Stage.16:『Revival(再燃)』
[Fab-28.Tue/19:25]
「この……人間風情が、調子に乗るなッ!」
カナタめがけ、鞭が唸り飛来する。確かに高速だが、回避行動に全神経を集中させればかわせない程ではない。カナタは鞭を横っ飛びにかわしつつ、空中で銃を構え発砲する。が、無茶な体勢で撃ったせいで体勢が崩れ、カナタは着地に失敗し床に叩きつけられる。
「がっ!」
床を転がる事でダメージを殺し、勢いをつけて立ち上がる。雨月は鞭を振り上げ、狙いを付ける。頭上より襲いかかる鞭を、バックステップで避けながら、カナタは雨月に向けて再度発砲する。
鞭が屋上を抉る。衝撃ベクトルを一方向に操作する魔具・虚構革鞭のベクトル変換に耐えきれなかったコンクリートが粉砕し、無数の破片を撒き散らす。
(な、何が、雨月の鞭は攻撃手段にならないだ! この鞭、使いようによってはとんでもない『兵器』じゃねーか!)
ミズホの虚構革鞭解釈では、ベクトル変換における鞭は攻撃性の低い武器だという。鞭の運動エネルギーを特定した一方向に向けた場合、物は吹き飛ぶだけで済む。その際のダメージとなる衝突エネルギーは進行方向へ移行する為、鞭自体のダメージは0となる。
だが、例外はある。それは地面などに固定された物である。固定された物は鞭のベクトル変換を受けた際に、固定された箇所と軋轢を生み、結果として破壊される。あの鞭、虚構革鞭の真の用途はそこにある。
「よく避けるな、人間!」
雨月が鞭を振るう。しなり、のたうち回る鞭の軌道は非常に『予測』しにくい。故に、カナタは雨月の踏み込みと腕の振りのみで『予感』して避けているのだ。
カナタはさっきから、雨月を見ていない。足下から胸までの動きに合わせ、併せ鏡の様に動いているに過ぎない。
『――目を見たら死ぬ』
魅了の能力。さっきのやり取りではアキラには通用しなかったみたいだが、カナタは一般人だ。話によればミズキすら呑まれたという雨月の強力な魔眼に対抗出来る筈がない。
虚構革鞭。
魅了の魔眼。
人外の最強吸血種・真祖。
この戦いは、これだけの『縛り』が存在している。アキラの様に専門職でもないカナタが。
こうして。圧倒的実力差が存在する真祖を相手に、カナタは拳銃片手に立ち回りながら考える。
(……おかしい)
と。
そうだ。おかしい。これはどういう事だ。
(……どうして僕は、生きている?)
雨月は真祖だ。聞いた話では『個体能力値はかなり低い』という事だが、だからと言って人間より低いとは思えない。こうして対峙し戦って、正直な感想では、アキラと同等程度だろう。勿論、そんな化け物が相手では、カナタ如きじゃ二秒も保たない筈だ。
では、どうして生きていられるのか。
「この、チョコマカと!」
雨月の鞭がカナタを襲う。腰に衝撃を受けた瞬間に浮遊感を覚え、勢いよく背後のフェンスに叩きつけられる。間髪入れずに再び鞭が襲うが、カナタは類稀なる命中精度を即座に引き出して鞭に銃弾を打ち込み、軌道を逸らす。どうやら触れた瞬間に銃弾のベクトルを曲げているせいで、武器破壊には至らないらしい。
だが、ほんの一瞬だけ鞭の動きが止まった。その一瞬を見極めたカナタは、銃を発砲した勢いを利用して後ろに跳び、銃を持たない左手だけを使ってバック転する。数瞬後、カナタがいた場所に鞭が飛来し、コンクリートが爆砕した。
(もしかして、コイツ……)
今の流れを冷静に吟味し、カナタの中の疑惑がますます強くなる。雨月は鞭を引き寄せる事なく、真祖の人間離れした腕力を駆使して手首のスナップを使い、鞭を操作した。
漫画や映画ではお馴染みの、主に中国で使用されていた鞭という武器だが、鞭には大別して二種類ある。競馬で使用されている様な短く堅い鞭を硬鞭、長く蛇の様な軌道を見せる鞭を軟鞭と呼ぶ。その軟鞭にも、長さによって大中小に分けられ、現在雨月が使っている虚構革鞭は、射程五〜六メートルはある大軟鞭である。軟鞭は長ければ長い程、扱いが難しくなる。
だが、鞭は漫画や映画に見る様な『いちいち引き戻して仕切り直す』必要のない武器なのだ。鞭の軌道を一度避けられようと、操作に長けた者ならば、引き寄せる事なく手首のスナップだけで今一度、敵を攻撃する。鞭は、あらゆる意味で『射程圏内の物を壊す』為の武器であり、引き寄せる、等という隙を生むだけの動作が必要ない究極の個人兵器でもある。
(いや、だけど……コイツ、雨月は……)
毒蛇の様に屋上をのたうち回り、虚構革鞭がカナタを取り巻く様に円運動する。大蛇が獲物を絞め殺す動きにも似た虚構革鞭を、カナタはその場に座り込む事で回避し、コンクリートを転がる。虚構革鞭に捕まれば、さっきのアキラの二の舞だ。
舌打ちする雨月。その少し後ろには、ピクリとも動かない、物言わぬ狩人が倒れていた。
首筋から、大量の血液を撒き散らして、死んでいた。
先程、虚構革鞭の真の用途は『固定された物に対するベクトル変換』だと記述した。確かに、一部を固定されていれば、虚構革鞭のベクトル変換で大ダメージを与える事が出来る。
そう。それが虚構革鞭の真の用途。だが、虚構革鞭には、元の持ち主のシスタールチアすら知らなかった裏の用途があるのだ。
それが、先程、アキラを一撃で『必殺』したベクトル集束。虚構革鞭の『触れた物のベクトルを進行方向にねじ曲げる』機能を最大限に発揮する使用法だ。
鞭の一部が当たっても吹き飛ぶだけ、というのは逆説、吹き飛ぶだけでダメージを受けないという事になる。事実、カナタもさっき虚構革鞭が直撃したが、脇腹は別に痛まない。フェンスに叩きつけられた後頭部の方が痛かったくらいだ。
考えてほしい。この鞭の機能には、落とし穴がある。そう。鞭の進行方向に吹き飛ばす、という事は、進行方向にベクトルが逃げる事に他ならない。ならばベクトルの逃げ場をなくせばどうか。『鞭を巻き付かせた状態で発動して仕舞えば』、一体どうなるか。
強化ベクトルの一点集中。この鞭は、後方支援の武器ではない。最高に残酷な、対物能力に特化した、前線兵器なのだ。
(まさか、コイツ……)
鞭を右に左に避け続け、時に身体の一部を打たれてフェンスや地面に叩きつけられながら、カナタはその仮定を口にする。
「コイツ……弱い?」
ミズホは言った。雨月は、『郡に優れた吸血鬼』だと。ならば、
「……はっ! そうだよな、いつも部下に守られてばっかりの奴が、そうそう前線に立てる筈もないよな!」
こと個人戦ならば、カナタの方が経験が深い。雨月の特殊能力の真価を発揮するには従者は必要不可欠であり、その従者――このマンションの住人は、もういない。
ラスボスが、一番強いとは限らないのだ。
「戯言を!」
「ったく、世界征服を企むなんて、お前はどこの魔王だよ。今日日、悪役ってのはもっと複雑な想いを胸に秘めてるもんだぜ!」
迫り来る雨月の鞭。かわしきれず、カナタのコートの裾が派手に破れた。その衝撃だけでカナタの身体が後ろに下がるが、それでもカナタは諦めない。
元いた場所。アキラの倒れている場所。先程、蹴り飛ばされた場所。その拍子に落とした、カナタのバッグが落ちている場所。
カナタは虚構革鞭を避けながら、少しずつ前進していた。そしてようやく、バッグに手をかける事が出来た。
「そんなつまんねぇ神様の妄想なんざ、」
鞭が、カナタを襲う。カナタはバッグを庇う様に背中を差し出し、衝撃を受けて吹き飛ばされ、五メートルは空中を舞って落下した。息が詰まる。呼吸が出来ない。だが、追撃の鞭が迫る。カナタは横隔膜を無理やり動かして強制的に酸素を取り込み、弾かれた様に飛び退いてかわした。バッグの中身は……多分、大丈夫。
「この、僕が、」
横合いから迫る鞭を跳んでかわし、カナタはバッグのファスナを空中で引き千切った。丁寧に開けている場合ではない。中に入っている、ある物に手をかけ、一気に取り出す。
カナタはそれを両手で持って腰溜めに構え、拳銃を腰のホルスターに仕舞って速射。
「チィ! 短機関銃か!」
慣れない攻撃の軌跡と速度に対応出来ず、雨月は両手で頭をガードする様に、全身に銃弾を受けた。鞭の動きが止まった隙に、カナタは左に跳躍しつつ、
その想いを、言葉にする。
「――ブッ殺す!」
[Fab-28.Tue/19:30]
ゴゴゴ、という爆音とオレンジの火球が宵闇に瞬く。三発の九mmパラべラム弾は鞭を振るおうとしていた雨月の指を一撃で数本弾き、一つは右肩に着弾し、一つは眉間を狙ったが左手でガードされ、食い止められた。指が数本吹き飛んだ右手は既に鞭を握れず、虚構革鞭を床に落とした。
「この、ガキぃ!」
頭を潰されては、如何に吸血鬼の真祖と言え絶命する。逆に言えば、頭さえ無事なら後でいくらでも補完は利くのだ。雨月は銃弾から脳をガードする為に顔の前に翳した左手の隙間からカナタを睨み付ける。――が、そこにカナタの姿はない。
どういう事だ、と雨月が左手を下ろすと、いつの間にそこまで移動したのか――恐らく、雨月が左手で頭をガードした際に視界が封じられた時に、だろう――、雨月は頭に血が上るのも厭わずにカナタに振り返ろうとして、ギクリと背筋を震わせた。
銃口が、雨月に向いている。ほんの僅かな隙とは言え、銃の利点は『とりあえずポイントする事が出来る』事であり、例え弾丸が当たらなくても弾幕を張るだけで動きを封じる事が可能なのだ。雨月は銃弾に備える。つまり、両手で顔面を覆う。前面からの攻撃を完全に封殺する為に腕をクロスさせ、
……そこで、ようやく気付いた。
(なっ、これじゃ……!?)
顔の前に両手を敷くしかない状況。すなわち、今の雨月には。
「色々、僕なりに考えていた事がある。お前の特性は群狼戦術特化、能力は魅了の魔眼。アキラみたいに、対吸血鬼に特化してる訳じゃない僕じゃ、一対一じゃ勝ちようがない。……眼を見たら死ぬという条件なのに、タイマンじゃ向かい合うしかねぇからな」
ガガガン! 三発の銃弾が腹、首、頭に飛来する。銃の反動で浮き上がる銃口を巧みに扱い、より殺傷力のある攻撃を選択するカナタ。雨月は弾丸が身体にのめり込むのを感じながら、銃弾の勢いに負けて倒れそうになるのをなんとかその場に留め、耐え切る。
雨月の身体構造は人間とは違う。本来なら人間を貫通する弾丸でも、雨月の様な吸血鬼は「外部刺激に対する抵抗力」が著しく強く、体内に侵入した異物を排除しようとする傾向がある。異物の侵入した箇所の筋肉を瞬時に凝縮、硬化し、皮下組織の水圧を以て体外に吐き出す。故に貫通せず、ダメージを受けて異物を排除、次の瞬間には再生(正確には復元)して傷は跡形もなくなる。この体内の侵害迎撃システムと瞬間治癒能力こそが、吸血鬼を「不死」足らしめる所以だ。つまり吸血鬼とは、「死ぬ前」に「生き返って」いるのだ。
だが、その侵害迎撃システムにも欠点はある。それが、今のカナタが行っている様な銃撃である。銃弾というのは貫通するより、対象の内部に留まる方が殺傷力は倍々で高くなる。それがホローポイント弾と呼ばれる「殺害用の弾薬」に相当する。一般の警察や特殊部隊が使うラウンドノーズ弾の「制圧用の弾薬」と違い、体内急止に長けた銃芯は人体の水圧を感じるとマッシュルーミング現象――銃芯の先端が傘の様に開き、抵抗力と制止力を一気に高める事――を引き起こし、銃弾の全ての運動エネルギーがその場に留まる。結果、貫通による「運動エネルギーの通過」とは格段に殺傷力が跳ね上がるのだ。
カナタの使う銃弾は通常のラウンドノーズ弾で、制止力は優れていない。が、雨月の侵害迎撃システムにより貫通せず体内で停止する事で、全ての運動エネルギーを一身に受けさせる事となっているのだ。退魔能力のある銀製の弾丸ならともかく、通常弾丸ではいくらダメージを受けたところで雨月には瞬時に再生可能だ。が、それも完全ではない。多くの弾丸を撃たれれば撃たれる程、修復箇所が増え、全てに対処する為に「動ける程度」の再生しか行わなくなる。こうして徐々にダメージが蓄積して仕舞えば、いずれ雨月は動けなくなる。頭を撃たれるというプレッシャーもある。
つまり、早期にカナタを仕留めなくてはならないのだが、今の雨月にはそれが難しい。何故なら、
「けど、僕が無理に目を逸らさなくても、お前が僕を見る事が出来ないんだったら、話は別だ。今みたいに、『頭を守るために顔の前に腕を構えてガードしてる』んだったら、僕とお前の目が合う事はないよな」
目を見たら死ぬ。カナタには、アキラの様に吸血鬼に抵抗がある訳でもなければ、アントニオの様に抗魔耐性能力がある訳でもない。カナタはあくまで普通の人間であり、魔術師でもなければ超能力者でもない。腕っ節も一般人としては強いというだけで、裏世界の人間を相手に太刀打ち出来る程ではない。そんなカナタが、「一対一では勝てない」雨月を相手に、どうこう出来る問題ではない。
……いや、正確には「問題ではなかった」。目を見たら死ぬ、という事は、逆に言えば目さえ見なければ死なない、戦えるという事に他ならない。しかし相手を見ずに戦うというのは至難の業であり、カナタが即興でそんな芸当を出来る筈がない。
ならばどうするか。簡単な話、わざわざこちらが目を逸らさずとも、雨月が「目を逸らさなくてはならない」状況を作り上げればいい。例えば今の様に。
「要するに、お前が頭部への攻撃を防ぐ行為は、イコール魔眼の使用が出来ないって事だ!」
頭をガードする為に腕を挙げ、自ら視界を封じた雨月。もはや彼には、魔眼は使用出来ない。唯一の遠距離攻撃用の武器・虚構革鞭は銃撃により落とした。後は、彼は特攻するしかないのだ。
「クッ……冷静だな、人間! ハハッ、仲間が殺されて、よくもそれだけ動けるものだ!」
「殺されて……?」
雨月の言葉に、カナタは嘲笑う。口の端を歪めて、悪人の様な気味の悪い笑顔を浮かべる。
「ハッ! 知った風な口を利くな、吸血鬼。……アイツは、この程度じゃ死なない。死ぬもんか」
左腕で顔面を庇ったまま、雨月はカナタに突進する。並の自動車ぐらいの速度で迫る雨月だが、カナタは横に軽く飛ぶだけで回避した。すれ違いざまに、雨月の身体に数発の弾丸を叩き込む。
「夢想主義も大概にしろ、人間! 頚骨を折られて生きている人間なんている筈が……!?」
激痛に耐えながら体勢を整える雨月だが、不意にカナタの言葉の真意に気付き、動きを止めた。
まさか、と。彼の唇が、震える。
「まさか、……奴は、人間じゃ、ない……?」
その言葉に、
カナタは不気味な笑顔を返す。
「さぁな。アキラが人間かそうじゃないか、なんて、僕は知らない。ただな、
僕はアイツを、人間だと思った事は、一度もない」
秋良=ヒルベルド。
カナタが唯一崇拝し、唯一悪を由と赦した男。
アキラは悪である。ありとあらゆる悪を行い、悪を殺し、悪を貫く。彼に善意はない。彼の全ては悪であり、カナタにとっては何よりも殺すべき悪であり、そしてそれは彼の正義でもあった。
彼は死なない。どんな状況であっても、死なず、殺せず、悪であり続ける。
「そんな奴を、僕は人間と認める気はない」
立ち止まった雨月に銃口を向け、全自動で速射しつつ、カナタは倒れたまま呼吸すらしていないだろうアキラに近付き、
「いつまで寝てんだテメェ! お前じゃなきゃ、アイツを倒せねぇだろうがボケナス!」
あろう事か、その死人の頭を、踵で蹴り飛ばした。




