Stage.5:『Judas Iscariot(イスカリオテのユダ)』
申し訳ありません、間違えて6話をUPしてしまいました!
本編5話は修正済みです。本当に申し訳ありませんでした。
第一三枢機課直属部隊『ラザフォード』壊滅。
同時に、本国から逃げ出した吸血鬼・爵級の消滅も確認。
通信魔術により最期に送られてきた映像は、一人の少年だった。
極東の国より出現が観測された吸血鬼の真祖。ローマ十字教は仮想敵として雨月と仮名する。尤も、その名は最初期にWIKが名付けたものであり、記録では実に二三〇年前に及ぶ。
世界中の魔術師が結集する組織に狙われて尚、その吸血鬼の真祖は二三〇年もの間、不滅だった。吸血鬼としては若輩でありながら、その生存本能は本物である。
ローマ十字教はこれを本格的な敵と見なした。何せ、一三ある枢機課の中でも『特権』を所持するイスカリオテが申請し、ローマ教皇が受理した直々の勅命である。遂に『異端殺し』の名を冠するローマ十字教が本腰を入れた……これは、あらゆる聖魔にとって死刑宣告されたに等しい。元々は極東の国に逃げ込んだ爵級の吸血鬼を殲滅する筈の侵入はしかし、それ以上の敵に出くわして本格的な戦場と化す。
だが、その結果はイスカリオテの右腕・ラザフォードの壊滅。特に重視されるのは、リーダーであるシスタールチアの死体のみが発見されなかったことである。これに対し、ローマ十字教はシスタールチアを未帰還(MIA)と判定せず、むしろ『倒すべき吸血鬼』と認定した。雨月の追跡時にシスタールチアが人質にとられていようとその他の状況であろうと、殲滅以外の命令はない。
イスカリオテは残る直属部隊に撤退命令を下し、一人のイスカリオテ要員を派遣した。
男の名はアントニオ=ゲルリンツォーニ。一三の枢機課でも異端なイスカリオテにおいて、中でも特殊な彼はイギリス十字教を主に、世界中の魔術師に対する『切り札』の一人。魔術師を狩る為の魔術師という異色をコンセプトにしたイギリス十字教だが、彼はその魔術師でさえも殺す事に特化した騎士である。
――今の説明には語弊がある。彼が殺すのは魔術師だけではない。この世における善と悪、聖と魔、あらゆる裏を殺し尽くすのが彼の本質。
魔術に携わる者であれば、同じ土俵で負ける事は絶対にない。故にラザフォードは『援護』ではなく『撤退』したのだ。彼にとって、魔術師は善悪関係なく殺す対象であり、例外はない。異質で異端で異色である事こそが彼の真髄である。
故に孤独。孤高ではなく孤独。あらゆる戦場を生き延びた彼に敵はなく、同じ様に味方もない。魔術世界にいながら魔術を殺す彼は、あらゆる者を外敵として認識し、殺す。その為の孤独。彼の者は常に孤独、故に孤独。
「……貴公に問う。貴公は我が敵か?」
「敵だ。俺はお前を殺す」
――ああ。そんなやり取りをしたのは、いつの事だったか……。
[Fab-28.Tue/13:15]
「……汝は、殺戮狩人か」
「……そういうテメェは極彩色、か」
「……チッ、面倒な事になりやがったな」
カナタを庇う様に一歩前に出るアンデル、構えを解きつつ警戒は怠らないアキラ、興ざめした様に長剣を弄ぶアントニオ。三人は対峙する。三人の魔術師は対峙しながら、決して気を緩める事はない。
カナタは少ない知恵を絞って、状況の確認をする。口から血を流しているソフトモヒカンの男とアキラは戦っていた、つまり敵であり、何だかアンデルがこの場に来たせいで更に空気が険悪なそれになった模様。
何より問題なのは、この光景を、一般の人達が怯えながら呆然と眺めている事だ。詳しい事情は分からないが、この状況は非常にヤバイ気がする。何人かの魔術師と戦闘を重ねてきたカナタは、三人と比べると経験値は少ない。が、これがとても不味い状況だと言うのは理解出来る。
「イスカリオテのアントニオか。汝、この国に何用ぞ」
「ハッ、馬鹿かお前。ローマ十字教を裏切った人間の回収、吸血鬼の真祖と率いる雑魚の殲滅、それと……そこのガキ、カナタトキツの殺害。こちとら命令が重複してんだ、さっさと用事を済ませたいと思ってた所なんだが、」
最後の目的を聞いたカナタとアキラは目を剥くが、アントニオは仮面の様に笑みを貼り付けたまま、続けた。
「よくもまぁ、そこのガキ連れてきてくれたじゃねぇか、極彩色。その点は評価してやるよ」
「……無駄な事を。余は既にこの世界に於いて評価に値している。今更、汝に評価されしところで些事に過ぎぬ」
アンデルの言葉に、ケケッ、とアントニオは嗤う。世界の真実を知った大人が、何も知らない子供の夢を粉々に叩き潰す様に。
嗤う。
「ははぁは? まさかお前、本気でそんな事考えてんじゃないよなぁ? だとしたら興醒めにも程があるっつーの」
「……」
「世界十指の魔術師……フン、確かに建前はそうなってるな。けど、だったらお前、なんで極東なんざにいやがるんだ?」
「……」
アンデルは答えない。否、答えられない。それは予め、彼女自身が知っていた事なのだから。
極彩色は世界でも十本の指に入る魔術師だ。それはつまり極端な話、世界を見渡して、彼女に勝てる人間は最高でも九人しかいない事になる。
そんな筈はない。そんな簡単で優しい話、ある筈がない。そうであればそもそも彼女はたかが一人の人狼を追って極東にいる筈はないし、何より彼女自身、仮にローマ十字教に逆らって逃亡を謀ったところで、三日とて生き延びれる自信はない。
「そういうことだ。何だ、気付いてんじゃねぇか、テメェ。そりゃそうだよなぁ、そもそも本当に世界で十本の指に入る最終兵器だってんなら『わざわざ公表する意味』がねぇからな。我々は核兵器を持っている……そんな事を表沙汰にしちまえば他から顰蹙を喰らうだけだろう。分かったか、分かってんのか? お前はたかが、世界の裏の表で十本の指に数えられてるに過ぎない」
世界の裏の表。言い得て妙と言うべきその言葉は、アンデルの心に突き刺さる。
たかが、その程度。
まだ彼女は、たかが、世界の『裏の表』しか見た事はないのだ――。
「管轄が違うっつーのに、俺の事を知ってたな、アンデル。ああ、俺は十字教に於いて異端とされるイスカリオテの人間だ。魔術師として異色と忌み嫌われる人間だ。敵味方例外なく、相手が魔術師であれば殺す、この世界じゃ異質と謳われる人間だ。……世界の『裏の裏』なんざ、とうの昔から俺のテリトリーなんだよ」
剣の切っ先をアンデルに向ける。串刺しにされたかの如く、アンデルは動こうとしない。
裏の裏。そう聞いて「何だ、表に戻っただけじゃないか」と考えた者は、世界を知らなさ過ぎると言わせて頂こう。その認識は甘い。
裏とは即ち後ろ、背後に迫る言葉だ。更にその裏とは、背後を向いたものを更に背後に向ける言葉だ。一八〇度+一八〇度=三六〇度となるのは小学生でも出来る問題だが、それを図形ではなく、あくまで世界に具現させたものだと思考しなくては、話にならない。
試しに、自らの首を一八〇度回転させてほしい。これで視界は完全に『裏』に向いた事になる。問題はここから、もう一八〇度首を回転して頂こう。さて、首は三六〇度回り、元の位置に戻った事になる。その場合、それでも『正常』といえるだろうか。なるほど、確かに一見するとおかしな所は見当たらない、が、それでも決定的に何かが違うのは自ずと分かる事だろう。
裏の裏とはつまりそういう事。それは世界の深部を表す言葉であり、同時に、決して表には辿り着けなくなる取り返しのつかない領域という事を差す。
「まぁ、いい。元々はアキラより先に懐柔するつもりだったクソアマがテメェから来たんだ、歓迎してやるよ。まずはその褐色肌、斬り刻んで――」
何がそんなに楽しいのか、愉快げに嗤いながら切っ先をアンデルに向けたアントニオ――
「テメェ、さっきからさぁ……いい加減、カナタから離れやがれクソアマ!!」
――の言葉を遮る様に。一足でアキラはアンデルの懐に飛び込んでいた。
「なっ、に!?」
金縛りに遭った様に動かなかったアンデルは、咄嗟に後ろに飛び退きながら、ポケットから携帯ステンレススティックを取り出した。この瞬時の判断は、彼女の戦闘経験の為せる技であろう。
だが、それでも遅い。
それは僅かコンマ一秒にも満たない空白。アキラは身体を半回転させる様にアンデルの女性らしい胸部めがけて肩を合わせ、
刹那、轟撃!
落雷の様な凄まじい破壊音と共に吹き飛ばされたアンデルは、優に一〇メートルは地面と水平に飛ばされ、たまたま設置されていたベンチを破壊してようやく地面を転がる事となった。生身にあるまじき破壊力。アキラの筋骨隆々とした長身は、勁力を用いる事で、まさしく砲弾に近いソレであると告げる様に。
「カナタ、無事か!?」
「あ、あぁ……って、何してるんだよ! アンデル吹っ飛ばしてどうすんだよ!」
「ローマ十字教の魔術師なんざ信用出来るか。奴らは七〇〇年に亘って無実の善良な人間を裁き続けてきた異端審問の執行者だ。イギリス十字教が『魔女狩りの魔女』を育成する事に長けた組織だって言うなら、ローマ十字教は『異端殺しの異端』を育成する組織だ。奴らの中には魔物を殺す為に人工的に生み出された魔物なんてものも所有しているようなクサレ共だ、間違っても信用なんかするんじゃねぇ」
「アンデルはそんな奴じゃねぇよ!」
「お前がどんな事情で奴と知り合ったのかなんて知らねぇが、レミーナとやり合ったんなら分かるだろ! 今の状況を見ろ! 奴らは一般人に目なんか向けねぇ、興味すらねぇ、邪魔になったら簡単に始末する様なクソッタレの集まりなんだよ! どいつもこいつも救いようのねぇ最悪の魔術師しかいやがらねぇ、覚えとけタコ!!」
鬼気迫るアキラの言葉に、カナタは息を呑む。アキラのその言葉には、嫌悪とか憎悪とか、そんな単純な言葉では済まされないあらゆる負の感情が込められていた。言葉の真実はともかく、ただならぬ殺気――いや、殺意に、カナタは全身の筋肉が硬直した様に動けなくなる。
カナタにはアキラの心情を計り知れない。だが、これが異常だと言う事ぐらい、分かる。
彼は。真に。ローマ十字教という組織を害敵と認識している。『外』敵ではなく、『害』敵である。もしかするとカナタの知らない過去の因縁でもあるのかも知れないが、今はそれを考えている暇などない。
何故なら、カナタを背にアントニオから隠す様に立つアキラに対し、
ズルリ、と。
カナタの背後から、アンデルの姿がカナタの影から『生えて』きたからだ。
「なるほど、真に狩人ともならば、非道なる不意打ちは挨拶であったか。さるに失礼、余は汝の常識に疎うしものでな」
「なっ」
一閃。アキラの長身が消し飛ぶ――そう錯覚するくらい、トンデモない超高速で、弾丸の様に雑木林に突っ込んでいた。ゴキベキン、と聞きたくもない気色の悪い音が聞こえてきた。
「身体を強いるスポーツの類は昔から気に入っており、戯れ程度に体術を学びしものだが、存外役に立つものだな」
アンデルの手には、杖。長さ一メートル半はあろう長い杖。魔術を知っている者ならば、それが簡略化して加工された、初心者向けの魔法の杖という事くらいは分かるだろう。
「……なるほど、ハシバミの杖か。典型的な祝福と知識の木、『黄』の色彩を用いる魔術に長けた初心者用スタッフ。グリム童話『灰かぶり』でもお馴染みの杖だが、ハハッ、お前はいつからラテンじゃなくゲルマンに成り下がったんだ?」
「何、本来はモミの杖を取り寄せたきものだったが、下手な杖よりこちらの方が信頼に足る。余の場合は特に、頓にな」
アントニオの戯言に付き合う気になったのか、アンデルは「それに」と続けた。
「いつまでも白十字ではなく鉤十字を身に着けている男に言われる筋合いもなし。汝はいつまでドイツ十字教に所属しているつもりだ?」
今度はアンデルが一歩前に出る。カナタの姿を隠す様に。完全に蚊帳の外に追いやられているカナタは、しかし、動けない。
ここにいる三人の魔術師は、今までの奴らとは違う。次元が格段に違う。たかが数人の魔術師に勝利した程度では、この魔術師達に介入する事など不可能だ。丸腰で銃撃戦の嵐に突貫する様なものだ。『ここを動くだけで流れ弾が当たる』というのならば、逆説、『ここに居さえすれば死ぬ事はない』のだから。
即ち、
「痛ってぇなクソがぁ!!」
雑木林から飛び出してきた黒い影、アキラは二人に割って入る形で戦線復帰し、二人を交互に睨むや否や、
「テメェら、カナタにかすり傷一つでもつけてみろ、ミートボールにしてカラスの餌にしてやっからな」
左手を貫手の様に突き出し、右手を顔面の前で拝むみたく掌を横に向ける。中国拳法に詳しくないカナタにはその構えが何なのかは分からないが、恐らく、アキラの得意な拳法の流派の構えなのだろう。
「そんなガキ、いつでも殺せる。その前に、まずは、テメェらからだな。いや何、気にすんな。本国へはテキトーに『反抗したので』とでもでっち上げておくから、安心して死んどけお二人さん」
「余がこの少年に手を出す? 馬鹿も休み休み言え。居候の身でありし者が、その様な仇を返せる道理などどこにもなし」
「クソッタレが。死ぬ前に後悔したいなら時間ぐらいくれてやる、死んだらただの肉塊だ。そのくれぇの慈悲はあるさ。ローマ十字教は、旧友以外しか殺さないと決めてたんだが、歯向かうってんなら殺すしかねぇよなぁ!」
即ち、
これから始まるであろう戦いに於いて、カナタのいる場所こそが唯一の『安全圏』である、という事だ――。
[Fab-28.Tue/06:15]
明朝とも深夜とも取れる、冬の午前六時。修道服に身を包んだ長い金髪の男は、大きな円卓の上に敷かれた都市模型を見下ろしながら、レモンティーを啜る。
「ユリア様、それは?」
「ふん、アントニオの動向を調べようと戯れに箱庭を作ってみたんだが、やはり私情に走りやがったなあのクズは」
背後から訊ねる声に、ユリアと呼ばれた少年は振り返る事なくつまらなそうに答えた。いや、事実つまらない。声をかけてきた少女はユリアが何をしているか知った上で声をかけてきたのだから。
箱庭。規模に関係なく、魔術を行使する上で重要になるのは『場所』であり、箱庭は円滑に事を進めるのに必要な要素でもある。
場所と言っても、いわく付きの寺とか、集中した霊脈のお陰で魔力が溜まりやすいとか、そんな話ではない。場所というのは、東洋では風水みたく『世界を凝縮した閉鎖的な環境』の事であり、魔術の行使に欠かせない必要事項でもあった。
例えば、大きな『波紋』を作りたいと考えたとする。その場合、海に石を落とすのとバケツ一杯の水に石を落とすのではどちらが有効か、という単純な話である。海に石を落としたところで大した波紋は生まれないのに対し、バケツの水ではそれが大きな波紋を生む。詰まる話、どれだけ世界に干渉しているかという問題で言えば圧倒的にバケツである、という事だ。
ユリアが作った箱庭も同じ。この箱庭のモチーフとなった街に魔術を使いたければ、箱庭に干渉して、それから同じ事が起きる様に仕向ければいい。
「……リュドミア。準備は?」
「はい。グレゴリオ聖歌隊総勢三三三三名、ラテラノ大聖堂の中央塔に配置しました。ですが、魔術の発動にはもう暫く時間がかかりそうです」
「あ? クソッ、ウスノロどもが。これだからクズは嫌いなんだ」
「急な召集ですので、この事態は致し方ないものかと。今は魔石や魔槍などのマジックアイテムから魔力を装填して――」
「リュドミア。……テメェ、俺を馬鹿にしてんのか?」
冷たい声。ユリアの、ゾッとする様な絶対零度の声に、リュドミアは肩を震わせた。
「い、え。決して、その様な、事は」
「いいか、お前も覚えておけ。……俺に否定はない。俺の言った事は絶対で、神聖で、何よりも優先すべき事だ。つまり、俺の言葉を聞いたからには、一秒も考える暇もなく遂行しろって話だ。もう一度言う、俺に否定はない。俺がやれと言った以上、誰にも逆らえる権利は存在しない。否定出来ないなら、肯定するしかないだろう?」
ゴクリ、と息と唾を呑む。ユリアの言葉は、ある意味正しい。確かに、彼に否定は存在しない。ただそこにあるのは強制力だけだ。彼の言葉を否定するという事は、自身を否定する事に繋がる。
早い話、彼を否定する者は生きていられない。何故なら、彼が許さないからだ。
イスカリオテのユダ。その名は、聖人を裏切った者のシャドーであり、同時に、殺された聖人と同じ聖人であった者でもある――。