Stage.4:『Cavaliere sacro(聖なる騎士)』
[Fab-28.Tue/13:00]
ザン、と辻風の様な鋭い斬撃音。一気に後方に跳び退いたアキラは、斬りつけたアントニオを殺す様に睨み付ける。
「ケケッケケケケケッ! 上手くかわしたなアキラぁ! やっぱお前サイコーだわ、今のは完全に極めたと思ったんだがなぁ!」
「だからってなぁ……いきなり斬りかかんじゃねぇよ! 人目を気にしろ人目を!」
ニタリと左右非対照の不気味な笑みを浮かべたアントニオが、ゆらぁりと蒸気の様な不自然な動きで仁王立ちする。その手に握られているのは、鈍色に光を反射する西洋剣。刀身には奇妙な組紐模様のタトゥが施されている。
舌打ちしながら、アキラは身構える。身体を真半身に向けたまま貫手の状態の左手をやや下弦前方に突き出し、右手は開いたまま顔の前に置く。彼の得意とする中国拳法、八卦掌の鋼拳と呼ばれる防御タイプの型である。
だが、問題はそこではない。今ここで重要視すべきなのは、周囲には一般人がいる事だ。
「魔術師が、その身を一般人に晒していいのか?」
「あぁン? 仕方ねぇだろ、お前が俺の誘いを断るからだよ」
アントニオは笑いながら、ガリガリと西洋剣の切っ先で地面に一本の線を描く様にアキラに向かって歩む。じりじりと後退するアキラだが、当然ながら後ろに下がるより前に歩く方が早い。
周囲の人々の奇異の視線が突き刺さる。クソ、とアキラは内心で歯噛みする。
本来、魔術師と呼ばれる存在は、表に出る事はない。と言うより出てはならない。その奇特な存在もさる事ながら、何より魔術という『法則を無視した技術』を公表して仕舞えば、それだけで世界のバランスが崩れかねないからだ。
世界は紙一重だ。だからこそ、魔術師は慎重にならなくてはいけない。逆に、そう言う事情を逆手に取って行動する魔術師も存在する。例えば、つい半月前にこの街に侵入してきた追跡不可の様に。
だと言うのに、これはどう言う事だ。アントニオは隠すどころか実に堂々と真剣を振りかざし、アキラと対峙している。一般人を人質に取る訳でもなく、本当に、実に堂々と。
「ケケッ、どうかしたのかよ殺戮狩人。別に気にする事ぁねぇ。どうせ愚鈍な奴らにゃ理解出来ちゃいねぇよ……現象が起こらねぇ以上は把握も出来ねぇ。だからこそ俺がイスカリオテの中で一番自由に動ける」
コイツのお陰でな、とアントニオは西洋剣を掲げて見せた。剣幅は二〇センチ、刀身は一メートルあるかないかと言ったところか。バスタードソードと言う剣の形状に似ているが、若干違う。何というか……もう少し古臭い感じが見て取れる。
「……何だ、それは?」
周囲の視線を集めながらも、アキラは訊ねる。
「封殺法剣。あらゆる魔術師・聖魔を問わず殺す剣だ」
アッ、と。アキラは驚愕に目を剥きながら、叫ぶ。
「ア、アトリビュート……パウロの処刑具だと!?」
十式霊装の一つ、封殺法剣。一〇の霊装の中でもその用途は異質で、それでいてあらゆる魔術師や聖霊や魔物など、『そちら』の世界に属する者を例外なく破壊し尽くす魔界殺し。
用途は不明。かつて聖人の弟子であったパウロがユダヤの民であった時代、パウロが十字教徒を迫害していた際に彼が使っていた剣であり、同時に彼が十字教徒として処刑された際に使われたと言われている、処刑の剣。
「ケッケケッ! もう一度だけ聞いてやるよ、アキラぁ。俺と一緒に来い。そんで、一緒に暴れようじゃねぇか。来たるべき黄金時代の為によぉ」
「興味ねぇな」
「お前ならそう言うと思ったさ!」
空気を根こそぎ吹き飛ばす様な、強烈な横薙ぎの一閃。アキラはスウェー(上体を反らして攻撃をかわす回避動作)でかわしながら、反動を利用する様に右足を振り上げる。が、アントニオは左手を顔面の前に構え、アキラの蹴りを難なくガードする。
「ちっと会わねぇ内に、変わったみてぇだなぁテメェは。群れない・寄せない・天涯孤独……だと思っていたのに、今のお前は、昔みてぇな嘲笑い方をしねぇ」
「……ハッ、羨ましいのか」
「いや。最っ高にムカつく。何がお前を変えた?」
右手に持った剣を逆手に持ち直し、アントニオは拳を地面に叩きつける様に振るう。ギョッと驚愕するアキラは、地面に接した左足で大きく飛び退く。瞬きの次には、剣が地面を叩き斬っていた。
「あぁ、親友。古き親愛なる唯一無二、そして最高に素敵無敵な友よ。常に殺気立って周囲を遠ざけてた昔のお前は、俺にとって畏怖そのものだった。同い年だが、俺はお前を尊敬していた。本当だ」
オペラかミュージカルの様にアントニオは芝居がかった素振りで両手を広げ、ゆっくりと確かな足取りでアキラに近寄る。顔面には相変わらず、不気味で邪悪な笑みを貼り付けたまま。
「だけど、まぁ……憧れだったからこそ、お前は壁だった。ところで、お前は壁は越えるものだと思うか? それとも壊すものだと思うか?
いや、どっちでもいいか。どの道、死んどけ」
剣がアキラの右眼球を貫く様に突かれる。ほんの一瞬で、距離を詰めたアントニオの一撃だ。アキラは身を捻って剣をかわすが、連続する様にアントニオの蹴りがアキラの顔面を狙う。キレ味の鋭い刀身の様な蹴りを、アキラは手を捻る『化勁』という動きで逸らす。
(ヤバい……!)
無茶な体勢ながらもアキラは横に飛び、距離を開く。一九〇強もある長身が、小刻みに震える様は、周囲からはさぞ滑稽に見える事だろう。
(ヤバい……何かが、ヤバい……ッ!)
普段のアキラならば、如何に強大な敵であろうと、特に問題ない。大抵の敵は叩き潰せるし、蹴散らせる。アントニオと真剣という組み合わせだって、大した驚異ではない。そもそも、中国拳法は対武器カウンター技術の集大成の様なものである。
だが、アキラが防戦に徹しているのには理由がある。いや……正確に言えば、ない。ただ動物的本能、様々な修羅場を潜り抜けてきた直感が、警鐘を鳴らしていた。
――あの剣に触れるな。
攻撃を受け流し、防御を切り開き、無防備な敵に強烈な一撃を見舞う。それが中国拳法の真髄である、が為に、避けるという動作に慣れていない部分も存在する。根本的な問題として、東洋武術はアジアン人類の『小さな身体で最大の効果』を狙う事に特化した武術であり、アキラが行うには身体が大きすぎるという欠点も存在するのだ。
だからこそ、アキラは『剣に触れない』事を最優先に行動している。とてもじゃないが、そんな状態で反撃に出る、なんて不可能である。
(チッ、ヤバいな。距離を取って戦いたいトコだが、獲物は持ってねぇし。そもそも俺は吸血鬼専門だっての)
普段は中国拳法で距離を詰め、離れたらボーガンで追い討ちするというスタンスをとっているアキラとしては、『触れるな』という戦いはツラい。一応、アキラにもボーガン以外の攻撃はある。が、封殺法剣の能力がアキラの想像している通りの代物であればそれも無意味に終わるだろう。
さて、どうしたものか。リーチでは剣には敵わず、防御は出来ず、何より元騎士団であるアントニオの剣技はアキラがよく知っている。戦闘どころかお話にすらならない。
「……ハッ!」
難攻不落の強敵。アントニオ=ゲルリンツォーニを前に、アキラは嗤う。これだ。この感覚! 命を賭して、生死のハザマを掻い潜って、敵を叩き殴り蹴り潰し壊し弄り痛めて殺し殺し殺し殺し完膚なきまでに消し尽くす闘う悦び!
戦いの合図はなく、動きを読まれる事も厭わずに、足の裏に氣を溜めて爆発させるように、一方的に踏み込んだ。互いの距離は『僅か』六メートル。その距離を、アキラは半秒もかけずにアントニオに肉薄する。チッ、と舌打ち混じりに剣を横薙ぎに振るいつつバックステップ。首ではなく広範囲に傷をつける腹部を狙った一撃を、右足を大きく踏み込んで体勢を沈め、腕を振るって遠心力を利用し、身体を半時計周回りに回転しながら攻撃をかわす。勢いに任せて裏拳気味に左の拳がアントニオの顎を捉える。
が、アントニオは剣を持った左腕の肘を曲げてアキラの攻撃を捌きつつ、更に後ろに踏み込む。アントニオは元々騎士であり、獲物は長剣だ。敵とは中距離を保つのが鉄則であり、敵もまたそれは然り。だからこそアントニオはアキラの闘い方を苦手意識していたし、同時に最高の練習相手でもあった。
しかし、だ。もはやアキラには、そんな『死を及ぼし兼ねない剣を相手にどう近付くか』という瑣末なんて、どうでもいい。アキラはこの時点ですでに『キレて』いた。周囲の一般人の存在よりも、目の前の敵と本気で戦う方が重要……いや、正直な話、『楽しい』とさえ感じていた。
そう、楽しい。楽しくて楽しくて仕方がない。吸血鬼の真祖との勝敗の分かりきった戦いよりも、喰う事しか意識のない吸血鬼の異端と戦う事よりも、意識と戦略のある敵との戦いの方が、何倍も何倍もタノシイ。どうしてだろう、とアキラは内心で首を傾げる。何だかキモチヨクなってきた。イノチをカけたタタカいがこんなにもタノしいなんてオモわなかった。全身に回る血液がドクドクドクドク、ゾクゾクゾクゾクと脈打つ。それはまさしく生きた血管、心地のよい三六ビート――!!
ゾクン、とチがサワぐ!!
「――ハハ、ハハハハハハハハハハハハハハッ!」
「あ?」
とアントニオが眉をひそめると同時、
ゴギン、と! アキラは一足でアントニオに飛び掛っていた――!
それは、先程の小手調べとは比べ物にならない動き。通常のアキラの理性的な動きではなく、それはまるで獣。まさしく獣。何の動作も思惑もなくただ一直線に迫り来る、巨大な獣。
「チィ!」
ミサイルの如く肉薄してくる獣を真っ二つに斬り裂くべく、縦一文字に斬りかかる。が、アキラは滑る様な滑らかな動きで身体を横にスライドさせ、紙一重でかわす。ビュオン、という凄まじい風斬り音が耳元で聞こえ、アキラの短い髪の毛を数本断った。顔面より五センチ横を『死の悪臭』が過ぎ去って行くにも拘らず、アキラの双眸はアントニオしか捉えていない。その考えも及ばない凄惨な様子に、アントニオはゾッと背筋を凍らせる。
一閃。直線を描く様な右掌が、アントニオの左頬を穿つ。一九〇センチはあろう巨体が三メートルは撥ねる。ガリガリと足に力を込めて踏み止まろうとするが、間髪入れずアキラの疾駆が続く。腰元に溜めた左の拳を槍の様に突き、アントニオは腹をブチ抜かれた様な錯覚に陥った。
「カハッ、あっ、ハッハア!?」
戦闘の最中にも拘らず、アントニオは左手を腹に当てて確認した。内臓は――ある。穴なんて開いていない。現状を述べるならば……そう、少しばかり、内臓に『破損』を負っただけだ。アントニオは元騎士であり、治癒は得意だ。この程度の怪我ならば、簡易的な儀式場を築いて、天使を降臨させて、箱庭を模ればすぐに『直』せる。
だが――、
それは飽くまで、この獣を相手に、無事に生還出来ればの話――!
「……ったく、ケケッ、しょうがねぇなぁ! そんなに楽しそうな顔されちゃ、俺まで楽しくなっちまうじゃねぇか! あぁ、本当に仕方ねぇよな、俺はただ腕か足の一本でもぶった切って連れて行くつもりだったけどよ、このままじゃ俺自身も危ないし、本気で殺しに行かなきゃいけねぇじゃねぇか旧友!!」
ケケッ、とアントニオは下卑た嗤いを浮かべる。途端、封殺法剣にねとりと粘着する様に張り付いた気配が、濃度を増した。アキラの口角が歪み、どちらともなく一歩を踏み込もうとした瞬間、
「あ、アキラ!? お前、何やってるんだよ!」
聞き慣れた少年の怒鳴り声に、アキラの思考回路が回復した。
[Fab-28.Tue/13:00]
公園に入るや否や、嫌な空気が漂っている事に二人は気付いた。カナタは周囲に目配せし、アンデルも同じ様に周囲を見渡す。
「……然るにこれは……大気に漂いし魔力が死せりて」
「魔力が死んでる……? どういう事だ、それ?」
「分からぬ。魔女殺しの秘術でも刻みているのか……何にし、これは尋常な事でなし」
世界は異常に包まれていた。魔力の感知が出来ない一般人にはあまり関係のない事だが、恐らく、並の魔術師であれば今のここに近付こうとさえ考えないだろう程に、空気が歪んでいるのだ。
だが、大気に満ちる魔力というのは魔術師だけに限らず、魔術と無縁な一般人にも善悪なく影響を与える。例えば運命の赤い糸とか、神様の加護とか、運を天に任せるとか、そういったオカルトがあると仮定して、それも魔術的である以上は魔力という原動力がない限りは働かない。――詰まる話、今ここにいる者は良くも悪くも『運という必然の確率論』が著しく変動し兼ねないのだ。たまたま買った宝くじが大当たりする、公園を出た瞬間に車に轢かれる、幸せも不幸も全ての確率が狂い、その影響を他人が受ける。
ギリ、とアンデルは歯を食いしばる。そんなものは認められない。基本的に魔術師は世界法則を無視した裏技を使用する為に、一般の世界に影響を与えないよう努めなくてはならない筈だ。その暗黙の了解が破られている。魔力の枯渇なんて並大抵の事では出来ない、つまりこれは人為的な工作であり、術者が近くにいる事を示している。
かつて、彼女は悪竜を召喚した。この世にある害虫を詰め込んだ竜は不完全ではあったが、この世に影響を確かに与えた。その罪悪は未だ消えず、彼女は時々、公園を訪れては魔力の浄化を促進する儀式魔術を行っているのだ。
だが、これは、そんな些事すら覆している――。
「……どこの誰ぞ知らぬが、余を敵に回しし事、確と後悔せよ」
アンデルは、怒っている。傍にいるだけで彼女から漂う殺気に当てられたカナタは、息を呑む事さえ忘れる程に恐ろしく、同時に美しいとさえ感じた。
(……いや、今はンな事考えてる場合じゃないな。まずは、ここに侵入してきた魔術師をどうにかしないと)
二回ほど自分の頬を叩き、気合いを入れ直したカナタはアンデルに向き直り、殺気に怯む事無く訊ねる。
「アンデル。ここで起こってる異常、発信源とか分かるか?」
まだ知り合ったばかりの美女はカナタの問いに気付き、振り返りつつ、ニヤリと嗤い、
「無論、承知」
とだけ告げた。