Stage.18:『miracolo(奇跡)』
[Fab-28.Tue/20:00]
「女の様子はどうだ?」
「……大丈夫、寝てるだけだ。アントニオに刺された腹も、今じゃ塞がってる。何かの魔術でも使ったのか?」
カナタは車の後部座席にアンデルを寝かせたまま、アンデルのあちこちを触診して怪我の具合を確かめている。眼球運動を確かめ、喉の奥に詰まった血や吐瀉物を吐かせ、的確に応急処置を行う。
「お前、狙撃手だと思ってたけど、衛生兵だったのか」
「基本的な応急処置だけだ。専門的な事はわかんねぇよ。あとは弾の摘出とか、止血とか。この辺は知識だけしかない。実践した事はないな」
「ふぅん」
「そんな事より、今はロンギヌスの槍の方が大切だ。急ぎたいところだけど……着弾ポイントの見当はついてたりしないのか?」
運転席に乗り込み、こんな状況だと言うのにしっかりとシートベルトを締めつつ、カナタはアキラに訊ねる。血まみれの制服の胸ポケットからタバコを取り出し、ベッタリと自分の血の染み込んだタバコを見て一瞬だけ顔をしかめたが、何事もなかった様に先端に火をつける。血液自体は既に乾いているので、火をつける分に問題はないらしい。
「あー……こんな時にこんな事を言うのもなんだけどな、カナタ」
「ん?」
「お前はもうちっと頭を使え。……どうせ言っても聞かないだろうから、魔術世界に干渉するのを止める気はないが、今のままじゃお前はいつかどこかで失敗するぞ。魔術師同士の戦いってのは、そもそも単純な性能で決まるもんじゃない、戦略の読み合いなんだ。ロンギスヌ自体は、まぁ、渡辺がどうにかしてくれるだろうから、なるべく早く、じっくり考えてみろ。それが出来ないなら、この場で爆撃に焼き尽くされた方がいい」
ノーヒント、とアキラは紫煙混じりに語る。車にキーを差し込み、エンジンをかけようとしたカナタの手が止まる。
「なっ……馬鹿か、お前!? 今はそんな事を言ってる場合じゃ……!」
「今だからこそだボケ。なるべく、緊迫した状況じゃなきゃ意味ねぇんだよ。お前がこっちの世界に首を突っ込むって事は、いつか、お前がたった一人で答えを出す機会があるかも知れないって事だ。追跡不可の時はたまたま俺が答えを持っていたからよかったものの、いつかそういう時は必ずくる筈だ。魔術世界を知らないってんなら、せめてこっちの事情に慣れろ」
アキラの言い分は尤もだった。カナタは今まで、脇目も振らずに魔術世界の事情に介入しようとしていた。だが、今回、分かった事がある。
自分一人では、勝てない敵がいる。カナタが今まで戦ってきた魔術師、水鳥静香やアーダ=オルトラベッラの件では上手く立ち回れたので、過信していたのかも知れない。だが、思い出せ。カナタが、目の前の魔術師、アキラと対峙した時の事を。あの時は運がよかっただけで、普通に考えればカナタはあの時、殺されてもおかしくはなかった。
今回だってそうだ。アントニオの攻撃に全く対処出来なかったカナタは、それでもアンデルを助ける為に動こうとした。結果、シオやミズホがアントニオに挑み、雨月はアキラが倒したのだ。カナタは時間稼ぎしかしていない。
力がない、という訳ではない。誰かに勝てないという事は、そんな次元の話ではないのだ。
アキラは言った。魔術師同士の戦いは、戦略の読み合いだと。ならば上手く立ち回れば、カナタにも勝機はあるという事になる。状況を考えろ、とはそういう意味なのだろう。
「……オーケイ、やってみる」
呟きながらハンドルに突っ伏し、車体のアイドリングを直に感じながらカナタは思考する。
と言っても、おおよその見当はついている。もし、ロンギヌスの槍がカナタと雨月、そしてアントニオを殺害する為に放たれるのだとすれば、それはきっと――、
(いや、ダメだ。安易に結論を出すな。頭をフル回転させろ。今までの事を整理して、少しでも核心に近付け。アキラがそこまで言うって事は、今日一日の出来事の中に答えがあるって事だ)
車内にタバコの臭いが充満する。確実に答えを出しているだろうアキラは、タバコの火種をじっと見つめていた。切羽詰ってる現状、いくらアキラでも結論までカナタに期待してはいまい。恐らく、そのタバコがタイムリミットの意味を表している。
このまま、何もしなくても、アキラは答えを言ってくれるだろう。だが、それじゃダメだ。人から答えを教えてもらっていては、カナタはこれから先、いずれ殺される。
(考えろ……何か、確定的な答えがある筈だ)
考えて、考えて……カナタは、答えを導き出した。
「――僕達の街に、帰るぞ」
「……ほう。根拠は?」
タバコを吸い終えたアキラが腰に下げていた携帯灰皿で消化しつつ、訊いてきた。カナタは自分なりに纏めた答えを口にする。
「そもそも、僕やアントニオを狙っての事なら、あの街を狙うのは当然だろう?」
「根拠が弱いな。それなら、隣街であるここを狙っても一緒だろう。いや、ロンギヌスの槍の目的は雨月の殺害も含んでいる。お前らがこの街に移動したなら、むしろこの街を爆撃した方が確実じゃないか?」
「いや。通信魔術に使ったのは、大規模な儀式が必要ってお前、言ったよな? 僕が今まで会ってきた魔術師は皆、魔術という行為の隠蔽と即効性を重視して、コンパクトに簡単に使用出来る様にしていた。四次元ポケットのアイテムじゃあるまいし、都合はよくないんだと思う。だったら、箱庭ってのがどういうものなのかは知らないけど、アントニオが驚く程の事ならきっとそれには手間隙かかってるって事だろう。第一、どこを爆撃しても逃げ場のない魔術だって言うなら、たかが隣街に逃げたところで巻き込まれる。僕らの街を爆撃しても、結局僕らは死ぬ事になるのは一緒だ。
それだけじゃない。仲間の身を案じて通信魔術を使った奴と爆撃決行犯が別人って事は、通信してきた奴は箱庭の製作者じゃない。どのくらい時間がかかるか知らないけど、もし箱庭製作に一日かかるんなら通信は間に合わない。という事は、爆撃決行犯が作ったって事になるが、どうして? 答えは簡単だ。どういう理屈か、その箱庭ってのはきっと、照準装置なんだ。でないと、わざわざ吹き飛ばす街の箱庭を作る筈がない。何だっけ……似た形は似た用途になるってのは、類感魔術って言うんだっけ。お前達的に言えば、魔術的に繋がってる、って感じか」
「まぁ、まだ色々と言える事はあるが……上等だ!」
ニタリと笑いながら頷くアキラの態度を合格と受け取り、カナタは弾かれた様に車を発進させた。
「でも、まずはミズホのところだ。あの野郎がアントニオに負けるとは思わないが……もしもの時は、アイツの役は俺がやる。急げ、もう時間はそうない筈だ」
「あ、あぁ、分かった」
アキラが天后の気配を探知しながら、カナタをナビする。どうやらアキラは魔術が使えないなりに、魔力を探知する独自の手段があるらしい。アキラにしてみれば、絵に描いた様な一流の武闘家が気配を読む、的な感覚なのだろうか。もし追跡不可戦でコイツがいれば、もっと事は簡単に済ます事が出来たかも知れない。
「そこを右に曲がった先の林間公園に、天后とミズホがいる筈だ!」
「言うのが遅ェ!」
ギャリギャリギャギャギャギャギャ、とタイヤが磨り減る急カーブの軌跡をアスファルトに残しながら、シルバーの車体が大きく傾いて狭い道を曲がりきる。公園の近場という事で人がちらほらといて、アクション映画のカーチェイスシーンを目撃した様に「おおっ!」と拍手と共に盛り上がる。
辿り着いた林間公園の中にも駐車場はあるだろうが、すぐにでも出発しなくてはいけないカナタは車体の半分を無理やり歩道に乗り上げて駐車した。後部座席を丸々使って寝かせていたアンデルの身体が落ちそうになっているが、気にしない。傷は塞がっているのだから、多少の無茶も通るだろう。
カナタ達が車を降りて、公園に目をやる。念の為に腰に挟んでいた拳銃を取り出して安全装置を外していると、公園から天后に肩を預けたミズホの姿が現れた。
「無事か!? って無事じゃなさそうだな!」
「うるさいわね……声を張り上げるんじゃないわよ……」
カナタが駆け寄り、腹部の傷を見て、憎々しく舌打ちした。アンデルと同じで、今のミズホには魔術が使えない事に気付いたのだ。
「応急処置は? ってか、アントニオはどうした? 渡辺は無事なのか?」
「済ませてる……。アントニオは、今は拘束してるわ。後でWIKに梱包して送ってやるわよ、あんな奴……。シオは、もう既にロンギヌスの槍の方に向かってるから、私達も、急がないと……」
「あ、あぁ」
天后から手を離し、カナタの車に乗り込もうとして、後部座席にアンデルが横たわっている事に気付いてミズホはカナタに向き直る。
「……彼女が、極彩色?」
「一応。ちょっと待ってろ、アンデルの身体を起こせば、座れるだろ」
カナタは後部座席のドアから上体だけ乗り込んで、アンデルの身体を起こす。浅黒い肌でも分かるくらいに青ざめた女性を無理やり起こすのは気が引けたが、緊急事態なので仕方がないと割り切る。特殊部隊もやっているのだ、いちいち気にしていたらキリがない。
何とか座れるスペースを確保したカナタは、ミズホの肩に手をかけながら丁寧に車まで移動させた。白い肌と白い制服を真っ赤に染めたミズホがきちんと座れた事を確認し、カナタは天后に向き直る。
「アンタはどうするんだ?」
「ご心配には及びません。流石に『ジドウシャ』と同じ速度で移動する事は出来ませんが、必ず後で向かいます故に」
「そうか。分かった」
二人が簡潔に応答し、痺れをきらしたアキラが急かす。アキラに一言だけ怒声を浴びせながら、運転席に乗り込もうとした瞬間、
「いや、待て、カナタ!」
「……え?」
「上、です!」
アキラと天后が、叫ぶ。ロンギヌスがもう直視出来る程まで迫ったのかとカナタが空を見上げると、
そこには、月をバックに堕ちて来る、歪つな影が『居た』。
「殺戮、」
その影は、何かを左手に掴んだまま、遥か上空より落下してくる。
月をバックにしたその影は、
右半身が、爆発にでも巻き込まれた様に欠けた、歪つな影は。
「狩人ァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!」
雨月は、とんでもない速度で、車体に落下してくる。カナタが反応する間もない。
助手席に乗り込んでいたアキラには反応のしようもない。タイムラグはたった数秒だが、その数秒でさえ致命的。唯一反応出来たのは、カナタと同じく外にいた天后だった。彼女は空気中から剣の様な、杭の様な物を作り出し、それを迫る雨月めがけて高速で投げる。
ボッ! あまりの高速の一撃に、雨月の脇腹に突き刺さった瞬間、鈍い爆発じみた音が聞こえてきた。
それでも、尚、雨月は止まらない。掲げた左腕に青い布を巻き、拳を握り締め、
ゴバキャアャン! という、何とも筆舌し難い――強いて言うなら、アルミ缶を踏み潰した音を一〇〇倍にしたような音、だろうか――破壊音を掻き鳴らして、車体の天井を拳で貫いていた。その手の先は、アキラの右鎖骨から肺胞まで突き破り、車内を真っ赤に染め上げた。
「ゴ、ボァ、っェゲ……!?」
噴水の様に口と右肩から真っ赤な液体を車内にブチ撒けるアキラ。瞬間、天后の攻撃手段なのだろう無数の氷の杭が、車体の上に乗っかった雨月の全身を、余す箇所なく貫く。初めは銀色だったカラーリングが、内も外も真っ赤に染まる。
全身に氷の杭を受けた雨月はそれでも、死ななかった。吸血鬼と言えど、通常ダメージは受ける。それはカナタとの戦闘で実証済みだ。
だが、それでも。全身を貫かれ、もはや首から下は、どんな形状だったのか分からなくなる程にダメージを受けていながら、雨月は死んではいなかった。死の苦痛を受けていながら、それでも、彼は生きていた。否、死ねなかった。
どんな形をしていようと。彼、雨月は、吸血鬼の真祖……最強種なのだから。
「おま、え……ッ!」
頭に血が上る。カナタの視界が、雨月の血とアキラの血で、真っ赤に染まる。全身に杭が刺さっても死ねない彼は、ただ最後に、
殺してくれと、カナタに懇願していた。
肺を潰され、喉を壊されて声も出せないので、目だけで訴えていた。
「雨月……!」
右手に持った拳銃の銃口を、雨月の額に押し当て、
「雨月ゥゥゥううウ!!」
引き金に指をかけ――轟音。
[Fab-28.Tue/20:27]
それから、どうしたのか。カナタは覚えていない。
天后の力で、アキラから噴き出す血液を止める為に傷口を凍らせたり、どうもアキラが受けた一撃――青い布による一撃は『対吸血鬼用霊装』であるとか、そのせいでアキラの驚異的な再生能力が賦活しないとか、そんな話を聞いた気がするが、カナタはよく覚えていない。
ただ、気が付いた時には、公園にいた。
ミズホらの街にある林間公園ではない。カナタ達の住む街、その中心に存在する、私立公園だ。
空から、音速を突き破る光が墜落し、それが消えたのが、この公園だった。
そして、その広場の一角に、長身で黒ずくめの青年が倒れていた。空から降ってきた衝撃によるものか、竜巻跡地の様に何もかもが吹き飛ばされていた。残骸と化した周囲の一つに、やたら大きなバイクが転がっていた。修理すればどうにか使える様になるかも知れないが、少なくとも今から動かすのは不可能だろう。
声に挙げる間もなく、一瞬だった。ロンギヌスの槍の脅威は、既にどこにもない。だが、カナタにしてみれば一瞬の出来事でも、黒衣の青年にしてみれば何十時間にも感じられただろう。
「ハッ……ハッ……」
カナタは黒衣の青年に駆け寄り、肩を抱いて仰向けに寝かせ、脈拍と心拍、呼吸運動と眼球運動を無駄のない動きで確認し、ホッと一息つく。身体のどこかを壊したかも知れないが、とりあえず、大事はなさそうだ。今は眠っているだけ……ただし、この場合は昏睡と呼ぶべきかも知れないが。
「……クソッタレが」
みんな、とにかく無事だった。一番重傷だろうアキラでさえ、『とりあえず』持ち直した状態でしかないが、それでも誰も死んでいない。人間は。
それでも、カナタは悔しそうな表情を浮かべている。何もかも万事解決、とばかりにはいかない。雨月によって吸血鬼にされた者は死んだ。カナタの周囲の人達は皆、重傷を負った。そんな中、カナタだけが無事だった、という事実が気に入らない。
「……次は、絶対に、守ってみせる」
何もかも。カナタは、誓う。
「今のままじゃ駄目なんだ。周りに庇ってもらうだけじゃ、誰も救えやしない」
我知らず、抱いたシオの肩を強く掴んでいる事すら気付かずに、カナタは誓う。
「……僕は、強くなってみせるッ」