品定め
少将も、その日はもやもやとした気持ちを抱えたまま、帰宅した。三位の中将にあの姫君がなびくとは思えなかったが、かと言って自分に振り向くとも思えなかった。
邸に戻ると、釣殿の方が騒がしい。少将は何事か、と家人に聞いてみた。
「おや、お出かけでいらしたのですか」
声をかけられた女房は少し驚いたように言う。
「上の兄上さまが、お友達を連れておいでになりまして……三の君さまのことも、お探しのようでしたわ」
女房はかなり長くこの家に仕えていて、少将のことをまだ三の君などと呼ぶ。
「兄上か……」
右大臣家の長男は、当代一とは言わないまでも、世の女たちの注目を集める貴公子であった。武芸に替わって音曲の才が要求されるようになったこの時代の、右近衛中将を務める彼は、宮中の主だった宴には必ず舞を披露し、女房たちの秋波を浴びていた。
身内の贔屓目もあるだろうが、間違いなく左大臣家の三位の中将よりはいい男だと思う。しかし世間は何かにつけ、二人を比べるのであった。
「三の君さまも、釣殿にお行きになられませ」
「しかし……」
「兄上さまのお友達は、名門の御子息ばかり……きちんと顔を売っておかなければなりませんわよ」
したり顔をする女房に急かされて、少将は渋々釣殿へ向かった。
右大臣邸は広い。
二町分の敷地に、寝殿、北の対、東の対、西の対を揃え、広大な庭には趣のある池と釣殿がある。この邸に匹敵する邸を持つ者と言えば、都広しと言えど左大臣くらいなのだから、もはや二人は宿命の好敵手なのだろう。だがしかし、右大臣家は基本的には争い事を好まない。あくまで、”基本的には”、であるが。
釣殿に近づくにつれ、声が大きくなってくる。
「三位の奴にはお似合いじゃないか」
「ははは」
何やら小馬鹿にしたような口調で嘲笑った兄に、友人たちは追従して笑った。
「兄上」
その背中に、遠慮がちに声をかけると、兄たちは振り返った。兄以外は、どれも頬が赤くなりかけている。
「お、蔵人の少将殿がお見えだぞ」
「ご機嫌うるわし……そうでもないな、少将殿」
「皆さんお揃いで。一体何のお話ですか?」
少将は居並ぶ貴公子たちに尋ねる。憎たらしいことに、酔っ払ったところで、どの顔も美形である。類は友を呼ぶというやつだろうか。少将は自然、しかめっ面になりかける。
「左大臣家の三位の中将殿のお話だよ」
兄は笑いを噛み殺しながらのたまった。
「三位の奴、大納言の姫にご執心だと専らの噂だが……こいつが言うには、大納言の姫はあまり秀でた歌詠みでもないらしい」
「まあ、私もそこまで熱心に文を取り交わした仲でもないがね」
友人の一人がにやにやと笑った。
「三位の中将には、もっと素晴らしいお方がいらっしゃるのではないかと思ったまでのこと」
「ほう、例えば?」
兄が訊くと、友人たちは顔を見合わせた。一際酔っ払った者が、下品な笑みを浮かべて言う。
「大納言の妹姫の方など、いかがです?」
少将ははっとしたが、兄は違った。
「そういう冗談は好かん」
口がひん曲がっている。
「お前ら、もう帰れ」
「え、そ、そんな」
少将は焦ったが、友人たちは中将の感情の起伏に慣れているのか、そそくさと帰り支度を始めた。
「また呼んでくださいね」
「どうだかな」
皆が帰ってしまうと、少将はさらに居心地が悪くなった。ただでさえ、この兄は少々苦手である。自分とは違って、実に華やかな人間だからだ。
兄は、ねっとりした目線を少将に向けてきた。
「お前、大納言の妹姫を知っているのか」
「え」
「話題に出た時、変な顔をしたぞ」
「元からそういう顔なんですよ、きっと。皆さんとは違いますから」
口を尖らせながら言うと、
「お前はそんなに不細工じゃない。俺が保証する」
と返された。この人は、自分の魅力をよく理解している人だ。そして、それを隠しもしない。特に、男連中の前では、だ。
「はあ……」
「で? 知っているのか?」
少将はいよいよ答えに窮した。
「世間では大納言の姫の話と言えば、姉姫の方のことばかりだ。お前みたいな遊び慣れてもいない奴が、あんな日陰の身の姫を知っているとは思えんが……あの姫はやめておけ」
少将は黙って兄の口許を見つめた。
「あの姫は、俺になびかなかった」
「そんなことで――」
「そんなこととは何だ」
本気で言っているのだから、実に面倒臭い。
「まあ、聞け。そんな昔のことはいいんだ。それだけじゃない」
兄は声を低める。
「あの姫は、憑かれているんだとさ」