Stage.8:『Giustizia e sospetto(正義と猜疑)』
[Fab-28.Tue/14:00]
「あ〜だぁ、クソッ! どチクショウ!」
「(シッ! 騒ぐな、見つかったらどうする!?)」
路地裏にて、喚き散らすカナタの背後にいたアキラが、カナタの口を大きな手で取り押さえた。モガモゴ、と意味不明な呻きを漏らすカナタ。
現在、カナタとアキラは追われていた。これが相手が魔術師ならばアキラだけで大抵は叩き潰せるのだろうが、如何せん相手は国家権力、お国を守る警察庁だ。殴って済む問題ではない。
「(……クソッ、アントニオの野郎ォ……アンデルを連れて行きやがって!)」
「(ニュアンス的には持ってったって感じだがな。……とりあえず、この場を離れよう)」
冷静に通りの気配を探りつつ、アキラは立ち上がってカナタを手招きした。どうやら路地裏を進むつもりらしい。
「(下手に動くと逆にマズくねぇか?)」
「(お前ね、俺を誰だと思ってんのよ。子供同盟の過激派運動もやってる身だ、この街の逃走ルートは地上も地下も把握してる)」
子供同盟とは、四年半前に都心部で起こったテロ行為以降、文字通り未成年者を中心に日本中に広まった反政府活動家の総称であり、過激派運動とは要するに武装デモの事である。巷では大学生や高校生、稀に小学生までもがヘルメットや鉄パイプや火炎ビンや投石の武装をして、警察や自衛隊と喧騒を繰り広げているこの国の現代紛争の一つとして挙げられる。
そう心の中で呟くカナタ自身、特定の組織に所属している身だ。尤も、カナタの場合は組織にとって獅子身中の虫、内部腐敗を企み、またテロ行為を行ったテロ指定グループの捜査を行う潜入捜査員としてなのだが。
「……中国拳法の達人でありながら有名私立中学の首席で、日系英国人でテログループの元構成員で吸血鬼の狩人か。ナニお前、設定密度高すぎだろ」
「居候が抜けてるぜ。ってか、中国拳法の達人って程じゃない。一人とは言え修練は怠っちゃいねぇが、今は師匠もいねぇし、どっかの赤髪の忍者とか黒髪の優等生に比べりゃ才能もない」
「赤髪忍者……黒髪優等生……。いや……まさかな」
見事なまでに警察の網の隙間を先行して歩くアキラの後ろで、カナタは「……いやしかし、学校は一緒だし、もしかして?」とか何とか、ブツブツ呟いていた。何か、というか誰か、思い当たる節でもあるのかも知れない。
「……あとはこの道を突っ切れば、私道に出る。歩行制限はないが、国家権力の後ろ盾を持つ警察じゃ、中の調査を行うには持ち主の許可が必要だ。子供同盟にとっては恰好の逃走経路って訳だ。……っと、こんな事をお前に話しても仕方ないな」
「いんやぁ。お陰で、子供同盟の逃走経路を一つ潰せるんだ、ありがたいぜ」
うげっ、と低い悲鳴を上げるアキラ。が、路地裏を抜けた先の私道を見たカナタはアキラと同じ様に、うげっと呻いた。道は道でも獣道、踏み敷かれた様子は皆無で、雑草が生えっぱなしである。
「……これ、道か?」
「だからいいんじゃねぇか。しばらく歩きゃ、ちゃんとした道に出るから我慢しろ。藪蚊が出る時期でもねぇし」
ガサガサと草の根をかき分けながら歩く二人。痒くなったらどうしよう、と不安になるカナタだが、それ以上に考える事がある。
――アンデルの事だ。
[Fab-28.Tue/13:50]
「く、ケケッ、任務遂行ォってかぁ?」
ぞぶり、と肉と血液の音を聞いたカナタは、頭が真っ白になった。無意識のうちに、崩れ落ちるアンデルに手を伸ばそうとしたが、その前にアントニオがアンデルの襟元を掴んで引き起こした。そのまま、荷物を持つ様な仕草で脇に抱える。
血に塗れた封殺法剣を隠す素振りもなく、アントニオは人一人を担いでいるとは思えない様な跳躍力で跳び、カナタ達と5メートル以上もの距離を稼いだ。
「て、メェ……アンデルをどうする気だ!?」
「連れていく。元々、この女の回収は任務の一つだったんでな。後はお前の殺害と、吸血鬼の排除……だったんだが、その話に俺は必要ねぇみてぇだしな。俺はこの辺で消えるとするよ」
ピクッ、アキラの眉が微かに動く。向こうから来ないのなら戦う意味はない、と言わんばかりに構えを解き、離れた場所に佇むアントニオの様子を観察していた。どの道、戦う意志はなさそうだ。
いざとなったらと、カナタは、腰の後ろに手を回す。この男の強さは知っている。身動き一つ取れなかったカナタが、果たしてどこまで通じるか。……それでも、目の前で人が浚われそうになっているのを見過ごす程、甘くはなれない。
「アントニオ! アンデルを――」
「連れて行きたきゃ連れて行け。そんな女に用件も興味もない」
叫びかけたカナタを律する様に、横合いからアキラの腕が伸びた。「アキラ!?」思いもよらない事態にカナタは怒りの矛先をアキラに向けるがどこ吹く風、そもそもカナタに背を向けたアキラには届かない。
「それより……テメェら、何を企んでいる? ……『ロンギヌスの槍』ってのは何だ? さっきまで誰と話してた? 聞きたい事は山程ある、ここから消えるのは全部答えてからにしろ」
「ケッ! 答える義理はねぇよ。そこいらで見ている連中も含めて纏めて死ね♪」
「――殺す」
呟いた刹那、アキラは中空で目に映らない程の超高速で拳を振るい、何かを殴ったのか投げたのか、カナタには視認出来ない『何か』の一撃を放った。それは寸分違わずアントニオに飛来し、
しかしアントニオが振るった剣に触れた瞬間、《パァン》と風船が弾ける様な音が響いただけにとどまった。『何が』『どうなった』のか……カナタには分からない。ただ、それは瞬きのスピードとほぼ同じ、ほんの一瞬の高度な攻防。
「ケケッ。人質がいるってのに、相変わらず眼中外か。その冷酷さは相変わらずで嬉しいぜ」
「ふん、そんな奴に人質としての価値なんざねぇよ」
不適に、不敵に、嗤い合う二人。アントニオの腕の中でぐったりと力なく垂れるアンデル。後ろ手に構えたまま、隙を窺うカナタ。
「――時間だ」
「――みたいだな。カナタ、逃げるぞ」
「――は?」
訳が分からず、その場にポカンと立ち尽くすものの、人混みの方に警官らしき人影をいくつか見つけたカナタはギョッと目を剥いた。アントニオがアンデルを貫いた事で、誰かが傷害罪として通報したのだろう。
「こっちだ」
冷静に囁くアキラはカナタの腕を掴み、やけにトラブル慣れしたいつもの私立公園を後にした。最後に一度だけ振り返った時、もう既に、アントニオの姿は見当たらない。
クソッ、と悪態を吐きながら、ふと予感めいた感覚が全身に迸ったのが自覚出来た。
……今回の事件は、途方もなく、大きく世界のバランスを砕きかねないかも知れない、と。
[Fab-28.Tue/14:25]
自宅にたどり着いたのは、あれから更に二〇分程、街中の至る抜け道を走り続けた後の事である。いや一連の獣道もそうなのだが、あれが道と言えるのかは疑問が残る。カナタとアキラがどんな道を通ったのかは……ご想像にお任せする。カナタは後に語る、線路は決して道ではない。
「いつも追われる振りしかした事なかったけど……子供同盟も、色々と苦労してんだな……」
「ま、そういうこったな。……忘れんなよ、カナタ。世の中、常に追う者と追われる者がいる。失った時間を追う者、迫る時間に追われる者、目標を追う者、目標として追われる者、……吸血鬼を追う者、吸血狩人に追われる者。追跡者と逃走者、どっちが正しいとかじゃなくて、それぞれに理由を持ってる。お前は幼いのか認めたくないのか、それがまだ分かってない部分がある」
パコン、と間抜けな音を立てて茶の入れ物の口を開け、コップに注がずに口を付けて豪快に飲むアキラ。その様子を、肩で息をしながらカナタは見ていた。
「それは……例え殺人犯でも、理由があって殺したんだから、見逃してやれって事か」
カナタの声はいつもより低い。基本的に温厚なカナタは、怒るとありったけの声量を込めて吐き出す。普段のカナタなら、こんなに低い声を出す事はない。その意外な事実に驚きながらも、アキラは答えた。
「そうは言っていない。言っただろ、それぞれに理由を持ってるって。言い換えればそいつの正義、義務、権利、そういうものを抱えている。だから、人は何でもする。歯止めが利かない。他者の介入がなけりゃ、制御する事も出来ない」
「だから、何が言いたいんだよ、お前! さっきから黙って聞いてりゃ、喧嘩売ってんのか、テメェ!?」
アキラの言葉は、法を基準に正義を貫くカナタには納得のいかない言葉だった。カナタは国に従順な特殊部隊の一人で、言って仕舞えば司法の化身だ。赦せない事は許さない、裁けない場合は捌く。善悪をハッキリと区分させているカナタだが、だからこそアキラの言葉は突き刺さる。
そう。突き刺さるのだ。
「何が言いたい? 決まってるだろ、そんな事。……お前、アントニオを追うつもりだろ」
「――……当たり前だ」
カナタは、四〇センチ近い身長差にも拘わらず、子供が大人に手を伸ばす様にしてアキラの胸ぐらを掴んでいる。二人の双眸は、ねっとりとした敵意を剥き出しに絡み合い、睨み合っている。
「奴を追ってどうする。極彩色に何か義理でもあるのか?」
「ねぇよ」
カナタの即答に、アキラは呆れ顔を見せる。アキラ自身、カナタとアンデルの間に何かがあったとは思っていなかったのだろう。厭に冷めた双眸が気に入らない。
「お前……追跡不可の時も言ったが、下手にローマ十字教に関わるのはやめておけ。あれはお前が思ってる程安い奴らじゃないし、……そんな下らない正義感ばかり突き進んでると、いつか死ぬぞ」
「知った事か」
「俺はこれでもお前を結構気に入ってるんだ。簡単に死地に行ってほしくはない」
「……なかなか愉快な口を利いてくれるな、アキラ。そのナメた舌ごと、頭蓋ぶっ飛ばしてやろうか?」
冷淡なカナタの声が、木霊した。
アキラから手を離し、カナタは自室に向かう。カナタの性格ならばすぐにアントニオを追いそうなものだが、どうも一旦帰宅したのは武器を取る為だったらしい。リビングのドアの前に立ち、カナタは肩越しに振り返ってアキラを睨み付ける。
「……自分勝手なのは分かってる。偽善だって事も理解してる。でも……僕は僕の正義感に誇りを持ってる。見知らぬ誰かが傷ついたり、苦しむくらいなら、僕が代わった方が何百倍もマシだ。アンデルがいい奴か悪い奴かは知らないし、お前とローマ十字教に何があったのかも知らない」
ケドな、とカナタはアキラから視線を逸らし、ドアノブに手をかけ、背中を向けたまま囁く。
「大層な罪悪感を背負って生きるくらいなら、下らない正義感を抱いて死ぬ道を選ぶ。誰が何と言おうと、これは僕の人生だ」
「……何を言っても止まらないんだな」
「あぁ」
最後に振り返る事なく、カナタはリビングを出て行った。アキラは、茶の入れ物の口をパコパコと開閉して弄びながら、自分の知る時津カナタという少年を思い知る。
アキラはふんと鼻を鳴らし、冷蔵庫に茶の入れ物を戻した――ところで初めて、自分の手が震えている事に気が付いた。小さく舌打ちをする。原因が何なのかは分かっている。
これは恐怖だ。アキラは吸血鬼専門の狩人で、今までにも幾多の修羅場をくぐり抜けてきた。だからこそ、多少の事に恐怖心を抱く事はない。
正直に言うと、アキラは、カナタが怖い。時折見せる、ゾッとする様なカナタの怒りに満ちた双眸に、何度か怯えた事がある。理由は、恐らく、カナタの異常な正義感。
精神病の一つに、正義的行動症候群というのがある。自分の正義を貫きたい、正しい事をして人に注目されたいという願望が、病的に強くなるという強迫観念だ。この精神病はあらゆる悪を除外しようとしたり、また逆に正義を行う為に犯罪を犯すケースも少なくない。実はこの精神病、テロリストによく当てはまるのだ。カナタの言動はこれに近い。
近い、というのは、カナタの内側には偏った正義しかないからだ。誰でもいい、とにかく誰かが『傷つく』『傷つける』『傷つけられる』事を極端に嫌うのだ。それを止める為ならば、街ですれ違った赤の他人の為にも全力で動く事だろう。が、カナタはそれ以外の、『誰も傷つけない』悪には欠片も興味がない。
そんなカナタは、アキラに恐怖心を抱かせ続けている。異常なまでの正義感。あの眼を見ていると、身体の芯まで一瞬で凍り付かされる。
カナタは、誰かの意思では止まらない。止められない。邪魔をするなら叩いて潰し、何としてでも我が道を行こうとする。実力差に関係はない。そんな『些末』、初めから、カナタの眼中にないのだ。
故に。
カナタは、誰にも止められない。
だが、同時に。アキラはそんなカナタを、そんなカナタだからこそ――しているのだ。自分には出来ない馬鹿げた行動ばかり起こす少年を、アキラは――している。
そのカナタが、アンデルを救うと言っていた。アントニオの言葉に気にかかる点もある。
どうも、カナタと利害は一致している様だ。クソッタレ、と吐き捨てる。
「おい、カナタ。アントニオがどこに行ったか分かってんのか?」
リビングを出てカナタの部屋の前まで歩んだアキラは、ノック混じりに中のカナタに問いかける。
「……」
予想通り、カナタからの返事はない。
「アイツの封殺法剣の性能は把握した。俺なら追跡は可能だ。俺も連れて行け」
「……どういう心境の変化だ?」
「気が変わったんだよ。俺もアントニオに用がある……というか、考えを纏めれば纏める程、ちょっとトンデモない事態になりそうなんでな」
「何だと?」
部屋からカナタが出てきた。武器を取り出していたのだろう、カナタの部屋は工具油みたいなおかしな臭いで充満していた。
「詳しい話は道中でな。俺もすぐに支度する」
「待て。アントニオは何をしようとしているんだ?」
「アントニオが、っつぅか、ローマ十字教がな。まさかとは思いたいが……とにかくキナ臭ぇ感じがする」
吐き捨てる様にぶつくさ呟きながら、アキラはタバコのパッケージを取り出し、一本をくわえて火を点けた。カナタは訳が分からない。
「簡単に言や、爆撃だな」
何気ない様子で、アキラは、更に思考が追い付かない様な事を口にした。