始りの詩
処女作です!宜しくお願いします。
自分以外誰も居ない静謐な部屋で口元の血を手の甲で拭いながら、十年前のあの日の記憶を瞼の裏に浮かべる。
それは何時まで経っても色褪せない、心の奥で漂う極彩色の情景だ。
……そう、あの日は雪が純白の絨毯を世界に敷いている夜だった。
俺は学校帰りで似合わない黒いコートを羽織り、寒さから逃げるような速足で歩いていた。
しかし、なぜか胸騒ぎがする。
それは最近見る夢で感じる焦燥感と同じ種類の感覚だ。
その夢とは、夜月の光をそのまま流したような銀髪を煌めかせ、高貴な紫の瞳を揺らした幻想的な少女が月の下から俺に、語り掛けてくるというものだ。
彼女は必死に語り掛けてくるが、俺には何を言っているかを理解できない。
――言葉が分からないのだ。日本語でも英語でも、ドイツ語でもなく、またその他の有名な言語でも無い。
かといって、完全に意味の不明な音の集まりなどではなく、体系だっているように聞こえる。
それらを美しいと感じるほどに。
後になって思えば、高嶺に咲く花の様なあの少女に叶わぬと知っていながら恋情の雷火を灯していたのだろう。
今日は、そんな夢に出てくる彼女が纏っていた衣服について調べた。
どこか神道の巫女服に似ているが、決定的に異なる部分もあるその衣装を。
だが結局、学校の図書館で調べたが結果は惨敗、全くもって手掛かりさえ得られなかった。
そうして現在この雪道をしゃくしゃく、と虚無感と共に踏みしめている。
寒い。しかしこの胸を内側から焼き焦がすようなこの感情は、何だ。
全身を廻るこの血流がすべて沸騰したように感じ、吐き出す息は激情を帯びて真っ白だ。
以前、俺は挫折を経験した。ありふれた、どうでもいい理由で。
しかしその時、自分は優秀ではあるが頂点ではなく、万能ではあるが全能では無いという事を認めてしまった。
きっと、人はそれを成長と呼び、傲慢さが消えたことを褒めるのだろう。
それでも以来、及第点を重ね胸に空いた空洞を妥協で埋めて来た。
そんな俺が長らく感じてこなかった、この熱は、何だ。
吸い込まれるように裏路地へと進む。
何度か曲がった後、気が付くと目の前には雪で白みがかっているが鮮やかな赤を持つ祭壇があった。
ここは丁度一年ほど前、あてもなく散歩してた時に偶然見つけた場所だ。
始めてここに来た時、いくら埋めても塞がらなかった胸の奈落が幾らか満たされた心地がしたのを覚えている。
もしかしたら今日ここに来たのは、この清涼な、あの少女と近い雰囲気を持つ祭壇に今日の惨敗による 心の傷を癒されたくなったから、なのかもしれない。
この辺りに人通りは殆ど無く、また街灯も近くに無い。
まるでここだけ世界と交わるのを拒否するかのように。
夜に来た時はその暗さに驚いた。
その時は、都内であるのに闇夜に爛然と輝く星々が見えたほどだ。
偶然見つけたとはいえ、この美しき聖域への独占欲はここへ来るたびに高まっている。
そしてこの少々不思議な場所を他人に教えたら、この光景が壊れてしまうのではないかという予感もあった。
その為、ここには一人でしか来たことは無い。
いつの間にか心の中の噴火は収まっていた、熱が雪に融けるように。
だが、上を見ても空は俺の気分と同じ曇天で、心は冬の色のままだ。
それでも多少は安らぎ、家へ帰ろうかとした矢先、どこからかやってきたぼんやりとしている光の粒子が祭壇の近くに集まる。
それらは、蛍より淡くも星より力強い光だ。
呆気にとられながらその光景を見ていると、大小さまざまな粒子は祭壇の周りを回りながら人の形を成し始める。
それらはこの暗くなり始めた世界で際立っていて、心に深く焼き付いた。
そして、顔、肢体と形作られていく中で目の前の幻想的な風景と、夢の中での景色が結び付いてゆく。
完全に少女の形を確定させた光の奔流は、最後に強い輝きを放った後消滅し、そこには夢の中で出会った麗しい少女だけが残った。
彼女は神秘的なアメシストの瞳に水晶のように透明な涙を浮かべ、紅を塗ったような唇を笑みの形に歪める。
そして、わずかに透き通る嫋やかな銀髪を揺らし、万感の思いを乗せたような少し震えた声で言う。
「やっと、やっと逢えた。 本当に嬉しいわ。 好きよ、好きよ、大好きよ。 私の、愛しい人」
儚き初恋のつぼみは、花を開いた。
長い間その少女に見とれていた気がする。
しかし、それはほんの数瞬であったかもしれない。
それでも彼女は、こちらを見つめながら優しい微笑みを浮かべていた。
声を掛けようとして、今まで自分の呼吸が止まっていたことに気付く。
彼女を見た時から続く心臓の激しい鼓動を和らげたくて、深呼吸をし――声を返した。
「君、は? 俺は夢の中で君に……?」
言いたいことや、 聞きたいことの半分も言えなかったが俺は尋ねる。
「えぇ。私は……私はフェリシア。夜と月を司る神よ。フェリィと呼んでくれると嬉しいわ?」
その少女、いやフェリィは転がした鈴の音のような声で答え、少し恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「フェリィ……フェリィはなぜ、俺を知っていて、ここに居て、そして光と共に現れた? そして、なぜ夢に出て来たんだ?」
俺は落ち着き無く、質問を重ねる。動揺が声に現れた。
「ふふ、そんなに質問されても困っちゃうわよ。でも、あなたとの出会い免じて、答えてあげる。それはね――――」
そして俺と彼女は多くの言葉を紡ぎ、交換し、共有した。それは
もともとフェリシアは、とある世界のとある国で信仰されていた女神であり、その国が危機に陥った時にその力のほぼすべて使い、救った。
しかし、力を使い過ぎた為、存在すら不安定になり長い眠りにつき、気が付いたときには元居た世界ではなくここ――つまり地球に居た。
その後初めてこの祭壇に訪れたのが俺であり、その上それなりに高い頻度でここに来て、更には祈ったことも手伝い力が回復し、俺との繋がりが出来る。
……この繋がりを通じて夢で夕方――いわゆる黄昏時――にここへ来るように言っていたらしいが魔力を介していたためこちらが理解できなかった。(当然だ、俺はこの時魔力が何かすらも知らない)
という事であった。
だが通常一人の祈りなどの信仰のみでここまで力を得ることはあり得なく、その点が不思議であり、そうしてあれこれ俺のことについて考えているうちに恋心が芽生えらしい。
「そんな簡単に人を好きになるものか?」
俺も夢に出て来ただけでフェリィに恋心を抱いていたわけで、人の事は言えないが……。
「そ、それはね? 本当にもうすぐ存在すら消えちゃうっていう時にここを見つけてくれて、その上祈ってくれたでしょう? それでなんとか持ち直したのよ」
顔を赤らめ、目線を逸らしながら彼女は言う。
「それだけか? なんだか別の理由があるように思えるけど」
なんとなくフェリィが考えている事がわかる。
あたかももう一人の自分の様に。
「――本当は理由なんて後付けよ。見た時に分かったわ、この人が、あなたが好きだという事が。一目惚れ、ね?」
……もっとも簡単でもっとも難しい理由だ。その上、俺と同じ理由で心が震える。その感情の種類をその時は分からなかったが、安堵と歓喜と人々は呼ぶのだろう。
それらだけでも十分な驚きだが、一番大きな衝撃を受けたのはそれらの事からではない。
それは、フェリシアが貯めた力を使い今日元居た世界に戻るという事だ。
その言葉を聞いた時、未だ何も得ていない筈なのに、何かを失った心地さえした。
しかして、それは悲劇ではなかった。――少なくとも、俺にとっては。
なぜなら、俺もフェリシアと一緒に同じ世界に行くことが出来るというのだ。
だが、そのような大きい行為に代償はある。
ほかの世界に行き、そこで新たな人生を歩むことが出来るようになる代わりに、この世界で因果ごと俺は ”初めから居なかった” ことになるらしい。
正直、ためらいは大きい。
共に笑いあった友も、昔に逝った母も、不器用だったが愛を持って接してきた父も、不可逆に俺の存在自体を忘れるというのだから。
それでもフェリィと行くことを選んだ。
母は、人を愛せる男になりなさい、と言って亡くなった。
父は、うじうじ悩まず、俺より先に死ななければどう生きようが構わん、とよく言っていた。
俺は選択を恐れず、そして長く愛した人と添い遂げる男になれるだろうか。
あともう一つ、あるとすれば、今度こそは妥協しない人生を。
「さぁ、この手を取って。一緒に、世界を越えましょう?」
俺は彼女の差し出した手を取ろうとし、少し引っ込め、今度はしっかりと握った。
すっかり日の沈んだ白い暗闇の中でこの世界に居たという記録はなくなり、俺とフェリィの記憶の中でのみ証明されることとなった。
――――涙が一滴、雪に落ちる。
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