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Stage.7:『Il cielo sul quale gira(反転する空)』

 その男は、当然の様に、そこにいた。

 黒いフードのついた、黒いローブ。身長は一七〇あるかないかと言ったところか。その黒装束は決して十字教圏の装束ではなく、しかし手に持った競技用ボウガンに番えられた(ボルトアロー)には、十字教の術が施してあった。

 どうして、その男がそこにいるのかは分からない。

 分かるのは、咽る様な鉄の匂いと、骨の軋む音と、歩く度にペチャペチャと鳴る水浸しの床。ところどころにぶよぶよした気味の悪い固形物が、落ちている。

 床にこびり付いた水が何なのか。暗がりでは何なのか分からないが、それでも、何となく想像がつく。

 それは、大量な、人の――だ。落ちている物体は、考えたくないが、――なのだろう。

「……」

 黒いフードに隠れた双眸が覗く。暗闇にも拘らず爛々と輝く瞳は、人間のモノとは思えないくらいだ。凄惨な状況に、身動き一つ取れない。

「テメ、ぇ……ここで、何を、している……」

 何とか搾り出した自分の声は、震えていた。白い甲冑の腰に下げた剣に手をかけながら、黒いローブの男を睨みつける。カチャカチャ、震えが止まらない。それでも、逃げる訳にはいかないと自分に言い聞かせ、一歩を踏む。ビチャリと、また、水の音。

「……貴公は、チュートン騎士の者か」

 ぞくり。黒いローブの男が呟く。『そういうもの』とは思っていなかっただけ、背筋が凍る。自分の問いかけが無視された事に気付けないくらい、正気を失っているみたいだ。どうしてコイツはここにいる。どうして自分はここにいる。

鉤十字(スワスティカ)。間違いない様だな。ならば丁度いい。この村にいた吸血鬼は全て排除しておいた。後始末を頼みたい」

 その言葉にハッとする。そうだ。自分は、吸血鬼を確認した教皇庁から派遣されたのだ。他の騎士団は他の家屋の調査。部隊長である自分は、たった一人で単独行動。それは『仲間を殺して仕舞わない』配慮であり、同時に、自分と行動を共にしようという者がいない為でもある。

 疎まれているのは分かっている。自分は異端だ。どこにも自分の居場所なんてある筈がない。その意味は孤独。

 だが、『孤独』程度では、絶対に勝てない存在が目の前にいる。その男に相応しい言葉は、『孤高』。

 吸血鬼を排除した、と男は言った。どうやって吸血鬼が潜伏している事を知ったのかは疑問に残るが、今はそれ以上に気にかかる事がある。

「……この村に、生きている人間はいなかった。それも、お前の仕業なのか?」

 そう。

 この村には、生存者はいなかった。正確には生きている『人間』がいないのだ。他は全て、異形の異端と化していた。

「ふん。知った事か」

 男は語る。ボウガンを右手で弄びながら、淡々と。

「……どうして、助けてやれなかった。お前、強いんだろ? どうして、救ってやれなかったんだよ!」

「私が来た時、すでにここは地獄だった。助けられなかったのは残念だが、私より後に到着した貴公らに口出しされる謂れはない」

「――そうかい」

 震えは……止まった。もう考える事はない。剣を一気に引き抜き、構える。ユラリとした動きで、男もボウガンを身構える。

 一目で分かった。コイツは『人間』じゃない。圧倒的なプレッシャー、惨劇を見ても平然としていられるその態度、たかがボウガン一つで吸血鬼を全滅させた強さ。殺す強さ。

 コイツは異端だ。自分と同じ、独りの異端。『孤独』では『孤高』に勝てない。そんな事ははなから分かっちゃいるが、外敵を殺すのが騎士としての誇り。それだけは、孤独であろうとも譲れない。

「……貴公に問う。貴公は我が敵か?」

「敵だ。俺はお前を殺す」

 そうか、何て気の抜けた言葉を男が発した瞬間、俺は剣を両手に握り締め、飛び掛った。

 ピチャリと、また、水の音。









[Fab-28.Tue/13:40]


 ピチャリと、また、水の音。

 あの時と同じ音。

「ぐっ、そ……。くそ、クソ。クソッタレが……ッ!」

 アントニオは剣を支えに立ち上がりながら、ぴちゃり、という水の音を聞いた。額から流れる赤く熱い体液。アキラとの近接戦で頭突(バッティング)した衝撃で切れたのだ。

「……フン」

 ペロリと、アキラは額から頬にかけて流れる血を舐める。

服の袖で血を拭って、すぐに出血する現状、無駄な事をするのを止めたのだ。血液には血小板という成分があり、空気に触れる事で凝固する性質を持つ。血を拭うという行為は、傷つけた血管周辺の血を全て抜くという事に繋がるので、単に傷口を塞ぎたいだけならば『触らない』事が一番手っとり早いのだ。衛生面はともかく。

 アキラは見下す。血の混じる視界で、自分にとって『敵と認識するに値しない』魔術師・アントニオを、凍り付く様に冷めた双眸で見下す。その表情には、何の(かんじょう)も見当たらない。

 三度。アントニオが立ち上がり、立ち向かってきた回数だ。そして今、四度目、アントニオは立ち上がった。その執念、強すぎるその感情には、さしものアキラも舌を巻く。目の前の者は、自分より遙か高みの存在だ――アントニオでなくとも、これだけの実力差を見せつけられれば、格の違いに気付く事だろう。

 アキラならば、こんな無謀な突貫は出来ない。というかしようと思わない。実力差を計り、隙をついて倒せる相手かどうかを測り、無理だと判断すれば即座に退く。倒すだけならば、何も真正面から立ち向かわずとも闇に紛れて背後から攻撃するだけでいいのだ。

「……理解出来ないな。任務は、吸血鬼の排除と、極彩色(ランダムカラー)の回収と、……理由は知らないがカナタの殺害なんだろ? なら、どうして真っ向から挑む? わざわざ任務の難易度を上げようとする無駄な行動の真意が掴めない」

「……だろうな。テメェには分からねぇだろ。……最初(ハナ)から強いテメェには、一生分からねぇ。弱者の言葉なんざ、負け犬の遠吠えにすら聞こえねぇだろ! ケケッ、強さは『勝つ』事じゃない? あぁ、そんな事ぁ、ずっとテメェを見てきた俺が一番よく知ってる! けどな、お前も、『アイツ』と会えば分かるさ! 誰にも負けず不敗、全てを陵辱する常勝! それが『強さ』の定義(カタチ)だと!」

 その、アントニオの叫びに、アキラは鼻で笑い、アンデルは俯き、カナタは心臓を鷲掴みにされた様な錯覚に陥った。

 アントニオの言う『アイツ』が誰なのかは知らない。だが、弱者(カナタ)から見た強者(アキラ)は、きっと、同じなのだ。負けず屈さず常に無敵最強。そういう点では、カナタとアントニオは似ていた。

 二月に入り、二回も魔術世界の戦いに首を突っ込んだカナタ。魔術世界を知っていながら魔術を使えない彼は、それでも魔術師と戦った。信念を貫く為に。

 だが、その中に一度でも、まともな勝利はあっただろうか。護ると決めた友人らの為に固めた拳はしかし、護りきれなかった事に対する悔やみしか生み落とさない。

 だからこそ、カナタとアントニオは、アキラを畏怖の象徴として崇高しているのだろう。友人でありながら目標である彼には、二人のジレンマは一生理解出来ないかも知れない。

「俺は、お前より高い目標を見つけた。『アイツ』の強さこそ、強さだと。その為に、今までの(もくひょう)だったテメェを潰さないと先に進めないのに……どうしてテメェは、ずっとそこに立ってんだよ!」

 言葉が支離滅裂になってきた。その場の誰もが理解しきれていない。アントニオの吐き出した強い感情は、誰にも理解出来ない。くそ、と吐き捨て、四度目、アントニオが封殺法剣(アトリビュート)で斬りかかろうとした瞬間、

「……なっ。テメェ、どこから覗いてやがる!?」

 不意に立ち止まり、アントニオは周囲に集う人々を見渡す様に、視界を巡らせた。









[Fab-28.Tue/04:40]


「まずは落ち着いて下さい、ゲルリンツォーニ。私はそこにはいません。今はヴァチカンの聖ピエトロ大聖堂より、長距離通信魔術で貴方に連絡を取っています」

『長距離通信……だと? 馬鹿な、大海越しの通信魔術なんて聞いた事がない!』

「えぇ。ですが、それも精密な箱庭と、正確な座標さえ割り出せば可能となります。箱庭の制作者はユリア様です。縮尺に、狂いなどあろう筈がありません」

『――ッ! あの野郎、どういうつもりだ!』

「それを今から説明します。落ち着いて下さい」

 箱庭が設置された空間には、少女・リュドミアだけが残されていた。その眼下に映るは箱庭。彼女は偶像理論(テレズマ)を大規模化させた通信魔術を以て、アントニオと連絡をとっているのだ。

「単刀直入に告げます。今すぐその街……いえ、その国から撤退して下さい。今より丁度六時間後、聖ラテラノ大聖堂である殲滅魔術を発動します」

『殲滅魔術……だと?』

「はい。グレゴリオ聖歌隊三三三三名による特大規模魔術です。この魔術はどんな魔導書にも載っていない新魔術式(オリジナルタクティクス)であり、便宜上、『ロンギヌスの槍』と命名されています」

『……何だと?』

「分かりませんか? 今より数時間後、その地を中心に、被害推定およそ二〇〇キロメートルという戦略級の爆撃が行われる、と言っています」

『――……』

 言葉に詰まったのか、間が空いた。アントニオも分かっているのだろう。彼は直情思考の強い性質(タチ)だが、冷静に状況を整理する聡い一面も持ち合わせている。リュドミアの言葉で、状況を理解した筈だ。

 『イスカリオテのユダ』の異名を持つ男・ユリアが箱庭を作った理由。それは決して、リュドミアに通信魔術を使わせる為でなければ、アントニオの動向を探る為でもない。恐らく、『ロンギヌスの槍』とやらを発動させた後の道しるべにするつもりなのだろう。

「……その様子では、何も聞かされていない様ですね。今すぐその地を離脱して下さい。恐らく、この勧告は最初で最後になります。……ユリア様が教皇様に許可の申請に行ってる今こそ、私に出来る限られた時間なのです」

『……それは、』

 リュドミアが言外に語った言葉。アントニオが次の句に詰まった言葉。

 ――それは、あの男……ユリアの申請は、確実に通る。恐らく、地球上を見渡しても、ユリアを止められる奴なんていやしない。世界の半分である魔術世界を納めるWIKの長でさえも、奴は止められない。

『……クソッ、たかが吸血鬼とガキ一匹殺す為に、何を考えてやがるんだアイツは!』

「……だと、いいのですが」

 ぽつりと、リュドミアが呟く。

 その先の言葉が何なのか。何となくだが理解できたアントニオはしばらく黙し、口を開いた。

『……分かった。時津カナタの殺害と、吸血鬼の排除は諦める。ただ、極彩色(ランダムカラー)は連れて帰る。目的を違えるんだ、そのくらいの手土産は必要だろ』

「……無茶はしないで、ゲルリンツォーニ。あの人は、」

『じゃあな、リュドミア』

 リュドミアの言葉を遮る様に、アントニオが告げる。リュドミアは目を瞑り、

「えぇ。さようなら、ゲルリンツォーニ」

 回線を切断した。









[Fab-28.Tue/13:45]


「……くそ、あの野郎」

 ガンガンと響く頭を押さえながら、アントニオは剣を地面に突き刺して、曲がりそうな身体を支える。長距離通信を何の媒介もなく行ったせいか、頭痛が激しい。

 だが、意識ははっきりしている。思いもよらなかったリュドミアの介入は、良くも悪くも、アントニオを冷静に帰したのだ。アントニオは冷淡な双眸でアキラを睨み、カナタを流し見て、最後にアンデルに照準を合わせた。

「……都合が変わった。チンタラやってる暇はなさそうだ。ロンギヌスの槍、ね。イカレてやがる」

 瞳に輝きを取り戻したアントニオに対し、アキラ、アンデル、カナタは身構える。今までのダメージは蓄積しているだろうが、恐らく、今まで以上に強いだろう。これが『イスカリオテ』の真の姿(カタチ)なのだ、と。

「……アキラ」

「あん?」

「……もっと。ちゃんとした展開(カタチ)で、お前から離別したかった」

 どこか寂しげに、アントニオが呟いた瞬間、

 ヒュンという風切り音と共に、アントニオの姿が虚空に消えた。

「……縮地法!?」

 真っ先に行動を取れたのはアキラだった。身を反転させ、構えを真後ろに取った。アキラの反応により、カナタとアンデルは初めて、アントニオが目にも止まらぬ高速で動いたのだと《ぞぶりッ》そちらに……視線を、向け……?

 え? と、カナタの呼吸が、止まった。構えを取ったまま、アンデルがいた筈の後ろを振り返り、ポカンと口を開けたまま惚ける様は、とても間抜けに見えた事だろう。

「お前には、俺の保身になってもらわねぇと困るんでな。悪く思うなよ、極彩色(ランダムカラー)

 カナタとアキラが振り返った先。

 そこには、左の脇腹から西洋剣の刃を、不格好なオブジェかアクセサリーの様に生やしたアンデルが、口から血を吐き出していた。更にその後ろには、縮地法という高速体術で移動したアントニオがいて……西洋剣・封殺法剣(アトリビュート)の柄を、握っていた。剣先はアンデルを貫通していて、血に塗れた刀身は、昼刻の光を鮮やかなまでに反射している。

 遠巻きに見ていた人々のうちの誰か(恐らく、今まで本当の殺し合いとは思っていなかったのだろう)が、悲鳴を上げた気がした。

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