第百八話「下から見上げる時は気をつけろ!」
ニコラウス暗殺事件の当時までリンガーブルク家に仕えていたメイドのハンナから重要な証言を聞くことが出来た。
リンガーブルク家には当時二人のメイドがいた。若いメイドのハンナと老メイドのアネットだ。二人は最初のうちは俺に少し遠慮とか警戒があったけどアレクサンドラと親しく遊んでいるうちに次第に俺と打ち解けてくれるようになっていた。俺がリンガーブルク邸に押しかけても黙って通してくれるくらいには信頼関係が出来ていたと思う。
事件後リンガーブルク家の関係者はほとんど消息不明になっていた。ようやくハンナを見つけることが出来て、しかもとても重要な証言まで得ることが出来た。俺は今すぐナッサム公爵家に乗り込んで行きたい気分だ。到底許せる気分じゃない。
だけどまだ早い。落ち着かなければならない。今下手に乗り込んで行ってものらりくらりと言い逃れされるだけだ。もっと完璧に手を整えていかなければ……。今回だけは絶対に失敗は許されない。当然やり直しは利かないしアレクサンドラの身の安全もかかっている。
俺達五人に加えて日も暮れて休暇から戻ってきているヘルムートとイザベラも含めて全員にハンナから聞いた情報を共有するべく話し合いを行なった。皆もハンナから聞いた話を聞いて怒り心頭だったようだけどお互いに早まった行動を取らないように確認し合って今日の所は解散となった。
皆も冷静なようでそうでもないから誰かが早まった行動をしないかと心配にはなる。だけど流石に一人で先走るなと言ってあるから誰も無茶はしないと信じたい。
……俺だってあんな話を聞けば今すぐにでも飛び出してしまいそうになる。皆も同じ気持ちだろう。だけどアレクサンドラのためにも絶対に早まったことはするなと念を押しておいたから大丈夫……、だよな?心配になるけど信じよう。
コンコンッと扉がノックされて声がかけられた。入るように促すと声でわかっていた通りイザベラが部屋に入ってくる。その手には手紙が握られていた。
「失礼いたします。フローラ様に招待状が届いております」
「ありがとう」
イザベラから招待状だという手紙を受け取って……。
「――ッ!?これは……」
「……」
招待状を渡しても退室することなくイザベラが俺の前で待っている。差出人を見て怒りが爆発しそうになったけど抑えて封を切る。
「…………出席します」
「かしこまりました」
俺の言葉を聞いてようやくイザベラは退室していった。俺に届いたのは夜会の招待状だ。差出人はアマーリエ第二王妃。よくもまぁ俺に向かって夜会の招待状など出せたものだと思う。
これは俺達がアマーリエとナッサム公爵家の関係を見抜いていないと思ってのことか?それとも自分達の企みがバレていることをわかった上での招待か?あるいはその探りを入れるためにあえて呼んだのかもしれない。
王宮での夜会の招待状というだけなら珍しいものじゃないだろう。俺だって過去に何通か貰ったことがある。ただしそれはヴィルヘルムやルートヴィヒが主催したものだ。アマーリエからの誘いなどこれまで一度たりとも受けたことなんてない。
もちろん今までは俺は王都に住んでいなかったから夜会の誘いなんて全て断っていた。誘う方も一応世間体的に誘っておこうという程度のことで本気で出席すると思っていたわけでもないだろう。今年からは俺も王都を中心に生活しているわけだし夜会の誘いも来ることは想定内だ。前までのように王都まで遠いからと断ることも出来ない。
だけどまさかアマーリエ第二王妃から誘いがくるなんて思ってもみなかった。どう考えても政敵であるカーザース辺境伯家の者に誘いの手紙を出してくるなんて思ってなかったからな。
でもそうでもないのかな?いくら政敵とはいっても露骨に誘わなければ敵対関係ですと周囲にアピールしているようなものだ。建前と世間体で生きているような貴族社会でそこまで露骨なことはしないということも考えられる。
逆に相手を誘い出して色々情報を得たり、自分の派閥に取り込もうとしたり、相手派閥を不仲にするように誘導したりもするのかもしれない。自分の派閥だけを集めた身内の集会ならともかく、大々的に他所の派閥を集めるような集会なら敵対派閥の者にも招待状くらいは出すものだろうか。
今度のアマーリエの夜会はかなり大規模なもののようだ。それなのに目的は書かれていない。当日を楽しみにするようにとだけ書かれている。
一体何をするつもりだ?夜会だって一応建前として開催の理由が必要だ。何の意味もなく夜会ばかり開いていられない。戦争の前に出征する者達を激励するために、とか、誰かが出産したとか結婚したとかのお祝いとか……。
まさか……。いや……、それはないだろう……。まさかな……。
……アレクサンドラの結婚の許可はヴィルヘルムやディートリヒが止めている。それに王族やそれに近しい者のお祝いならあり得るけど陪臣の伯爵家の結婚や婚約の発表に王家主催の夜会を開くなんてあり得ない。
でも……、もし……、万が一にもこの夜会でアレクサンドラの結婚が発表されたら?アマーリエ主催とはいえそれは王家主催の夜会と同じだ。それはつまり王家がアレクサンドラの結婚を認めたと内外に発信することになる。
例えヴィルヘルム国王陛下が正式に認めていなかろうとも夜会で大勢の主要貴族が集う場でそれを発表してしまえば後からなかったことには出来ない。当然大きな反発は食うだろう。揉める元にもなるだろう。だけど……、それでもそのリスクを抱えてでもアマーリエという王族主催の夜会で結婚を大々的に発表してしまったら?
これは俺の想像でしかない。何の根拠もない妄想だ。だけど……、ヴィルヘルム達が中々リンガーブルク家の結婚に許可を出さないことに痺れを切らせたアマーリエやナッサム公爵家が、夜会に乗じて結婚発表を強硬するつもりだったら何としても阻止しなければならない。発表されてしまったら取り返しがつかないことになる。
いくら誤報だったにしろ、国王陛下が許可していないのにアマーリエ一派が勝手に決めたにしろ、貴族のご令嬢が一度結婚を発表したのに立ち消えになればそれは経歴に大きな傷として残ってしまう。アレクサンドラの結婚が大勢の前で、それも王家の名の下に公表された時点で俺達の負けだ。後で撤回させた所でアレクサンドラは疵物扱いされてしまうし、その後の活動や結婚にも大いに悪影響を与えてしまう。
時間がない。急がなければ……。この夜会でアレクサンドラの件について決着をつけるんだ。
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アレクサンドラのことは気になるけどすぐにどうこう出来るわけでもない。夜会までに色々と準備しなければならないことはあるけど焦ってどうにかなることでもないので日常生活も疎かにせず送る必要がある。
学園は平穏そのものでもうヘレーネやゾフィー達も諦めたのかと思うほどに何の音沙汰もない。このまま過ぎ去ってくれれば良いけどそこまで甘くもないだろうな。
そんなことを考えながら放課後の廊下を歩いていると久しぶりに聞く声に呼び止められた。
「フローラ様、今お帰りですか?」
「ジーモン様……」
演習場を破壊して出禁にされてから放課後に残って魔法の練習もしなくなっている。そもそも俺はいじめられっ子で俺と関わっていたらジーモンまでいじめのターゲットにされる可能性がある。だから学園では普段なるべく接触しないようにしていたんだけどジーモンの方から話しかけてくるなんて珍しいこともあるものだ。
「今お時間はありますか?少しお話したいことがあるのですが……」
「え?……ええ。大丈夫ですよ?移動しましょうか?」
俺が了承するとジーモンは歩き始めたので俺も後に続く。空き教室に入るとジーモンは鍵をかけた。そしてフラフラと俺に近づいてくる。
「フローラ様……」
「ジーモン様?」
一体どうしたというのか。明らかに様子が尋常じゃない。
「ごめんなさい!すみません!フローラ様、許してください!」
「……え?あの……?」
俺の前まできたジーモンはいきなり土下座した。これは前のような意訳という意味での土下座じゃない。本当に目の前の床に這い蹲って頭を下げている。この国には土下座というものはないけど偶然似たような格好になったんだろう。
「僕は本当にずるい人間だ!あの時、フローラ様に火球を飛ばしてしまったのは本当は事故じゃなかったんです!エンマ達にそうするように言われて故意にやったんです!結果的にフローラ様が火傷をしなかったとしても許されることではありません!それに僕はこのことを黙っていたら有耶無耶に出来るんじゃないかって考えていたんです!本当ならすぐに言わなければならなかったことなのに!今更こんなことを言う卑怯な人間なんです!ごめんなさいフローラ様!ごめんなさい!」
「あ~……、まぁそんな所だろうと思っていましたよ」
「……え?」
俺の言葉にジーモンはポカンとした顔を上げていた。でも証拠も確証もなかったけどそんな所だろうなとは思っていた。どうして俺がそう思うに到ったのかジーモンにも説明してやろう。
「私と放課後に魔法の練習をしている時にジーモン様は一度たりとも魔法を失敗しませんでしたよね。あれだけ失敗しないのですからあの授業の時だけ偶々あんな失敗をしたということの方が不自然でした。となればあれは事故や失敗ではなく故意という線が濃厚です」
故意と言った瞬間ジーモンの肩がビクリと跳ね上がった。まるで捨てられた子犬のような顔で俺を見上げてくる。
「ですが私はジーモン様に狙われるような関係は何一つありませんでした。私が気付かないうちにジーモン様に何かしてしまっている可能性もありますが、いくら考えてもほとんど接点のない私をジーモン様が命懸けで狙う理由は思い当たりません。ならば誰かに命令されたと考えるのが自然でしょう。そして私にそのようなことをするように命令する相手といえば……」
ゾフィーやエンマ達五人組か五人組すら裏で操るヘレーネしかあり得ない。
「そっ、そこまでわかっていたのに僕とあのように接してくださっていたのですか?」
怯えたような表情のジーモンににっこり微笑みかける。別に俺はジーモンを責めようというつもりはない。
「ジーモン様がどのようなお方かはこの目でしかと見極めました。ジーモン様は自発的にあのようなことをなさるお方ではありません。そんなジーモン様が命令されてあのようなことをしてしまうということは相当な弱味を握られているのではありませんか?私はその苦しみを和らげて差し上げたいのです」
「うっ、あっ……、ぼっ、僕は……、うわぁぁぁっ!」
ジーモンはまたしても泣き出した。本当に泣き虫だなこいつは。ジーモンが命をかけてまであんなことをするような度胸がある奴じゃないのはちょっと接しただけでもすぐにわかる。例え未遂に終わろうともあんなことをしでかしたのが公になればジーモンは社会的に死ぬことになる。もしくは本当に殺されることだってあり得るだろう。
こんな気の弱いジーモンにそこまでさせるということはエンマ達はよほど大きな弱味を握っているとしか思えない。その弱味を解消させてジーモンをエンマ達から解き放つ。これは敵の手駒を減らすという意味では大きな意味がある。
だけどそんなことじゃない。それだけじゃない。ジーモンは俺が今生で初めて出来た同級生の男友達だ。年下の子達なら農園の時にもいた。年上なら俺の配下になっている者達もいる。だけど同級生の男友達は紛れもなくジーモンが初めてだ。その友達を陰謀に巻き込んでこんなに泣かせるなんて許せない。黙っていたら俺の名が廃る。
「もう我慢できん!中で一体何をしている!」
その時鍵をかけていたはずの扉が蹴破られて誰かが押し入ってきた。って、誰かっていうかルートヴィヒとルトガーの馬鹿殿下コンビだな……。この馬鹿コンビが何故か教室の扉を蹴破って中へと入ってきていた。
「ルートヴィヒ殿下?ルトガー殿下?これは一体?」
「それは僕の台詞だフローラ。これは一体どういう状況だ?君は男と教室に鍵をかけて二人っきりで何をしていた?」
「……は?」
おいっ!おい……、もしかしてルートヴィヒの奴……、俺がジーモンと密会でもしてたと思っているのか?本当に馬鹿だな……。
「ジーモン様とはお友達ですがそれが何か?」
あまりにアホなことを考えていそうなルートヴィヒに呆れた俺は冷たくそう言い放った。その言葉が気に入らなかったらしい。ルートヴィヒとルトガーが怒り出す。
「『それが何か?』じゃないだろう!若い男女が人目を忍んでこのような場所で密かに会うなどやましいことがあると思われても仕方のないことだぞ!」
「そうだぞ田舎娘!そもそもそいつは何で這い蹲って田舎娘のスカートの中を覗いているんだ?」
はぁ?スカートの中を覗いて?何言ってんだ?
「一体何を言って……、あっ!」
「――ッ!」
俺が下を見てみれば……、地面に這い蹲ったジーモンと目が合った。いや、微妙に合ってない?ジーモンの視線は俺の顔じゃなくて……。
「どっ、どこを見ているのですか!」
「へぶっ!」
スカートの中へと視線を向けていたジーモンの頭を上から手で押さえて地面に押し付ける。足で踏もうとしたら足を上げた際にさらにスカートの中が見えてしまう。漫画等じゃよく足で踏んでいるけどそれじゃますます見られてしまうだけだろう。俺はそうはなりたくないので手で押さえつけた。
今日は……、うん。大丈夫だ。下着は穿いている。モロに見られたわけじゃない。わけじゃないはずなのに……、顔が火照ってくる。ガラスに映った俺の顔は見るからに真っ赤に染まっている。俺が?男の俺が男に少しパンティを見られたかもしれないというだけで?
そんなことがあるはずもない。そもそもスカートの丈は長いんだ。ちょっと下から覗いたくらいでパンティまで見えるほど簡単に見えるはずもない。はずもないのに……。
「いやあぁぁぁぁぁ~~~~~っ」
俺は顔を押さえたままぶち破られた扉を飛び越えて廊下を駆け抜けたのだった。