Stage.12:『Yin e Yang(陰陽)』
世界中に存在する吸血鬼の数は一定していない。真祖、爵級、従者、異端というカテゴリは要するに『吸血鬼に対する脅威』を明確な四段評定したランクであり、また種族である。そして『仲間を増やす』吸血鬼には、ある一定のアルゴリズムが生じるのである。吸血鬼が『血を吸うだけで眷属を増やす』訳ではないが、吸血行為により死亡して仕舞った場合、その者は吸血鬼となる。
例えば、一人の吸血鬼が、うっかり勢い余って人間を吸い殺して仕舞い、それに気付かずその吸血鬼が立ち去って仕舞ったとする。従者が吸血鬼として目覚めた時、右も左も分からない新米吸血鬼は、それから一日一人、吸血行為でゆっくり味わって吸い殺す。すると新たな従者(或いは異端)が生まれ、繰り返す。こうして雪ダルマ式に吸血鬼が増えていくと、たった一ヶ月で人類が滅亡する計算になる。
それを防ぐ為に、吸血鬼は必要以上に眷属を増やさない。が、異端審問等の弾圧により、減っては仲間を少し増やす、という事を繰り返している。また、現代でも稀に、呪いで、爵級の吸血鬼が生まれる事がある。故に、吸血鬼の数は一定しない。
が、そんな吸血鬼の中に、ただ一種、確実に数が増えず、年々減り続けている種族がいる。それが真祖、最強種と呼ばれる存在である。
現在までに確認された真祖の数は大凡三五、予想では一〇八はいるとされているが、確証はない。現代では『絶対に』生まれない真祖は強力無比な存在で、そこらの異端審問では太刀打ち出来ない程の凶悪さ。その中でも、特に群を抜いている真祖は、別の呼ばれ方をしている。
十二真祖。聖人の十二使徒をベースに皮肉として名付けられたのが、その名だ。彼らは真祖の中の真祖とも呼ばれ、世界中の吸血鬼の中で、いや真祖の中で、漆黒真祖という名称が与えられた存在でもある。
が、たった一年。たった一年で、吸血鬼の頂点に立っていた十二真祖が、その数を三人にまで減らすという、史上かつてない事態が世界を叫喚させた。過去、一三〇〇年に亘って観測された中でも、トップに君臨していた一二の真祖。その内の九人が、あろう事か、たった一人の人間に殲滅されたのである。
それが――
[Fab-28.Tue/16:00]
「――殺戮狩人なのよ」
と、真顔で語ったミズホに対し、
「……うっそだぁ」
と、完全に幸運のミラクルストーンの通信販売を目の当たりにした様なカナタの対応。
「いやいや、だって……あり得ないって。アイツがそんなに凄い奴には見えない。僕には、不良然とした人相の悪い身長一九〇強のボウガン持った変な中国拳法使いにしか見えない」
「中国拳法……ボウガン……聞いた特徴と一致してるわね。なら当たりよ。今時、ボウガン一つで吸血鬼と渡り合える奴なんて、殺戮狩人以外にあり得ない」
「え、マジ?」
今度はカナタが疑心暗鬼になるが、ミズホは今日一番の険しい表情でポツポツと語る。ちなみにどうでもいい話だが、ミズホの長話が原因でパフェは完全に溶けてベチャベチャだ。
「同属不浄、腐植霊体、死者洗礼、多重胎児、陽光貴族、魔女崇拝、冥界邪視、絶対領王、水霊刻限。どいつもコイツも厄介どころの話じゃないわ。何せ、観測して数百年、幾度も襲撃してるのに死なない、本当の不老不死なのよ。それを、たった一年間で、たった一人で殺してるんだから、どっちが化け物か分からないわね」
ミズホが何気なく呟いたその瞬間、前方から、ゾッとする様な煌めきを感じた。カナタだ。真正面に座っていたカナタが、射抜かんばかりの形相でミズホを睨んでいた。
「……大した事言うじゃねぇか。ブチ抜かれてぇのかよ、お前?」
「……ごめんなさい、失言だったわ」
マグマの様な、煮えたぎる視線。しかし、友人を目の前で罵倒されたら誰だって怒るだろうが、これは異常だろうとミズホは思う。ミズホの訂正に納得したのか、カナタはふんと鼻を鳴らして指を唇で甘く噛む。考え事をする時の癖なのだろうか。
「これからの行動を整理しよう。吸血鬼の真祖って奴がアンデルをさらったんなら、僕は雨月を追う。もうアントニオに用はない……けど、ロンギヌスの槍の件もある」
「……オーケイ、そっちは私達が何とかしましょ。こっちには馬鹿で融通の利かない猪突猛進な騎士もいるし、対アントニオとしては都合がいいでしょ。その場合、私は役に立ちそうもないからそっちの援護をしたいけど、あの馬鹿を野放しにするのも危険だしね。仕方ない、今回はあの馬鹿だけが頼りか。私は完全に後方支援ね」
「……大丈夫なのか?」
「大丈夫なワケないじゃない。曲りなりにも相手は異端審問の魔術師なのよ」
ミズホは気だるそうに長い髪を掻き揚げながら、情けない事を言い出した。ガクッ、とカナタの力が抜ける。先程の怒りは完全にどこかに忘れてきたらしい。一瞬後にはテンションを変える、この辺りがカナタの長所というか短所というか。
まぁそれにしたって、とカナタは内心で悪態吐く。最強種の吸血鬼か、魔術師殺しに長けた魔術師のどちらを取るかという理不尽窮まりない問題に対し、即座に自分に不利な方を選んだミズホは、きっと頭のキレる人間なのだろう。どんな時でも役立たずのカナタとは大違いだ。
「分かった。お前がどんな手を持ってるのかは知らないが、僕の方でもあの馬鹿に雨月と戦うよう説得してみる。それでいいんだな?」
「……、……ふん、問題ないわよ」
「? 何だよ、急に不機嫌になりやがって……」
ジロリと、険しい視線をカナタに向けるミズホは、柄の長いスプーンで既に溶けきったパフェを無造作にかき混ぜている。果たして何が気に入らないのやら、とカナタの心の疑問を読み取った様なタイミングで、ミズホが語る。
「いやぁ……随分と簡単に信用してくれちゃってねぇこのド素人は、なんて思ってないわよ」
最早それは皮肉ではなく悪口の類だろう、とカナタは内心でツッコむ。
「信じるも何もねぇと思うんだけどなぁ……」
「今更だけど、会って数十分程度の素性の知れない奴と、共同戦線を組もうってんだから、頭が陽気なのかしら?」
「オーライ。その言葉、喧嘩を売ってると見なす!」
いきりながら、カナタはコーヒーについていたスプーンをシャキンと構える。ミズホとしてはシリアスに捉えて欲しかったのか、ため息混じりに長いスプーンでカナタを指す。
「……アンタは、少しは警戒心を持ちなさい。魔術師は一般人が思っているより、狡猾で、残忍で、えげつない。今回は仕方ないとして、次からはそこんとこを弁えて魔術師と関わりなさい。特に陰陽師が相手ならね」
神妙なミズホの美視を前に、カナタは押し黙る。むぅ、やはりここはシリアスじゃ通せない場面だったかと内心で反省する。
魔術師の恐ろしさは、カナタもよく知っている。自慢じゃないが、カナタは今月に入って二度も魔術師関連の事件に巻き込まれているのだ(今回を入れれば三度)。カナタ以上に魔術師を知る一般人はいないだろう。
魔術師はどいつもコイツも容赦がない。相手が一般人だろうが、一度『敵』と認識した相手は、全力で殺しにかかってくる。巨大なハンマーで歪んだ鉄板を満遍なく叩いて伸ばす様な連中ばかりだ。
だからこそ、カナタとは違う生き物だと認識する。恐らく、カナタは永遠に魔術師を理解出来ないだろう。
カナタは特殊部隊だ。迅速に最速を以て敵を淘汰し駆逐する存在。隙を窺い好機を疑い、死角となる背後から、視認出来ない長距離から、あらゆる角度から敵を制圧する戦闘のプロ。遺憾ながらカナタにはその技術が決定的に足りていない訳だが。
陰陽師・賀茂ミズホ。彼女も、どちらかと言えばカナタに近いかも知れない。それは陰陽師という陰鬱なイメージもさる事ながら、先程、有無を言わさずカナタを葬ろうとした様に、相手の言い分を聞かず勝機を逃さず一気に叩き潰す。カナタの知る陰陽師とはまた別のベクトルの存在と――、
「……って、あれ? 陰陽師って呪言はサンスクリット語じゃなかったのか?」
ふと、カナタの知る陰陽師との差違に気付いた。
「……真面目な顔して何を考えてるかと思えば、何をいきなり訳分かんない事を」
「んー、いや、僕の友人に陰陽師がいるんだけどさ。さっきお前、『火行』がどうとか言ってただろ。友人は『言語をサンスクリット語に〜』って言ってたんだけど、その辺どうなのさ?」
「サンスクリット語ぉ? そりゃまた、アンタのお友達は、随分と遠回りな事すんのね」
「遠回り?」
ミズホの物言いが全く分からないカナタとしては、お前の言い回しの方が遠回しだと言いたい。
えっと、等と呟きながらミズホが口を開こうとして、眉を八の字に歪めながら再び閉じた。口元に手を当て、何やら含みを持たせて考えている様子。
「……癸千鳥」
ボソリと、カナタも予期せぬ言葉を呟いた。
癸チドリこそ、カナタの友人の陰陽師なのだ。それをヒントなしで一発で言い当てられたのだから、驚くのも無理はない。
「な、なななっ?」
「この辺で、サンスクリット語を使う陰陽師って言ったら、彼女しかいないわね。まぁ私は会った事はないんだけど、同じWIKに所属してる身として、一通りの情報は把握してるわ。サンスクリット語とルーン魔術を陰陽に組み込む外法使い、ってね」
「げ、外法……?」
「陰陽師ってのは基本的に、平安から続くこの国の最大魔道機関『陰陽寮』てのに所属するのよ。そこで陰陽道の基礎を身に付ける。なまじ長い歴史があるからこそ頭の固い老齢の重役とかは、陰陽寮に所属せず、陰陽ベースに勝手に改良を重ねた彼女を嫌ってるのよ。行灯陰陽って大層な異名を持つみたいだけど、こっちじゃ『外法忌端』なんて呼ばれてる」
ミズホはスプーンで溶けたパフェをすくい、一口。チョコとバニラとジャムシロップと果肉とふやけたフレークが悪魔合体したよく分からない混合物をだ。確かに原型がアイスなのだから温くなろうと食べる事に問題はないだろうが……よく食べる気になるな。
「……まぁ、それは置いといてだ。いくら何でも非道すぎじゃないか、その呼び方は。意見が合わずとも仲間なんじゃないのか?」
「ま、あくまで気に食わないのは年寄りばっかなんだけどね。現にうちの棟梁は『和菓子を御馳走するので一度顔を出しませんか』って何度かアプローチしてるんだけど、全部断られてるのよ」
「和菓子って……餌付けか」
「サンスクリット語を使用するのは彼女の術式が道教の流れを応用してるからだけれど、少なくとも西洋魔術であるルーン文字を陰陽道に組み込むなんてイレギュラーな真似、正式に陰陽道を学んでる陰陽寮の道師には考えつかないもの。亜流と言うより、既に我流の域に達している」
要するに、彼女の所属する陰陽寮とやらでカナタの友人・癸チドリを支持する者は半々なのだという。確かに、その言い分は分からないでもない。奇抜な発想で和洋折衷な魔術を独自で編み出したその技術は賞賛に値するかも知れないが、現状、チドリは勝手に陰陽の名を語って勝手に陰陽を裏切った事になる。合理主義的な現代っ子はともかく、歴史を重んじる頭でっかちの老人からすると認められない事ばかりだろう。
「で、遠回りってのは何の話だったんだ?」
「え? あぁ、うん、それはアレよ。術式の暗号化」
「うん。訳が分からん」
魔術師が常識の範囲外の存在である事はもう何度も思い知っていたつもりで、爆撃とか無効化とか慣れたものだと認識していたが、やはりまだまだ甘いらしい。
「陰陽道ってのは日本の魔術だから、始動キーとなる呪文は日本語なのよ。さっき、私がアンタ撃った時は火行って言ったでしょ。だけど、元々、魔術の基本は暗号化だから。神様をYHWHって呼ぶのと同じよ。名前、言葉には意味があり、世界に干渉し軋轢を生む。それを暗号化する事で、軋轢を和らげつつ効果を増加する。けどそんな無駄な事しなくても、魔術が使えるんなら問題ないでしょ? 余程、才能がない奴しかやんないわよ、そんな事」
「ん〜……よく分からないけど、拳銃にサイレンサーつけて命中精度と射程距離を稼ごうとしてる、みたいなもんか?」
「サイレンサ……命中精度? 射程距離?」
理解不能な魔術世界の常識を何とか理解しようと脳内で変換して考えるカナタだが、ミズホは意味が分からず首を傾げた。
サイレンサーの使用目的は、何も消音機能だけではない。サイレンサーを経由する事で発射ガスの圧力をより長く受けて飛距離が伸びるし、ライフリング回数が増えて弾道が安定しより正確な射撃が可能となる。が、それはあくまで一五〇メートル以上の距離での銃撃戦あるいは狙撃戦を考慮した場合の、代用品を使った緊急時の妥協案的な話であって、一般論ではない。そもそもそんな長距離射程で拳銃を使う事はなかなかないのだ。そこまで離れているなら小銃の方が遥かに効率的だし、極論、拳銃で相手を殺すならゼロ距離から撃った方が確実だ。
「さて、余計なお喋りはここまでにして、そろそろ出ましょうか。雨月を追うにしろアントニオを追うにしろ、まずは動かないと話にならないでしょ」
伝票を引き抜きながら立ち上がり、ミズホは携帯電話をスカートのポケットから取り出す。時刻は既に一六時半に差し掛かろうとしていた。
じき、陽も沈む事だろう。そうなれば、雨月は最強種の吸血鬼としての実力を発揮する。月光の力を借りて世界に君臨する悪魔として。
「ま、何だかんだで今後の方針が決定できただけ、ヨシとしましょ。アンタは想像以上に使えそうだし……そうね、コーヒーくらいは奢ったげるわよ」
ニッ、と笑いながら手にした伝票を押し付ける様に見せつける。縦読みしようと斜め読みしようと、どう頑張って読んでもカナタの注文したコーヒーの伝票だった。ミズホはニヤッといやらしい笑みを浮かべたまま、レジへ歩いていく。
「……ふっ」
残されたカナタは乾いた笑いを漏らす。残っているのはカナタだけではない。そこには、パフェの伝票もこれ見よがしに置かれていた。
「……コーヒーは奢るから、パフェは奢れってか」
この世に、パフェより高いコーヒーがあろうものか。否、ありえない。何故なら伝票にそう書いてあるからだ。カナタが頼んだコーヒーの、実に四倍の値段。
あの女、どうも頭が良すぎる様だ。策士だ。諸葛孔明だ。泣けそう。
――因みに余談だが、コーヒーはお代わり自由である。