Antidote─幸せな不幸せ─
デウェルは走った。店のドアをくぐり、談笑の響くホールを抜け、階段を昇る。デウェルのただならぬ様子に気付いた一人の男に声を掛けられる。
「──君、招待状は?なんか身なりがだらしないが…」
デウェルはその男に掴みかかる様にまくし立てる。
「──おい!アズリエフ──……金髪に青眼の女、どこだ!?」
その切羽詰まった様子に男はたじろぎ、言葉も切れ切れだった。
「──き、金髪の女なんてたくさんいる!招待客なら二階の大部屋なんじゃ──…!」
その言葉を聞いてすぐデウェルが過ぎて来た一階のホールから悲鳴が聞こえ始めた。デウェルは男を突き放し、騒ぎに響めく大部屋に駆け込む。
「アズリエフ!どこだ、アズリエフ!!」
そう言って広間を分け行って進むデウェルだが、徐々に広間の人間にも事態が把握され、逃げ出そうとする人間や混乱する人間が波立ち、探している影が一向に見当たらない。
するとふと、視界の端に光る青が見えた。
アズリエフだ。青い花の付いたドレスに美しい髪を纏めあげ、広間の片隅に青ざめてしゃがみ込んでいた。
「アズリエフ!」
声を上げてその細い肩を掴む。アズリエフは震える身体をびくりとさせてデウェルを見つめると、みるみるうちに涙を溢す。
「ニック──ねぇ、何──なにが、こわいよ、ニック──!」
「いいから!早く立て!」
そう言ってアズリエフを立ち上がらせようとするデウェルだが、アズリエフは腰が抜けた様子で立てなくなっていたのでデウェルがアズリエフを背負って走る。──騒ぎで人が入り乱れる窓辺へ。
「──ニック……?どうして…そっちは……──!」
涙を流すアズリエフを背負ったまま、デウェルは助走をつけ、窓を突き破って二階から飛び降りた。
「いやぁぁぁっ!!」
窓ガラスが飛び散ってアズリエフの金の髪に降りかかるのがまるで芸術品の様な美しさだ。
デウェルは着地の衝撃で脚の骨が折れた気がしたが、どうせ治るとたかを括って、その通りだった事に安堵の溜息をつく。
「──ニック──平気なの……?これは、どうして、なんで──?」
骨が繋がった感覚を確かめてアズリエフの手を引いて走ろうとするデウェルに、アズリエフは首を振って狂った様に殆ど叫ぶような形で詰問した。
「待ってよ!どうしてあなたがここにいるの!?どうしてあなたが来た途端にこんな事になるの!?──何か知ってるなら教えてよニック!」
デウェルは迷ったが、偽らないで伝えないといけないと思い、アズリエフの両肩を掴んで、息も絶え絶えに言った。
「俺のせいだ。──俺の『身内』が、ここにいる全員を殺す。……でも、俺は……、お前を……」
アズリエフの美しい青い瞳から涙が溢れ続ける。見開かれた瞳が背後の灯りを反射する。
どん、と、アズリエフがデウェルに倒れ込んだ様に思えた。──少なくともデウェルには。
視線に染まる朱はアズリエフのものではなく、デウェルの血だった。
アズリエフはデウェルの腰に提げてあったナイフを奪い、彼の胸に突き立てたのだ。
デウェルの胸から血が噴き出し、アズリエフの白い頬に飛沫が飛ぶ。
デウェルは膝をつき、アズリエフはナイフを両手に持ったまま路地の壁まで後退る。
「やだ──まだ私──死にたくない、もん──。だって、だってまだ私、幸せになってない──!」
胸を押さえるデウェルが苦しそうに視線だけをアズリエフに向ける。すると彼女は罪悪感からか、半狂乱といった様に泣き叫ぶ。
「──だってそうでしょ!?お、男の人が、私を『きれい』って褒めてくれても、結局みんな居なくなって──私を、一人にするんだもん!──私のこころは、いつも冷たいままだわ!そんなの全然『幸せ』じゃない!」
流れる涙が頬の血を吸収して伝って落ちるものだから、涙の色が薄紅色だった。
デウェルはその言葉を聞いて、額の汗を拭い立ち上がる。アズリエフはその様子に驚愕する。彼女がナイフを突き立てた筈の場所には衣服に穴が開き血が付いていたものの、身体には穴どころか傷跡さえもなかった。
デウェルはふらふらとした足取りでアズリエフに近付く。アズリエフは闇雲にナイフを振り回して、近付くのを拒んだがデウェルの腕の一振りにナイフを払われてしまった。デウェルはアズリエフの両手を掴み背後の壁に叩きつける様にした。彼女は怯えきった瞳で彼を見上げると、彼は口元を片方だけ上げて、喉に血が上がって来るのを感じながら喋る。
「──どうだ。俺はまだ、居なくなってねえ。お前の『友達』のニックは、死んでねぇぞ──!」
「──!」
その言葉に、アズリエフは顔をくしゃくしゃに歪ませて涙を流す。
「簡単に、棄てようなんて思うんじゃねぇ──今のお前が不幸でも、先なんて分かんねえ。──俺を、…俺らを、簡単に棄てようなんざ、思うな……!」
その言葉にアズリエフは嗚咽を洩らしてデウェルにしがみつく。デウェルもアズリエフを強く抱き締めた。
アズリエフは嗚咽に混じる様な涸れた声で呟いた。
「……今日ほど幸せな不幸なんて、無いわ……」
そうしてデウェルはアズリエフの肩にもたれかかってこう言った。
「…………泣くな。約束、だろ…」
「……ニック……うん、覚えてる。…ごめんね、もう泣かないから──」
そう言って泣き腫らした目で笑うアズリエフに、デウェルも笑顔を返そうとした時だった。
アズリエフの顳顬に銃弾が刺さる。アズリエフの青い瞳から一瞬で光が失われ、地面に頭を打ち付けるとそこに血溜まりが出来た。
デウェルは白い顔のまま、銃弾が飛んできた方へ目をやると、アルギントが銃をこちらに向けたまま立っていた。アルギントは煙草を箱から出しながらあっけらかんと言葉を紡ぐ。
「駄目じゃないですかぁ。『処分品』を逃がそうなんて、パパがヘイアンさんに怒られちゃうでしょう?」
そう言って煙草に火をつけてそれを吸うアルギントに、デウェルは目を見開いて、震える声で何とか声を出した。
「──いつから──?」
「最初からです。いやぁ青春だなぁって思って見てたんですが、話に一区切りついたかなーって、撃ったんですけど。まだ話し足りませんでした?」
その言葉を聞いてデウェルはアルギントを殴った。アルギントは一歩だけよろめき、煙草を落としたがそれだけだった。口元の血を拭う。
「──痛ぁ……まぁ、殴って気が済むならいいんじゃないですか?パパのほっぺたは基本女の子の為の物ですが、こう言う時は甘んじてですよ?」
「ふざけんな!お前にどうでも良い人間にだって、生きてく理由があるんだよ!」
そう言ってもう一発見舞おうとしたデウェルに、アルギントが平手を入れる。
「知った風な口を効かないでくれませんかね。私の生きてく上で邪魔だったんですよ。君も、そこに転がってるお嬢さんも、私にとって邪魔になるのなら、排除を厭う由もない。」
心底底冷えする瞳で、心底本音をぶつけられたデウェルはその場にへたり込む。アルギントはデウェルに背を向けこう言った。
「──では、私は行きます。またどこぞの処分品が逃げ出すとも限らない。──今日は君はもういいです。朝になる前に店に戻りなさい。」
そう言って本当にアルギントは去って行った。デウェルはまるでただの穴になった様な虚ろな目で倒れているアズリエフを眺めた。陶器の様な肌だ。目も石のようで──
母さん。
そう感じた自分が可笑しくなって声を出して笑った。
俺の心はまだあの屋敷に居るんだ。
まだ主人の肉を貪って仇をうったつもりの餓鬼なんだ。
やってられるか。
そう言ってデウェルも立ち去った。
デウェルが立ち去りアズリエフの骸だけがある路地に、まだ十も行かないような年端の子供が覗き込んだ。
「──わぁ──あかい!おねえさん、あかいね!かみのけもきんできれい!」
そう言って、血で染まったアズリエフの金の髪を撫でた。
──next end──