第百十二話「皆食べてみたいと思ってる!」
昨日のジーモンの話を思い出す。ジーモンが騙されたのは現代地球では使い古された典型的な出資詐欺とかその手のものだろう。まさかこの時代のこの国でもそんなことをしている者がいるとは思わなかった。そしてこれだけの知恵と大掛かりな詐欺を行なうということはやっぱりエンマ達子供だけでやったことじゃないだろう。
引っかかったジーモンが馬鹿だった、自業自得だ、と言うのは簡単だ。俺だってそんな簡単に騙されたジーモンは浅はかだったなと思う。だけど現代日本でそういう手口が大々的に公表されていて詐欺に注意しろと言われていても引っかかる者は後を絶たない。ましてやこんな世界で判断力も鈍い子供が騙されるのは無理もないことかもしれない。
それよりもこんな仕組みを考えて、大掛かりな仕掛けまでしてロッペ侯爵家を嵌めるということは後ろにはそういうことに詳しい者がいるはずだ。商人か本職の詐欺師か、あるいはそういうことに慣れた貴族か……。
少なくともジーモンがそんなに簡単に信じたということはアルンハルト家やヴァルテック家も参加しているから大丈夫だ、くらいの説明は受けているはずだろう。いくら何でも子供達だけの言い分を素直に信じるとは思えない。やはり裏にはゾフィーやエンマの親か、少なくとも各家に対してそれなりに権限を持つ大人が説明や説得に加わっていたと見るべきだろう。
相手が最初からそこまで本格的にロッペ侯爵家を嵌めるつもりで準備していたのなら今更証拠集めをしても立証は難しいかもしれない。一番良いのはこれが出資詐欺だったとして契約そのものが無効または取り消しになって借金がチャラになるのが良いけど……。
ジーモンが父親の印章を持ち出して勝手に契約してしまったことはバレて怒られるだろう。だけどせめて借金だけは綺麗になるように手を打たないと面倒なことになりかねない。それもこんなことでロッペ侯爵家のような優良領主を失うなんて惜し過ぎる。
「……ーラ。……ローラ。フローラッ!」
「はい?」
隣で大きな声を出すミコトに呼ばれて振り返ってみればかなり怒った顔をしていた。
「もう!何度も呼んでるのに!」
「ごめんなさい……。でも声が大きいよ……」
もう完全に周りから見られている。教室中に聞こえるような声で叫んでいたらそりゃ注目もされるわな……。俺とミコトがあまり親しくしていたら余計な詮索を受けるから注意しようと言っていたのは何だったのか。ミコトにそういうことが出来ると期待した俺が馬鹿だったのだろうか。
「何度も呼んでるのにフローラが無視するからでしょう!?」
だから声が大きいって……。
「あまり私達の関係が表沙汰にならないように注意しようって言ったでしょう?」
「いいじゃない別に。教室で席が隣同士なのにいつまでも余所余所しい方がおかしいでしょ?何日か経てば友達になっていてもおかしくないじゃない」
それはそうかもしれないけど、それでもいじめられっ子の俺と親しくしてたらミコトにもマイナスだからと思ってだな……。もういいや……。どうせもう手遅れだろう。
「それでどうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ!お昼よ!ご飯を食べにいきましょ」
「あぁ……」
どうやらいつの間にかお昼の時間になっていたようだ。どうせもう周囲にもバレバレだからミコトに手を引かれるまま俺達は食堂へと向かったのだった。
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放課後、いつものように帰宅ラッシュを避けるために教室でしばらく時間を潰そうと思っていると教室の扉が開いてカタリーナが入って来た。
普段は家人達は教室のある棟へは無許可では入ってはいけないことになっている。ただし放課後は迎えの馬車が来たことを告げるために入っても良いように棟の入り口で受付が常駐している。さすがに放課後であろうと迎えの者であろうと無断では入れない。貴族の子女を預かっている以上は相応の警備もあるというわけだ。
「申し訳ありませんフローラ様。本日は急いでお戻りください」
少し焦った様子のカタリーナが俺の前まで来てそんなことをいう。珍しいことではあるけどそういうこともあるだろう。何か緊急の用事や事件や事故があればたまにはそんな日もあるだろうとは思っていた。
「ミコト、ごめんなさい。急な用事が出来たようだわ。悪いけれど先に帰るわね」
「仕方ないわね。御機嫌ようフローラ」
「御機嫌よう」
一緒に時間を潰していたミコトに断ってから教室を出る。用件が何かはわからないけどカタリーナが言わないということはあの場で言うべきことではないということだろう。カタリーナがそう判断しているのなら俺の方から無理に急かして聞く必要はない。馬車に乗ってからでもカタリーナの方から説明してくれるはずだ。
いつもなら玄関口で馬車に乗れと言われて順番を待つことになるのに今日はカタリーナに先導されて玄関口から歩いて学園の外まで向かう。本当の緊急時もあるだろうから迎えの馬車の列に並ばずこういう方法で馬車に乗り込むこともあるけど基本的には御法度だ。
礼儀、作法、マナー、というだけじゃなくて外に待たせている馬車に直接乗り込みに行っても良いことになれば、きちんと玄関口で並ばずに皆が思い思いにそこらで馬車に乗り込むということが起こる。そんなことになればあちこちに馬車が勝手に停まって大渋滞になるし事故にも繋がる。実際に経験則としてそういう事態が起こっているから昇降は玄関口で順番に行なえと決められているわけだ。
それを無視して外まで歩いて行って外に待たせた馬車に乗り込むというのは普段なら重大な違反となる。よほどの理由でもない限りは列に並ぶことになるだろう。それなのにこんなことになっているということは相当急ぎなことか重要な問題が起きていると見るべきだ。
まさか列に並ばずに外まで行って乗り込むとは思っていなかった俺は何事かと考える。これほどのことだとすれば家族に何かあったのだろうか?家族が亡くなったとか家がお取り潰しになったとか……。嫌な考えを振り払うように頭を振って席に座る。俺が無理に変なことを考えなくてももうすぐカタリーナが説明してくれるだろう。
「それで……、何があったのですか?」
「はい……。実は……、カーザース邸にヴィルヘルム国王陛下とディートリヒ宰相殿下がおいでになられております」
へぇ、珍しいこともあるものだ。仮にも王様や宰相なんだから普通なら相手を王城に呼びつけるだろう。それなのにわざわざ二人揃って相手の家に訪ねて行くなんてかなり珍しいことじゃないだろうか。それにしても二人が一体父に何の用だというのか。
「……恐らくフローラ様が考えておられることとは違います。お二方はフローラ様をお待ちなのです」
「………………はぁ?!」
いや、待て。二人が訪ねて来たのは俺が目的だと?何で?俺は王様やディートリヒに何か言われるようなことをした覚えはないぞ。この二人がわざわざ相手の家を訪ねて行くなんて相当なことのはずだ。辺境伯である父が相手ならまだしもただの辺境伯家の娘や騎士爵相手に家に訪ねて行くなんて普通じゃない。
そんな重大なことを俺は何かしてしまっただろうか……。思い当たることがあるとすれば前回王城で会談した時にルートヴィヒをヘレーネと結婚させたらどうかと勧めたことくらいか?あるいは先日学園でルートヴィヒやルトガー達と一悶着あったことだろうか?
ヘレーネとの結婚の件はともかく学園でのことはもう本人同士で決着がついたことだから今更王様達に何か言われるようなことじゃないはずだ。となればやっぱり俺との婚約を破棄してヘレーネと結婚させたらどうかとそれとなく勧めた件である可能性が高い。
今俺が勝手に考えても意味はないことだとはわかっているけど少しでも先読みして対応策を考えようと、家に着くまでの間中俺は必死にあれこれ言い訳を考えていたのだった。
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カーザース邸に到着すると俺はすぐさま着替えて待たせている王様とディートリヒの下へ向かった。応接室を開くとそこにはヴィルヘルムとディートリヒの向かいに座る母の姿もあった。どうやら母が二人の相手をしていたようだ。
「あら、おかえりなさいフローラちゃん」
「ただいま戻りました。お待たせして申し訳ありません」
とりあえず謝っておく。来るなら先に今日何時に来ると言っておくべきだろう。いきなり来る奴があるか。と言いたい所だけどさすがにそれは言えない。
「急に来たのは我らの方だ。気にすることはない」
それがわかってるならアポくらい取ってくれませんかね?こっちにも色々と都合というものがあるんですよ。
あれ?それにしてもヴィルヘルムとディートリヒの格好が何かおかしい。何というかあれだ。ヴィルヘルムは金持ちの豪商、ディートリヒは出来る経営者という感じの格好をしている。つまり王族や高位貴族の格好ではなくただの金持ちの一般人という風体だ。しかも微妙に似合っている。
何だかかなり着慣れた様子だしもしかしてこの二人は何度もこうして一般人の格好をして出歩いているのでは?俺もそういうことをしているから人に偉そうなことは言えないけどもう少し立場というものを考えて欲しい。そこらのただのご令嬢と王様や王族では話が違う。
「それで……、本日は一体どういったご用件でしょうか?」
いつまでも世間話をするつもりもないのでさっさと用件を言えと催促する。
「何でもフローラ姫は新しい事業を始めたそうだね」
新しい事業?カンザ商会の二号店のことか?新しい事業というほどのことでもない。ただ店舗を増やして業務を分けただけだ。……いや、クレープカフェは一応新規事業になるのか?まさか……。
「新規事業というほどのこともありませんが……」
「実は今日我らが参ったのは他でもない。其方の新規事業を視察しようと思ってのことだ」
やっぱりか!どこで聞きつけてきたのか知らないけどつまりはクレープを食ってみたいとかそんな所だろう!?
「私達に献上もせずに新しい商品を発売したそうだね」
「うっ……」
ディートリヒはいやらしい笑みでニヤニヤしている。でも待って欲しい。俺が新商品を開発したからといって全て王様やディートリヒに先に献上しなければならないという決まりはないはずだ。そもそも新商品なんて町中で勝手に次から次へと開発、発売されているわけでそれを全て王様に先に献上しているわけじゃない。
「以前献上いたしました商品と大差のないものです。わざわざお二方のお時間をいただいてまでお見せするほどのものではないと……」
それに俺が何か開発したからってお前らに全部譲ってやらなきゃならないなんて決まりはない。前に新しい料理のレシピを譲ってやったのは俺にもメリットがあったからだ。ただ何のメリットもなく全ての権利を無制限に譲ってやってたら俺の商売が成り立たなくなる。
「なに、別に権利や作り方を譲れと言っておるわけではない。ただ試食してみたいだけのことだ」
「それでは今からご用意いたします」
「待て。それには及ばぬ」
俺が下がってクレープを用意しようとしたら止められた。もう嫌な予感しかしない。その格好を見た時点でいくらか想像はしていた。だけどそれは聞きたくない。
「ここで作ってもらって試食するよりも実際にお店で体験してみたいと思ってね。こうして陛下と共にやってきたわけなんだ。クレープとかいう食べ物だけじゃなくて隣の店舗も見てみたいからね」
やっぱりか……。こいつらは相当調べて全てをわかった上でやってきたんだろう。王様や宰相の情報網も侮れないというわけだ。いくら俺が経営している商会とはいえ市井の店の情報まで仕入れているなんてなんて耳聡いことか。
「それでは護衛の方の人数をお教えいただけますか?混乱がないように今から店の方に連絡と受け入れ態勢の準備を……」
「それも不要だ。我ら二人と其方の三人だけで良い。一言で言えばお忍び視察だ。大々的に公表せぬようにな」
そうだろうと思ったよ。だから一般人の格好をしてきたんだろうなとは思った。だけどそんなことは聞きたくなかった。
「それでは陛下と殿下の御身をお守り出来ません。お二方は一人の身ではないのです。せめて護衛を……」
「うむ!だからこそだ!フロト・フォン・カーン卿、近衛師団団員として我ら二人の護衛と案内を命ずる」
やっぱりね……。だから嫌だったんだ……。これでもし万が一にも二人に何かあれば全ての責任は俺になるじゃないか……。
だけど正式に近衛師団団員に対して命令が下されたというのならば俺に断る術はない。こうして俺はヴィルヘルムとディートリヒを連れてカンザ商会二号店とクレープカフェへ案内しなければならないことになったのだった。