第十話「第三王子の勘違い!?」
ルートヴィヒ・フォン・プロイス第三王子は第三子であるために第三王子ではあるが王位継承権第一位である。腹違いの兄二人は側室であるジーゲン侯爵家の娘、アマーリエ第二王妃の子供であり嫡子が生まれた以上は継承順位が下がる。
ルートヴィヒの母は正室であるシュヴァーヴェン公爵家の娘エリーザベトであり、プロイス王国は必ずしも長子相続とは限らないが母方の血筋、家柄、実力、どれをとってもエリーザベトとルートヴィヒの方が上であり兄二人よりも圧倒的に優れている。
またルートヴィヒ自身もありとあらゆることに優れた才能を示し、天才、神童、麒麟児など様々な言葉で呼ばれていた。
幼い頃から帝王学として様々な教育を施され、しかもそれがすぐに身に付く。歴史、政治、経済、神学、人心掌握術。そして剣を握れば幼いながらも大人顔負けの剣技を披露し大人の騎士を相手に一歩も退かない。もちろんまだ幼い子供ゆえに大人に負けることもしばしばではあるが、それでも日夜訓練に励み厳しい審査を潜り抜けた選りすぐりの騎士達に幼い子供が引けを取らないというのは異常なことだ。
出自に、本人の才能に、と全てに恵まれているルートヴィヒは生まれながらに王になる器として周囲から持て囃されていた。
確かにルートヴィヒは腹違いの兄二人に比べて才能を持っている。しかし……、しかしである。何もルートヴィヒは生まれながらに勉強が出来たわけでもなければ剣の腕があったわけでもない。王家の嫡子として厳しい教育を受け、それでも矜持から投げ出すこともなくやり遂げてきたからこそ今の頭脳と実力があるのだ。決して生まれつき降って沸いた能力があったわけではない。
それなのに周囲の反応はどうか。周囲のルートヴィヒに対する反応は主に二種類に大別される。
まず一つ目は無条件に尊敬、崇拝する馬鹿共だ。ルートヴィヒの努力を全て『天才』という言葉だけで片付けてしまう。ルートヴィヒが優れているのは生まれ持った才能があるから。王になるべくして生まれた天に祝福された人物だから。ルートヴィヒはこう言われるのが何よりも嫌いだった。
言葉に差異こそあれルートヴィヒを讃える者達は皆同じようなことを言う。それが何よりも許せない。ルートヴィヒは王家の嫡子として血を吐く思いで努力を重ねてきた。周囲の者達が出来ないのは努力が足りないからだ。自分の血の滲む努力をたかが『天才だから』などという言葉で語るな。それがルートヴィヒの偽らざる本心だった。
そしてもう一つの反応は、どうせ大した実力でもないのに王族だからとお世辞で持て囃されているだけだろう、というものだ。
勉強も剣もそれなりに練習してそれなりには出来るのだろう。それはどこの貴族の子息でも同じだ。幼い頃から仕込んでいればそれほど大した才能のない者でもある程度は出来るようになる。王族として教育を受けているルートヴィヒもそれなりのものは身に付けていて当然だ。
ただ周囲が言うほど大したものではないのに、王族におべっかするために必要以上に持て囃して騒ぎ立てているだけだろうと冷ややかな目でルートヴィヒを見てくる者達も確かに存在する。
もちろん表立ってそんな顔を見せたり言葉を言ったりするような馬鹿はいない。ただ本心では『どうせ実力以上に騒がれているだけだろう』と見下している感情がある。あるいは妬みからルートヴィヒの実力を認めない者達もいる。
最初の頃こそはルートヴィヒも周囲に正当に評価してもらおうと努力していた。ただ天才だから出来るというわけではない。日夜努力してきたからこそ身に付いたものだと理解して欲しい。妬みなどから濁った目で見ず本当の実力を正当に評価して欲しい。
しかしそんな努力は無駄だった。どれほど訴えかけようとも目の前で実力を示そうとも無意味だった。無条件に賞賛する者達はいつまで経ってもルートヴィヒの努力を否定する言葉を吐き続ける。自分達はそれでルートヴィヒを褒め称えているつもりだろうがルートヴィヒ本人からすれば次第に許せなくなっていった。
ルートヴィヒの実力を認めない者達には直接手合わせをして実力を示してきた。それでも打ち負かされた者達は言い訳がましく王子に勝ってしまったら後々嫌がらせを受けることになるから勝ちを譲ってやったのだと負け惜しみを広める。
結局どいつもこいつも何もわかっていない。
ルートヴィヒはいつの間にか世の中を冷めた目で見るようになっていた。表面上はこれまで通り爽やかな王子を演じながら、心の底ではこんな世の中に絶望していた。
しかし、とも考える。こんな馬鹿ばかりならば支配もしやすいではないか。将来自分が王になった時にこれほど楽なことはない。自分の本心も見抜けず賞賛ばかりの馬鹿共も、自分がした努力の十分の一もしていないくせに他人を妬み認められないクズ共も、将来自分が王になった時にはこんな奴らでも支配してやらなければならない。
それならばこんな馬鹿やクズでも簡単に扱えるように自分が賢くなれば良い。こんな奴らにいちいち腹を立てるよりもいかに支配してやるか考えるほうがよほど建設的ではないか。
明朗で活発だった聡明な王子が歪むまでにそう時間はかからなかった。
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王子が八歳を超える頃になるとあちこちから婚約の話が聞こえてくるようになった。嫡子であるルートヴィヒともなれば本当ならばもっと前から決まっていてもおかしくはないが本人が何だかんだと避けていたこととアマーリエ第二王妃の妨害もあって中々進んでいなかったのだ。
アマーリエ第二王妃はまだ自分の子供達に王位を継がせることを諦めてはいなかった。そこでルートヴィヒの婚約を妨害していた。婚約と王位に何の関係があるのかと言えば大いに関係がある。
王族との婚約や結婚が相手の貴族家に多大な影響と恩恵を与えるように、王家にとっても結婚した相手貴族による恩恵があるのだ。
嫁を出した貴族家が王家の縁戚となり様々な恩恵があるのと同様、貴族家から嫁を貰った王族はその貴族家から支持を受けることになる。大きく力のある貴族家の嫁を貰えばそれだけ嫁をもらった王族にも後ろ盾がつくというわけだ。
アマーリエ第二王妃としては正攻法で正面から息子達二人とルートヴィヒが争っても勝ち目がないことは重々承知している。かといって安易な暗殺なども出来るはずもない。ならばどうするか。
息子達には有力な貴族の嫁を娶らせてルートヴィヒには他の貴族の支持がつかないように他の貴族との繋がりを遠ざけておく。いくら本人に才能があろうとも嫡子であろうとも大多数の貴族家がルートヴィヒの廃嫡を望みアマーリエの息子達の即位を望めばプロイス王も無視し得ない。
そしてそれはルートヴィヒにとっても都合が良かった。ルートヴィヒの外見に惑わされてキャーキャーと寄ってくる貴族の娘達……。正直ルートヴィヒはうんざりしていた。自分の本心の何一つ理解していないケバい娘共が群がってきても気分を害することはあっても、チヤホヤされてうれしくなるなどということはない。
それから王位継承権第一位の王子という地位を狙っている貴族共にも虫唾が走る。ルートヴィヒという個人を見ることもなくただ政治に利用しようと群がってくる貴族家の者達の良いように利用されてやる気など微塵もない。
だからルートヴィヒはアマーリエの妨害を甘んじて受けていた。むしろ自分が悪者になることもなく勝手に嫌な相手との婚約話を破談にしてくれるのだからこれほど助かることはない。
アマーリエからすればルートヴィヒに他の貴族との接点を持たせないための策略のつもりであろうが、王太子の婚約話を他人である第二王妃が勝手に蹴っているなど王太子に喧嘩を売っているに等しい。将来ルートヴィヒが廃嫡されれば問題にならないであろうが、万が一にもルートヴィヒが王になったら自分の立場が危ういことにも気付いていない愚か者だ。
そんなわけでルートヴィヒはこれまで何件もの婚約話をアマーリエに妨害されて破談にされていた。今までの所年の近い子供のいる公爵家や侯爵家の婚約話は全て失敗に終わり最早有力な婚約者候補はいないかに思われた。
ようやくうるさい婚約話も一区切りつけるかと思っていた矢先に飛び込んできたのがカーザース辺境伯家の娘との婚約話だった。家格としては侯爵家と同格以上なので問題はない。
華やかな中央を好む者達の中には辺境伯家は家格が高くとも辺境の田舎者など戦しか出来ぬ無作法者と馬鹿にする者もいるが、国境を守る強力な兵を持つ辺境伯家と結んでおくことは国防上も後ろ盾としても申し分はない。
ただ今回も婚約などするつもりはないルートヴィヒはいつものように義理で出向いて顔合わせだけしてあとはアマーリエが勝手に破談にしてくれるだろうとカーザース辺境伯領へと向かったのだった。
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出向いたカーザース辺境伯領でルートヴィヒを出迎えたのは王都で見たケバい貴族の娘とは比べ物にならない美しい娘だった。腰まである長い金髪に澄んだうすいブルーの瞳。物腰も柔らかく動作の一つ一つに気品が溢れている。ルートヴィヒですらついつい見惚れてしまうほどの美しさを持った少女。
しかしこの少女、フローラはルートヴィヒにそれほど興味がないようだった。王都で貴族の娘と会えば誰も彼もルートヴィヒの気を引こうと必死だった。
もちろんその中にはルートヴィヒの甘いマスクに心酔している者もいれば次期国王に取り入ろうとしている打算による者もいる。ただ誰も彼もがルートヴィヒに群がってくる。
しかし目の前のフローラはどうだろうか。ルートヴィヒになどそれほど興味がないと言わんばかりの態度だ。もちろん失礼がないように最低限のマナーは守っている。むしろケチのつけようもない。
ただいつもの他の者達のように媚を売ってくるでもなければ打算に満ちた腹があるわけでもない。単純に最低限義理を果たして会っているというだけのそっけない態度だ。そしてそういう態度を取られればルートヴィヒも腹に据えかねる。
ルートヴィヒにもプライドも自信もある。これまで女達にキャーキャー言われてきた自分が義理でやむを得ず会ってやってるだけだと言われたら腹も立つ。
(別にフローラなどにどう思われようと関係ないけど……、僕に興味がないというのも腹が立つ!)
大いなる矛盾。いつもはキャーキャーと群がってくる女達に辟易しているはずなのに、いざ相手にされないとなると相手にしてもらわなければ許せない。
しかもそれを指摘しようにもフローラに落ち度は何一つない。表面上は非の打ち所なくルートヴィヒと会談をしているのだから何も言いようがない。フローラがルートヴィヒに興味がないと思っているのはルートヴィヒが見抜いてそう感じただけでフローラがそのようなことを言ったわけでもなければそのような態度を示したわけでもない。
ここでフローラがルートヴィヒに興味がないだの何だのと指摘しようものならばとんだ自意識過剰のピエロとして笑い者になる。だからルートヴィヒからはそんなことは口が裂けても言えない。
ならばどうするか。そこで少しだけ上の空になっていたフローラに突っ込みを入れた。何やら少し慌てた様子のフローラに次々突っ込みを入れて溜飲を下げようと思ったルートヴィヒはそれが出来なかった。
フローラの態度もまたルートヴィヒを大した実力もないのにチヤホヤされているだけのボンボンだという内心が透けて見えたからだ。だからいつの間にか売り言葉に買い言葉で剣を交えることになってしまったのだった。
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辺境伯家ならば練兵場の一つや二つあるだろうと言ったのは勢いだったが本当に屋敷のすぐ裏にこんな立派な練兵場があるとは思ってもみなかった。
そして始まった模擬戦でルートヴィヒはコテンパンに負けた。それはもうこれまでにないくらいに完膚なきまでに負けた。
悔しい。何度挑みかかってもまったく相手にもならない。これまで自分と剣を交えてきた者達は本当に手加減して自分に接待試合をしていたのだろうか。そう思ってしまうほどに、ただの年下の美しい少女だったはずのフローラにまったく敵わない。
疲れ果てて動くことも出来なくなったルートヴィヒにフローラは息一つ乱すことなく礼をする。従者達に支えられて練兵場を後にしたルートヴィヒは肩を震わせていた。
ルートヴィヒは自分が天才だなどと思ったことは一度もない。自分はただひたすら努力してきただけだ。少しばかり努力しただけの凡人である自分など所詮は本物の天才と比べればこんなにも惨めではないか。そう思ってギュッと拳を握り締めたルートヴィヒは帰ろうと馬車に乗り込む直前である人物を見かけて止まった。
「其の方は……、確かジークムント?」
「これはこれはルートヴィヒ様、何故このような場所に……、とは言いますまい。ご用件はフローラ様でしたかな?」
ルートヴィヒは王城で父王と何度か話していたことのある人物を見つけて声をかけた。そして思い出す。フローラとの会話でジークムントに内政を習っていると言っていた。そのジークムントとはこの人物であろう。偶然にも内政に詳しい同名のジークムントがこの場に二人も三人もいるはずがない。
そして思う。父王が絶大な信頼を寄せていたやり手の高級官僚であるジークムントに習うなど一体フローラは何を習っているというのか。詳しく話を聞きたいというルートヴィヒの言葉を快諾したジークムントはルートヴィヒを連れて自分達に与えられている別棟へと案内したのだった。
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少し落ち着いてからジークムントに教えられた内容にルートヴィヒは衝撃を受けていた。カリキュラムで言えば自分が遥か何年も先に習うことをフローラはすでに習い終わっているという。まったくもって意味がわからない。それも内政だけではない。同じく王城に勤めていたレオンから軍略についても習い終わっているという。
オリーヴィアという貴族の間でも有名な作法の家庭教師にもマナーを習いつつ、剣に魔法に政治に軍略にと一体いくつ習い事をしているというのか。しかもその内容が高度すぎてルートヴィヒどころか王城に勤める専門家でも難しいような内容にまで達している。
これこそが本物の天才か……。
ルートヴィヒの心はそんな諦めの気持ちで満たされていた。自分など所詮少しチヤホヤされた所で井の中の蛙でしかなかった。自分を努力した凡人だと思いながらもどこか思い上がっていた所があったのだ。その思い上がりをへし折られたルートヴィヒは敗北感で打ちひしがれていた。
しかしそれだけで終わりではなかった。後からたまたまやってきたアルベルト辺境伯と剣豪エーリヒの話を聞いてルートヴィヒは翌朝度肝を抜かれることになった。
剣豪エーリヒには昔に一度手解きを受けたことがある。ルートヴィヒでは到底敵わない本物の剣豪だと思ったものだ。
その剣豪と剣豪をも上回る剛剣を振り回す英雄アルベルト辺境伯、さらに離れた位置から強力無比な魔法を唱えてくる大魔法使いクリストフ。その三人を同時に相手にフローラは立ち回っていた。何度も転げ回り、泥だらけになり、怪我をしながらそれでも諦めることなく訓練に明け暮れている。
自分は天才などと言われてどう思っていた?自分の努力を天才だからと否定されてどんな気持ちだった?自分がフローラに抱いた気持ちはまったく同じものではなかったか?
どこの世界に生まれながらに学力も剣の腕もある者がいるというのか。皆常人以上の努力をしたからこそその道で大成しているのだ。自分もそれに見合うだけの努力をしてきた。そしてその自分をも上回るフローラの努力は自分の努力などしていないと言えるほどに凄まじいものだった。ただそれだけのことではないか。
貴族の子息子女は早ければ五歳から遅くとも十歳くらいまでには一度は魔法を習う。それに間違いはない。ただ絵本のような入門書を読んで適性を少しみるだけで本格的な魔法の勉強など十五歳になって学園に通わなければ習うことなどない。
それなのにフローラはもうすでに大魔法使いクリストフと互角に渡り合うだけの魔法を自由自在に使っている。それも剣豪エーリヒと英雄アルベルトを剣で相手にしながらだ。
そもそもルートヴィヒを第三王子としてではなくただのルートヴィヒとして見て接してくれたのはフローラだけではなかったか?今まで遠慮することなく剣でコテンパンに打ち負かしてくれたような相手などいただろうか?
本当は圧倒的実力差がある大人の騎士達も自分が第三王子だからと遠慮していた。確かに大人顔負けの実力を持つルートヴィヒではあるが誰にでも勝てるというほどのことはない。だが騎士達との手合わせではどこか遠慮されていたはずだ。フローラはそんな遠慮など一切なかった。それはルートヴィヒを第三王子としてではなく一人の剣士として扱ってくれていたからではないのか。
この日、こっそりと少女の剣と魔法の訓練の様子を見ていたルートヴィヒは一人の型破りな少女に心を奪われてアマーリエ第二王妃の妨害を打ち破り婚約話を纏めたのだった。