Stage.14:『vampiro(吸血鬼)』
[Fab-28.Tue/18:55]
ゴッ、という、鈍い爆発音じみた音が響く。
アキラの巨大な拳が、人間の頭蓋を砕く音である。
「うっ!?」
見ずともどんな惨状になっているか想像に易いその音にカナタは怯むが、アキラの猛攻は止まらない。眼前には、十数人の人間――否、吸血鬼の従者。それぞれが、カナタやアキラに襲い掛かる。
「チィ、カナタ、伏せろ!」
「わわっ!」
アキラの指示通り、その場に伏せる。刹那、一九八センチという驚異的なアキラの巨体を繰って、台風の様に頭上を掠める回し蹴り。今まさに、文字通りカナタに食って掛かろうとしていた吸血鬼が、吹き飛ばされる。長いリーチと、爆発的な瞬発力によって繰り出された蹴りだ。コンクリートでも簡単に砕けるだろうその一撃は、味方であってもカナタの背筋を凍らせる。
次いで、アキラはカナタを踏み潰さない様に気をつけながら、伏せたカナタの頭ギリギリ五センチ横に踏み込み、中指を突き出した様な形の拳を真っ直ぐに突き出す。その先には、アキラの猛攻に踏み込みを留まった吸血鬼の従者が居た。運が悪い。アキラが予備動作を起こす前に踏み込んでいれば、距離を詰めてアキラの攻撃をかわせただろうに。
「鑚拳!」
バクゴキンッ! と、一度の攻撃で、二つの破壊の音が響く。胸骨を粉砕せんばかりの一撃を受け、上半身を大きく仰け反る様な体勢で吹き飛ばされる吸血鬼。
形意拳の水。鑚拳と呼ばれるものだ。そも形意拳とは実戦拳法の一つで、「外家の八極、内家の形意」と呼ばれる程である。その性質は極めて獰猛、努めて俊敏。防御を一切排し、攻撃のみに特化したその動きは、あらゆる敵を瞬殺する。流動的な実戦に於いて、小手先の技術を高めても、一人を相手している間に後ろから斬られるという不安を考慮した思想で、生まれたという。
その状況を回避する為、あらゆる小手先を必殺に改良し、敵の攻撃を「避ける」や「流す」という防御分を攻撃に回す。故に、「死なない限り、身体が動く限りは敵を一撃で必殺出来る」中国拳法の型なのだ。多対一を想定し、一人の敵と相対する時間を限りなく短く削り、肉を斬らせて骨を断つ、なんて生易しさも持たない必殺を行う。
だからこそ、
「この……台風みたいな男だッ!」
「しかし、これでもう動けまい!」
伸ばした拳と引いた腕にしがみ付く様に、二人の吸血鬼が飛び掛る。足元に居たカナタは咄嗟に起き上がりながら飛び退くが、他の吸血鬼はカナタなどいないものとして扱っている様だ。誰も、カナタに視線すらくれず、次から次へとアキラの四肢に飛びついては動きを封じている。
尤も、カナタには狙いがいかない様、「そんな雑魚に感けている暇はない」と拳で告げる様に、アキラは形意拳で戦ったのだ。先述した説明通り、形意拳というのは「肉を斬らせて敵を必殺」する拳法であり、つまりそれは「必ず傷を負う事を想定した」戦い方でもある。形意拳の中には攻撃と防御を同時に行う技も存在するが、無傷が通用するのも少数戦での話であり、多勢に無勢ではなす術もない。
――術者が、形意拳しか使えない場合は。
「イイ事を教えてやろう、薄汚ェ従者ども」
フン、とアキラはその場に留まる様に腰を落とし、肩や肘、膝や腰という人体の稼動部全てに力を込める。その奇行を訝しげながら、従者らは牙を剥いてアキラの至る人体に噛み付いた。
十数人の吸血鬼による、一斉の吸血行為だ。被害者は一分もかからずに体内の血液の一〇パーセントを吸い上げられ、哀れ異形の異端に成り果てて仕舞う事だろう。
「アキ――!!」
カナタは叫びながら、急いで腰に挟んでいた巨大な自動拳銃を引き抜く。
だが。間に合わない。
大体、殺戮狩人と呼ばれる彼を殺す為に、心臓や頭を潰すのではなく、わざわざ吸血という時間のかかる手段を選んだ彼らに、その時間があればの話であるが。
だから。間に合わない。
彼を殺す唯一の機会は、失われた。
「中国拳法は、勁力と呼ばれる『修練の集大成を測る力』ってのがあってな。それを行使する事を発勁という。――で、この発勁には幾つか種類があって、攻撃用の勁力でも大きく分けて長勁、短勁、冷(零)勁の三つがある。いや、何だ、これは間合いによって使う勁力が違うって意味なんだが。
身体のデケェ俺の弱点は、リーチが長い為に一つ一つの挙動がデカくなる事なんだ。つまり、懐に潜り込まれるのは『慣れて』いる訳だ。とりわけ俺は冷勁を練る事が得意なんだが、ところでお前ら、」
これから食事される人間とは思えない落ち着いた声に、肉を裂く牙を突き立てていた吸血鬼の従者らは、しかし。優勢にも関わらず、顔を真っ青に染め上げた。
「――俺との間合いってのを、考えた事はあるか?」
刹那、音もなく、十数人の従者が吹き飛ばされた。アキラが何かした様子はない。ただ、力を込める様に腰を落としただけの様にしか見えなかった。
それでも、吹き飛ばされた従者はどいつもコイツも、苦悶の表情を浮かべたまま、立ち上がる事無く、地面に這い蹲って悶絶しているだけだ。今は、限りなく夜に近い夕方。従者と言えど多少の再生能力はあろう吸血鬼でさえ、アキラの不思議攻撃を前に、十数人が敗れたのだ。
脱力する様に大きく伸びをし、空を見上げ、仁王立ちで踏ん反り返る様な体勢で、視線だけで倒れた吸血鬼を見下す。
そして、語る。
「勁力ってのは、全身の筋肉の一連性を指す。もっと大雑把に言えば、『筋肉を捻る』動きだ。いや、実際はもっと別な定義はあるんだが、ここはそういう事にしといてくれ。長々と話す気はねぇからな。
んで、懐に潜り込まれやすい俺は、寸勁や冷勁を練る事を重点に於いた。短勁は文字通り短距離で練る勁、冷勁はゼロ距離、つまり『対象に触れた時』に練る勁だ。この冷勁、関節を捻る事で、慣れれば拳を前後運動させなくてもコンクリートを砕くぐらいの事は出来るんだ。で、俺はこの冷勁を普段から特に練っている」
意味が分かるか、とニヤついたヤクザ面が告げる。その言葉の真意に気付き、誰よりも脱力したのは、他でもないカナタだ。
「んな、馬鹿な……」
要するに、アキラはこう言っているのだ。
「俺は全身で冷勁を使える。つまり、捕まれようが組まれようが、接触していれば、身体のどこであろうと発勁を行使する」
と。
距離を取れば、アキラの常人離れしたリーチと様々な角度からの攻撃を受ける。中距離ならば、前方のみならず、左右、下手すれば真正面にいながら真後ろから、「正々堂々とした不意打ち」が放たれる。そして近距離なら、体重九〇近い巨体が、全身を使って致死性のある一撃を打つ。また、中国拳法は元々、中国武術という枠組みから派生した「打撃専門」の武芸であり、大分すれば徒手武術(素手を前提とした武術)と器械武術(武器使用を前提とした武術)といい、中には擒拿術と呼ばれる「投げ技」も存在するのだ。
つまりアキラには、
弱点となる距離はないのだ。
「ハッ、雑魚が俺の血を吸おうなんざ、礼儀知らずにも程がある!」
組み付かれ、噛みつかれた各所から血を滲ませながら、アキラはカカカと笑う。いくら血は吸われてないとは言え、牙が刺さったのだ。全身に五寸釘サイズの杭を一センチ程、ザクザクと刺されたにも関わらず、平然と挑発する彼の正気を疑いたくなる。
「ったく、痛ってェなあテメェら……あちこちガブガブ噛みやがって。お前らはアレか、夏の合宿の蚊か」
ゴキゴキと首の骨を鳴らしながら、アキラは従者らを見下す。戦闘開始から、実に数分足らずで吸血鬼を一掃したアキラの戦いを見て、カナタは初めて『殺戮狩人』の存在を再認識した。アキラの戦いを見たのはクリスマス当日、その時は吸血鬼の異端を相手にした訳で、従者より格が下がるとは言え物量的に比べ物にならない存在を相手にした為に、梃子摺ったというだけで、
アキラは確かに、対吸血鬼能力者としては最強の部類に値するだろう。
殺戮された従者の身体が、霧か灰か判断つかないモノに変質し、空気に拡散して消えていく。通常の死とは違うが、それでも、何かが『死ぬ』という現象に、カナタは表情を暗くする。
分かっている。これが、魔術師の世界なのだと。今までカナタが経験してきた戦いこそが生温かった、というだけで。魔術師の世界、いや、戦いの世界は、死が付きまとうものだ。
考えてみろ。クリスマスの戦いを。異端の吸血鬼との戦いを。自分は、生きる為に死を容認したではないか。意思があるかないかは分からないが、あの地獄の犬や、蜘蛛を、犠牲にしたではないか。
何より、それが自分の道だと。決めたのではなかったか?
「ぎゅ、ぅうぐ……」
地面が呻く様な、低く低く、声ならぬ悲鳴が聞こえてくる。どうやら殺しそこねがいた様だ。アキラは、地面で蠢くだけの外傷はなさそうな従者に視線を向け、舌打ちした。今まさに取り出したタバコに火をつけながら、つまらなそうに歩み寄る。
「ひっ、ぎ、たす、げ……」
「うん、それ無理。っつーか、対吸血鬼を前に本気で言ってんのか?」
ぎり、と。アキラは有名な革靴(校則違反)の靴底で吸血鬼の頭蓋を踏みつける。ギチギチギリギチと不気味な音が響く度に、吸血鬼が苦悶する。タバコの紫煙が、ふらふらと宙を踊る。
(けど、)
その光景を。これから頭が破裂するだけの光景を見ながら。
「……止めろ、アキラ」
あろう事か、アキラの行為を制止した。
「……カナタ?」
「もう、そいつに戦意はない。いくら吸血鬼だからって、殺す必要はないだろ」
その、カナタの甘っちょろい考えに、アキラは呆れた様なため息を吐いて足をどけた。二度と訪れないだろうと思っていた、自由を手にする吸血鬼。
「ったく、何だってんだよ、オマエ。これから親玉と殺り合うってのに、その考えは無駄でしかないんだぞ」
「……分かってる。あぁ、分かってるよ! でも、助けられる命なら、助けて何が悪い!」
「悪い。前に言わなかったか? 吸血鬼は、世界に害なす存在だって」
「――!!」
アキラの痛烈な言葉に、カナタが唇を噛み締めた、
「雨、月様の敵は、殺す!」
瞬間、解放された吸血鬼が、カナタに飛びかかる!
「チッ! ッンの野郎!」
「ううう、動くな、殺戮狩人!」
「あがっ!?」
吸血鬼は、カナタの後ろに回り込んで首をホールドした。一部の隙もなく、吸血鬼の強力な筋力で締め上げられるカナタの表情が、苦悶に歪む。
「く、は、ひはははははははははははははははは!! 油断したなぁ殺戮狩人! 俺がコイツを殺す前に、俺を殺せるかなぁ!? あっはは、無理だろうなぁ無理無理! 雨月様の敵は、この俺が殺す殺す殺すぅぅぅウウう! ひひ、は、ふふはははひはかは!」
狂笑する吸血鬼。アキラはその場に踏み止まり、カナタを睨み付ける。その表情は、間違う事なく、怒りに満ち満ちていた。
だが、何も、カナタを見る目が怒りに満ちているからと言って、カナタに怒りを抱いているとは限らない。
「ぐ、テ、メェ……」
「……いいか、カナタ。お前は勘違いしてるが、吸血鬼はどいつもこいつも『悪』だ。例外は奴くらいだ。邪悪、害悪、大悪、そういう類の存在だと言う事を忘れるな。従者は、主を裏切らない。そういう風に『出来ている』。悪の手先だってんなら、そいつも悪に染まる」
どんな善人でもな。そう、アキラは告げる。
カナタを人質にとった吸血鬼は、苦悶の表情を浮かべるカナタとアキラが、自分を『気にしていない』事に憤慨する。
憤慨している為に、気付かない。カナタの手には、先程抜いた、自動拳銃が握られている事に。
その銃口が、自分の顎に押し付けられている事に。
「……あぁ。お前は、染まってるのか」
ボン。吸血鬼は、自分の頭が弾ける音を、同時に破れた鼓膜で聞き取った。悲鳴をあげようにも、顎から頭蓋にかけて穴が開いた為に、声が出ない。ぃひ、という音が漏れただけに過ぎない。
秒速四五〇メートル進む大型の弾芯は、脳に達した瞬間に強力強大な圧力をかけて中身を破裂させる。頭蓋から飛び出す瞬間、かけられた圧力が一気に拡散し、それに併せて急激な圧力変化に体内の水圧がついていけず、結果、内側から爆発する。ボン、と。
脳漿やら神経やら血液やらが四方八方、実に広範囲に飛び散り、地面を、カナタを濡らし、紅く染め上げる。暗い夜、街灯に照らされたカナタは、
頭を失った吸血鬼の死体を、光のない瞳で見つめていた。顔の半分で血を垂らしながら、見つめる双眸に感情はない。
殺した、という負の感情は浮かばない。
何故なら、彼はただ駆除しただけなのだから。
彼が認めた敵を。ただ、銃で撃ち抜いただけに過ぎない。
「あ〜ぁ、ご愁傷様。そいつ怒らせると、俺より怖ぇっての」
ケラケラと笑うアキラ。そのケモノじみた双眸は愉快そうな光を爛々と輝かせている。だが、もはや吸血鬼には見る眼がない為に、その満面の笑顔に恐怖する事はなかった。
「 」
そう呟くのは、誰の声か。それすらも分からない。内容も分からない。
ただ、ブチ撒けた脳で考えられるのは、単純にたった一つ。
自分は、選択を間違えた、というだけ。
この少年は、こと悪に対して絶対の容赦がない、と気付かなかっただけ。
[Fab-28.Tue/19:10]
「ま、コイツからしちゃ、考えられない事だっただろうな。何せ、小動物が虎の牙持ってた様なもんだからな」
「コイツら、日本人だったよな。服装も普通だったし。……クソ、雨月って野郎、そこら辺の一般人を従者にしやがったのか」
カナタは消えていった従者を悼む様に、悔しげな表情を浮かべた。
真祖や爵級によって従者にされた者は、『親吸血鬼』を崇拝する。故に従者と呼ばれているのだ。
特に、雨月は『仲間を集めて強くなる』タイプの吸血鬼なので、その支配力は真祖の中でも極めて高いのだろう。
「それにしても……今日は実弾か。派手だな」
「『不死身』の吸血鬼が相手だからな。一応の用心はしている」
そう語りながら、カナタは肩に下げたショルダーバックを軽く掲げて見せる。中が何なのかは、想像に難くない。
かく言うアキラも、今は右腕に携帯しやすいバネ仕掛けの篭手弓を装備している。前にカナタが見た物と、形状は似ている様で違う。三本まで、矢の装填が可能な様だ。恐らく、羽織った上着の内側は、無数の矢を仕込んでいるのだろう。
二人は現在、車を近場の路地に違反駐輪したまま、雨月が篭城しているだろう建物を目指して自然公園らしき広大な地を歩いていた。アキラはアントニオの追跡より吸血鬼の感知の方が得意なのか、アントニオを追っていた時より遥かにしっかりした足取りで迷いなく歩いている。カナタはそれに続く。
「カナタ。分かってると思うが、雨月と会っても眼は見るな。いいか、眼を見たら死ぬ、くらいの覚悟でいろ」
「……驚いた。ミズホと同じ事言うんだな、お前」
ミズホと同じ、というのが気に食わないのか、アキラはあからさまに顔を顰めた。この男は意外と人見知りする性質なので、そうそう人と溶け込めないのだろう。
殆ど剃られて残っていない眉をひそめたまま、アキラはタバコを取り出し火をつけた。いくらこの街の学校ではないとは言え、中学の制服を着たままタバコを吸おうというこの男の神経はどうなっているのかと問いたい。尤も、身長一九〇センチ強、分厚い制服の上からでも分かる筋骨隆々とした金髪ピアス男を、初見で中学生と見抜ける者がいるかどうかは定かではないが。少なくともカナタは、事情を知らなかったら暴力団がコスプレしている様にしか見えなかっただろう。
イマイチ締まらないと言わんばかりにため息を吐くアキラだが、やはりな、とカナタは内心で頷く。
何と言うか、ミズホと出会った時、初対面とは思えなかった。それは、あの少女のあり方が、この男とあまりにもそっくりだったからだ。
どこが、と聞かれても応えようはない。外見は勿論、性格も戦闘スタイルも何もかも違う。どう表現すればいいのか……強いて言えば、身に纏った雰囲気、だろうか。
「……考え事もいいがな、カナタ。見えたぞ」
紫煙を吐きながら、アキラはタバコをくわえたまま器用に語りかけてきた。
木々の並ぶ自然公園。並木道を歩いていると公園の出口が見えてきた。そのすぐ近くに聳え立つ、高層マンション。俗に言う億ション(死語)とやらか。どう考えても一般的ではない、それこそ社会的に選ばれた人間しか立ち入る事さえ許されない様な高級住宅の一つ。
オートロックの高級マンションの玄関口に立ち、見上げる。完成された美を追求し過ぎたあまり、悪趣味なまでの成金建物は、
どこか。不気味な瘴気を放っている様な錯覚を覚えさせる。
「さて、ゲームで言や、ラスボスだ。気ぃ引き締めろ。いくら相手が吸血鬼で、俺が狩人でも、お前を守ってやれる自信はねぇぞ。勝利条件は極彩色の救出。後は、そうだな……テメェの身ぐらいテメェで守れ」
囁きながら、カナタの心の準備も待たず、アキラは、パラベラム弾くらいなら軽く弾き返しそうなガラス戸を、飴細工の如く軽々と蹴破った。