第十二話「兄と遊んだ!」
朝目が覚めて着替えて準備をしていると扉がノックされた。返事をして迎え入れるとイザベラが入ってくる。
「フローラお嬢様、お着替えは私共がお手伝いしますと何度も申しておりますのに……」
「私ももう子供ではないのです。イザベラの手を煩わせずとも着替えくらい出来るのですからその分イザベラに別の仕事をしてもらった方が効率的でしょう?」
毎朝俺を起こしに来ては同じようなやり取りになる。まず俺はイザベラに起こされたことがない。毎日朝早くに起きてクタクタになるまで体を動かしているから夜は早々に泥のように眠っている。そしてそうなると朝も自然と早く起きてしまうので家人達に起こされたことは今まで一度もない。俺の方が早く起きているくらいだ。
イザベラにはよく注意される。自分で着替えられるからとか、わざわざメイド達の手を煩わせる必要がないだとか、効率的だとか、そういうのはよくないらしい。
世の中の貴族達だって着替えくらい大半は自分で出来る。物によっては手伝ってもらわないと着られないドレスとかもあるけどそういう特殊な物を除けば普通の着替えくらいお貴族様でも出来るのは当然だろう。
だけど貴族は執事やメイドに着替えを手伝ってもらう。それは出来ないからでもなければ面倒だからでもなく、効率、非効率に関わらずそうされるのも仕事の一種だからだ。
貴族が何でもかんでも自分でしてしまえば執事やメイドの仕事がなくなる。そして朝から自分のお付きの者とのコミュニケーションを取る時間でもある。朝に着替えを手伝いながら何気ない会話をしたり今日の予定を話したり、お付きの者からすれば主人の身だしなみを確認したり体調を確認したりという意味もある。
自分のことも出来ないからお付きの者にさせているというわけじゃなく、ただ偉そうにしたいからやらせているわけでもない。仕事や身の回りのことを任せるというのは相手を信用しているということでもある。そうやってお互いに信用を深め合ってコミュニケーションを取っているわけだ。
もし俺のように一切身の回りの世話を任せなかったり肌を見せたり着替え中の無防備な姿を見せないとなるとメイドは信用されていないのかと思うだろう。部屋の中を自由に出来るということは暗殺の用意も出来るということだ。それを任せるということは相手を信用していなければ出来ない。
じゃあ俺はイザベラやヘルムートを信用していないのかと言えばもちろんそんなつもりはない。俺の方からすれば二人のことは信用しているつもりだ。
ならば何故イザベラに着替えを任せないのか。理由は簡単だ。俺は今まで誰かに着替えさせてもらったことがない。もちろん乳幼児の頃は母か母付きのメイドのエマにしてもらっていた。いくら俺が幼児の頃から前世の記憶と自我があったとは言っても流石に赤ん坊が自分でおしめを替えたり着替えたりは出来ない。
そういう無理な場合や例外的なことを除いて俺は今まで俺付きの執事やメイドがいなかったためにほとんど自分のことは自分でしてきた。大貴族の長女のはずなのに少しおかしいとは思っていたけどイザベラが付いてそう言われるまではそういうものかとも思っていた。
前世の時からついこの前ヘルムートとイザベラが俺付きになるまで全部自分でする生活だったのに今更急にイザベラに全て任せろと言われてもそう簡単に身に染み付いた習慣が変わるはずもない。
それからイザベラが来るのが遅いというのもある。家族の誰よりも俺が一番朝早起きだ。屋敷もほとんど寝静まっていて夜警の者か朝の準備をしている一部の者以外では俺が一番早起きしている。イザベラがこうして起こしに来る時間も俺が起きてから相当時間が経った後であり、その間中ずっとパジャマのままベッドで待っていろと言われても苦痛でしかない。
もちろん俺がそう言えばイザベラは今よりも早く俺を起こしに来てくれるだろう。だけどそんな無理をさせてまで着替えさせてもらう必要はないのだからこのままで良い。それに朝以外は着替えもしてもらうのだから良いだろう。湯浴みや寝る前はそういう言い訳が出来ないようにぴったりマークされているからな。
「ですからそういうことではないと何度も……」
「まぁ良いではありませんか。それでは参りましょう」
まだブツブツと言っているイザベラを促して部屋を出る。部屋の前にはいつも通りヘルムートが待っていた。
「おはようございますフローラお嬢様」
「おはようヘルムート」
どこにでもいる普通のブラウンの髪にブラウンの瞳に、どこにもいないような超イケメンの執事が俺に頭を下げる。ヘルムートは十五歳だそうで上の兄フリードリヒと同い年だ。俺が男のままだったら絶対友達にはなれなかっただろう。主に俺の嫉妬が原因で……。
ヘルムートは有能だし良い奴だ。それはわかっている。ちょっと口下手で人付き合いが苦手だけど男同士であればそれは気にならないと思う。まぁ男同士と言っても現代日本の学生のノリでの話だ。この世界でこの口下手で人付き合いが苦手というのは致命的だし主と執事という間柄では許されないことかもしれない。だから兄はヘルムートとあまりうまくいっていなかったようだ。
そして何よりヘルムートは女にモテる。メイド達も『付き合うならヘルムート、結婚するならフリードリヒ』なんて言ってるらしい。
現代日本でもそうだけど彼氏彼女として付き合うだけなら見た目が良い方がモテる。それに比べて結婚相手を選ぶ場合は見た目よりも勤め先や将来性、年収、性格などが重視されることが多い。
つまり見た目はヘルムートの方がハンサムだけど将来カーザース辺境伯家を継ぐフリードリヒの方がお金持ちだし将来安泰そうだし地位も権力もあるから結婚するならフリードリヒの方が良いよね、と言われているわけだ。そりゃ兄としても面白くないしヘルムートにあまり良い感情を持っていなくても仕方がない、……かもしれない。
それでも二人が信頼し合っていれば問題はなかっただろうけど、ヘルムートはご覧の通り口下手で人付き合いが苦手。兄からしても自分よりモテる執事にフレンドリーに接するのも難しい。そうなると最初のすれ違いから親しくなるのは難しくお互い疎遠になる。何かきっかけでもあればお互い親友にもなれたかもしれないけど今となってはそれもただの夢物語というわけだ。
ともかくヘルムートに今日の予定を聞きながら食堂に向かう。俺は朝が早いので朝食は父しかいない。父と朝食を摂りながら今日の予定を話し合う。まぁ父は俺に自分の予定は言わないので俺が聞かれて答えるという方が正確かもしれない。
朝はまず日課の剣と魔法の訓練に出る。この時間は裏の練兵場は俺くらいしか利用しないので俺専用のようで気持ち良い。訓練が終わるとイザベラに体を拭いてもらって着替える。
俺はいつも肌の露出が少ないものを着ている。別に肌を見せるのが恥ずかしいわけでもないし貴族の子女が無闇に肌を見せるなんてうんたらかんたら、という理由があるわけでもない。ただ単純に俺は体中に痣等があるから露出の多い格好だとそれらが見えるために見えないように露出を少なくしているだけだ。
最初の頃イザベラは俺に『年頃の女の子なんですからもっとお洒落しなくてはいけませんよ』なんて言って露出の多い子供らしい格好をさせようとしていた。でも一度俺の体を見てから理由を察したようでその手の服は持ってこないようになった。
自主訓練が終わったら家庭教師の授業を受けて午前が終わる。昼になると迎えに来たヘルムートに先導されて食堂に向かう。別に食堂くらい一人で行けるんだけど二人が俺のお付きになってからはずっとこうだ。
食堂に入ると今日は他の家族が全員居た。誰かが何か用事でない限りは大体昼と夜は全員で食事をしている。俺がもっと幼い頃はほとんど俺だけか俺と母だけという場合が多かったけどいつの頃からか俺も普通に他の家族と一緒に食事を摂るようになっていた。
上の兄フリードリヒが王都の学園に通うようになってから下の兄ゲオルクと接する機会は格段に増えたと思う。フリードリヒはあまり俺に興味がなさそうだったけどゲオルクは割りと普通の兄という感じがする。あれこれ俺に構ってくれるわけじゃないけど話せば普通に応じる普通の兄妹というところだろうか。
フリードリヒとゲオルクも父達から剣等を習っていたんだから俺と一緒に訓練することもあるかと思ったけど一度も一緒になったことはない。どうやら父達が完全に俺と兄達を別々にしていたようだ。そして兄達に俺の剣や魔法を見せるなとも言われている。詳しい理由は聞いていないけど幼い頃は俺だけほとんどの生活を別にされていたことと何か関係があるのだろうか。
まぁ言われたことだけ守っていれば父はそれほどとやかく厳しいことは言ってこないので言われたことを守っていれば良い。最近は家庭教師の内容も詰め込み式の勉強から課題を出されて解決する実務的な内容に変わっているから今日の勉強ももう終わっている。
家庭教師の授業時間が減っている分暇が多い。今日の午後もどうしようかと思いながら食後のティータイムにゆっくりしているとゲオルクと目が合った。
「フローラも家庭教師がついているそうだけど勉強の方はどうだい?よければ僕がみてあげようか?」
「え?……えぇ、まぁ……」
急に声をかけられて驚いた。別に仲が悪いということはないけど仲が良いということもない。滅多に話したことがない兄に急に話しかけられてもどうすれば良いのかわからない。
それにチラリと見た父は凄い形相で俺を見てる。これはゲオルクに勉強を見てもらうなという意味だろう。話したり一緒に居るなとは言わないけど訓練や勉強は絶対に一緒にするなと厳命されている。それを破るほど俺も愚かじゃない。
「どうしたの?フローラは僕が嫌いかい?」
ええ子や……。ゲオルク兄ぃ……。困ったような苦笑いのような顔でそんなことを言う。十三歳頃だから普通なら生意気な盛りかと思いきや思春期男子だというのに妹にもこんな気遣いが出来る良い兄だったらしい。あまり接点がなかったから知らなかったけど性格も穏やかそうだし俺を気遣ってくれるなんて普通に接していればもっと仲の良い兄妹になれたかもしれない。
「いえ!そのようなことはありません!」
だから俺は全力で否定しておいた。どこか他人行儀で余所余所しいとは思っていたけど俺は別にゲオルクが嫌いなわけじゃない。ただちょっと接点が少なくて父にあまり兄達と接するなと言われていたから敬遠していただけだ。
「そうかい?それなら勉強じゃなくて本を読んであげようか?よろしいでしょうか父上?」
ゲオルクは父に許可を求める。暫く黙って考え込んでいた父も『ふぅ』と息を吐き出してから諦めたように口を開いた。
「自分達のすべきことをきちんとするのならば少しくらいは良いだろう。ただしほどほどにな」
主に俺の方を見ながらそんなことを言いつつ父は許可してくれたのだった。
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リビングでゲオルクと並んでソファに座って同じ本を一緒に覗き込む。ゲオルク付きの執事やメイドが数名部屋にいるけど俺付きはヘルムートしかいない。イザベラは俺の部屋の掃除や洗濯物などをしているのだろう。付き人が二人しかいないのだから必然的に残っているのはヘルムートだけだ。
ゲオルクが本を持って声を出して読んでいる。内容はまぁ……、父の書斎にあったような本じゃなくて完全に子供向けの絵本レベルだな。日本にあったような絵本ほど挿絵がいっぱいあって文字数が少なくて子供向けということはない。挿絵もほとんどないし文字数もそこそこあって内容もあまり子供向けとは思えないような本だ。
それは日本の絵本を知っているからであって日本の絵本は対象年齢も低いからだ。こちらの子供向けの本は対象年齢がもっと高い。そもそも文字を読み書き出来る年齢が日本よりずっと上でないと出来ないし出来る者も少ないのだ。
現代地球の絵本だってもともと童話と言っても内容は結構ヘヴィな物がほとんどだった。比較的最近になってから幼児向けに簡単な内容の絵本が増えただけで昔の童話なんて血みどろの争いのものだってある。現代の感覚だとそんなものを子供に読ませたり聞かせたりするか?と思うけどこの世界でもそれに近いものだ。
まぁどちらにしろ俺からすれば子供向けな内容には変わりはないけどこの世界で初めて子供向けの本を見たという珍しさもあるし、何よりゲオルクが一生懸命俺に読み聞かせているのが少しうれしくて俺は黙ってゲオルクの読み聞かせを聞いていたのだった。
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一日の予定が終わり部屋に戻る。今日は午後からゲオルクと遊んだ。珍しいこともあるもんだ。とはいえ悪い経験ではなかった。むしろ本来兄妹とはあのようなものなのかもしれない。今まで兄達と接点はほとんどなかったけどフリードリヒが学園に行ってから家の中の空気も穏やかになった気がする。
何かそう言うとフリードリヒが悪いみたいだからやめておこう……。俺はゲオルク以上にフリードリヒとの接点がなかったから上の兄についてはほとんど知らない。知らない相手を悪者に仕立て上げるような言い方には気をつけなければ……。
ヘルムートに付き添われて部屋に戻って明日の予定を軽く聞き流す。明日の予定を話し終えたヘルムートが頭を下げて部屋を出るので挨拶を返して着替えようと服を脱いでいると……。
「あぁ……、申し訳ありませんフローラお嬢様。明日の予定ですが……、あっ!」
「ん?」
もう予定を全て聞き終えてヘルムートが部屋を出て行こうとしていたから俺はパジャマに着替えようと思っていたんだけど途中で何かを忘れていたのに気付いたらしいヘルムートが振り返った。そして俺と目が合う。
「申し訳ありません!まさかもう服をお脱ぎだったとは……。ですがせめて私が外に出るまで着替えるのはお待ちください。もしフローラお嬢様がお着替えの最中に私が扉を開けて出た時に外に誰かいたらどうするおつもりですか」
何か怒られているのか謝られているのかよくわからない。とりあえず俺に注意しながらヘルムートが困った顔をしているから何かフォローした方が良いのだろうか。
「キャミソールを着ているから裸ではありませんし初潮どころかまだ胸も膨らんでいない女児の裸など見られたからといってどうしたというのですか?」
上着は脱いでいるけどインナーの下着としてキャミソールは着ているからすっぽんぽんというわけじゃない。それにまだ八歳の俺は初潮がきていないどころか胸も成長していない。そもそも貴族は執事やメイドに裸を見られることなんて普通だ。着替えや入浴や、場合によってはトイレまで手伝わせることもある。この場合の反応としては俺が普通でヘルムートがおかしい。
それとももしやヘルムートは女児の裸で興奮する性癖が……?それならばこの狼狽具合も説明がつく?
「そういうことではありません。私が部屋を出るのに扉を開けるのがわかっていながらその前に服を脱いでいることが問題だと言っているのです。例えここが自宅で今日他に誰もいないとわかっていたとしてもそのような気構えが思わぬ所で不慮の事故を起こしてしまうのです」
なるほど。確かにヘルムートの言うこともわからなくもない。普段から扉が開くのがわかっているのにその前から着替えるような癖がついていれば将来どこかで思わぬボロが出るかもしれないということだ。確かに貴族は執事やメイドに裸を見られることなど普通だけど誰にでも肌を晒して良いというわけじゃない。
もし万が一にも扉が開いた瞬間に廊下を誰かが歩いていて俺が裸だったならば大問題になる可能性もある。俺が良くても俺の裸を見たということでその相手が罰せられる可能性だってあるわけだから俺の方の問題だけでは済まない。そういう配慮が欠けていたと言われれば素直に謝るしかない。
「ごめんなさいヘルムート。私が浅慮でした」
「いえ、わかっていただければ良いのです」
お?何かいつもの冷たい印象さえ受けるような無表情と違って今のヘルムートは優しく微笑んでいるように見える。もしかしなくてもやっぱりヘルムートってロリコンなのかな?と思いつつも言っていることは正しいのでこれからは気をつけようと思ったのだった。