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第百二十話「同志!」


 混乱しているクリスティアーネは必死で頭を働かせる。自分は今庶民の格好をしてクレープカフェでクレープを頬張っている。ナイフとフォークを使うこともなく手掴みでだ。到底高位貴族のご令嬢がして良いことではない。


 その向かいに相席でやってきたのはヘレーネが自分達にいじめるように指示しているターゲット、フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース。フローラも格好は庶民風というか金持ちの豪商の娘風の格好をしている。しかしフローラのあまりに洗練されすぎている所作のせいでまったく商人の娘には見えない。そんな娘がニコニコしながら自分の前に座る。


「ラインゲン様?」


「しっ!その名前で呼ばないでちょうだい!貴女だって本名で呼ばれたら困るでしょう!?」


 自分が答えなかったからかもう一度名前を呼んできたフローラを慌てて止める。誰の耳があるかもわからないこのような場所で家名を呼ばれてはたまったものではない。せめて名前ならばまだ庶民でも同じ名前の者などいくらでもいるだろうが家名だけは誤魔化しようがない。


「ん~……、それもそうですね。それでは私のことはフロトとお呼び下さい」


 顎の下に人差し指を置いて視線を逸らせたフローラが少し考えてからそう答えたのを聞いてクリスティアーネはほっと胸を撫で下ろした。


「わかったわ。それではここでは私のことはクリスタと呼んでちょうだい……」


 本当はそんな呼び方などされたくない。ヘレーネや他の五人組とはそれほど親しいとは思っていないので愛称では呼ばれていないが両親や本当に親しい友人達からはクリスタと呼ばれている。そんな大事な愛称をフローラ、いや、フロトに呼ばれるなど許し難いことではあるが今は緊急事態だと自分に言い聞かせる。


「わかりました。よろしくお願いしますねクリスタ」


「ぅ……?」


 しかし……、何も気にした様子もなくにっこり可愛い笑顔で微笑まれてクリスタは思考が停止した。


 ヘレーネに命令されているとはいっても自分達はフローラをいじめている張本人達だ。自分達だってその自覚がある。主にいじめているのはゾフィーとエンマで自分は周りで圧力をかけているだけだがそれは自分側の言い分でしかない。いじめられている方からすれば五人とも全員がいじめっ子であることに変わりはないだろう。


 それなのに目の前のフローラ、否、フロトはまったくクリスタに敵意も害意もなく何ら含む所がなさそうな暢気な笑顔を見せている。逆の立場だった時に果たして自分はこのような態度が取れるだろうか。


 ただの馬鹿とも媚びているのとも違う。自分達がフロトをいじめているのをわかった上で全てを受け止めてこのような笑顔を自分に向けてくれているのだ。上から目線で全て許してやろうという態度でもない。全てを諦めているわけでもない。この泰然とした姿は一体何なのか。


「貴女……、私達に対して何とも思わないの?」


「貴女ではありませんよ。先ほどフロトだと言ったはずです」


 プンプンとばかりにフロトは名前呼びを要求してくる。今はこんな店の中で一緒だから世間体を気にして表面を取り繕っているだけで自分達はお互いにそんな親しい間柄ではない。そうは思うが少し頬を膨らませたまま名前を呼ぶまで梃子でも動きそうに無いフロトにクリスタの方が根負けした。


「はぁ……、フロトは私達のこと何とも思っていないの?」


「ん?ん~……、そうですね……。何も思わないということはないですよ?私だって感情くらいはありますからね。机に液体をぶちまけられたら腹も立ちますし、身に覚えの無い言いがかりをつけられたら反論もします」


 それはそうだろうなと思う。もし自分が逆の立場だったなら内心ではもっと怒るだろう。しかし逆らえない。相手はあまりに強大すぎる。ヘレーネどころかゾフィーやエンマの家を相手にするのも並大抵のことではない。もしアルンハルト家やヴァルテック家と対立したなどと両親に伝えればその場で勘当されて家を放り出されるか相手の家に差し出されてしまうだろう。


「ですが皆さんの悪戯もつまらない子供の悪戯ですしそんなに目くじらを立てるほどではないですよね」


「ぇ……?」


 あれが子供の悪戯?机に色々なものをぶちまけられたり、壁新聞にあることないこと、いや、ないことないこと書かれて評判を落とされたり、普段でも言いがかりをつけたり妨害をしたり様々なことをしている。普通なら怒るか精神的に相当堪えるはずのことを子供の悪戯と言えるフロトの神経がわからない。


「それに……、世の中はままならないことだらけですからね。しがらみの中で生きていくのは大変でしょう?お互いに……」


「なっ!?」


 フロトの目はクリスタを真っ直ぐに見詰めている。その言葉が、視線が、全てをわかっていると語っている。クリスタも望んでこのようなことをしているわけではない。実家がバイエン公爵家の派閥だから幼い頃からヘレーネに逆らうことは出来なかった。他の四人もそうだ。


 学園で今年の一年生の序列ではアルンハルト家は五位、ヴァルテック家は十位、他の二人は十一位、十二位、そしてクリスタのラインゲン家は十三位。ヴァルテック家以下は一つずつしか順位が違わないように見える。しかしそうではない。


 この序列はあくまで今年の一年生一組の序列であって今年一年生になった子供がいない家はこの序列には含まれていない。プロイス王国貴族の序列という意味ではヴァルテック家は十位よりも遥かに下であり、ラインゲン家はそこからさらにずっと下になる。学園での序列は所詮今年そのクラスにいる生徒の順番だ。全貴族家の序列とはまったく異なる。


 学園の序列で三つしか変わらないからとラインゲン家がヴァルテック家に逆らえるほどの差しかないかと言えばまったくそんなことはない。もしラインゲン家がヴァルテック家に逆らえば一対一でもラインゲン家が潰されてしまうだろう。その上向こうはバイエン家の派閥に入り込んでいるので一人で逆らった所でバイエン派閥に寄ってたかって潰されてしまう。逆らう術など最初からないのだ。


 クリスタも本当は五人でつるんでヘレーネに顎で使われて嫌な役回りであるいじめっ子なんてしたくはない。同級生の友人達と楽しい学園生活を送りたい。


 しかしそんなことを言おうものならば今度は自分がヘレーネに狙われるだろう。そうなればラインゲン家程度の家が一つで何が出来るというのか。だから最初からクリスタは全てを諦めているのだ。周りの級友から自分達が嫌な人達だと陰で言われているのを知っていながらそれでもヘレーネに従うしかない。


 フロトは……、そんなクリスタの立場もわかっていると言ってくれているのだ。望むと望まざるとに関わらずあのようなことをしなければならないクリスタに責任があるわけではないと言ってくてれいるのだ。


「――ッ!……ありがとう、フロト」


「はい?何のことですか?」


 にっこりと……、最初と変わらないどこか浮世離れした美しさの美少女がコテンと首を傾げて微笑む。全てをわかった上で、このようなことは礼にはあたらないと、当たり前のことだと言ってくれている。そのフロトの心遣いと懐の深さに感謝と、そして自分の矮小さに悔しさが滲んでくる。


「あっ!それより早く食べましょう?ここのクレープはおいしいんですよ」


「しっ、知っていますよ!ですから私はここへ来ているんですから!私はここの常連ですよ!もうすぐ全種類制覇なんですからね!」


「まぁ!そうだったんですか?どれがおいしかったですか?」


 クリスタの言葉にフロトは笑顔で答えてくれる。もう二人の間にいじめっ子といじめられっ子の蟠りなどない。いつの間にかクリスタも笑顔でフロトと語り合う。


 自分はどのクレープがおいしいと思ったか。どれが好きか。今後どんなクレープが欲しいか。二人で色々と語り合った。


「私はやっぱり甘いものが好きね。フロトは?」


「ん?ん~?私はどちらも好きですよ。塩焼き鳥クレープもおいしいしジャムクレープもおいしいです」


「そんな答えはずるいわよ。どれがよかったか私にだけ聞いておいて……」


 本当ならばフロトはクレープにチョコレートソースをかけたいと思っていた。しかしこの世界ではフロトはまだチョコレートを発見していない。チョコレートソースとクリームの他にクレープに入れる物として果物などもあるだろう。しかし生の果物を切って入れるだけというのは難しい。


 何が難しいかといえばまず旬の季節以外に常に果物を用意するのはこの世界ではほぼ不可能だ。温室やビニールハウスを作っているカーン領でならば少量は季節外れのものも用意出来るだろう。しかし一般に販売するだけの量など到底栽培出来ない。


 また仮に季節の果物で手に入るとしても収穫量も仕入れ量も安定しないだろう。それに保存方法もない。常温で放っておいても長期間保存出来るような果物ならば良いが大半の果物はそんな方法で置いていたら日持ちしないだろう。それらを輸送してくる期間も考えたら店頭で売れるまで置いておける時間というのはそう長くはない。


 そこで対策として考えたのがドライフルーツとジャムだった。ドライフルーツにしておけば生の果物よりもずっと日持ちするだろう。また旬の季節の間に様々な果物のジャムを作っておけば多少季節外れになってもジャムとして提供出来る。こういったフロト達のアイデアや努力によって様々な味のクレープが安定して提供される環境が出来上がっているのだ。


「どれも思い入れがあるからね……。どれか一つだけなんて中々選べないのよ」


「…………」


 そう言うフロトの顔を見てクリスタは見惚れてしまった。何故フロトが出来たばかりのクレープカフェの商品にそんな深い思い入れがあるのかとか不思議に思うことは色々ある。しかしそんなことはどうでも良くなった。ただただその美しい微笑みに視線が吸い込まれて離せない。


「でも……、そっか……。クリスタは甘い物が好きなのね」


「えっ……、うん……。そうね……」


 急に話を振られたクリスタはちょっとぼうっと見惚れたまま上の空で答えた。そしてポツリポツリと余計なことを口走ってしまう。


「私の家はそこそこの序列にいるとはいっても内情は大変だから……、私は幼い頃から家のためにと厳しく育てられたわ」


 クリスタの両親はバイエン派閥で地位を確保するために娘にも徹底してバイエン家に媚び諂うようにと教育していた。幼い頃にヘレーネにお目通りが叶い側近として仕えることが出来た。ただし全てをヘレーネに捧げヘレーネのためだけに動く。自分の自由などなく友人と遊ぶ時間すらない。両親に言われるがままヘレーネに気に入られるためにひたすら媚び諂う自分に嫌気が差したこともある。


「そんな時出会ったの。十歳の社交界お披露目が終わってから何度かあちこちの社交界に参加して……、そして私もようやく誉れ高い王家主催の夜会に呼ばれたわ。そこで私は生まれて初めて出会ったの。クッキー、ドーナツ、パウンドケーキ、ホットケーキ……。甘く私を魅了するそれらの甘味を食べた時、私は嫌なことを全て忘れて夢中になっていたわ。それから私は甘味の虜になってしまったの。甘味は嫌なこの世界を、嫌な私を一時だけでも忘れさせてくれるのよ」


 それは丁度ヘレーネに媚び諂うだけの自分の人生が何なのかよくわからなくなっていた時だった。それらの甘味との出会いはそんなつまらないことで悩んでいる自分なんて忘れさせて夢中にさせてくれた。だからクリスタは自分は甘味を食べるために生きているのだと思うことにした。そうすれば嫌な自分もどうして生きているのかも少しは許せるようになるから……。


「そう……」


 フロトはただ黙って穏やかに微笑んでクリスタの話を聞いてくれていた。ヘレーネやいつもの四人とはまったく違う。あの人達は確かにつるんではいるが仲間ではない。ただお互い利用し合っているだけの間柄だ。だからお互いに相手に利用価値がなくなればいつでもお互いに見捨てるだろう。


 だけどフロトは違う。クリスタの話をきちんと聞いてくれる。自分のことを知ろうと、わかろうとしてくれる。


「それじゃあこれから私とクリスタは同志かしらね?」


「同志?」


 クスッと悪戯っぽく笑うフロトにドキッとしてしまう。


「そう、同志。甘味を愛し、こっそり庶民の格好をして家を抜け出し甘味を頬張る。人には言えない秘密の楽しみを共有する同志よ」


「同志……」


 片目をパチッと瞑ってそういうフロトの言葉を反芻するように呟く。この胸の奥の温かさは何だろうかと考えるがこんな経験などなくまったくわからない。クリスタにとってまったく未知の経験だった。


「あっ!でも気をつけてね。甘味を食べ過ぎると太るわよ」


 そう言ってフロトは両手をほっぺに持ってきてぷっくり膨れたような仕草をした。


「もう!私はそんなに太ってないわよ!」


「あははっ!そうね。今はね?でも食べ過ぎると本当に太っちゃうから気をつけてね」


 今度はお腹を摘むような仕草をするフロトに再び抗議する。いつもなら五人揃ってグチグチと誰かの悪口を言い合っているはずの時間。そんな憂鬱な時間を過ごしているはずの夕暮れ前にクリスタはいつ以来かもわからないほど心の底から笑っていたのだった。



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