魔力と魔術と代償と
祭壇からゆらゆらと世界が円形に浸蝕されてゆく。揺蕩う泉のように、満ち引く海のように。白い世界の色が一度消え碧に染まり、柔らかな風が吹く。
銀雪はいつの間にか無くなり、周囲はいつか見た花園へと姿を変えていた。空に輝いていた太陽はいつの間にか沈んでいて、月がその存在を主張している。
それが何となく物悲しくて、それでもこの儀式に関われたことが嬉しくて、フェリィのほうを向く。
「フェリィ、これで魔術は成功か?」
「そうね、成功したわ」
――でもね、と言って彼女は東の方向を指さす。そこにはただ、月夜の仄かに明るい景色が広がっているだけだ。その上、月は西に在る為、淡い影が風流ではあるがわざわざ指をさすほどのものでは無い。
もっとも、現在の時刻は昼なので夜の景色が広がっているという事は十分異常ではあるが。
しかし、その景色を眺めていると淡い光輪が地面から昇りだした。光は充分明るいが柔らかなものであり、熱を届けるが暑くなるほどでも無かった。
「これは――太陽か? 」
「ふふ、そうね。あなたの太陽よ」
「でも、なんで太陽が? 碧月の園は夜と月と花の世界の筈だ」
そう、十年前に見たあの桃源郷を俺は一日たりとも忘れたことは無かった。
「そうよ、でもあの時とは異なる部分は太陽だけじゃないでしょ? 」
――あぁ、そうか。俺が儀式に参加したからか。そう考えながら、フェリィの“私が月であなたが太陽”という言葉を思い出す。
「じゃあここはフェリィだけのではなくて俺とフェリィの神域となったということか? 」
「えぇ。ここに入れるのも、居る資格があるのも、所有者も私と貴方だけよ」
嬉しかった。この少女と大切なものを共有でき、大切なものに俺という存在が認められるという事が。
「……ありがとな。 さぁ工房を完成させよう」
俺とフェリィは微笑を交換した。
それから俺達は魔術工房を数時間かけて完成させた。といってもこれから改築は何度も行う予定であるが。
そうして完成した魔術工房の端にある休憩所で、ソファにフェリィと肩を並ばせ、ゆったりと座る。
「ふぅ。結構直ぐに完成したな。 魔術様様だな」
「そうね、じゃあ休憩がてらに魔力や魔術についての復習をしましょうか」
「そうだな――――」
……魔力とは。これは貴族であるならば誰でも答えられることであろう。
まず、魔力には二つ、種類がある。
一つ目は【白色魔力】。これは魔術に使用する際に使い勝手の良い魔力である。白と名が付くように、属性(火や、水など)が乗りやすい魔力だ。
二つ目は【透過魔力】これは純粋なエネルギーとして使われることが多い。といってもこの国では供給されず、専ら北方の【カルドル工業王国】が占有している。
かの国は工業が発達しており、戦争においては火の魔術ではなく、術式銃を、爆裂魔術ではなく術式大砲を扱う。術式銃、術式大砲はそれぞれ武器に透明魔力の通り道を刻み、動力源とした武器となっている。
しかし、白色魔力と異なり、透明魔力は魔術を行使するためには殆ど使えない。
白い紙に色(属性)を乗せることが出来ても。透明な空気に色を付けることは難しいという事に似ている。
だが、どの国においても魔力は貴族の“力”の源であり、平民の生活の糧となる。そして貴族の持つ魔宝珠とは魔力を常に供給し、魔術行使の際の触媒だ。
……そして魔術とは。これは人によって回答は千差万別であろう。よってここでは俺とフェリィの共通見解を記すこととなる。
――魔術。それは麗しき神秘への働きかけであり、天地万物へ影響を及ぼす事の出来る一種の儀式だ。「制限付きの全能」なんて言っても良いかもしれない。
赤熱した地面を冬の色に染め、天穹に月を掛け、そして幾千幾万の命を奪いうる奇跡だ。勿論、理論もあれば因果もある。しかしそれは霊験あらたかなこの世界の論理だ。
などと御大層なことを言っても結局のところ限度はある、なんといっても”制限付きの全能”なのだから。
平民は貴族から魔珠を授からなければ、基本的に魔力が無く、魔術を紡げず、肉体は脆弱なままだ。病にかかれば命を失い、災害に命を奪われ、戦場に命を置いて行く。
例え、貴族であったとしても魔宝珠には厳然たる格付けが在り、使用できる魔力もその格を超えることは難しく、一度戦乱が起これば必ず出撃せねばならず、敵からは真っ先に狙われる。
戦場では常に魔術をその限界まで行使しつつも己が身を守らなければならず、時として最前線へと赴き全力を持って敵の貴族と壮絶な殺し合いを行う。
それが、それこそが“貴族の責務”だ、と後ろから見守る平民達に背で語るように。
そして、魔術行使を補助するのが「触媒」と「代償」である。
まず「触媒」とは魔術を行う際に手助けをしてくれるものだ。魔術の効果を増幅し使用しなければならない魔力を削減させる。更に最高ランクの触媒――例えば熾天使の翼――ともなればそれの使用によって初めて発動が可能となる魔術もあるほどだ。
貴族の持つ魔宝珠は触媒として非常に優秀である。なぜなら全員が持っていて、何度使用しても劣化せず、魔力の供給源でもある為自分の魔力との相性は最高であるからだ。
次に「代償」だが、これは非常に単純でありながら絶大な効果を発揮することがある。一口に代償と言っても大きいものから小さいものから内容は様々だ。
小さいものの例としては、防御術式を紡ぐ際に一歩最前線の方向へ歩むことで防御力を上げるといったものであったり、詠唱を行ったりだ。
大きいものとしては……“この世界から最初から居なかった”ことになる代わりに別の世界へ生まれ代わったりだ。あれは正確には俺とフェリィの肉体を触媒として存在を代償としている上に、魔術より儀式の面が強いものではあるが。――我ながら無茶をしている。後悔はしていないが苦笑は顔に乗る。
今日魔術工房を作成するためにも魔術を多用している。例えばこの座っているソファも魔術で一度、魔宝珠へ圧縮し収納した後ここで再構築している。
そうして話は終わり夕食を二人で作り、頂く。両親には一週間ほどここに籠ると言ってあるので帰らなくても心配しないだろう。体も清めたし今日はもうやることは無いため、フェリィと共にベッドへ入り、軽く指を絡ませる。
「ふぅ、今日は大変だったな、明日からは武器開発でもするか」
「そうね。どんなものにするかは、もう決めているのでしょう?」
くすくす、と笑いながらフェリィはこちらを横になったまま見つめる。
「ああ!“あれ“は理論上は万能だ。あとはそれを形にできるか、ってところだな」
「もう、そんなに目をキラキラさせて。やっぱりフォルも男の子ね」
そう言ってフェリィは体をこちらに近づけ、頬を俺の肩に触れさせる。
「少し眼が冴えたな、フェリィ……」
軽くフェリィの細い腰へ腕をまわすしながら言うと、フェリィもこちらに軽く抱き着いてくる。
「ふふ、じゃあもう少し起きてても仕方ないわね? 」
俺達はベッドの中で抱き合い、顔は鼻先同士が触れ合うほど近くなった。
「あぁ、仕方ない――」
腰に回されたフェリィの手を軽く取り、指を口に含みながら軽く歯を立てる。そうすると、フェリィも目を妖しく光らせながら俺の指を同じようにする。
少しの間そうして満足すると、今度は首元に顔をうずめる。そして、気づいたときにはその白い首筋に噛みついていた。それは彼女も同じで俺の首元をかしん、と噛む。
血が流れる。溶けそうに心地よい。――噛んでいる口も噛まれている首筋も。肩には歯だけでは無く唇の感触もあるし、時々遠慮ががちに温かい舌先が触れてくる。この快楽は碧月の園で感じたものと似ているが、それよりも濃い。
血の一滴を飲めばその甘露が染み込み、一滴漏らせば溶けそうな心地よさが体を包み込む。貧血による虚脱感と吸血による充足感で自分の存在があいまいになり、フェリィと溶け合ってゆく、最初から一つの存在だったかのように
好きな子に噛みつく倒錯的でゾクゾクする感覚と自分の血が好きな子の体の一部になる事への昏い悦びが混ざる。
狂っているのかもしれない、それでもあの神域で唾液を交換した日から俺達は体の一部を交換することの抗いがたい快楽を知ってしまった。
体を廻る血の熱が肉体も精神も溶かして一つになる。――純化して行く。意識は混ざり合い言葉など無くても想いを交換する。
……夜は更けてゆく、花の香りに血を混ぜて。
今年最後の投稿です
皆さん良いお年を