Stage.3:『Cacciatore per massacrare(殺戮の狩人)』
[Fab-28.Tue/12:50]
「十字教とユダヤの違い……?」
「そう。つい最近、信じる神様が変わらないとかって話を聞いたから、気になってたんだよな。アレってどういう意味?」
喫茶店『チヌーク』を出たカナタとアンデルは、意気投合した事もあって街を歩き回る事にした。と言ってもテキトーに食べ歩きながら帰路についているだけだが(何と帰り道は同じなのだとか)。
「そうよな……さして語りたれば、どちらも共に一神教であり、同じ創造主を崇めんと共通せし」
「へぇ。……ん? だったら何で分裂してんの? 一緒に崇めればいいじゃん」
「其も致したれなんこそ、十字教の矛盾なり。『一神』教でありながら、余達は創造主と聖人、二つの『神』を崇めておる所以たりし」
「……ふむ」
そもそも、十字教とユダヤ教の因縁が生まれる原因となった歴史は、要するにこういう事らしい。
【はじめて★カミサマストーリー】
むかしむかし、あるところに、地きゅうをつくったカミサマがいました。
カミサマはとってもやさしいので、たくさんの命をねんどでつくり、みんなになかよくするように言いました。
カミサマにつくられたニンゲンはみんなみんななかよしです。力を合わせてはたけをつくり、そうしてできたやさいや、つったおさかなをみんなでわけてたべていました。
そんなとき、わるいニンゲンたちがみんなのまちにやってきて、まちをメチャクチャにしてしまいました。わるいニンゲンたちは『ローマ(ろおま)ていこく』と言い、いいニンゲンをずっとくるしめています。
あるとき、ひとりのいいニンゲンがカミサマにおねがいしました。
「カミサマ、どうか、あのわるいニンゲンたちをやっつけてください」
するとカミサマはこう言いました。
「わかりました。ですが、カミであるわたしがつくったニンゲンを、わたしがやっつけるわけにはいきません。そこで、わたしの子どもにまかせることにします」
やがて、いいニンゲンがわるいニンゲンにくるしめられているとき、そこにひとりのニンゲンがやってきました。そのニンゲンの名まえはイエスと言い、イエスはこう言いました。
「わたしはぜんぶのニンゲンをたすけるためにここにきました。わるいニンゲンもいいニンゲンも、みんなでなかよくしましょう」
いいニンゲンたちはビックリしました。わるいニンゲンをやっつけてくれるカミサマの子どもは、いいニンゲンたちをくるしめてきたわるいニンゲンとなかよくしなさいと言ったからです。
こうして、おこったいいニンゲンたちは、イエスをころしてしまいましたとさ。
【Fin】
「って事か?」
「……絵本調でありし筈が、ピリオドが悲惨なりしは何故?」
端麗な顔を渋面に歪め、アンデルはカナタを見据える。確かに要点を得た分かりやすい話ではあるのだが、どこか納得がいかない、と言わんばかりに複雑そうな表情である。
ユダヤ人が神の子を殺して仕舞ったのは、実際にはいくつか説があるのだが、歴史的にどうなのかはともかく、少なくとも十字教的にはそうなっている。その辺りはあまり関係のない話なので省くとして、問題となるのは『神の子がユダヤ人だけでなく、ローマ帝国の人間をも救おうと考えた』事が、確執の原因となっている。
ユダヤ人が神の子を殺したかどうかはともかく、ユダヤ人は確実に神の子を『拒絶』した。そしてエルサレム(イスラエル)に向かった神の子はゴルゴダの丘で処刑され、現在では聖墳墓教会という『ローマ十字教が所有する』教会が神の子の墓の上に建てられている。
だが、神の子は一度、処刑より三日後に蘇生している。これが聖誕祭と並ぶ欧州の二大イベントである復活祭であるが今はどうでもよろしい。神の子はこうして復活し、そして晴れて神になった。
ここでめでたしめでたしといかないのは、当然ながらユダヤ教である。創造主、即ち神は一つだけでありその他の神は神ではなく偽物であると考えるユダヤ教にとって、神の子が神になったと言うのは矛盾が生じるからだ。一方で創造主と神の子を崇める様になったローマ帝国の人々は、磔にされた神の子の重みを分担して背負う十字教を信仰しだした。
決して交わらない平行線の意見は、二〇世紀以上を経て尚も続いている。ユダヤ教が『神は二人もいない。神の子はただの人間でありお前達の信仰は間違ってる』と矛盾を突きつけても十字教はのらくらりとかわし、逆に十字教は『神の子はお前達も助けようとしたのに何て言い種だ』と反撃に出る。売り言葉に買い言葉で論議が黙する事はあり得ないものだ。
ちなみに、十字教側の『神が二人いる矛盾』に対する言い訳こそ、有名な『三位一体』説である。これは要するに、神が行動すると神の子が行動し、そして聖霊が助力するという『神=神の子=聖霊』という等式図に表した論理である。等式である以上は三者は同じ『位』であり、故に三者で一つとなる、つまり神の子を崇める事は神を崇めるのと同じであり、矛盾はないと語っているのだ。
「神の被造物である余達にも、神の名残ありし。親と子が似したる様に、DNAの如しものなり」
「ふぅん……どうせ同じ神様を信じてんなら、お互いに妥協して仲良くすりゃいいのにな」
「其は不可だ。神の子を慈しみ悲しむ心を持たぬ者にかける慈愛なけり」
やはり、そこにはカナタには分かり得ない思いがあるのだろう。それぞれ、十字教には十字教の、ユダヤ教にはユダヤ教の言い分が存在する以上はどうしようもないのかも知れない。この争いに意味がないとは決して言いがたいものだ。お互いがそこに意味を見出していて、絶対に引けない事情があると言うのなら尚更である。
ならば、逆に言えば、十字教に改宗する様に命じられたユダヤ教の少女を助けようとした行為は、間違いではなかったと言う事になる。カナタは心中でため息を吐きつつ、アイツとアンデルが出会わない事を祈るばかり。
「序で余にも答えたり。汝は如何とし魔術師を知りたり?」
ダークブロンドの双眸が、責めるではなくただ単純に疑問を解決したそうに、純粋にカナタを見つめる。あ〜、と空を仰ぎながら、嘆息混じりに答える。
「……腐れ縁、かな?」
苦笑いを浮かべながら、カナタは答える。訝しげな表情を浮かべたアンデルは、ふむと相槌を打ちながら、ポケットから電子辞書を取り出して入力を始めた。半月前に知り合ったネクロマンサーの少女もそうだが、発音の上手下手はともかく普段から使わない言葉は理解が追い付かないらしい。
そうして二人は、近所の私立公園に足を踏み込んだ。
[Fab-28.Tue/12:50]
「くっくっく。そうかそうか! お前、昇格したのか!」
「ケケッ、まぁな。お陰で今じゃ晴れてイスカリオテの一人だ」
笑顔を浮かべて談笑するのは、肩にギターケースを担いだアントニオと、無糖コーヒーを二つ購入したアキラである。
アキラは缶コーヒーをアントニオに片手で投げ渡しながら、もう片方の手一本で器用にプルタブを開ける。
「ケケッ、グラッチェ(ありがとう)」
「旧友の昇格祝いにしちゃ安っぽいだろうが、勘弁してくれよ」
身長一九〇オーバーな外国人二人が自販機前を占領している為に、通行人が近付けなかったりしているのだが、アキラとアントニオは気にしない。何故なら、お互いに会うのは数年ぶりだからだ。
そう。二人は敵対した間柄ではなく、旧友である。
「……って、異端潰し(イスカリオテ)? チュートン騎士団はどうしたんだ?」
「俺ぁスカウトなんだよ。コイツと相性のいい人材を探してて、俺が大抜擢って訳だ。まぁたかが下級騎士よりかは地位も高ぇし、割と自由に動ける上に金の羽振りもいいからな」
ケケッ、と邪悪に笑いながら、アントニオは肩のギターケースを慣らしながらコーヒーを一口飲む。そして舌を出しながら顔をしかめる。どうも彼には『無糖』という漢字が読めていなかった様だ。
一方でアキラは、ギターケースに注視していた。イスカリオテという役職がローマ十字教内でどういう意味を持つのか、そして彼らだけが持つ事を許可された『コイツ』というのが、如何な意味を持つのかを考える。
「お前、その中身……まさか、」
「あぁ。お前の想像通り、」
「イスカリオテの十式霊装だよ」
十式霊装。
ローマ十字教が厳格に保管していて、同時にあらゆる敵に対する切り札として所持している『と言われている』、一〇の霊装。十式霊装と言えば、その内のたった一つだけで、かつてこの街で起こった事件の引き金ともなった雷撃殲手という、『たかが』『凄まじい雷撃を生み出す』『だけ』の霊装とは比べ様もない。雷撃殲手が『聖堂』一つに値する霊装であると言うのならば、十式霊装は『聖都』に匹敵する。
「……アントニオ、お前、本当に部下の尻拭いに来ただけなのか?」
部下の身に何があったのかは知らないが、だからと言って十式霊装なる壮絶なるものを持ち出す理由にはならない。と言うよりは場違い、見当違いにも程がある。
「おいおい、お前、知らねぇのか? 隣街に爵級の吸血鬼が来てんの。俺の部下が追跡したんだけど、何の応答もナシ。まぁ所詮、吸血鬼ったって爵級だ、尻拭いは俺かフランチェスカのどっちかが有利なんだよ、十式霊装使えばな」
けどな、とアントニオは続ける。
「残念ながら、どうもそう言う次元を通り越しちまったらしい。ったく、命令が重複してんのに面倒な事だ」
「……何があったんだ?」
「悪ィな、こっから先は機密事項だ。少なくとも味方でもねぇ奴にゃ教えられねぇ」
アントニオは不気味に嗤う。アキラは神妙な表情のまま、アントニオの次の言葉を待つ。尤も、何となく予想はついている。
つまり、
「なぁ、アキラ。久々に会ったこの際だから言っとくが、俺と一緒にローマ十字教に来い。俺がお前を推薦してやるよ」
そういう事だった。