たとえば、こんな婚約破棄。
ちょっと思いついたから書いてみた、ファンタジーなしの婚約破棄ものです。
(すぐファンタジーに逃げるからなぁ自分)
石上恭子が婚約者である某社の御曹司から一方的に婚約破棄を告げられたのは、とある夏も近い日の事だった。
日頃物静かな恭子だがこの時はさすがに衝撃を隠しきれない様子だった。しかし「大切な事ですから確認いたしますね。浩司様の意思で、わたくしとの婚約を破棄なさるのですね。ここは間違いありませんね?」と念を押し、当たり前だろうと何故か偉そうな御曹司にためいきをつき「そうですか、わかりました」と何故か清々しく微笑んで答えた。
御曹司の横にもたれるように立ち、なぜか勝ち誇った笑顔の見知らぬ……少なくとも直接会うのは初めてである……の事は無視した。なぜなら一度も紹介されていなかったからだ。
恭子の曇りのない微笑みに、その笑顔は少し歪んでいたが。
おそらくは悲哀、憎悪といった顔を恭子が浮かべるのを楽しみにしていたのだろう。それが見られないので訝しがっているようだった。
「それでは、わたくしは失礼させていただきますね。
婚約破棄となれば、それは未成年であるわたくしたちだけで済む事ではありません。ただちに然るべき筋にご報告をさしあげ、今後の対策をとる必要がありますから」
その場を去る前に一瞬、恭子は立ち止まって御曹司に告げた。
「そういえば浩司様、いえ、もう江崎様と申し上げるべきですね。失礼いたしました。
老婆心ながら、かりにも婚約をしていた人間に大事な話をしようという時に、どこの誰とも知らない方を横に侍らせるというのは、いかがなものかと思いますよ?」
「は?」
御曹司は眉をしかめた。
「ふざけるな!陽菜の事をさんざん苛めたり、制服引き裂いたりしたくせに!」
「あら」
御曹司の言葉に恭子は首をかしげた。
「ひな、ひなとおっしゃいますが、わたくし、そのひなさんという方がどなたなのかも、どこにいらっしゃる方なのかも、そもそも知らないのですが?そもそもわたくし、ひなさんというお名前自体もこの場で初めてお聞きしましたし。
……まぁ、よろしいですわ」
それだけいうと、恭子は振り返りもせずに立ち去った。
『存在を知りもしないものを、どうやって苛められるとういうの?』
そんな言葉を吐く事で、かりにも元婚約者である男性の浅慮を諌めようとしたのだけど。
(……)
引き立て役の悪役如きはさっさと去れ。
そんな嘲笑を隠しもしない下種女の顔を見て、そんな必要はないと思いなおした。
(もはや、わたくしは他人なのですもの)
おそらくその瞬間に恭子の心は、完全に御曹司から離れていた。
だけどひとつだけ。
放り出すつもりなら、ここ数年の「嫁となるための準備」という名の江崎家での半拘束状態の日々。あの時間を返して欲しいとは思った。
その後の展開は怒涛の速さだった。
恭子はその翌日から学園を休み、そして週明けにはすでに転校していた。
行先はなんとドイツ。石上家と懇意の仲で恭子を非常に可愛がっている黒幕的ご老人に呼ばれたためだった。
彼は業務提携などで日本滞在時に戦前からの縁で石上家の世話になっていた。結局、石上とはビジネスパートナーにはなり得ていないのだけど、石上と親交のあった江崎と提携を結ぶ事もできて、以来、家族同然の行き来があった。
特に恭子については、彼自ら彼女のおしめも替えたほどで、恭子も小さい頃からおじいちゃま、おじいちゃまと非常に懐いていた。一時は恭子をドイツに連れ帰り、養女にしたがって大騒ぎしたほどに。
今回の事態を知った彼は、ただちに恭子をドイツに呼び寄せた。
もとより御曹司との縁談話がなければ、彼はとっくに恭子にドイツ名まで与え養女にしていたかもしれない。恭子はさすがに覚えてないようだが、恭子は日本語よりドイツ語を先に話したほど彼に懐いており、一時は本当に荷物をまとめて彼についていこうとしたほどなのだから。おそらく婚約の話がなかったとしたら、幼女時代にも恭子は渡欧してしまっていただろう。
『先の事はともかく、今は、こちらでゆっくり休ませるのがいいだろう』
実際、彼の思惑は見事にあたり、ドイツの森に恭子はあっというまに馴染んだ。
小さい頃に遊びに来ていた際にも、肌や髪の違いなど全く気にせず……もとより恭子は少し色素も薄めだし色白というのもあったが……普通にこちらの対人関係にもなじんでいた。石上の者も不思議がるほどだったが、とにかく恭子はそういう子だった。
まぁその彼も、わずか数か月でドイツで普通に生まれた子と完璧に馴染んでいたのには別の意味で苦笑したが。
半年後、とうとう恭子は正式にドイツに住む事になった。少し学歴がダブる事になるが、こちらで中途からギムナジウム(長期教育課程)をすませ、その結果如何によっては大学にも進める事になった。もとよりここ数年は本来の学校教育以外の事も色々やっており、のんびりと勉学に励みたいという当人の希望もあった。
最終的には石上系の海外企業に入るなり、老人の一族の経営する多国籍企業に勤めるか、それとも……という感じで道も選べる事になった。まぁ現実には、老人の一族の面々から「キョウ、うちにおいで」とめっちゃ呼ばれまくっているのだが。
日本でのバカげた婚約破棄騒動の事などすっかり忘れ。
恭子は遠い異国の地で、優しい「おじいちゃま」や愉快な仲間たちに囲まれ、なくした日々を取り戻すかのように、今日も元気に生きていくのだった。
◇ ◇ ◇
さて、こちらは日本の石上家側である。
そもそも、江崎の御曹司の不審な動きは石上家の方でもとっくに掴んでいた。江崎側でもその事自体は問題視しており、かの御曹司にもしっかりと釘をさしてあるので、これで問題はないと思うという連絡ももらっていた。
そんな中での、まさかの直接の婚約廃棄。
石上家の方ではこの場合も想定していたとはいえ、あまりの恥知らずな行為にみな、眉をしかめていた。特に御曹司側が浮気の果てに婚約破棄したというのに、まるで石上側が悪いといわんばかりの言動に至っては、完全に激怒する男性陣に女性陣があわててブレーキをかける、そんな一幕までも見られた。
そんなこんなだったから、翌日やってきた江崎側の代表が平謝りだったのは無理もない事だった。
婚約破棄はもちろん了承された。これは「これ以上恭子を関わらせたくない」という一族の願いもあっての事だった。
しかし、事態はそれだけではすまなかった。
平謝りの後、本題に入った江崎側の代表は、ありもしない狂言と思われる恭子の『陽菜いじめ』を一種の交渉カードにしようとしてきたのである。
石上は古い家だが元々神道系の旧家で、しかも地方のいち旧家にすぎない。知名度はある程度あるが、企業としての規模もそんなに大きいわけではない。
つまり江崎の方が大きいのだから、御曹司の醜聞については黙れ、それで手打ちにしてやろうと言わんばかりであった。
だが。
この動きは当然ながら石上側を完全に怒らせ、江崎を敵対認定させる結果となった。
ここ何代かの石上と江崎の当主は友人関係としてうまくやっていた。お互いに畑違いで敵対しにくい関係でもあり、特に戦前の世代は共に机を並べ、青雲の志を抱いた仲でもあった。対等に仲良くやろうと長年務めてきたのである。
その輪が完全に、そして決定的に壊れた瞬間だった。
もちろん石上は江崎の和解案を拒否。
ふたりの婚約は何年も続いており、あちこちにも知られていた。当然、こたびの一方的な破棄の影響はさまざまに及ぶわけで、実際、この醜聞を聞きつけた者たちにより、株価の急変すらも発生。被害総額はもはや、冗談ごとではすまない規模に膨れ上がろうとしていた。
そんなこんなで、両グループが睨み合いにはいりかけたその時。
そこで、ドイツのとある大企業の総帥が自ら動いたのである。
『婚姻という人生の大事に関わる契約すらも簡単に裏切る者の契約など信用できるであろうか?よほどの事情がない限り、エザキとそのグループとの契約は避けるべきであろう』
世界の富豪ランキングに乗るような大物の、はっきりと名指しの非難だった。
この企業グループは、日本では江崎関係と多く契約していた。それは現総帥が若社長だった時代からの古いものが多かったのだが、これらの契約の全てについて、精査と見直しを指示したのである。
むろん、残される契約もある。企業とは利益で動くものなので、よいと判断されれば当然それは残されるのだから。
まず。
石上の推薦がなくば締結しなかったろう古い時代の契約は、その全てが打ち切り、または今回で終了が決定していった。
元々彼らは多国籍企業であり、縁故による古い契約の整理はむしろ歓迎された。巨大グループのごく一部の話なので金額としては小さなものだったが、これから時間をかけてグループ全体のリフレッシュをかけていくのだと思われた。
だが、いきなり切られた江崎の方は当然ながらたまったものではない。
江崎の若者たちは総帥一家と石上の関係を知らなかったから、海外戦略に突然立ちふさがった壁に仰天する事になった。彼らは当主たちのような年配組をないがしろにするくせにその実態は過去の古い有利な契約におんぶにだっこになっている部門もあり、たちまち行き詰まった。他と契約しようにもツテもノウハウもない部門すらもあり、事実上、業務の続行が不可能になった部門すらも出た。
やがて、古い契約で石上が関与している事を知った社長世代が当主に石上にアクションする事を求めたが、そのような恥知らずな事はできないと当主が拒否。さらに一部の者が直接石上にコンタクトをとろうとしたが、石上の応答は簡潔だった。
『確かにご老人と我が家は縁がある。しかしわが石上は企業トップとしての彼と関わった事はなく、おそらく今後もないだろう』
確かにドイツに石上関連企業があるが、そこは日本の石上の支店であり、ご老人の企業グループとは全くの畑違いである事には変わりない。
だがこの時点で、恭子がドイツに行った事は伝わっている。当然なんらかのアクションがあったのだろうが、その事について江崎の者たちが食い下がったが、石上の者たちが告げたのは、ただ一言だけだった。
『我々にはわからない。そもそも石上本家と、かの総帥のご家族とのおつきあいは業務とは関係ないものですから、こちらには情報は回ってこないのです。
ですが。
今までのご縁という事で、あえて申し上げれば、ご指摘の総帥は本家の恭子嬢を昔から非常にかわいがっているそうです。総帥ご自身がおしめを替え、言葉を教えたほどだそうで。一時はドイツ本家の養女にしようとしたとも聞いております』
彼らの一族は石上同様に古い。当然、東洋人の恭子を受け入れるとなると、家人がよくとも問題発生は避けられない。
それでもなお、彼の一族は恭子を望んだというのだ……。
江崎の担当はそれ以上の問答をあきらめ、ひきあげたという。
そののち、彼らがどうなったかはわからない。
ただひとつ。
遠いドイツで恭子が聞いた限りでは、新しい江崎の当主には元御曹司こと江崎浩司でなく、その甥っ子の圭介が継いだという事だけだった。
むう。ドラゴンがご老人に変わっただけのような。
難しいものですね。