Stage.6:『Nemico interno(内なる敵)』
[Fab-28.Tue/13:25]
風を切る、杖の一撃。突きに分類されるその攻撃は、しかし、弧を描く様な軌跡を以てアキラの眼球を抉るべく飛来する。が、ラケットによるスマッシュにも匹敵しかねない速度の突きをアキラは体重移動のみの最小限の動きでかわす。双眸はアンデルを捉えたまま、ギラギラと妖しい光を放つ。
重心の方向を膝を基点にアンデルに肉薄し、右手を掌底の型で固定し、さながらミサイルの如き速度で放つ。寸分違わずアンデルの顔面を捉えた掌は回避する事など不可能、
であれば、回避する必要など存在しない。アンデルは杖の後尾を握り、アキラの掌を横合いから激打し、杖を回す様に攻撃を逸らした。動きに迷いはなく、思考する間もない動きは時に神速と称される程だ。
そこへ、二人の間を裂く様に――否、二人もろとも刺殺する様に、アントニオがフェンシングを思わせる動きで封殺法剣を繰り出す。
「ケケケケッ、死んどけテメェら!」
「チッ!」
アキラの背後に迫る霊装。そちらを振り返る暇はない。体重移動後に無理な攻撃を行った事もあって、動く事すらままならない。それはアンデルも同じであり、攻撃を逸らす事に精神を全霊をかけていた為に、回避は間に合わない。
この瞬間、アキラとアンデルの利害は一致していた。このままでは二人まとめてアントニオに殺される、ならこの攻撃を避ける必要がある。
魔術師であれば触れただけで死ぬ剣というのならば。
まずはこれを避けなければ話にならない――!
アンデルは即座に腹部を守る様に両腕をクロスし、杖を間に挟んで衝撃に備え、アキラは崩れかけの体勢から大きなアクションでアンデルを蹴り飛ばした。凄まじい衝撃にアンデルの身体が吹き飛ばされかけ、体勢が崩れていたアキラは反発力に耐え切れない様に後方に飛ばされた。何もない宙を、封殺法剣が裂く。
ヒュン、という風斬り音。その切っ先が棒立ちするしかないカナタの髪を、数本切る。それだけ。ただそれだけ。アントニオの視界にカナタの姿は映っていない。ただ、たまたま近くにカナタがいて、たまたま剣先が五センチ横を通り過ぎただけ。
(……ッ!?)
ほんの五センチ横を死が掠めたというのに、カナタは動けない。
「ほぉ……エスパダイ・ダガ、かな? ケケッ、なかなかいい動きをする」
アントニオの視界はカナタを映さない。先程からずっと、アキラを捉えた深緑の双眸が濁った不気味な光を有しているだけだ。
「エスパダイ・ダガ……植民時代、フィリピンからイタリアに伝承された二刀剣術で、中には杖術も含まれるって話だが……。なるほど、イタリアの国技はフェンシングだと思っていたケド、どうも違う様だな」
「まさか。誠、その通りよ。そう言う点で言えば、そちの男より余の方が異端と言えよう」
アキラの疑問に答えながら、アンデルは長い杖を振り回す。協力してアントニオから逃れた二人に対し、アントニオは口角をつり上げた。
「ケケッ、二人で共闘して俺を倒すハラかぁ? 別にそれでも構わねぇよぉ、俺はぁ。テメェらが魔術師である以上、一〇〇人いようが二〇〇人いようが全て斬り刻んでやっからよぉ!」
「耳障りなり、口を慎め異端」
「テメェもだよ、極彩色。鬱陶しい上に癪に障るから喋るなクソアマ」
ギョロリ、とアントニオの眼球が蠢く。たった一人の魔術師を視界に、どうという事もなく、ニヤリと口嗤う。カナタを視界に入れる気は毛頭ないらしい。それもそのはず。彼ならば、たかが一般人『如き』、いつでも殺せる。今、ほんの少しでもアントニオがカナタを気にかけただけで、カナタは三度は死ぬ。その程度ならば、わざわざ今のうちにどうにかしようとは思わない。
「……ケケッ。どうだ、アキラ。これが、……これが、今の俺の実力だ」
「……フン、だから、何だ?」
「なぁ! お前は楽しくないか!? 命を削るこの緊張感! ケケケケッ! 俺は楽しい! 楽しすぎて笑いが止まらない! なぁ、アキラぁ! どうだ、俺は強くなった! 『あの時』と比べて、俺は、お前を簡単に殺せるくらい、強くなったんだぜ!?」
狂笑する深緑の双眸。高らかに嗤う。
アントニオの言葉に、アンデルが顔をしかめる。どうやらアントニオの言う『あの時』というキーワードが気になった様だ。
「認めろ、アキラ! 俺は強くなった! 自惚れじゃねぇ、今度こそ! 俺は本当に強くなった! だから、認めろ! いつまでオトモダチごっこしてるつもりだ、本気で殺しに来い! そして認めろ! この俺、アントニオ=ゲルリンツォーニは、アキラ=ヒルベルドの『敵』だと!」
脈動する様に、眼球が、臓器が、四肢が、全身が、悲鳴を上げる様にビクビクと痙攣する。脳内麻薬の大量分泌、その極致。オーバーヒートする頭脳と、オーバーロードする身体中の細胞全てが鼓動する。涎でも垂れ流さんばかりの勢いで口をぱっかりと開け、舌なめずり。自意識の過剰反応は神経系に神経毒にも似た生体物質を生成し、脳を破壊し尽くす。受容器の崩壊に伴い多極性シナプスの異常反応、その境地。
「ケケ、ケケッケケケッ! どうした、アキラ! 勝てない敵にびびってんのかぁ? なあに、気にするな。それがイキモノとして当然の――」
「御託はいい。来ないならこっちから行くぞ、雑魚」
かき消す様に。吹き飛ばす様に。遮り笑い潰し感情を殺しただただ嘲る様に、アントニオに肉薄するアキラ。ギョロリと、また、眼球が蠢く。
一気に加速し、全体重を乗せた拳を繰り出す箭疾歩、バックステップで避けるアントニオに追い討ちをかける様に二指で突く。不意打ちの前者は八極の手、追い討ちの後者は蟷螂の手である。アントニオはもう一度、空中で無理に足掻いて地面を蹴り、無様に地面に手を突いて倒れ込む。そこに、アキラの追い討ち、掌で弧を描く様に振り下ろす一撃が、アントニオの首筋を穿つ。
呻き声を上げながら、アントニオはがむしゃらに長剣を振り回すが、不意にアキラの姿が消える。背後に気配を感じると同時に、腹部に衝撃が走る。震脚。それもまた、八極の一手である。
「えぐぅ、ッゲ!? ゴボ、ゲホ……!!」
肺の空気が、全て吐き出される。唾液と血液と胃液の区別がつかない嘔吐。見下ろす、魔術師。
「お前が、俺の、敵? ハッ、ナメられたもんだな。それとも調子に乗ったのか? は、はは、ハっ、ハッ、ハァッ! 思い上がるな。カウンターが駄目なら近距離戦、近距離戦が駄目なら遠距離戦。悪いけど、テメェみてぇなクズが敵だった事なんざ腐る程あんだよ。触れたら死ぬ剣? くっだらねぇ。だったら、振る暇もなく潰せば早い話だ」
圧倒的な力の差。獣になる必要もない。特殊な力は、所詮、特殊な状況下でない限りは役に立たない。使い捨ての対戦車ミサイルを持っていたところで、格闘戦では何の役にも立たない様に。
アントニオの能力は、『あらゆる魔術を殺す』事。ならば、『魔術を使わない』魔術師であるアキラには通用しない。
本来、アントニオの戦闘スタイルは、迫る魔術師を悉く打ち破りながら、その隙を突いて敵を破壊する。故に、相性の良し悪しで言えば、魔力を放出タイプの魔術師に限る。体内に魔力(=氣)を溜め、標的の身体を媒介に叩き込むアキラは、最悪の相性とも言える。
だが、それはアキラも何らかの武器を持っている事が条件となる。単純な話、アキラ腕よりも、アントニオの剣の方が効果範囲が広く長いからに他ならない。アキラが何らかの武器で、剣に触れさせず、アントニオを撃つ。それ以外に道はない。
では、仮に。『アキラの攻撃範囲』が伸びる、としたら。
その決め手となったのが、箭疾歩――ではなく、二指を使った突き。避けられはしたものの、それこそが決定打。その技は蟷螂拳と呼ばれる中国拳法の一種であり、指の分だけ距離は伸びる。
拳や掌を使ってもアントニオの剣を避けられない、というのならば、
とにかく『効果範囲が伸びる』攻撃を繰り出せば、そのハンディキャップは、簡単に縮まる。
「蟷螂拳を色物拳法だと思うなよ。確かに起源は獣拳……蛇拳や猿拳みたいなものと同じだが、姜化龍という蟷螂拳始祖の一人は、指一本で頑丈な家を破壊した伝承もある。発剄を指先の面積だけ圧縮する、最高純度の破壊力……。俺が使う拳法の中でも、『攻撃』に特化したものの一つだ」
そう語るアキラだが、この戦略は、賭けに近かった。ただ指の長さだけ稼げばどうにかなる様な相手ならば、最初からしている。それが出来なかったのは、アントニオが警戒していたからだ。その警戒が、ほんの僅かに緩んだ一瞬……即ち、アンデルと協力してアントニオの攻撃をかわした時、アントニオは『アキラが自分から逃げた』事に、優越感を感じた。
その一瞬。警戒が緩み、態度こそ変わらなかったものの、彼は確実に『油断』した。
アキラの戦闘能力の高さ。それは、ひとえに技術の高さではない。恐るべきは、眼力。一挙手一投足、眼球の動きすらも見逃さない、洞察力の高さ。
アンデルは歯噛みする。現状、もはや、彼女も、カナタも、視界に入ってはいない。ただ、イスカリオテの一人が、たった一人の戦力に伏した。ただ、それだけの事実を思い知らされた。先程までの甘い考えを、一変させる。
自分如きが、この男に勝つ。……馬鹿げた話だ。『異端殺し』の名を持つローマ十字教と張り合う程の吸血殺しのスキルの高さ。そんな人間を相手に、たった一人で勝つ? 同組織にして異端の徒、イスカリオテと共に、倒す? ……なんて愚かな。
「聞け、アントニオ。俺はテメェ如きを、敵とは認めない。その程度で……たかが魔術師を殺す程度の力を持ったくらいで、何を勘違いしてたんだ? 魔術師だって人間に過ぎない。殺すだけなら、一〇〇円で売ってるカッターでも充分だろ。火が欲しけりゃ魔術なんてなくてもライターがあればいいし、スプーンを曲げたきゃ超能力なんて必要なく、ペンチで事足りる。だが、お前は、そこから先に進む事をやめた。『其処に満足した』。そんな奴が、勝てる訳がねぇだろ」
――勝てない。
カナタの友人に、癸千鳥という魔術師がいる。つい半月前には、魔術世界で『逃げる事に特化した魔術師』として有名な強敵・追跡不可と互角の戦いを繰り広げた様な、戦闘技術に長けた魔術師である。チドリは式神の式、詠唱魔術、何より体術に長けた魔術師で、アキラと同程度の実力者だと思っていた。
大いに間違いだ。カナタが知る限り、アキラに勝てる者なんて存在しない。
「魔術に必要なのは、火力じゃない。特異性でもない。必要なのは、常に安定した出力を保つ汎用性だって事にいい加減に気付け間抜け」
アントニオを見下すアキラの言葉に、カナタはドキリと肩を震わせた。それはカナタの所属する特殊部隊のテーゼに近い言葉だったからだ。
例えば、つい半月前に戦った魔術師・水鳥静香という魔術師は、まさにそれの典型的なアンチテーゼだった。彼女の魔術は追跡剣といい、その用途は『空中浮遊能力・追跡誘導能力を有する投げナイフ』であり、投げるが故に手元には残らない。カナタはこれらを確実に行動不能に追い込む事で、事なきを得た。
特殊な武器というのは得てして、特殊な状況下でしか使えない。戦場において一番重要なのは、いつでも使える汎用性の高い武器。恐らく、ただの魔術師が相手なら、アントニオはまさしく無敵。魔術師を殺す魔術師を殺す魔術師は、本当の意味で『誰も敵にすら感じない最強』を知っている。
「ふ、……ざ、けるな、よ……。どうして、俺が、負ける……? クソ、クソ、クソクソクソ! ふざっけんなよ、アキラぁ!」
立ち上がりざまに斬りかかるアントニオ。冷静さに欠けた一撃だが、触れれば死ぬ、という脅威は未だ消えていない。アキラは瞬きせずにバックステップで距離をとる。
「お前、さっき、偉そうに能書き垂れてたよな。俺が変わったとか何とか。俺から言わせてもらえば、変わったのはお前だ。いつかのお前は、強さを求めていた。誰にも負けない強さをだ。……ふん、いつからお前の『強さ』は『勝つ』事にすり替わったんだ?」
ドイツ・チュートン騎士団重装騎士、アントニオ=ゲルリンツォーニ。その意味は『異教の排除』。だが、その内容は、決して他を殺す為の行為ではない。
『外』の敵を排除する事で、『内』の者を守る。かつてのアントニオは確かに、そうして生きていた筈だ。だからこそ、外敵と対峙したのではないか。
「お前、俺に憧れてたとか言ってたが、そりゃ俺も同じだ。俺は、お前の『何かを守る力』に憧れてたんだぜ。俺には『殺す力』しかなかったからな。……まぁ、それも、幻想だったみてぇだけど」
悔しそうに、楽しそうに、アキラは笑いながら、再び身構えた――。