Stage.15:『strategia(戦略)』
[Fab-28.Tue/19:15]
マンションの中は完全に無人と化しているらしく、気配を感じず無言を守っている。気にせず、オートロックを無視してガラスを蹴破り、堂々と侵入するアキラと、それに続くカナタ。
素晴らしく隅々まで輝く廃墟。それがカナタの印象だ。
「……」
正直、言葉に詰まる。このマンションは、どこからどう見ても普通だ。吸血鬼の真祖が根城にしている住処と聞いて真っ先に思い浮かべたのは悪魔城の様なツタの這う洋館だったのだが、そんな事はとんとない。拍子抜けというか何と言うか。
「人の気配がないのも無理ないな。というより、さっき襲い掛かってきたのがここの住人だったんだろうさ」
どうという事もなく、心底下らなそうに呟くアキラ。その口調は、昨日のドラマはつまらなかった、なんて世間話をする様な何気ないものだった。エレベーターの『上』ボタンを押して、待つ。カナタは先程のアキラの様子を気にしながらも、肩を並べて――と言っても、カナタの頭はアキラの胸くらいに位置しているのだが――点滅する階数を黙って見つめていた。
「ところで、このマンションのどこに、雨月がいるか分かってんのか?」
「あぁ? そんなもん、屋上に決まってんだろ」
「屋上? ……どうしてそう言い切れるんだ?」
「決まってる。ラスボスは最上階か最地下層にいるもんだろ」
何じゃそりゃ、とカナタがツッコむ前に、エレベーターが到着した。悠々と乗り込むアキラとは正反対に、どこか釈然としないカナタだった。
「クク……さぁて、ラストステージか」
屋上。完全に陽の落ちた夜空を見上げながら、雨月は呟く。月は雲に隠れているものの、地上から照らされる照明のお陰で、高層マンションの屋上と言えど殆どが視認出来る程に明るい。
そして、自殺防止の高いフェンスに括りつけられているのは、褐色肌の美女。
アンデル=ランダンデル。極彩色と呼ばれる、世界十指に選ばれた魔術師。
彼女の双眸に、光はない。魔眼の効力で精神を眠らされている様だ。今の彼女の精神障壁、魔術防護、宗教防御は一般人クラスまで落ちている。つまり、今の彼女jには雨月の魔眼に対抗する力を持たないのだ。
手筈は整った。待ちに待った夜も来た。世界十指の魔術師は我が手に落ち、彼女の召喚術を用いて無制限で魔界の獣を、思う存分に喚び出せる。魔力とは生命力、そして吸血鬼は不死。極彩色を吸血鬼化する事が可能となった今、雨月には躊躇する理由はない。
――筈なのに。
「く、ククク。あの小童……いや、いや、本当に、なかなか厄介な霊装を持っているじゃないか」
雨月は、悔しそうに唇を噛み締めたまま、笑う。
現在、アンデルは吸血鬼化していない。雨月に捕らえられる事、既に数時間。にも拘らず、未だアンデルは人間を保っている。
否。今の彼は、アンデルを吸血鬼化出来ないのだ。まさか、あの霊装・封殺法剣とやらの能力が、『こういうモノ』だとは思わなかった。あらゆる『魔』を殺す剣の力のせいで、アンデルを吸血鬼に堕とした瞬間、彼女は灰燼と化す事だろう。
「ふ。あは。ふふふあははははははははは。あっはははははははははは!! やってくれる、あの小童がァァァああア!! ふざッ、けてンじゃねぇぞクソッタレェェェええエ!!」
激情に任せて拳を振るう。屋上の出入り口に触れた瞬間、粉々に破壊された。彼は吸血鬼、その最強種の真祖だ。外見と内面はまず一致せず、意味をなさない。
普段は感情の起伏の少ない雨月にしては、珍しく激昂を露わにしていた。こんな屈辱は初めて……と言いたいところだが、実に数百年ぶりだというのが本音だ。
あれは、確か――、
「四天王……蜘蛛切の使い手! 人間風情が、この僕を、吸血鬼の真祖をコケにしやがってェ……!! どいつもコイツも、実に腹が立つ!」
彼にとって、人間という存在は食料か、隷属でしかない。その程度の存在が自分を出し抜いて尚、計画を狂わせる等あり得てはならない事態だ。
(くそっ……冷静になれ! 冷静に……まずは吸血殺しを迎撃、すぐにこの街を離脱。その後、解呪専門の魔術師を捜し出して彼女の呪縛を解く。……大丈夫だ、僕ならやれる。人間如きに……人間如きに、コケにされてたまるかッ!)
落ち着きを取り戻すべく、雨月はアンデルに近付き、その頬に触れる。美術品の様に整った彼女は、彼にとって理想の人間だ。性能美、機能美、どちらも兼ね備えている、最高の作品。彼女を手放す気は毛頭ない。全てを手に入れ、全てを理想に変え、全てを破壊してみせる。
「あぁ、そうだ。十二真祖を殺した狩人? そんな古臭い存在を殺したから、何だって言うんだ。僕は、彼らより優れてい――」
雨月の言葉を遮る様に、
唐突に、屋上の扉が蹴破られる様な勢いで開かれた。
「来たか、殺戮狩人!」
嬉々として、扉に振り返る雨月。急な襲撃を回避すべく、彼はフェンスに縛られているアンデルに接近しているので、距離がある。遠距離攻撃、近距離攻撃を取ろうとも、最低でも2アクションは必要になる。その隙に、迎撃、反撃を行う。奇襲に対し、奇襲で返す。それが、雨月が考えた、最速の対狩人戦術。
だが、振り返った瞬間、雨月の思考が、吹き飛んだ。どういう攻撃がきてもいいように、虚構革鞭の柄を握っていた手が、ピタリと止まる。あらゆる可能性を計算していたにも拘らず、更に予想を覆した現状に、耐え切れなかったのだ。
そこには、
両足を前後に開き、身体を斜に両腕を伸ばした状態で自動拳銃を構えたカナタがいた。
ただし、カナタの目は半開き、まるで雨月の足元を凝視する様な視界で、しかし銃口は正確に雨月を捉えている。
「ちょ、こっちには、極彩色が――」
再び、雨月の言葉を遮る様に、連続で撃ち出される四五口径弾。寸分違わずに雨月に飛来する弾丸を、しかし雨月は避けれない。背後にはアンデルがいる。いざとなれば人質として使おうと思っていた人間が、逆に雨月を追い詰める。
「クソ、が……ッ!!」
如何に不死と言えど、頭を撃ち抜かれては不味い。そう判断した雨月は、両腕で頭をガードした。腹、胸、肩、頭を守る腕に次々と着弾する大型の拳銃弾に、雨月の表情が苦悶に歪む。こと破壊力にかけては、最強の化け物よりも、人間の作り出した科学の方が遥かに上なのだ。
が、流石は真祖と言うべきか、その耐久力は人間とは比べ物にならない。本来なら人体など簡単に貫通する様な弾丸が、貫通しない。故に背後のアンデルは無傷であり、雨月に全ての衝撃エネルギーが注がれる。
勘違いをしている者が多いが、銃弾というものは、貫通するより体内で留まった方が殺傷力が高くなる。貫通する、という事は『運動エネルギーが別方向に逃げる』という事であり、留まる事で『全ての運動エネルギーがそこに留まる』事になる。故に、通常弾薬より、人体急止に長けた水圧感知の方が、より殺人に向いているのだ。
特に殺傷力の高い弾丸と言えば、ダムダム弾が有名だろう。これも機能としてはホローポイントに該当する。弾芯の先端に十字の切れ目を入れ、人体に触れた瞬間に四つの鋭利な刃が開く事で、人体を切り刻みながら停止する。現在ではハーグ陸戦条約に抵触する為に戦争での使用が禁止されているが、国内で警察や特殊部隊が使用する事も珍しくない場合もある。
以上の点から、雨月の体内に残留した弾は強烈な運動エネルギーを与え続け、バランスを崩させる。雨月自身は吸血鬼としての戦闘能力は低く、攻撃に対し姿勢を整える事が出来ないでいた。
フラリと、アンデルを守る盾が、横に逸れる。カナタは一弾倉全てを撃ち尽し、弾倉の交換をしている。
(あれが、殺戮狩人、なのか……?)
自らの血液で赤く滲む視界に映る、一人の少年。視線が合わない様に対策を採っているという事は、科学の力を使っていようと『こちら』側の人間なのだろう事は間違いない。
だが、果たして。あれが殺戮狩人なのか?
では、どうして。
自分の背後に。
フェンスの向こう側、マンションの最上階の空に。
ケモノの様な双眸をした、長身の男が、そこにいるのか。
(って、え?)
ダメージに耐えながら、雨月が背後を振り返ると同時に、ケモノの影は爪先をフェンスに食い込ませ、勢いよく自らの巨体を引っ張った。丁度目の前には、体勢を崩した雨月がいる。
(この、男……、壁の僅かな引っ掛かりを使って、登ってきた、と言うのか……?)
ロッククライミングならぬウォールクライミング。ケモノの双眸の男は、極限まで引き裂いた不気味な笑みを浮かべたまま、糸に引っ張られる様に空中で移動しながら、両掌を腰溜めに構えていた。
「よお、吸血鬼。俺が殺戮狩人だが、質問あるか?」
人間を遥かに超越した身体能力の人間は、空中で雨月に肉薄する。返事をする暇すらない。
狩人・アキラは、フェンス越しに雨月に両掌を押し当て、フェンスに引っ掛けた爪先から全身を前方移動させ、全体重を前にかけながら、一気に打ち抜く。
八卦・双掌。
まるで、五〇口径撤甲弾を直に受けた様に、凄まじい破壊力が雨月を貫く。断末魔の悲鳴すらあげる事無く、縦に回転しながら宙を舞う雨月。着地点はまさしく、カナタの足元。
地面に叩きつけられ、我に返る。何が起こったのか、自分のダメージがどうなのか、まるで理解出来ない。奇襲を奇襲で返す手筈を考え、整え、万全の状態で立ち向かった筈なのに、どうして自分が拳銃で撃たれ、背後から馬鹿げた破壊力の攻撃を受けたのか。
一つたりとも理解出来ない。
一つたりとも理解出来ないのに、二人がかりの奇襲は終わらない。
ゴリ、と。何かが雨月の頭を踏み付けた。冷たい眼をした少年。雨月にはそれが誰だか分からないが、声が聞こえた。
「返してもらうぞ」
ただそれだけ。
少年はたったそれだけを呟き、雨月の頭を靴底で踏みつけたまま、全身に銃弾を浴びせ始めた。追い討ち、否、トドメと言わんばかりに。
弾倉が空になり、バレル上部のスライドがオープンしたまま、少年は、穴の開いたフェンスを潜って屋上に侵入した男に向かって、冷淡な口調で告げた。
「制圧」
[Fab-28.Tue/19:18]
あっけない程、簡単に片付いた。
カナタは、地面に転がっている雨月の身体を足で退かし、縛られたアンデルを横目にカナタに近付くアキラに、小走りで歩み寄る。たった今、マンションの壁を命綱なし・ツールなしで屋上まで昇ってきた男は、胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
「世界広しと言えど、マンションの壁を素手で登るなんて経験をしたのは俺ぐらいだろうな」
「……自分から登るって言い出しておいて、何をヌケヌケと」
カナタは自動拳銃の弾倉を取り替え、デコッキングレバーを下げてスライドを閉じながら、アキラの軽口に返す。今回の奇襲作戦について提案したのはカナタだが、『マンション壁登り』という偉業を進言したのはアキラなのだ。
「僕はただ、二手に分かれて奇襲しようって言っただけだろ。まず攻撃力の高い武器を持ってる僕が雨月を攻撃して、後から入ってきた対吸血鬼がトドメを刺す、って意味で言ったら、お前が、マンションの壁登るって……」
「ウソから出たマコトってよく言うが、本気でやらされるとは思ってなかったよ……本気で死ぬかと思った……」
「十二真祖、ってスゲェ連中を半数以上倒したとかって話聞いたが、そっちの方がよっぽど凄くないか?」
カナタの言葉を聞いたアキラは、何を言ってるんだと言わんばかりにふてぶてしく紫煙を吐きながら答えた。
「あのな……そりゃ、バイクで崖を走るパフォーマンスをしろってのと、飛んでる羽虫を素手で潰せっての、どっちが難しい? って質問と同じだぞ。まず土俵が違うだろ。羽虫と一緒にするな」
「てか、羽虫が真祖なのか、お前の中じゃ」
「大体、俺は身体能力自体は普通の人間なんだぜ。俺には、どこぞの忍者や怪力女みたいな、天性の才能がない。わざわざ裏技使って追いついたところで、向こうも同じ裏技を使うんだから対等な気がしねぇ」
忍者、怪力女……聞き覚えのあるフレーズに、いやまさか、だがしかし、とカナタは指を顎に添えて考え込む。というか、身長一九〇強もの日本人離れした驚異的な肉体を持ち、ツールなしでマンションの壁をよじ登った男が、才能なしってのはどういう了見だ。と身長一六〇半ばのカナタはツッコミたい。
「さて、と……俺は雨月にトドメを刺しておくから、お前はあの女を頼む」
「え?」
カナタは雨月に目配せする。そこには、未だ少年の様な容姿の吸血鬼が、倒れ伏せたまま、苦悶に身を捩っていた。全身に大口径の銃弾を浴びておきながら、まだ生きている。
いや……違う。雨月は生きているのではない。
(『生かした』んだな、コイツ……。ったく、ヘドが出るくらい甘い)
吸血鬼の殺害法は、頭を潰すか、心臓を抉る事だ。アキラの様に『対吸血鬼』専用の特殊能力もないカナタの攻撃では、いくら銃で撃ったところで心臓まで達しない。
吸血鬼の本質は概念素体。不死とは即ち『死の概念を否定』した存在。故に、彼らの肉体は通常の人間とは作りが違う。身体の大部分は魔力で組成され、何らかの機能が欠けると周囲の魔力を使用して再構成する。故に、とある真祖が一二月二三日に傷ついた時、吸血鬼の治癒能力は『再生』ではなく、厳密には『復元』だと記したのだ。
だが、そのルールをたやすく破壊する存在がいる。それがアキラだ。
アキラの攻撃は、吸血鬼にとって鬼門そのものだ。特異能力中の特異能力。恐らく、世界を見渡しても彼と同じ能力者は一人もいないだろう。
もしも、アンデルが世界十指の魔術師……六億五〇〇〇万の内の天才だとしても。
アキラは、六五億の内、たった一人限りの対吸血鬼専門の天災である。
世界的に見て、一〇〇体前後しかいない真祖の一人を中心に巻き起こったクリスマスの事件。
今回、世界で一〇人に選ばれた魔術師を中心に大規模な発展を遂げた極彩色事件。
では。
アキラを中心とする事件が起きた場合、果たして、どれ程の規模に達するのだろうか。
カナタは、空を見上げたまま歩くアキラの背中を見つめながら、ふと雨月に視線を下げる。
雨月の手には、鞭が握られていた。
「えっ?」
そこから、カナタの視界が、ブレた。途切れたと言っても差し支えない。聴覚が打撃音を聴き取る事無く、触覚がダメージに対応する事もなく。ただ、映画のフィルムが切り取られ、コマ送りされた様に、次の瞬間にはカナタの身体がフェンスに直撃していて、目の前がブラックアウトした。
息が出来ない。視界がグラグラ揺れ動く。頭がガンガン痛み、警鐘を鳴らす。何秒経ったか、ようやく左肩に与えられたダメージがカナタの脳を鷲掴みにし、握りつぶす様な激痛が襲う。フェンスが撓み、《ガシャン!》と激しい音を発し、カナタは弾かれる様に屋上の床に叩きつけられる。
「ゴブッ、げぇえ、ッア、ハッ!?」
口を閉じる事もかなわず、唾液を垂れ流すカナタは床に這い蹲りながら、視界を動かした。
まるで瞬間移動の様な現象。だが、左肩から感じるダメージが、これは攻撃を受けたのだとムリヤリ理解させてきた。つい一瞬前、カナタが立っていた場所には、
右足を上げた体勢のアキラが、雨月の鞭により首を絞められていた。
ギリギリと、革の締まる音が聞こえてくる。恐らく、カナタを攻撃……いや、雨月の攻撃を避けさせてくれたのはアキラなのだろう。雨月の攻撃意思に気付いたアキラは、カナタが攻撃の的になるより速く早く、カナタを蹴り飛ばして移動させたのだ。
その代償として、アキラは雨月の鞭により首を絞められている。
「あ……」
掠れる視界でその光景を眺め、不意に気付いた。雨月の持つ魔具、虚構革鞭の真の使い道に。
『いえ、それもあり得ないわ。夜の支配域の吸血鬼ならともかく、今はまだ陽がある。吸血鬼としての能力はかなり制限されてるでしょうから、こんな腕力はない筈よ。雨月の虚構革鞭だとしても、あの鞭にはこんな力はない』
廃ビルで、捻じ切る様に潰れたパイプを思い出す。昼間の雨月には、吸血鬼の能力が著しく制限されている中、どうしてあのような現象が起こったのか。
『はぁ……全く。いい、雨月の持つ魔具はローマ十字教の術式を使った虚構革鞭! この鞭は「攻撃のベクトルを全て進行方向に集中させる」能力! 元々は戦力を分散させる事が目的の後方支援担当の武器だから、単独能力に長けた人間なら特に注意する必要なし! 分かった!?』
その話が本当ならば、確かに攻撃手段とはなりえない。せいぜい、敵戦力の分断・武器の無力化ぐらいにしか役に立たなかっただろう。実際、異端審問機関ラザフォードは集団戦術に長けた部隊であり、元の使用者はその様に使っていたのだろう。
つまり、その魔術師は、鞭の使い方に気付いていなかった。あの鞭は、虚構革鞭は後方支援用の魔術道具などではない。その使い方では、真価は発揮出来ない。
虚構革鞭とは。その目的は残酷にして必殺の、対物質能力を意味するッ――。
「馬鹿、逃げろ、アキラァァァアアア!!」
カナタの叫びが届く間もなく。
バキュン、
鈍く、頚骨が断裂し、皮膚が裂けて夥しく血が吹き出る。そんな、真っ赤な光景が、カナタの視界を狭めた。