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Stage.18・5:『Fato(宿命)』

 写経、というものをご存知だろうか。

 清書の上に和紙を乗せ、清書を透かして書き写す仏教において功徳を得る手段の一つとされている。

 元々、写経とは写本技術のない古来、写本を作製する為の行為であったが、現在では少し認識が変わっている。写経は、心穏やかで煩悩を持たない冷静な者しか出来ないという教えの元、現在の各寺院では専ら修行僧の精神鍛錬の為に行われている行為である。

 字の流れを見出す事で筆者の心を自身に写し、それを和紙に表すだけ。だが、ミリ単位ですら乱す事は赦されない。それは筆者の心を理解していない不届き者の証拠であり、また自身に余計な雑念(=煩悩)があるせいだとか何だとか。現代ではそういう教えとなっている。

 座敷に置かれたテーブルの前に正座し、背筋を伸ばして深呼吸する少女・癸千鳥(みずのとチドリ)は、硯に墨を擦り、筆先を今まさに墨につけようとしていた。

「オイ、クソガキ! 何だッてこの俺様が皿洗いなンぞやらねェといけねェンだよ!」

「ひっ!!」

 チドリが最大まで集中した瞬間、座敷の襖が吹き飛びそうな勢いで開かれた。ビクゥ、と身体が震え、テーブルを蹴飛ばしたせいで、墨が畳に飛び散る。

「あ、ああァァァああア! あぁぁあなぁなあナッ、貴方、ななな何をしてんですかァ!」

 極限まで高まった集中を乱されたせいでバクバクと激しく動悸する胸を抑え付ける様に手を当てながら、チドリは振り返る。入り口には、やたらふてぶてしい態度の銀髪の少年がいた。

 身長は、一四〇センチに若干届かないくらいの、傍目から見れば小学生に見えるが、彼が身に纏う雰囲気はその比ではない。触れるどころか近付くだけで、全身を粉々に弾き飛ばしそうな、殺気を常に発している。

「テメェがこの俺に雑務を押し付けよォとするからだろォが、クソガキが。あァン、バラッバラの挽肉にされてェのかよ、コラ」

 傍に置いていたタオルで畳を叩く様に墨を吸わせながら「そんな事で私の集中を妨げないで下さい! ああ、畳に墨が零れたじゃないですかぁ……」と泣き言を語るチドリ。

「知った事か。俺は出かけッから、後はテメェが勝手にやっとけ」

 銀髪の少年・ランスロットはそれだけを告げ、ベランダに出て、柵から飛び降りた。一応この部屋は高層マンションの最上階にある訳で、高さ的には相当なものなのだが、飛び降りた筈の銀髪の少年はどういう魔法を使ったのか、空を飛んで宵闇に消えていった。

「うぅ……ランス〜……、覚えてろよチクショォ……」

 本来、社交的な態度をとるチドリが、珍しく暴言を吐きながらランスの飛び去った空を見上げていた。悔しそうに下唇を噛み、涙目で空を見上げるチドリは、何と言うかサンタさんが来てくれなかった女児にしか見えなかったりするが本人に自覚はない。

 チドリは、汚れた食器が積まれた台所と開いた写経道具を交互に眺め、ため息混じりに再びテーブル前に正座する。

 心を乱してはいけない。一度やると決めたからには、最後までやり遂げなくては気が済まない。食器洗いは後で出来るが、写経は『今この時の気持ち』を逃すと、それ即ち雑念が多いという事実が出来上がるのだ。

 集中、集中……。心を鎮め、思いに陰りがなくなる。集中力が絶頂に達した事に内心満足し、それも雑念だと振り払い、筆先を硯に付け――、

 ピリリリリリリリリ!

「うひゃうッ!?」

 不意に、携帯電話が鳴り出した。心臓が飛び出るかと思った。仰天した表情で、鳴り響く携帯を見つめていたチドリだが、一向に携帯が止む気配はない。電話主は、やたらしつこかった。もうかれこれ二〇コールはしている。

(ど、どこの誰ですか、私の精神統一を妨げる者は!?)

 文句の一つでも言ってやろうかと、チドリは中折り携帯を開き、液晶に表示された名前を見る。

 『時津カナタ』、と書かれていた。

 ランスや着信音なんか目じゃないくらい、今度こそ本当に心臓が飛び出すかと思った。

 今月の一〇日。彼女の友人の手助けもあり、ようやく手に入れられたクラスメイトの番号だが、あの日以来全く連絡を取っていなかったのだ。用もないのにチドリからかけては迷惑かも知れないし、クラスの男子曰く「カナタは必要最低限しか携帯使わない」と聞いていたので、半ば諦めていたのだが……まさか、向こうからかかってくるなんて!

「ど、どどど、どどうしましまま、し、しょう!? ええっと、落ち着け私、まずは素数を数え……違う! いやいやだから落ち着けと……えぇえええ!?」

 もはや訳が分からなかった。

 しかし、錯乱し狂乱し混乱したワタワタとチドリが携帯でお手玉していると、着信音が止んだ。切ったのか、と一瞬だけ思ったが、どうも違う様だ。留守番電話サービスに接続したのか、携帯から聞き慣れた声が聞こえてくる。

『癸……の電話だよな? いないのか? もしいるんだったら、出てくれないか? 大切な話があるんだ。出来れば一人で。その……今、お前のマンションの下で待ってるからさ。頼む』

 ピー、と留守電が終了する。同時にチドリの思考がブラックアウトした。

(……)

 落ち着け、まずは素数を数えるんだ……とかふざけた事を考え出そうとする自分の頭を無表情に殴り飛ばす。ゴギン、と鈍い音が骨振動する。首が妙な方向に捻れ曲がった。痛い。

 痛い。そう、痛い。メッチャ痛い。ハンパじゃないくらい痛いのだ。首が。

 という事は、これは夢ではない。携帯から聞こえてきた声は間違えなく時津カナタの声だったし、その内容も把握してる。サービスセンタに接続すれば、何度だってリピートする。

(……大事な、話?)

 出来れば一人で来てほしい。大切な話。マンションの下で待ってる。そんな内容だった筈だ。

(夜、男女が二人で、大切な話……? えぇっと、それは……)

 フリーズしていた脳内タスクを一度閉じ、再起動を試みる。更新情報を整理し、処理能力が復活してきた。HDを開き、先程ダウンロードした電話(データ)をインストールし、情報処理してみる。

 つまり、

(え、えぇぇえエエエええええ!?)

 こ、これは告白フラグ……!? という安直な考えが脳裏をよぎるが、今のチドリにそんな事は考えられない。

(ど、どうしましょう!? えっと、今すぐ電話……じゃなくて、着替え!? いや、待て、ただ話をするだけなのに着替えっておかしくないか!? でも今、部屋着だし、今日は体育あったから汗臭いかもだし……あ、えっと、どうしよう? どうしよう!?)

 部屋と玄関を行ったり来たりウロウロしながら、チドリは混乱し続けている。かと言ってこのまま寒空の中、カナタを待たせる訳にもいかない。とりあえず落ち着く為に、服の衿をつまんで臭いを嗅いだり、玄関の姿見で前髪を整えたり、何故か便座に座り込んだり、窓際に立ってタバコを吸う真似をしてみたり。本格的に混乱の極みである。ある意味、出かけたランスは惜しい事をしたのかも知れない。

「えぇい! 誰かライフカードを持てェい!」

 叫んでみたりする。というか古い。チョイスが若干古い。完全に旬は過ぎていた。

 とりあえず、チドリは携帯を手にし、メールを打つ事にした。電話だとテンパりそうだが、メールなら落ち着けるだろうと考えたのだろう……が。

『しばしお待ちあれ。すぐ向かいまする』

 送信。送信完了。

「って何やってんの私――!? 何この文体!? 私ナニ人よ!?」

 むしろ、どうテンパればこの文が打てるのか疑問だが、数分と待たずに返信が返ってきた。ただし、電話で。

「は、はい! もしもし!?」

 反射的に通話ボタンを押して応答して仕舞う。もう思惑とか何もねぇのである。

『み、癸か? 今、平気か?』

「は、はい! あ、いえ、少し待って下さい。その……私も、準備がありますので……」

『……? まぁ……分かった。癸がそう言うなら、待ってる。けど、本当に、お前でないと駄目なんだ。他の誰でもない、癸しか……』

「あ……」

 カナタの真剣な言葉(おもい)が通じたのか、チドリはここにきて、初めて冷静になった。今まで騒いでいたのが嘘みたいに、心が落ち着く。

「は、はい。分かり……ました。でも、本当に少しだけ、待ってて下さい。すぐ、すぐに、会いに行きますから」

『あぁ。頼む』

 それだけを告げ、チドリは携帯を切った。もう迷いはない。覚悟を決めよう。

 チドリは自室に戻り、サイドで纏めたゴムを解く。背中まで伸ばされた髪は、結ばれていたせいで妙な癖がついていた。化粧台に置いてあるヘアミストを吹きかけ、ブラシを使ってストレートに伸ばす。カナタを待たせているのは忍びないが、このくらいの時間は許されるだろう。そう思い、丁寧に、しかしなるべく早く髪を梳く。

(……行こう)

 サラサラと、髪をなびかせながら。チドリは玄関で少しヒール高めのパンプスを履き、家を出た。ほんの少しだけ、背伸びをしてみようと思った。

(……そして、私も言おう。あの人に会ったら、ずっと言いたかった事を)

 覚悟は決まった。エレベータに乗り込みながら、チドリは目を伏せる。表示される階が、みるみる内に減っていく。

 まるで、それが最後の準備期間だとでも言う様に。窓に映る自分の姿をぼんやりと眺めつつ、前髪をつつく様に触りながら。

 やがて、チン、と最下階に到着した音が聞こえ、ドアが開かれた。広いロビーの様なフロアを駆け足気味に歩き、正面玄関を手で開け、

 そして、そこに、カナタは立っていた。出てきたのがチドリだと気付いて、満面の笑顔を浮かべて。

「時津さん!」

「癸!」

 二人は駆け寄る。それが約束だった様に。

 だが、カナタは満面の笑顔を真剣な表情に切り替え、チドリの手を掴む。

「え?」

 予定外の出来事だった。ハテナマークを頭の上に浮かべるチドリを他所に、カナタはチドリの手を引いて走り出した。ヒールのパンプスを履いたせいもあり、転びそうになる。

「え、あ、あの、時津さん?」

「悪い。何も言わずについてきてくれ!」

 至って真剣な表情で語るカナタには悪いが、チドリには何も理解出来ていない。理解出来ている事と言えば、マンションの陰になっている道を進んで、街灯も差し込まない路地裏に向かっているという事だけで……

(って、マジですか!? え、周りに誰もいない!? と、時津さんはこんなトコに私を連れてきてどうしようと――!?)

 まさか、と思考が(エロ)な方向へ駆け巡る。そりゃ、チドリもお年頃な訳で、そういう事に興味がない事は断じてないがだがしかしこの急展開はどうかとそもそも根が真面目なチドリは現代の女学生の事情は知らないがそういう事はそういう関係になってから『する』ものだと考えている訳ででもカナタにならいいかも知れないなどとふざけた事を考え出す脳をしっかり叩き起こして冷静に分析しながらでも好き同士なら問題はないのかも知れないがそもそも手を繋いだ事もない――あ、今繋いでるじゃん――し逢瀬を重ねた事もなくいきなりそういう展開はどうなんでしょうかねと高速思考するチドリ。頭に血が上る感覚。どうしよう、彼を受け入れるべきか、それとも清く諭すべきか。そんな事がグルグル頭を駆け巡る。

(い、いえ、ですが現代は、その、『そういうの』も多いと聞きますし、郷に入っては郷に従えという言葉もある様に、私もそうあるべきなのでしょうか? し、しかし、その、怖いと問われれば怖い訳で、でも『アレ』程度、魔物と死闘を繰り広げる事に比べたら大した事はないでしょうし、でも、いや、しかし、あの、)

「着いた!」

 思考を繰り広げるチドリを引く手が、止まる。辿り着いた先、そこには宵闇を引き裂く様に爛々と輝く光が――、

「遅っそいわね……カナタ……」

 そこには、裏路地とは思えない光を放つ、ボロボロに八つ裂かれた車が停車していた。車体に寄り掛かる様に、チドリと同じ茶色の髪をした少女が、白い制服を血で真っ赤に染め上げていた。

「ミズホ! お前、起きて平気なのか!?」

「あー……平気な訳、ないでしょ。応急処置したとは言え、腹ブッ刺されてんだから……。でも、その子がいれば、もう……寝ていいか、ぁ……」

 ズルズル。少女は車に凭れ掛かる様にその場にへたり込み、気を失った。血まみれなのは彼女だけではない。車内には、他に三人もの人間が昏睡していた。

「え……あの、時津さん、これは……?」

 事態がつかめないチドリは、呆然としながら凄惨な目の前の光景を眺めていた。聞き慣れたカナタの声以上に、嗅ぎ慣れた血の臭いに我を失いそうになる。

「頼む! コイツらを、助けてくれ! 天后はまだだし、頼れるのはお前しかいないんだ、癸!」

 あ、そーか。とチドリはようやく納得した。要するに、勘違いか。どういう経緯か知らないが、カナタは『また』チドリの知らないところで魔術世界に関わりを持ち、そして車の中の仲間の為に、魔術師であるチドリを頼ったのだと。

 アッハッハー。コイツぁお笑い草だ。

「……分かりました。彼らを治療すればいいのですね?」

「ありがとう。僕の方でも応急処置はしたんだけど、魔術の方が治りが早いのは確実だし……それに、ミズホとアンデルは呪いみたいのを受けてて、解呪が必要なんだ。アキラなんか瀕死だし、シオは全身の筋肉の断裂が激しいし……こんな事頼めるの、お前しかいないんだ」

「それだけ分かれば十分です。出来るだけの事はやってみます」

 チドリは優しく呟きながら、カナタに歩み寄る。

 ――ギリギチ。

 が、不気味な音が聞こえてきたので、ミズホを支えていたカナタが、チドリを振り返ると、そこにはシオも真っ青な『鬼』がいた。笑顔である。満面の笑みである。だがしかし、握られた右の拳は、血液が止まって白くなっている……なんてレベルではなく、鬱血して紫色になろうとしていた。

「あ、あの、癸、サン?」

「ええ。状況は大まかに理解しました。人命は大切ですし、私は全力を持って治療しようと思います。……が、その前に」

 ニタリ。不気味な、仮面の様に不気味な笑顔が、宵闇に浮かんでいた。

 あ、これ、救助フラグじゃなくて死亡フラグだったのか。カナタの脳裏にそんな物騒な言葉がよぎった瞬間、その刹那の事。

「わ・た・し・の、無駄に発散した乙女マインドはどこにやればいいんですかァァァああア!!」

「治療しに来たのに負傷するとはこれ如何にーッ!?」

 カナタの意識はそこで途切れた。

 若いうちは煩悩まみれの方が丁度いいのである。

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