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終幕

「おいおいおーい! 聞いたかぁ、テメェ!」

「……騒々しい女だな。殺されてぇのか、テメェ」

 ギシ、と椅子を鳴らしながら振り返ったユリアの目に映ったのは、ゴミを見下す様に笑う白い少女だった。少女は、本来の黒一色の修道服とは真逆の純白の修道服を着ていた。ただし、ウィンプルで髪を纏めたり、ロザリオ等の装備は一切していない。何度も染め上げ、ボロボロに痛んだ金髪の女だった。

「失せろ。俺ァ、今、術式の開発で忙しいんだよクソアマ」

「あっアァーん? その様子じゃ知らねぇみてぇじゃねぇの。ったく、研究研究って辛気臭ェ野郎だな、テメェは本当に」

 痛んだ金髪の女は、あろう事か、聖ピエトロ大聖堂の一室であるユリアの研究室にいながら、腰に下げたポーチからタバコを取り出した。神に対する最大の冒涜と知っていながら、彼女はマッチを擦ってタバコに火をつけた。

 焼け爛れた様に鈍く輝く蒼穹の双眸が、ユリアを愉しげに見つめる。それがユリアには気に入らない。動物園の猿にでも馬鹿にされている様な気分になる。

「聞いたか知らないかと、何の話をしてやがる、テメェ。簡潔に話して早急に失せろ。でねぇと、殺すぞ、カテジナ」

「ぎゃはは。前にも言ったよなぁ、テメェじゃアタシを殺せねぇって。同じ『神の子』の最大守護を受けていながら、テメェとアタシじゃ釣り合ってねぇって事にいい加減に気付けよクソガキ。テメェは『縫い止める者』で、アタシは『護る者』だ。ハナっから土俵が違うんだよ」

「……よっぽど死にてぇみたいだな、テメェ!」

 轟! と、ユリアの不可視の術式が発動する。研究室に乱雑に積まれた数多くの本が乱気流に巻き込まれた様に裂き乱れ、紙吹雪となって宙を舞う。不可視の術式は痛んだ金髪の女・カテジナめがけて、直線の軌道を進み、襲い掛かる。

 その、砲弾じみた破壊の一撃を、

 裏拳気味に、寄って来た羽虫を手で払う様に、粉々に粉砕した。

 ガバギャギャギャギャギャッ! カテジナにより崩壊した術式が、さながら散弾銃(ショットガン)の様に研究室内を跳弾し、四方八方から二人を襲う。

 ユリアは鬱陶しそうに右手を掲げて、手首に巻いた十字架のブレスレットに魔力を注ぎ込み、簡易的な魔術障壁を築いて散弾し跳弾した自分の術式を防いだ。対して、カテジナは動かない。背中、腹、足、首、肩、後頭部、人体急所に全ての術式が突き刺さる。

「……で? こんなもんで、アタシを殺せるとか、本気ィ?」

 それでも、カテジナは無傷だった。彼女の全身に突き刺さった筈の不可視の術式は、彼女に触れた瞬間に更に分散し、消えていった。カテジナは笑いながらタバコに口をつけ、火が消えている事に気付いて、舌打ちしながら床に投げ捨てる。

 一連の流れは、ここでようやく収まった。術式の負荷がかかったせいで、ボロボロと粉の様に崩れ去るブレスレットに目をやる事なく、ユリアはカテジナを睨み付けている。一方のカテジナは、自分に向けられた殺気がさも気持ちいいと言わんばかりの愉悦に、表情を歪めている。

「あーあ。ここにある本って、教皇サマのもんなんでしょォ? 資料室から借りっぱなしにしてた本をこんなに破いちゃって、アタシ知ーらねっと」

 新しくタバコを取り出しながら、何事もなかった様にマッチでタバコに火をつけるカテジナ。噛み癖があるのか、タバコのフィルターを噛み潰しながら、カテジナは面白おかしそうにユリアに語って聞かせる。

「そんなんだから、テメェのクッソ下んねぇロンギヌスの槍も、成功しねぇんだよ」

「……あ?」

「『あ?』じゃねぇんだよ、このカス。テメェのロンギヌスの槍は発動を止められた。あっははは、ダッセェなぁテメェ! イスカリオテのナンバー1の座が泣くぞォ?」

 ベロリと舌を出して、タバコのフィルタを舐めながら、カテジナは座ったままのユリアを見下す。今、カテジナが語った事が信じられないと言わんばかりに唖然とするユリアの顔が、滑稽とばかりにゲラゲラ笑う。

「はーぁ、ったく、ガッカリだよテメェ。あの殲滅の槍はちったぁ楽しませてくれるかと思ったんだが……なぁお前、生きてて恥ずかしくねぇの? こんだけ人員使って教皇相手に脅しかけてヘマしたってんじゃ、爆笑必死だぞコラ。アタシを呼吸困難で死なせるつもりかよ」

「俺の……ロンギヌスの槍が、止められた……?」

 ユリアはあの術式に、絶対の自信を持っていた。超音速を超え、入射角を設定し、あらゆる爆撃を超える破壊力を有すロンギヌスの槍が止められた、と言われても俄かには信じがたい。

 唖然とした表情から、渋面を作るユリアを愉しげに眺めながら、カテジナは紫煙を吐きつつユリアに向く。

「アントニオ相手に、魔術は意味がなかったなぁ。あれは、中途消滅しやがったよ。莫大な魔力を消費していた大規模術式が、ああも不自然に消えたんだ。そんな芸当が出来るのはこの世でただ一つ、封殺法剣(アトリビュート)しかねぇわな」

「馬鹿な! アントニオが、消滅させたとでも!?」

「それしか考えらんねぇだろうが……と言いたいとこだが、アントニオじゃねぇみてぇだ。アタシもテメェの箱庭を使って覗いてみたんだが、どうもアントニオは、その寸前で極東の雑魚共に拿捕されたみてぇだ」

「と言う事は……」

「あぁ。アントニオから封殺法剣(アトリビュート)を奪ったカスの仕業ってこった」

 嬉しそうに。心底から嬉しそうに、カテジナは語る。ユリアの面子を潰せただけでも満足しようと言うのに、極東にはそんな偉業を容易く止められる人材がいると言うのだ。個を由とするイスカリオテの中でもイレギュラーな、部下の教育に精を出している彼女からしてみれば、今すぐ莫大な金を積んでスカウトに行きたいぐらいだ。勿論、金は教皇に出してもらうつもりだが。





 イスカリオテの下位組織であるラザフォードを発足したのは彼女であり、

 当時、齢一五にも満たなかった頃、彼女がイスカリオテのナンバー1だった時の事だ。





「ナァ、オイ。もうそろそろ満足したんじゃねぇのか? いい加減、テメェはその席から退けよ。そこは元々アタシのモンだ。勝手に居座ってんじゃねぇぞクソ野郎」

 短くなったタバコを床に落として靴底で踏みながら、カテジナは憎悪のこもった双眸でユリアを見つめる。睨んでいる訳ではない。ただ純粋に、道端に落ちた邪魔な石を見る様に、ユリアを見つめているのだ。

 ユリアが視線に気付き、カテジナを見上げる。視線の質を理解したのか、ユリアは口角を吊り上げて笑いながら、答えた。

「テメェこそ、いい加減に諦めろよ。かつてはテメェが居座ってたこの席も、今は俺のモンだ。とやかく言われる筋合いはねぇし、何より……欲しけりゃ力づくで奪ってみろよ、クソアマ」

 ロンギヌスの槍の失敗は、忘れた。元々、今回はあくまで試験運用のつもりだったので、失敗したのならそれで構わない。更なる改良を加えて、今度は成功する様にする。元より研究者というのはそういうものだ。いちいち気にしていたら、前になど進めない。

 そして、これが一番の理由なのだが――今のユリアは、既に興味の対象がロンギヌスの槍から外れているのだ。そのうち、思い出した時に暇潰しに研究しよう、ぐらいにしか思っていないのだから。

 カテジナを見つめ返しながら、ユリアは言う。

「テメェ、俺がテメェを殺せねぇからって、いい気になってんじゃねぇのか? 殺せないのは、何も俺だけじゃないんだぜ?」

 そう。

 この二人の力関係は、決して揺るがない。単に『ユリアにはカテジナが殺せない』というだけで、カテジナがユリアを殺せる理由にはならないのだ。単純な戦力差なら、ユリアの方が遥かに圧倒している。

「……面白い事を言うなぁ、テメェ。だったら試してみるかよ、あぁ?」

「無駄な労力を使うなよ、カテジナ。俺はそんな命令を下した覚えはねぇぞ」

 ニヤニヤと笑いながら、ユリアは語る。その笑顔が頭にきたのか、カテジナがユリアのニヤついた仮面(ひょうじょう)を引っぺがそうと手を伸ばした瞬間、

 壮絶に壮大な『殺意』が、彼女をその場に跪かせた。

「――あ?」

「そうだ。それでいい。大体、テメェ如きが俺を見下してんじゃねぇよ。そんな事を、神が赦すとでも思ってんのかよ」

 敵意を表に。悪意を感情に。殺意を形に。ユリアは、カテジナのひれ伏す滑稽な姿を笑いながら見下し、淡々と語る。

「……そんなに、俺の口から言わせたいっつーなら、言ってやるよ。あぁ、俺じゃテメェは殺せませんねぇ。……で、それが何の証明になんだ? 俺が殺せない事は就職に有利になったりすんのか?」

「テン、……メェッ!」

 跪いたままビキビキと額に青筋を立てながら、奥歯が砕けそうな程に歯を噛み締め、強張る身体を動かそうとした。だが、この、凶悪なプレッシャーに圧され、身体はピクリとも動かない。

「いいか。イスカリオテは俺のものだ。ユダの称号も、教皇の絶対権限も、ローマ十字教が所有する全ての神具や霊装も、全てが俺の為に存在している。これは誰にも否定出来ない。そもそも、俺を否定出来る奴なんて、この世界のどこにもいない」

 ユリアは不気味な笑みを浮かべたまま、未だ知らぬ、教皇の名の下に敵性と認識された標的を思い浮かべ、白紙の紙にサラサラと何かを書き記した。

「カテジナ。これを教皇に渡して、サインさせろ。手段は問わない、何なら殺して血を絞り取っても構わない」

「あぁ!?」

 紙を、動けないカテジナにも見える様に、地面に落とす。そこには、こう書かれていた。





『Io riconosco “Kanata Tokitsu” come un nemico di Dio(時津カナタを神の敵性と認定する)』





「テメッ、これは……!」

 文面を読み終えたカテジナは、目だけでユリアを見上げ、睨み付けている。

 それは、勅命書だった。いや――もっと分かりやすく言うのであれば、それは手配書である。

 世界に六億人もの信徒を抱えるローマ十字教。ドイツ十字教やフランス十字教など、その傘下組織も合わせれば、実に二〇億人を超える世界的宗派。この文書一枚が、教皇のサインを受けて公表されるだけで、標的は実に二〇億人もの信徒から一斉に『敵性』を受ける事になる。

「ロンギヌスの槍を潰したのは、別人だとアタシは思うケドねぇ……!」

「そんな事に興味はない。たかが一霊装に消された槍など、失敗作に過ぎん。どこの誰が潰そうと知った事か。ただ、その男が気に入らない。それ以上に理由はいるか?」

「……チッ!」

 カテジナが舌打ちした瞬間、不意に重圧が消えた。カテジナは口惜しそうに歯噛みしつつ、床に落ちた書類を握り潰す様に引っつかみ、立ち上がった。ユダの直接の命令だ。たかがナンバー2止まりのカテジナに、拒否権はない。

 何か、最後に怒鳴りつけようとしたが、それは負け犬の遠吠えに過ぎないと気付いたのか、カテジナは無言のまま研究室を後にしようとする。

「待て、カテジナ」

「まだ何か用があるってのかよッ、テメェ!」

 止めたのはユリアだった。カテジナは怒り心頭と言わんばかりの形相で振り返りながら、ユリアの言葉を待つ。

 トントン、とリズムよく、謳う様に机を指で叩いていたユリアは、頬杖をついてつまらなそうに、命令した。

「ついでだ、ドロテアを連れて来い。あの放浪癖のあるクソアマに首輪をつけてでも連れて帰れ。最後の定時報告の発信場所はカナダらしい。行って来い」

「ドロテア……ねぇ。お前、本気でコイツを潰す気か」

 退屈そうに語るユリアから視線を逸らし、カテジナは今度こそ研究室を後にした。

 手には一枚の手配書。二〇億の人間を動かす事すら可能な、たった一枚の書類。

 ユリアに指図されて動くのは癪だが、まぁいいとため息を吐いた。どの道、ドロテアを動かせば標的は殺される。あれはアントニオと同じ対魔術師だが、アントニオとは真逆に位置する存在だ。アントニオは一時の感情に流されやすい直情思考だが、ドロテアは人間というものを知り尽くしている。そういう意味でも真逆と言える。

 無人の廊下を歩きながら、一〇メートル以上はありそうな高い天井を見上げつつ、カテジナはドロテアの事を思い返す。

 対魔術師(マジシャンキラー)のエキスパートであるアントニオとは真逆の魔術殺し、通称『規則破戒(ルールネグレクター)』。かつてカテジナの右腕として活躍していた魔術師。

 イスカリオテのナンバー3、その名は――ドロテア=ペドロルロ。





 何かが変わろうとしていた。

 何かが狂おうとしていた。

 それは、静かに、ゆっくりと。

 本人の想像の範疇を遥かに超えた規模で――。

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