第百十三話「余の顔を見忘れたか!」
学園から戻ってすぐに王様達に会うのに見苦しくないドレスに着替えたというのに俺は再びカタリーナに着替えさせてもらっている。ヴィルヘルムとディートリヒが一般市民の格好をしているのに俺だけ豪華な如何にも高位貴族ですというドレスを着ていたらおかしいだろう。案内役なんだからむしろ俺の方がみすぼらしい格好をしていなければならない。ならないはずだけど……。
「カタリーナ……、これは豪華すぎませんか?せめて前に着ていた服で……」
「駄目です。今日は絶対に譲れません。もう普段のお忍びの時は言いませんから今日だけは私の言う通りにしてください」
カタリーナが俺に見繕って着せている服は一般市民というよりは低位の貴族家のご令嬢という感じだ。普段の俺から比べたら質素だし到底上位の貴族家の者には見えないけど一般市民にも到底見えない。こんな格好をしていたら俺が貴族ですと宣伝して歩いているようなものだ。
せめて前に着ていた一般人程度の服にして欲しいと何度も言っているのに今日はやけにカタリーナが強硬だった。どうしても絶対に譲らないと言う。
「これではお二方のご案内時に目立ってしまうではないですか……」
「フローラ様がみすぼらしい格好をしている方が余計に目立ちます。最低でもこれくらいの格好はしていただかないとかえって浮いているんです」
「はぁ……?」
カタリーナは何を言っているんだ?これじゃ俺が貴族のご令嬢ですと言っているようなものだ。確かに低位の貴族家なら普通の服を着てそこらを歩いていることもたまにはあるけど、王様とディートリヒを案内するのに俺だけ貴族の格好をしていたら目を引いてしまう。
「とにかく今日だけは私の言う通りになさってください」
結局カタリーナにそう押し切られた俺は用意されたドレスを着ることになった。まぁこれくらいなら騎士爵のご令嬢と言っても不自然じゃない程度の格好だ。ただ明らかに貴族ですと言っているようなものだから目立つし町中を歩いていたら狙われたりする危険も増すんじゃないだろうか。
俺はまだ納得はしていないけどどうしてもと言うカタリーナに根負けしてこのままの格好で出ることになった。
俺は二人の護衛だから武装しておく必要がある。だけどドレスっぽいものを着た低位貴族のご令嬢風の格好なのに腰に剣を差して歩くわけにもいかない。もちろん背中に担ぐのも論外だ。俺はか弱い乙女だし武器もなしに暴漢に襲われたら一溜まりもない。俺なら怪我も慣れっこだけど王族の二人に怪我でもさせたら俺だけじゃなくてカーザース家の首が飛ぶかもしれない。
一応懐刀は持っているけど本当に小さなナイフのようなものだ。カーン領で作らせているものでデザインやアイデアは俺が出した。前世の記憶からこういうのがあったら便利かと思って用意しておいたのが役に立ってよかった。
それは良いけどいくら何でもこんな懐刀一本じゃ少々不安なんだけど……。今日はもう間に合わないとしても今後暗器や隠し武器も開発した方が良いだろうか。仕込み杖とかロマンだな。俺が杖をついて歩いている方が不自然だけど……。
隠し武器は今後の課題にするとして今日はもうどうしようもないから懐刀一本で我慢しておこう。どうせ後ろからオリヴァー達がこっそりついて来ることになっている。オリヴァーに俺用の剣も持ってきてもらっておこう。
いつもの俺用の剣だと少々嵩張るからうちの兵士達が使っている標準的な剣を一本俺用に持ってきてもらうしかない。兵士達の剣は俺が思いっきり岩とかを叩いたらぽっきり折れちゃうからあまり信用出来ないんだけど……。皆はあんな程度の強度しかない剣に命を預けて恐ろしくないんだろうか。俺だったらあんな脆い武器は不安でしかないんだけど……。
「準備できました」
「ありがとうカタリーナ。それでは向かいましょうか」
本心ではまったく行きたくないんだけど命令だから行くしかない。今度からは勝手に自分達で護衛を連れて俺を巻き込まずに行って欲しいものだ。
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俺はヴィルヘルムとディートリヒを連れてカンザ商会へと向かっていた。最初に着替えた俺を見た二人の顔は一生忘れないかもしれない。何も言われなかったけど物凄い微妙そうな顔をされてしまった。カタリーナのセンスを疑いたくはないけどやっぱりこの格好はまずかったんじゃないかという気がする。もう出てきてしまったから今更どうしようもない話ではあるけど……。
前後を見てみればオリヴァー達が俺達の周辺を護衛しているのが確認出来る。すぐ間近じゃないけど周囲は一応警戒してくれているから大丈夫だろう。
それにしても何だかんだとオリヴァーの隊は結局ずっと王都にいるな。もうこのまま俺が王都にいる間は王都担当の部隊にしても良いだろうか?だけど人数がなぁ……。恐らくだけどカーン領じゃオリヴァー隊が抜けたことで人手が足りていないんじゃないかと思う。増やしても良いとは言ってあるけど訓練とかもしなければならないから人を入れたからすぐ使えますというほど単純な話じゃない。
適当に王都を見物したりしながら歩いていると下町の方でカンザ商会王都支店二号店とクレープカフェが見えてきた。今日も相変わらず混んでいて長蛇の列が出来ている。開店以来ずっとこんな調子らしい。
「混雑しているようですのでまた日を改めるか、今日は外から眺めるだけにしてクレープは当家で作ったものを試食していただくというのは……」
「いや、並ぶぞ。店内で食べるにはどこへ並べば良いのだ?」
「……こちらです」
どうやら諦めてくれる気はないらしい。渋々俺は店内飲食用の列に二人を並ばせる。王様と宰相が下町で庶民の格好をしてクレープ屋に並んでいるなんて他の者が知ったらどんな反応をするだろうか。少なくとも自分は関わらずに遠くから見ている分には面白いかもしれない。だけど自分が警備担当だったなら絶対御免だ。
暫く列に並んだまま話をしながら時間を潰しているとようやく俺達の番になった。二人はサンプルとメニューを見ながらあれこれと店員に聞きつつ選んでる。
この世界でもそうだし地球でも少し前まではメニューなんていう概念すらほとんどなかった。店に入っても決まったメニューが出てくるだけで客が注文するなんていうことはほとんどない。普通の食堂等では作り置きしているメニューを客が来たら出すだけで選べるとしたら精々飲み物くらいだ。
それも当然のことでたくさんのメニューを毎日作るというのは現実的にほぼ不可能だ。色々なメニューを客の注文通りに作ろうと思ったら多種多様な材料が必要になる。毎日必ずそれらが手に入るとは限らない。
じゃあ日替わりでその日手に入った食材だけでメニューを作れば良いというほど簡単じゃない。例えそうしたとしても客の注文に合わせて作ろうと思えば大量の食材を食べられる状態で保存しなければならない。
大量に多種多様な食材が手に入り、冷蔵庫等の保管方法が普及して、常にいつでも火を自由に使えるようになって初めてメニューから自由に注文をして料理を提供するというスタイルが可能になる。中世どころか近世になってもそんなことは出来ない。よほどコストを度外視すれば可能だったかもしれないけど商売としては到底成り立たない。
当然この国でもそんな提供方法が出来るはずもなくうちのクレープカフェのような業態は恐らくこの世界初と言っても過言じゃないだろう。うちでも鮮度を保つ方法や材料の廃棄が出ないようにするための工夫がたくさんされている。
現代知識とある程度は採算度外視の設備投資があるからこそこのスタイルが可能なのであって他の店が簡単にうちの真似をするのは無理だろう。
初めてのスタイルにヴィルヘルムとディートリヒは年甲斐もなくはしゃぎながら注文していた。おっさん二人がキャッキャッ言いながらクレープを注文している姿は現代を知る俺からすると物凄い光景だった。
でも一応二人の名誉のために言っておくとこの二人だけが特別じゃない。店のあちこちにもおっさんはいるしテイクアウトで買っていくおっさんも多い。現代日本だとスイーツ店とかは女性の店というイメージだけどこちらでは老若男女問わず様々な人がクレープを買っている。
注文を終えて席に着くと早速クレープにかぶりつく。俺は今日は普通のクレープにした。ミルクレープは前に注文したからな。
「ほう!うまいな。それにこうして包みを持って食べられるのはお手軽だ」
「そうですね。これなら立食パーティーの時などにも良いかもしれません」
二人にも評判は上々のようでなにより。ここまで案内と護衛をさせられて面倒だなとは思っていたけど俺達が苦労して試行錯誤したものを褒められて悪い気はしない。二人はあっという間にクレープを食べ終わってしまった。そしてヴィルヘルムがディートリヒに視線を向けるとディートリヒも頷いて応える。
「はい。これが今日の護衛の報酬だよ」
「え……?ありがとうございます?」
何か包みを渡された。少しだけ中を覗いてみれば何かの書類のようなものが入っているようだ。中身が気になるけど確認は帰ってからだな。
その書類の束を俺に渡した以外は特に何もなくお茶を飲みながらまったり寛ぐ。普段良いお茶を飲んでいるくせに二人はタンポポ茶も気に入ったらしい。他の普通のお茶や飲み物は飲みなれているからか二人はタンポポ茶を頼んでいたけど俺は心の中で、そっちの方が安物なんだけどなぁ、と思っていたことはおくびにも出さない。
暫くそうして寛ぎながら他愛無い話をしていると店の外の方が騒がしくなっていることに気付いた。そちらに目を向けて見れば兵士を引き連れたおばさんが喚き散らしているのが見える。顔に絵画を描いている太ったあのおばさんには見覚えがある。ルイーザを脅してくれたヴァルテック侯爵夫人だ。
連れている兵士の大半はヴァルテック侯爵家の紋章をつけた鎧を着ている。どうやらヴァルテック侯爵家の私兵を連れてきたようだ。その他に一部普通のプロイス王国兵士が混ざっている。聞こえている話の感じからしてヴァルテック侯爵夫人が王国兵士を連れてきて訴えているようだ。
「この店のクレープという商品はクレーフ公爵家様の名前を勝手に使っています!不敬です!ただちに捕まえなさい!」
あ~……、どうやらクレープという名前がクレーフ公爵家のクレーフに似ているから不敬だということらしい。言いがかりも甚だしいけどヴァルテック家の私兵達はそうだそうだと夫人に呼応して声高に叫んでいる。王国兵士達は困った顔はしているけど相手は高位貴族だからどうして良いかわからずオロオロするばかりのようだ。
「お待ちください。当商会の商品『クレープ』はクレーフ公爵様のお名前とは何ら関係はありません。このような言いがかりをつけられるのでしたら正式な手続きを踏んで然るべき場所で訴え出てください。店の前でこのような騒ぎを起こされては営業妨害です」
おおっ!店から出てきたビアンカがヴァルテック侯爵夫人にそう言い切った。素晴らしい。やっぱりビアンカを推して正解だった。とても良い店員だ。こんな素晴らしい店員は俺の身がバレようとも、ヴァルテック侯爵家と揉めることになろうとも守らなければならない。そう思って出て行こうとしたらディートリヒに止められた。にっこり笑ってそのままディートリヒが表に出て行く。
「クレーフ公爵家が言うのならともかくヴァルテック侯爵家がクレーフ公爵家の名前を出して商会を脅迫し営業を妨害することの方が問題ではないかな?」
「はぁ!?一般庶民がこのヴァルテック侯爵夫人である私に向かって何を言っているのかしら?無関係な者は黙っていなさい!それともあなたもこの店と一緒に潰してもらいたいのかしら?」
うわぁ……、このおばさん凄いな……。しかも全然相手の顔を覚えていないんだなぁ……。格好だけでしか人を判断していないから庶民の服を着ているだけで相手が誰だかもわからないんだ。ある意味すげぇよ……。
「ふむ……。『この店と一緒に潰す』と言ったか……。それはつまりこの店を潰すために言いがかりをつけたと認めるということだな?」
ヴィルヘルムまで立ち上がって顎鬚を触りながら表に出て行く。後ろの王国兵士達は気付いたらしい。慌てて跪いている。だけど後ろを振り返りもしない侯爵夫人や私兵達は未だに相手が誰かわかってないようだ。
「だから何なのよ!私はヴァルテック侯爵夫人なのよ!私が潰せと言えば商会の一つや二ついくらでも潰せるのよ!あなたも商人のような格好をしているけれどここの関係者かお仲間かしら?それならあなたも一緒に潰してあげるわ!」
あ~ぁ~……、し~らない……。このおばさんはどんだけ勇者なんだ?俺なら絶対そんなこと言えない。そもそも本当に服装でしか相手を見ていないんだな。侯爵夫人ともなれば王様にお目通りしたことも、夜会などの社交場で会ったこともあるだろうに……。
「そうかそうか。余を潰すか。それはプロイス王家を潰すということかな?」
「私も別にクレープという商品に名前を真似されたとか不敬だというつもりはないけどね。むしろこんなにおいしいものに名前が使われたのだとすればうれしいくらいだ。まぁ実際には当家の名前とは無関係だろうがね」
「はぁ?この馬鹿たちは何を言っているのかしら?誰かこの無教養な庶民達の言っていることが私にもわかるように説明してくださるかしら?」
うわぁ……、これだけ言ってしまったらヴァルテック侯爵家がお取り潰しになっても文句も言えないんじゃ……?証人もこれだけいるわけで今更言い訳もなかったことにも出来ない。そもそも王様やクレーフ公爵本人にこれだけ言ったんだから言い逃れのしようもないだろう。
「そうかね?それなら王城で話を聞こうか。この者を引っ立てよ!」
「「「「「はっ!」」」」」
跪いていた王国兵士達が立ち上がり侯爵夫人を捕まえる。
「ちょっと!何をするの!この無能な兵士ども!捕まえるのならこの侯爵夫人である私に暴言を吐いたそこの庶民二人でしょう!」
「おやおや、どうやら本当に覚えていただけていないようだ。それならもう一度名乗っておきましょうか。私はディートリヒ・フォン・クレーフ。クレーフ公爵家の当主を務めております。当家はクレープという商品の名前に関して何ら思うところはありませんよ」
「余も名乗っておこうか。余はヴィルヘルム・フォン・プロイスである。其方らの振る舞いあまりに目に余る。王城にてしっかり吟味の上、相応の沙汰が下るものと思え!」
「…………は?」
侯爵夫人は何を言われたのかわからないという顔で呆然としている。恐らく未だにこの二人が本物の王様と宰相だとは思っていないんだろう。
「え?王様?」
「クレーフ公爵様っていやぁ宰相の?」
お~……、周りがざわつき始めて動揺が広がり出した。何かこれって現代でよく観た印籠を出すご老公一行や暴れる将軍のようだ。
「今日は余計な邪魔が入ってしまったな。それではまた日を改めるとしよう」
「それでは私達は戻るよ」
おい……、俺に声をかけていくなよ……。二人の身分が明らかになった後で俺に声をかけたもんだから俺まで周囲から物凄く注目されることになった。二人が兵士と捕らえられた侯爵夫人を連れて居なくなった後に居た堪れなくなった俺は急いでその場から逃げ出したのだった。