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エピローグ

[Fab-29.Wed/10:00]


「起きねぇなぁ、コイツ」

 カナタは、座敷で眠るアキラの鼻を抓みながら呟いた。苦しげに呻くアキラは、寝返りを打つ。体操座りの格好で、ボンヤリとした眼で見下ろしていた。今回の怪我人の中で、一番の重傷者なのだ、アキラは。

 頚部近くの僧帽筋裂傷より、侵入した雨月の腕が鎖骨及び肩甲骨、右肋骨を砕いて右肺右上葉を貫通、重要血管をいくつも傷つけ、肺胞内に血液漏洩。呼吸困難の後、昏睡。止血はしていたが、治療は一時間後となる。生存確率は著しく低く、もし意識が回復したとしても、何かしらの障害が残るかも知れない。

「……と、思っていたんだケドなぁ」

 そんな重傷を負いながら、どういう訳か、今やアキラはほぼ完治しかかっていた。ミズホやシオやアンデルですら、治療が終わってもしばらく安静にしていなければらないというのに、人として卑怯な程の再生能力を有していたのだ。

(……いや。というか、アレは、もはや人間じゃねぇな)

 そう。少なくとも人間には、頚骨を折られて正常に動いたり、解呪した途端に右肩断傷の重傷を治癒したりは出来ない。治療を始めると同時に、見る見る内に怪我が塞がり始めたのだ。今回の件で一番の重傷者であった筈のアキラは、その実、一番に全快している。一夜での事だ。

 この現象は、前にも見た事があるし、つい半日前にも見た光景である。

 即ち吸血鬼。半物質半魔力体の存在である吸血鬼の再生能力は、復元なのだと、聞いた事がある。負傷した箇所周辺の細胞の分裂速度を促進させて治癒する生物と違い、吸血鬼となった瞬間の個体情報バックアップを元に魔力を用いて破損した細胞と『全く同じ細胞』を作り上げる概念粒子組成能力。

「……あの、時津さん」

「ん?」

「その男の人、まだ目が覚めませんか?」

 おずおずと、襖を開けて顔だけを出して訊ねるチドリ。カナタは、今まさに油性マジックで落書きしようとしていた手を止めて立ち上がり、チドリに歩み寄る。

「ん、まだみたいだ。悪ィな、部屋、貸してもらって。昼までに起きない様なら、このバカ、引き摺ってでも帰るよ」

「い、いえ、それは別に問題ないのですが……」

「あ、そうだ。アンデルはどうなんだ? 後遺症とか、怪我の具合とか」

「あ、あの女の人でしたら、無事です。というより、外は殆ど治っていたので、私はあくまで治療されていなかった中を繋ぎ合わせただけですので。念の為、どこかの魔術組織で精密検査を行った方がいいかも知れませんが」

 どこか歯切れ悪く、チドリは目を伏せたまま答えた。怪訝な表情になるカナタ。

「? どうかしたのか?」

「あ、そのォ……」

 チドリは左目の眼帯に触れ、右目だけでカナタを上目遣いに見上げる。目立った外傷は見当たらないが、ところどころ、傷だらけの少年を見上げ、ポツリと呟く。

「俄かには、信じられない話だったので、どうにも……」

 夜、アキラやミズホ達の治療の説明の際に、カナタは今回の経緯を分かる限り説明したのだ。ほんの数時間前まで、命の危険が迫っていた事を「ハイそうですか」と信じられる人間も少ないだろう。特に、専門家であるチドリには、殲滅魔術という規格外の魔術を認める訳にはいかないというプライドもある。

「ローマ十字教のイスカリオテの事は噂程度にしか知りませんし、『あの』殺戮狩人(ハウンドプレッシャー)が身近にいて、五行属性を全て扱える陰陽寮のエリートや、世界十指に選ばれた魔術師、イスカリオテの下部組織をほぼ壊滅に追い込んだ吸血鬼の真祖、そしてこの街を中心とした爆撃魔術……そんな話を急に信じろと言われても、こう、キャパを超えていて……。それに、聞いた話を整理してみると、あの黒衣の剣士は……(エルゴ)級の塑法界固着武装(ランダムアルゴリズム・セレクトシステム)の域に達した奇跡を、生身で平然と行っています」

「えるごきゅう? ら、らんだむあるご……何?」

「あ、いえ、こっちの話ですので、気にしないで下さい。要するに、あの人は奇跡そのものという事です」

 よく分からないが、彼女は褒めているのだろう。カナタはそう考える事にした。しかし、アキラやミズホに説明を受けた時にそんな専門用語が出た覚えはないので、もしかすると魔術を理論化したWIKの専門用語なのかも知れない。

「ま、まぁ、そっちの事情はよく分からんが……今の話は、本当だ。普通の人には通用しない話でも、癸なら分かってくれるだろうと思ったから話したんだ。あ、いや、無理に信じようとしなくていいんだ。僕も全体を把握してる訳じゃないし、自分でも信じられない事が多いのも確かだし……」

「あ、いえ、そういう意味じゃなくてですね……。えっと、確かに信じがたい話ではありますが、その話自体は信じてるんですよ。私が疑っているのは、目的の話です」

「目的?」

「はい。ローマ十字教の意図がどうであろうと、今回の件は、時津さんを中心に起きたものです。下手をすれば、この国が滅びかねない魔術を用いて。……それと、すぐ身近に、生きた伝説じみた方々がいた、というのも驚愕に値しますが」

 その苦悩も無理はないだろう、とカナタは頭を抱える。チドリにしてみればこの状況は、ご近所に世界的大スターが住んでいる事を知った一般人の様な心境なのだろう。ただ、ミズホの治療&解呪中は、無言だったのが気になる訳だが。

「コ、コホン! それはそうと、先にも言いましたが、今回の話は時津さんを中心に起こった問題です。又聞きした私には詳細は分かりませんが、これは教皇の責任問題になるでしょう。WIKから、何らかのペナルティが課せられると思いますので、如何にローマ十字教とは言え迂闊に手は出せなくなる筈です」

 と語るチドリには悪いのだが、それは助かると笑うカナタ。彼らは知らない。これまでに幾度となく、街の中心にある私立公園が被害に遭っている事を。

「それでも、今回の事で、ローマ十字教の標的として貴方が狙われてる事が判明した以上、傘下組織や他の組織も黙ってはいないでしょうね」

「――は?」

 さり気なく、しかし聞き捨てならない事を淡々と語るチドリに向くカナタ。どういう事かと訊ねると、チドリは手を振りながら答えた。

「あぁ、心配は要らないです。別に、戦闘になる様な事はないと思いますから。ただ、ローマ十字教が重要視する程の人間を調査する、という意味で、恐らく時津さんはこれからしばらく、ほとぼりが冷めるまで四六時中いろんな組織に『観察』される事になると思う、というだけですから」

 ……いやいやいやいや。

「あの……それって、相当大変な事なのじゃないんでせうか?」

「いえ、そんな事はないですよ。元々、この街は少し異常ですから、多少なりと特殊な一般人がいたところで、特に問題なく生活出来るかと。人の噂も四十九日と言いますし」

「そんなに簡単な問題でもないだろう……」

「監視カメラで覗かれる程に厳重な術式もありますが、そこまではしないと思います。もし不安でしたら、私が術式妨害用の護符でも作りましょうか?」

 努めてにこやかに、チドリは語る。あぁ要するに、ボロを出して仕舞って警察にマークされる左翼の頭もこんな気分なのだろうかと、カナタは痛む頭を振って神経を落ち着けようとした。だが「これからお前、人種問わず睨まれるけど気楽にいけよ(笑)」と突然言われても落ち着ける筈がなかろう。ここは敵地(アウェイ)のスタジアムか。

 ――そう。カナタは、それだけの事を仕出かしたのだ。ローマ十字教でも深部に位置する組織の人間を二人も敵に回し、そして爆撃を食い止める手助けをした。それら全てがカナタの手柄ではない……というか殆ど役に立てなかった訳だが、「カナタを中心とした」事件が恙無(つつがな)く解決したのも事実。チドリの言う通り、魔術世界にマークされても不思議ではない。

「……あー。イチャついてるトコ悪ィんだけど、ちょっといいか?」

 不意に声をかけられ、カナタとチドリが同時に振り返る。襖に手を突き、立っているのもしんどそうなアキラが、血が固まってカピカピになったタバコを口に咥えて佇んでいた。首や胸に巻いた包帯は既に外されている。

「アキラ!? 動いても大丈夫なのか!?」

「え? そんな……いくら怪我が完治したからって、まだ動ける筈が……」

 二人の驚愕した顔を腐肉っぽく笑い、アキラはジッポライターを取り出して火をつけ――ようとしたが、雨月の一撃を受けた際に壊れたのか、着火しない。舌打ちしながらジッポをポケットに突っ込み、タバコを咥えたまま語る。

「……俺の事はいい。怪我が塞がってりゃ動ける。それより、カナタ」

「な、何だよ?」

「お前。アレは、回収してあるか?」

 アレ、と言われたカナタは、思い当たったのか、頷いた。話が見えないチドリが首を傾げながらカタナの横顔を見つめている。

 オーケイだ、とアキラは納得した。次いで、チドリを見つめる。

「おい、そこのガキ。火ぃ持ってないか?」

「禁煙です」

 『ガキ』という呼称が納得いかないのか、チドリは顔を顰めてぶっきら棒に答えた。今チドリが相対しているのが、十二真祖を殺した狩人だという素性を知っている筈なのに、怖いもの知らずな対応である。或いは、アントニオに足りないものは、たったこんだけの事だったんじゃなかろうかとカナタは思う。

 というか、別の事を考えてないとやってられない。アキラは自分が認めた相手としかまともに接しない一匹狼な節があり、それは例え命の恩人でも例外ではないらしい。眉間に皺を寄せたままタバコのフィルタを噛む。もう暴力団の用心棒にしか見えない。

 いや、非常にどうでもいい話なのだが、チドリが高校一年生であるのに対し、アキラは中学三年生なので、目上の者に対する態度ではない。まぁ、そんな事はカナタやシオとの接し方で大体の見当はついていたのだが。

「それより、私からも質問があります」

「答える義理はねぇな」

 カナタの隣に立つチドリが訊ねてみると、カカと笑いながらアキラは被せる答えた。取り付く島もなければ、縋る藁すらない。ビキキ、と普段は温厚である筈のチドリのこめかみに青筋が浮かぶ。

「……アキラ」

「……ちっ!」

 カナタが静かに一括すると、アキラは苦虫を噛み潰した様な表情でチドリを睨み付ける。

「わァったよ、好きに訊け。俺に答えられる範囲なら答えてやるから」

「では、単刀直入に。貴方、本当に人間なのですか?」

「って、あからさまに直球すぎんだろうが! もうちょっと歯に衣着せろ!」

 身長一九〇強はあろう大男を相手に、怯む事無くピンポイントで訊ねるチドリが怖くなった瞬間だった。心臓を貫く矢というより、内臓を抉るリバーブロウとでも言おうか。もはや言葉の暴力である。相変わらず、魔術師相手には厳しいチドリさんなのだ。

「……ま、その件に関してはノーコメントだ」

「では、次ですが。貴方は吸血鬼なのですか?」

「いや、それはない」

 キッパリと手を振って否定するアキラだが、今度はカナタが物申したくなる事実だった。

「え? お前、吸血鬼じゃないの?」

「……何でお前は残念そうなんだよ」

「いや、あんだけの怪我を殆ど一瞬で治したし、その治り方もルーナそっくりだったから、てっきりそうなんじゃないかと思ってた」

「ないわ。ねーな。ありえねー。この俺が吸血鬼なんぞに落ちぶれるワケねぇだろ。大体、俺は未だ成長期真っ最中だっての」

「それこそちょっと待て! お前、まだ身長伸びてんの!?」

「あ、言ってなかったか? 一九八センチってのは、あくまで去年の春に身体測定で計った数値だし、そろそろ二〇〇いってんじゃねーかな」

「いやいや、えぇ!? お前どこまで伸びれば気が済むの!?」

「さぁ。この調子なら二一〇半ばはいくんじゃねぇかな」

「気持ち悪ッ!」

「……よーしオーケイだ。歯ァ食いしばれー。ちょっくらバイオレンスに殺るぜー」

 とか何とか、騒ぎ立てる男どもを冷めた目で見つめながら、チドリはため息を吐いた。

 アキラの言葉は本当だろう。つまり、彼は吸血鬼ではない。しかし、吸血鬼とほぼ同じ方式の再生能力を有しているのも事実。そして、吸血鬼限定の『殺す異能(チカラ)』を有しているという。実際、アキラは一二体存在していた吸血鬼の真祖を、実に九体も滅ぼしているのだ。それ自体はあくまで噂なので真偽の程は定かではないが、概ね間違っているとも言いがたい。

 さて、これはどういう事なのだろうか。チドリは、マウントポジションを取られてタコ殴りにされるカナタと、マウントポジションを取って悪魔の様に殴り続けるアキラを視界の端に追い遣り、思考する。興味深い、と心の中で嗤う。血が騒ぎ立ち、体内で踊り狂う。

 魔術師とは戦う者ではない。彼らはあくまで研究する研究者であり、目の前に未知なる『神秘』や『謎』が存在していながら探究心を抑えるなど、『神秘』や『謎』に対する冒涜であり、無礼でしかない。そういう意味では、努力で魔術を得たチドリは生粋の魔術師である。

「ぐム、ま、待て待て待て! ぼ、僕からも質問いいですかアキラ先生ェ!」

「ふん、テメェが俺に勝とうなんざ、四六億年早いんだよ」

「地球生誕の時からやり直せってか!? ――じゃなくて、質問だ質問!」

「応、何だ?」

 人を殴りまくって鬱屈した気持ちがスッキリしたのか、不気味に爽やかに笑いながら、アキラは語る。先程、チドリから質問を受けた時とは天地ほどの対応の差だ。一方で、殴られまくったカナタは軽い脳震盪を起こして、意識はあるが動けない、という生殺しの状況である。

「ミズホから聞いたんだけど、漆黒真祖(デイライトウォーカー)って通り名じゃなくて、十二真祖の別称なんだよな?」

「ん? そうだな、そういう事になるな。そこらのザコ真祖は、彷徨真祖(デイライトスニーカー)って呼ばれてるし」

「だったら、さ……漆黒真祖(デイライトウォーカー)って呼ばれてるルーナって、もしかして……?」

「ああ、その事か」

 どうという事もなく、





「アイツも十二真祖の一人だぞ? 真祖ナンバー4・刻呪王妃(ストリーガレジーナ)って呼ばれてる」





 そう、アキラは言い切った。

「ってェェェええェ!? 何をそんなアッサリ言い切っちゃってるのお前ェェェええエ!?」

「……? そこってそんなに驚く事か?」

「驚くよ! ルーナが十二真祖って事もビックリだけど、平然と言い放つお前にも驚きを隠せないさ僕は! どっちを先にツッコめばいいの!?」

「知らねぇよ、ンな事」

 アキラは、チドリが物思いに耽って上の空である事を確認し、騒ぐカナタを適当にあしらいつつキッチンに向かい、口に咥えっぱなしだったタバコにガスコンロで火をつけた。換気扇を回し、紫煙を吐く。この男には相変わらず、遠慮というものがなかった。

「って、ん? ちょっと待て。……刻呪、『王妃』? 王妃って事は、王がいたって事で、それってつまり……」

「――あ、しまった」

 ルーナの通り名に疑問を感じたカナタを見て、アキラは「失敗したなぁ」と額を叩く。

 王妃【名詞】。1・国王の妻。きさき。2・日本の王族で、王の称号を持つ者の配偶者。(明鏡国語辞典より抜粋)

「あー、アレだ。要するに、何だ? うん……アイツ、未亡人なんだ」

 衝撃の告白だった。カナタの顔がハニワになる程、それは言葉の核弾頭とも呼べる一撃だった。ロンギヌスの槍? いやいや、そんなもの、比較対象にならないくらい、カナタの心臓を斬り穿つ。

 呆けるカナタに合掌して謝り、アキラはタバコを咥えたままチドリに近付く。未だ、『アキラ=ヒルベルド』という未知の存在に対し、憶測を頭の中で展開している様だ。

「おい、眼帯」

「が、眼帯? それは呼称としてはあまりにも失礼ではないですか!?」

 チビだガキだとは、普段から監察対象に言われ慣れているせいか、先程はそんなに反応しなかったが、眼帯というのは心外なのか過剰反応して仕舞うチドリ。右目だけで、身長差六〇はあろう長身の男を睨み付ける。

「お前、WIKの人間なんだろ?」

「え? えぇ、まぁ。それがどうかしたんですか?」

「そうか。いや、ただの確認だ。俺にしちゃWIKも信用ならねぇが、ローマ十字教よりマシだとは思ってる。一応、偽善者(せいぎのみかた)してんだろう」

 アキラの言葉がよほど癪に障ったのか、チドリは右目を見開いて睨み付けた。殺気、いや殺意すらこもっていよう隻眼が、アキラを貫く。

 しかし、足りない。チドリには、アキラ程の経験や実力が足りていない。常人相手ならば失神するか失禁するか、という迫力さえ、アキラにしてみれば子供騙しのカンシャク玉みたいなものだ。

「そう睨むなよ。俺はただ、カナタを頼むって言おうとしただけなんだからよ」

「……時津さん、を?」

「あぁ。いや正確には、アイツが今回、回収した物を、だ。アレをお前らに渡す気はねぇ。これから先、カナタがこっち側に関与しようってんなら、アレはきっとアイツにとって力になる筈だ。言ってる意味、分かるよな?」

「……つまり、これから先、時津さんが『どんなアイテムを使おう』と、それを私に黙認しろ、と言っているのですか? 魔道文化を救済する組織の魔術師である私に?」

 睨みを利かせたまま訊ねるチドリに向かって、警戒心の塊の様な笑顔を向けるアキラ。彼は短くなったタバコの火先を見て眉を歪め、胸ポケットから血塗れのタバコを取り出して口に咥える。短くなったタバコの火種を使ってタバコに火をつけたかと思うと、平然と、リビングに飾ってある観葉植物の土でタバコを揉み消した。

「お前がどう動くかは関係ねぇよ、俺の知った事か。ケド、ローマ十字教は近い内にまた来るだろうよ。勿論、カナタを殺しにな」

「馬鹿な。そんな筈はない。今回の様な大事を仕出かしておきながら、そう簡単にWIKの監視を敗れる筈が……」

「――だから、所詮、テメェらは自分の価値観しかない偽善者(せいぎのみかた)だっつってんだよ。お前らはまだ、あの組織を知らなすぎる。世間知らずの正義(アイドル)風情が、魔術世界(こっちがわ)を語るな」

 ニヤリと、まるで『世界の裏の裏まで知っている』と言わんばかりに、アキラは嗤い、身を引いた。タバコのフィルタを噛み千切らんばかりの、仮面の様な笑顔に、チドリはゾッとしない。

 くるりと振り向く際に返す刃で、地面に転げたままのカナタを蹴り上げ、アキラは急かす。

「オラ、カナタ。いつまで呆けてんだ。とっとと帰るぞっつってんだよチビ」

「え? あ、うん、アンデルはどうするんだ?」

「後は天下のWIK様が残業処理してくれるってよ。どうせアンデルは逃走兵だ、ローマ十字教に帰す様な無粋はしねぇだろ」

「そうなのか?」

 起き上がりながら、カナタはチドリに目を向ける。「えぇ」と曖昧に答えるチドリに、カナタは「ありがとう」とだけ告げた。ズキリ、と胸の奥が軋み、心が重くなる。

 やがて、玄関からドアの閉まる音が聞こえてきた。チドリだけが取り残されたリビングは、静かに、鎮かに、沈かに。耳が痛くなる程の静寂を以て、少女を押し潰そうとしていた。

 このままじゃ足りない。きっと、このままじゃ、自分は後悔する。

 そんな、予感めいた雑音が、頭をよぎる――。





 下るエレベータにて、唇で左手の人差し指を噛みながら、カナタはポツリと呟く。

「しかし、ルーナが人妻――いや、今は未亡人か――だったとは……」

「何だぁ、このマセガキ。ガッカリした顔しやがって」

「お前の方が年下だろ! ……いや、そうか、未亡人か」

「あん?」

「……未亡人って、いい響きだよな」

「――いや、カナタ。お前、その歳でその趣向は、かなりキモチワルイ」

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