて四人だけで部屋を占拠して密談中だ。恐らく四人、アレクサンドラが解放された後は五人が公平になるように話し合っているんだろう。俺にアプローチするにしてはカタリーナが一緒に暮らしている分だけ有利すぎる。
もちろん一緒にいる時間が長ければそれだけ粗も目立つわけで嫌になる可能性もある。だけど一緒にいるからこそそれ以上に発展する可能性も高いわけでハイリスクハイリターンとも言えるだろう。
って、何かあの四人ないし五人が俺を取り合ってるみたいな言い方になってしまったけどこれは俺の自意識過剰なんだろうか?あの四人にはそんなつもりはないのかもしれない。あまりに変に期待しすぎて俺から手を出してまた前のように嫌われてしまったらと思うと怖い。未だに俺が一歩を踏み出せないのは今までの失恋がトラウマになっているからだろうか。
俺は怖い……。もし俺の勘違いで女性同士が気持ち悪いと思っているノーマル性癖の女性に迫ってしまったら……、また昔のように拒絶されてしまったら……、俺はもう二度と立ち直れないかもしれない。
再び戻ってきてくれた皆はそんなことはしないとは思う。でなければわざわざまた俺の下になんて戻ってきてくれないだろう。理性ではそうは思っても感情が踏み出すのを恐れる……。
いつかまた俺の方から皆に向かって踏み出せる時が来るのだろうか……。
「フローラちゃん?何か綺麗に纏めようとしているようだけど、もちろんお母様にもあの『ぷりん』とやらはあるのよね?」
「ひぅっ!?」
玄関口でクリスタの馬車を見送っていた俺の後ろから物凄いオーラを感じた。これはやばい。もしプリンがないなんて言おうものなら俺はこの後死ぬよりも辛い目に遭わされるかもしれない。
「もっ、もちろんです。お母様……」
「そうか。それでは夕食を楽しみにしているぞ」
「父上……」
母だけじゃなかった……。父までプリンを楽しみにしているらしい……。やばい……。実はないです……。用意していたプリンは先ほどの試食会で全部食べてしまった。結局『もう一個』『もう一個』と言っているうちにあの五人がペロリと食べてしまっている。今から急いで用意しなければ……。
もしプリンがないなどと父と母に知られたら俺は明日無事に学園に行けないだろう。食材が残っていることを頭の中で確認しながらももしなかったらどうしようと冷や汗を流しつつ厨房へと急いだのだった。