第百十九話「悪辣再び!」
ヘレーネは思うように事が進まずにイライラしていた。全ての原因はフローラの顔を火魔法で焼くことに失敗したことだ。それ以来ゾフィー達五人組は尻込みしてしまいあまり言う事を聞かなくなってしまった。
もしあの策が成功していればフローラは許婚の地位を失い、決定的なことをしてしまった五人は覚悟を決めてヘレーネの言うことに何でも従う完璧なる手下になっていたことだろう。しかし失敗してしまったことで全ては水の泡になった。
ゾフィーやエンマ達は一度は決めた覚悟が失敗してしまったことでもう一度踏ん切りをつけることが出来なくなってしまった。あそこで成功していればもう取り返しはつかないということで覚悟も決まっただろう。それなのにあそこで失敗してしまったために冷静に自分達がやろうとしたことを振り返ってしまい尻込みしてしまうようになってしまったのだ。
イライラする。何もかもうまくいかない。もう五人組にも直接危害を加えるような指示は出来ないだろう。もう一度そのような指示をしても今度は実行まで行く前にやめてしまうに違いない。
それに何故あの時急に火魔法が消えたのかがわからない。ジーモンが失敗した?それともフローラが何か身を守るための呪物でも持っているのだろうか?
何にしろ原因がわからない以上は下手な手を打つわけにはいかない。あまりに何度も似たような手を使えば本人も周囲も不審に思うだろう。そうなれば今の五人組では簡単に口を割ってしまう恐れがある。実行犯達が自白してしまえばいくらバイエン公爵家といえど事態を揉み消すのも難しい。
「イライラしますわね!」
片方の手の爪を噛みながらダンッ!とテーブルを叩いたヘレーネはふとテーブルに置かれた手紙に視線を移した。
「いくらアマーリエ第二王妃からのお誘いとはいえ今の時期にこのような夜会など迷惑なだけです!一体アマーリエ第二王妃は何をお考えなのかしら……」
二週間ほど前に届いた夜会の招待状。当然出席せざるを得ないがそんな無駄な時間など使っている暇はない。どうにかしてフローラを追い出し婚約破棄させてしまわなければ……。そう考えていたヘレーネはふと考えを改めた。
「……いえ、これは使えるのでは?……ふっ、ふふふっ!あははははっ!そうね!これは良い考えだわ!早速お父様にお願いしなくちゃ!」
アマーリエの招待状を見たヘレーネはまたしても悪辣なことを思いついた。後日ヘレーネも夜会を開こうと考え付いたのだ。その夜会に自分の派閥の者達の中にフローラだけポツンと呼び出す。その場でフローラに恥をかかせて派閥の者達に笑い者にさせる。そうすれば田舎者のことだから恥ずかしくなって王都にいられなくなるだろう。
一体どんな辱めを与えようか。皆の前で飲み物を浴びせて笑い者にしてやるのが良いか。誰にも踊りの相手をされずに一人ポツンと佇む壁の花にして笑い者にしてやるのが良いか。それとも食べるのが難しい食べ物をわざと渡して皆の前で作法を失敗させて笑い者にしてやろうか。
ヘレーネは次々に浮かんでくる案にどれにしようかと頭を悩ませる。どうせ呼ぶのは自分の派閥の者達だけだ。どんな仕込みでもやりたい放題だろう。そして皆に馬鹿にして笑うように指示しておけば良い。
高位貴族のご令嬢ともあろう者が夜会で笑い者にされたとあっては恥ずかしくて外も歩けなくなるはずだ。何しろヘレーネが自分で思いついたような恐ろしいことをされたらきっと恥ずかしさのあまりベッドから出ることも出来なくなるに違いない。
「ふっ、ふふふっ!私は何と恐ろしいことを考えているのでしょう。そしてこれほど恐ろしいことが実行出来てしまうなんてやはり私は上に立つべき人間なのです。さぁ!急いで準備しなければ!」
流石にアマーリエ第二王妃が夜会の招待状を出しているのに急にその前に夜会を開くなどと言えば不敬にあたるだろう。となればアマーリエの夜会が終わった後に開催するしかない。今から招待状を出して準備する期間も考えればどう頑張っても今から一ヶ月以上はかかってしまう。
今から準備して本当に一ヶ月でどうにか出来るのかは怪しい所ではあるが、思い立ったらやらなくては気がすまないヘレーネはすぐに招待状を出して一ヵ月後に夜会を開くことを決定した。アマーリエの夜会が終わってから二週間後にヘレーネの夜会が開かれることになったのだった。
~~~~~~~
既に派閥の者達には通達を出し準備を終えているヘレーネは学園でフローラと二人っきりになれるタイミングを探していた。
学園の教室では他に大勢の生徒がいる。また放課後遅めに帰っているフローラではあるが教室に残っている間に何故かミコト・ヴァンデンリズセンと親しく話していることが多い。辺境の田舎者が何故デル王国の王族と親しくしているのかはわからないが流石に他国の王族の前ではやりにくい。
何とか隙はないものかと何日か様子を窺いながら機を狙っていたヘレーネはついにチャンスを掴んだ。その日の放課後は何故かフローラはいつもと違ってミコト・ヴァンデンリズセンと一緒ではなかった。一人で廊下を歩いているフローラに声をかける。
「少しよろしいかしら?カーザースさん」
「はい?」
ヘレーネが声をかけるといつものポヤポヤしたフローラが不思議そうに振り返った。自分をいじめている五人組を操っているのが自分とも知らずに、こうして普通に声をかけてもらえる数少ない味方だとでも思っているのだろう。そのことを考えるとついつい嘲笑が出てしまいそうになるのをグッと我慢して話を続ける。
「今度私の家で夜会を開きます。ですからこれを」
「はぁ?」
そういって差し出した招待状をフローラが受け取る。この天然のカマトトぶった態度にイラッとするが我慢する。ここで怒りや嘲りの感情を表に出してしまうような者は二流以下だ。ヘレーネのような超一流はこんな所でボロなど出さない。
「今確認してお返事を下さるかしら?」
いつまで経っても招待状を確認しないフローラに痺れを切らせたヘレーネははっきりとそう告げた。どうせ他に夜会になど誘われたこともないような田舎者だろう。ならばバイエン公爵家ほどの名家に夜会に呼ばれたことを素直に大喜びしてすぐに返事をするべきだ。
それに持ち帰られて他の者に相談されたりしたら怖気づいて断られるかもしれない。初めて高位貴族の家の夜会に呼ばれたという興奮が冷める前にさっさと言質を取っておく必要がある。
「わかりました。それでは少し確認させていただきますね。…………はい。アマーリエ第二王妃様の夜会の二週間後ですね。その日は空いておりますので出席させていただきます」
「そっ、そう……。それでは約束はお忘れなくね」
アマーリエの夜会のことを出されて一瞬驚いたがそれでも態度を崩すことなく約束を取り付けた。ここで出席すると言わせてお互いに確認したのだから家に帰ってから他の者に相談して、怖気づいたからやっぱりやめる、などと言おうとしてももう取り消せない。
何故アマーリエの夜会の日のことを知っているのかは知らないが自分の子飼いの者達ばかりの夜会にフローラを呼び出すことに成功したヘレーネは勝利を確信してほくそ笑んだ。その時……。
「どうしたのだフローラ?このような場所で……。あまりに遅いから様子を見に来たが何かあったのか?」
「ルッ、ルートヴィヒ殿下っ!?」
「御機嫌ようルートヴィヒ殿下。遅れてしまって申し訳ありません。少し夜会へのご招待を受けておりました」
突然現れたルートヴィヒにヘレーネは驚きを隠せない。そして二人の会話の内容から今日どうしてフローラが一人で歩いていたのか察しがついた。今日二人は放課後にどこかで会う約束をしていたのだろう。だからフローラはいつも一緒にいるミコト・ヴァンデンリズセンと一緒ではなく一人で廊下を歩いていたのだ。そしてフローラが約束の時間になっても現れないためにルートヴィヒがわざわざやってきたのだろう。
「ほう?ヘレーネがいるということはバイエン公爵家の夜会ということか?どれどれ……。なるほど。ならばこの日は僕も出席しよう。フローラの同伴は僕が務める。もちろん踊りもな」
「えっ!?あのっ!?」
ルートヴィヒの突然の申し出にヘレーネは慌てふためく。ルートヴィヒのいる場所で考えていたいじめや恥をかかせるという手は使えない。そんなことになったらそれをさせた子飼いの者がルートヴィヒ殿下にどのようなお叱りを受けるかわからない。そしてそうなればその者は首謀者であるヘレーネの名を口にするかもしれない。そうなればヘレーネといえども身の破滅だ。
「何だ?何か不都合があるのか?……まさか僕には招待状はないのか?」
「え゛!いえっ!もっ、もちろんお送りいたしております」
身内派閥の者だけの集会ならともかく派閥がまったく異なるフローラを誘っているということは派閥の集まりではないということになる。バイエン公爵家ともあろう家格の者が派閥以外の者まで誘う夜会に王族に招待状を送らないなどということがあろうはずもない。出席されるかどうかはともかくとりあえず体裁として招待状を出しておくのは当然のことだ。
派閥の者しかいない場にフローラだけを呼び出しているなどということがバレれば善からぬことを企んでいたということくらいすぐに推測されてしまう。ならば急いでルートヴィヒにも招待状を出さなければならない。そしてフローラとルートヴィヒだけに招待状が出されているというのもおかしい。それ以外にも有力な貴族家全てに招待状を出さなければ辻褄が合わなくなる。
「それではお二方とも出席していただけるということで……。私はこれで失礼いたします。御機嫌よう」
「御機嫌ようヘレーネ様」
「うむ」
急いでその場を離れたヘレーネはこれからしなければならないことに頭を抱えた。派閥の者だけを集めてフローラを笑い者にするためだけにでっち上げた夜会だ。夜会の内容自体は手抜きの間に合わせしか考えていなかった。
しかしルートヴィヒに夜会がバレて招待しなければならなくなったということは内容も相応の格に見合うだけのものにしなければならない。そしてルートヴィヒを呼ぶということは他にも有力貴族家を呼ばなければならなくなった。
手抜きの夜会でちょっとフローラを笑い者にしてやろうと思っていただけなのにいつの間にか本格的な夜会を開催しなければならない事態になるなど想定外も良い所だ。それもあと一ヶ月もない期間のうちにルートヴィヒ殿下や他の有力貴族家を呼ぶに相応しいだけのものを用意しなければならない。
絶対お父様に怒られる……。ヘレーネは一体どれほどの出費になるか想像もつかない夜会の準備をするために駆けずり回ることになるのだった。
~~~~~~~
フローラをいじめているヘレーネの手下五人組の一人、クリスティアーネ・フォン・ラインゲンは一人で下町を歩いていた。クリスティアーネのラインゲン家は学園の序列十三番であり十四番のカーザース家と一つしか違わない。ヘレーネ側近の中では一番格下の家であり仲間内でも軽く見られている。とはいえ実際には他の家もどんぐりの背比べで大して違いはないのだが……。
そのこと自体は特に気にしていない。どちらかと言えば家の事情でヘレーネやその取り巻き達に従っているだけでもともとヘレーネ達のやり方には賛同していなかった。しかし実家の力関係や繋がりの事情からヘレーネや残りの四人に従うしかない。
もし下手に逆らって自分がいじめられでもしたら堪らない。何より実家や両親からもきつく言いつけられているのでヘレーネに従うしかないのだ。そんなクリスティアーネの楽しみは最近出来たクレープカフェという店に通うことである。
クリスティアーネが初めて本物の甘味に触れたのは数年前の王家主催のパーティーだった。王家のパーティーで突然出されるようになった甘味は両親も祖父母も口にしたことがないという。クッキー、ドーナツ、パウンドケーキ、ホットケーキ、それらを初めて口にした時の衝撃は今でも忘れられない。
例え高位貴族であろうともこの世界では甘味などほとんど食べられない。クリスティアーネも実家でなど食べた記憶すらない。そんな時に出会った王家のパーティーで食べた数々の料理やお菓子の味は今でも思い出せる。
そんな超高級品であるはずの甘味が下町で庶民でも買える価格で売っていると聞いてクリスティアーネはすぐさまその店に出掛けて行った。そして一口そのクレープなる甘味を食べた時からその店の常連となったのである。
クリスティアーネは暇があればこっそり一人でカンザ商会のクレープカフェへと出かけていた。ヘレーネに呼び出されたり五人組で集まる時以外の時だがそれが中々チャンスがない。五人組は時々誰かが欠けても基本的に残りがつるんで集まっている。クリスティアーネが一人になれるタイミングは滅多にない。
そんな滅多にない幸運な日である今日もウキウキ気分で長い列に並びようやく注文を終えて席に着けた。そこで店員に声をかけられて驚く。
「申し訳ありませんお客様。こちら相席でもよろしいでしょうか?」
「え?ええ、どうぞ」
今は庶民の格好をしているのだ。一瞬、無礼な!と言いかけたが言葉を飲み込んで受け入れる。そもそも自分は一人なので過去に相席にしてもらったことも何度もある。それなのにいざ自分の時だけ断るというのはどうかと考えを改めたのだ。
同じ甘味を愛する者同士、一人でテーブル席に座っている自分が少し我慢すれば早くクレープにありつける同志がいるのならばいくらでも相席くらい許可しよう。今日はそんな寛大な心で庶民達を愛でるのも悪くない。そう思っていると……。
「あら?ラインゲン様、御機嫌よう」
「な゛っ!?」
何故貴女が……、そう言いかけて言葉に詰まる。クリスティアーネの前に現れたのは商人の娘風の格好をしたまったく服装と所作が見合っていないフローラだった。