第百一話「言ってやった!」
落ち着け。冷静になれ。ここで焦って間違えたら全てが台無しになる。俺の考えていることはそう的外れでもないだろう。ただ全てが完全に繋がっているとは言い難い。まずは証拠だ。証拠を集めなければどうしようもない。
だけど今更どうやって何年も前の事件の証拠を集める?それもここは王都だ。今からカーザーンへ調査に行っている暇はないだろう。仮にカーザーンへ行ったとしても有力な手掛かりがあるとも限らない。捜査してみる価値はあるかもしれないけど今から俺が王都を離れるのは得策じゃない。
手紙……。そうだな。警備隊長のイグナーツにでも手紙を出しておくか。役に立つかはわからないけど今は少しでも可能性があるのなら何でもしてみるべきだ。
俺は王都で一つの可能性に賭けてみるしかない。王都は人も多いし隠れるにはもってこいだ。カーザーンは散々探したのにいなかったということは人に紛れるために王都にいる可能性もある。もちろんアレクサンドラやカスパルが王都に来ることを知っていたなら王都には来ない可能性もある。これは賭けだ。顔を知っている俺が王都で探してみるしかない。
「フローラ姫、もう聞きたいことはないかな?」
「え?あっ……」
危ない危ない。思考に没頭していた。ここはまだ王様の私室でヴィルヘルムとディートリヒと向かい合ったままだった。黙ったままというのも失礼だし情報を提供してくれたことにも感謝しなければならない。
もう聞くことはないよな?次に王様に会えるのはいつになるかわからない。聞きたいことがあれば今のうちに聞いておくべきだ。
う~ん……。う~~ん……。ないよな?あとは精々ルートヴィヒ関連のことくらいだろう。リンガーブルク家についてはこれ以上聞くことはないはずだ。
「はい。リンガーブルク家についてはもうお聞きすることはありません。教えていただきありがとうございます」
本来なら他家のことについて簡単に言ってはいけないこともあったはずだ。それなのにこの二人はこっそり教えてくれた。まぁ元凶がヴィルヘルムがアマーリエ第二王妃をコントロール出来てないせいだろう、とか、元々リンガーブルク家はカーザース家の家臣なんだから情報を教えるのが当たり前だ、というのは抜きにしてね。
「リンガーブルク家については、ということはまだ他にもあるのか?」
俺の言葉を受けてヴィルヘルムがそんなことを言い出した。言いたいことならある。相談というわけじゃないけど、相談と言えば相談だ。ただ俺の口からは言い難い。
「えぇ……、まぁ……、それは……」
つい視線を逸らせてしまう。こういう駆け引きがまったく出来ないとはやっぱり俺は貴族には向いていないな。営業とか腹の探り合いとかそういうのは俺には向いてない。貴族の嗜みとしていくらかは習ったけど習って身に付くものでもないだろう……。多少の駆け引きの方法くらいは学べてもこういうのは天性のセンスというものが重要だと俺は思う。
「遠慮せずに言ってみなさい」
えぇ……、突っ込んでくるのか……。ええいままよ!どうせなら言いたいことを言ってやる!
「それでは……、若輩者の上に女だてらに政に口を挟むものではないと思いますが……」
俺が前置きするとヴィルヘルムとディートリヒはお互いに顔を見合わせてから頷いた。
「言ってみなさい」
「私も聞いてみたいな」
先を促されたので言うしかない。俺はこれからかなり危ういことを言うのを覚悟する。
「プロイス王国は現状、北西の国ともフラシア王国とも小康状態となっております。いつまでも放置して良いわけではありませんが西の国境は喫緊の課題ではありません。それに比べて南東では色々と煙が燻っているとお聞きしております」
「ぬっ……」
「……」
俺の言葉にまたしても二人は顔を見合わせた。でも何も言わない。俺に先を言えと促しているのだろう。
「万が一にも南東の守りがザルとなれば一気に王都を突かれる恐れもあります。もちろんその程度で亡国の憂き目に遭うほどプロイス王国が軟弱であるとは思いませんが備えは必要でございましょう。例え縁戚関係がなかろうとも、『婚約が白紙撤回されようとも!』北西の国境は揺らぎません。国の安定のためにもルートヴィヒ様の結婚相手を南東の有力家から娶られてはいかがでしょうか?」
よし!よし!言ってやったぞ!
カーザース家周辺は今の所戦乱の兆しもない。そして俺は例え王家と縁戚にならなくても敵対しませんよとアピールしておいた。それに比べて南東は今領土問題や何やと色々と燻っている最中だ。南東を抑えることはプロイス王家にとっても重要な課題だろう。
南東の有力家と言えばバイエン家しかない。いや、他にも有力な家はあるんだけどルートヴィヒと年も近くてオース公国とも太いパイプがあるバイエン家を王家の縁戚に引き込んでおくのは南東の守りに関して大きな意味を持つ。
もちろんこの二人だって馬鹿じゃない。俺のようなド素人でも考え付くようなことなどとっくに考えただろう。そもそもヘレーネが許婚候補筆頭だと言われていたのはそれらの事情も考えて南東を抑えるのに良いカードだからこそそう目されていたんだ。その上で俺との婚約が決まったんだから今更言っても無駄かもしれない。
だけど許婚である俺自身からもそう言われたらちょっとは考え直してくれるんじゃないだろうか?そしてそうなっても俺は恨みませんよとアピールもしたんだ。
どうだろうかと思ってチラリと二人を見てみる。
「「…………」」
…………もしかしてやばい?
二人は難しい顔をしたまま黙って俺の方を見ている。何も言わないのが余計に怖い。もしかして俺はやばい発言をしてしまっただろうか。
どうしよう?どうしたらいい?今更『冗談で~す!』なんて通用しないだろうな……。やばい。王家に喧嘩を売ってしまったかもしれない。
「フローラの気持ちはよくわかった……。今後とも両家がより良い関係で相互に発展していけるように手を尽くそう」
「……は?」
何?言っている意味がよくわからない。俺の気持ちがよくわかったってのは俺がルートヴィヒと結婚したくないと遠まわしに言ったことがわかったということか?それでも両家が良い関係でということは穏便に婚約破棄してくれるということだろうか?
おっと!黙ってたらやばい。挨拶してさっさと立ち去ろう。これ以上長居したら面倒なことになるかもしれない。
「若輩者の言葉を聞いていただき格別の配慮をありがとうございます。本日は私のためにお時間を取っていただきありがとうございました」
「うっ……、うむ」
「それでは御機嫌よう、ヴィルヘルム国王陛下、ディートリヒ殿下」
退室の許可が出たから早々に脱出する。これ以上こんな場にいたら俺のノミの心臓が耐えられない。そそくさとその場から逃げ出した俺は足早に後宮から出て行ったのだった。
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フローラが出て行った扉を見詰めながらヴィルヘルムとディートリヒは溜息を吐く。
「ふ~~~む……。まずいのぅ……」
「まずいですねぇ……」
深く座りなおしたヴィルヘルムは目を瞑りながら顎鬚を触る。
「我らが姫は相当おかんむりのようですね……」
「う~~~~む……」
最初のルートヴィヒとルトガーの昼食の件は大した話ではない。二人の行いをフローラが窘めただけのことにすぎない。ルートヴィヒとルトガーはフローラに喜んでもらおうと思ってそのような行動をしたのであろうがそれが空回りだったのだ。二人はまだ若く女性の扱いにも慣れていない。その程度の失敗なら若気の至りで済む話だろう。
それよりも問題はリンガーブルク家の話になって以降のことだ。それは笑って済ませられるような話ではない。
リンガーブルク家がナッサム公爵家の預かりとなったのはフローラが指摘した通り王家の権力争いに巻き込まれてのことだ。ルートヴィヒとフローラが結婚すればカーザース辺境伯家はルートヴィヒの支持に回るだろう。強大な力を持つカーザース家がルートヴィヒにつけばその影響力は計り知れない。
王位継承権争いを仕掛けるつもりの第二王妃派としては当然ながら敵であるルートヴィヒの支持に回る有力貴族家を潰したい。そこでリンガーブルク家をナッサム家が預かることでカーザース家臣団に楔を打ち込もうとした。本来であればそれはヴィルヘルムが止めなければならなかったことだ。
しかし現実問題としてヴィルヘルムは第二王妃派とナッサム公爵家を止められなかった。カーザース辺境伯家は王位継承権争いに巻き込まれリンガーブルク家はそれに利用されてしまった。
ルートヴィヒの婚約者になった時点で自身が権力争いに巻き込まれることは承知の上だっただろう。しかしそこに任せて預けたはずの家臣の家が巻き込まれて利用されてしまっていれば怒るのも無理はない。
ヴィルヘルムとディートリヒはカーザース家との協力関係を築くためにリンガーブルク家を王都で匿う約束をしたのだ。それなのにその約束を違えて政争に利用されてしまった。これは紛れもなくヴィルヘルムとディートリヒの落ち度だ。
それでも普通の者ならば国王陛下自身を目の前にしてそのようなことは言わないだろう。しかしフローラはヴィルヘルムとディートリヒを前にしてそのことをはっきりと追及した。今さっきはっきりと一体どうなっているのかと言われたのだ。そしてその後の言葉がフローラの怒りを表している。
どこから仕入れたのかフローラは南東地域情勢について随分詳しいようだった。オース公国がプロイス王国南東地域の貴族達を取り込み切り崩しを図っているという未確認の情報が入ってきている。
王家や宰相の情報網でもまだ未確認の最新情報として入ってきたばかりだというのに、あれだけはっきりとフローラがそのことを指摘したということはもっと詳しい確かな情報を握っているのかもしれない。
「フローラ姫の慧眼と情報網は侮れませんねぇ……」
「そうだな……」
しかし問題はそこではないのだ。フローラは南東の有力貴族家の娘をルートヴィヒに宛がえといった。それはつまりフローラがルートヴィヒとの婚約を破棄するぞと言って来たのと同じことだ。
フローラが言いたかったのは南東の情勢にも精通しているとか、南東を抑える方法を伝授してやろうということではない。フローラが言ったのは『預けた家臣の身もきちんと守ってくれないような王家との縁談はなかったことにするぞ』という怒りだ。そしてフローラにはそう言うだけの権利と力がある。
カーザース家が独自にリンガーブルク家を王都で匿うと言った時に王家が力を貸そうと言い出したのは自分達の方だ。リンガーブルク家の件でカーザース家に貸しを作っておけば色々と有利だろうと思ってのことだった。
しかし結果としてはナッサム公爵家に横槍を入れられてリンガーブルク家の者達の身柄を預けることになるという失態を演じた。自分達が預かると言い出してカーザース家から預かったというのに見事に横から掻っ攫われてしまったのだ。カーザース家が怒るのも無理はない。
そしてフローラをただの小娘如きが偉そうに何を、などとは言えない。フローラが齎したものは計り知れない。すでにカーン騎士爵領の名産、特産は最早プロイス王国に欠かせないものばかりになった。たった数年で何もなかった森をあれだけ開発した手腕も見事なものだ。もしフローラがカーザース家共々敵に回ればプロイス王国にとってはオース公国との戦争などとは比べ物にならないほどの大戦になるだろう。
カーザース家だけが反乱を起こしてもさすがにプロイス王国を転覆させることは出来ないだろう。しかしバイエン公爵家がオース公国と結託して反乱を起こすのと、カーザース家がフラシア王国と結んで反乱を起こすのではどちらがよりプロイス王国にとって危険か……。
考えるまでもない。カーザース家がフラシア王国と結託して国境が破られれば国家存亡の危機に瀕してしまう。オース公国がバイエン公爵家の領地を越えて侵入してきても戦える自信はあるが、カーザース家が先導するフラシア王国と戦って勝てるとは思えない。
「それにしても大した胆力の娘よなぁ」
「そうですね。我々の前であれだけのことを言っても堂々としているのですからあの器は計り知れません」
国王と宰相を前にしてリンガーブルク家のことできちんと対応しないのならば王子との婚約を破棄するぞと脅しともとれるようなことを言っておきながら、フローラはまったく心を動かした様子もなかった。ただ静かに淡々とあれだけのことを言ってのけるとは一体どれほど肝が据わっているというのだろうか。自分が逆の立場だったならばああも堂々としていられた自信はない。
そして二人にはフローラを責めることは出来ない。フローラの怒りは尤もであり、それをいうだけの資格もある。
「どれ……、少しばかり義娘のために頑張るとするか」
「ルートヴィヒ殿下は南東の有力家の嫁を娶られても良いですよ?フローラ姫は当家が迎え入れましょう」
ヴィルヘルムの言葉にディートリヒは冗談とも本気とも取れない調子でそんなことを言う。もちろんディートリヒは本気だ。別にルトガーの嫁としてじゃなくても、養子でも何でも良いからフローラをクレーフ公爵家に迎えたいと考えている。
「ぬかせ。例えルートヴィヒと結婚せずともフローラは余の娘とする。それは譲らんぞ」
「ははは!第三王妃じゃないんですか?」
二人は馬鹿な話をしながらもどうやってプロイス王国の膿を出そうかとその頭をフル回転させていたのだった。