貝を贈る少将
早く帰って貝を用意させたいと少将は思ったが、日の高いうちは出るに出られず、何とはなしに姫君の邸の様子を観察して過ごすことになった。
夕霧に紛れて何とか脱出した彼は、立派な州浜を用意させた。州浜とは、浜辺を模した飾り台のことである。
彼は、このような細工を得意とする者を呼び、台を削って小箱を嵌め込ませた。箱には色、形もとりどりに貝を入れ、浜辺の部分には金銀で作られた蛤や、貝殻を飾った。そして、
「白波に 心を寄せて 立ち寄れば かいある私の 心寄せよう」
と、とても小さな字で書いた紙を添える。
他にも貝を詰めた小箱を準備し、女の童や弟君がどれだけ喜ぶだろうかと想像して、少将の頬は緩んだ。「言わないで、心の中でだけ思っている方がずっと素敵ですよ」とかいう意味の歌もあることだし、姫君だって、顔に出さずとも少しは嬉しいはずだ。
翌朝、少将はまた童を引き連れて姫君の邸に向かった。童に州浜を隠し持たせ、門の辺りをうろうろしていると、昨日の女の童が走ってくる。今日はきちんと季節に合った衣装だ。
「あ、昨日の……」
「ほら、嘘じゃないだろう?」
懐から小箱を出して彼女に渡すと、すました顔がぱっと輝いた。
「この貝の箱を、他の貝のある所に置いておいで。今日の貝合も勿論見せてくれるでしょう?」
「昨日の屏風の裏。今日はみんな貝合にかかりっきりになるから、人も来ないわ」
彼女はそう言うと、慌ただしく行ってしまう。
少将は連れてきた童に州浜を置いて来させ、自分は屏風の裏に隠れた。そっと様子を伺うと、幼い女の童たちが着飾って騒いでいる。一人が格子を上に跳ね上げた時、端近に鎮座している州浜に気づいた。
「まあ!」
「何て綺麗なの……まさか、昨日の……?」
「えっ、本当に観音さま?」
喜び騒ぐ女の童たちを見て、少将は微笑ましい気持ちになる。
「姉上、御支度は整いましたか?」
弟君がやって来て、立てられた几帳の向こうに声をかけた。
「はい、もう、いつもに増してお美しくいらっしゃいますわ!」
姫君の代わりに返事をしたのは、乳母か、古参の女房だろうか。
「本当にお美しく生い立たれて……御方さまがご健在であれば、どんなに誇らしく思われたことか……」
などと言って涙ぐみそうになるのを、弟君は、
「さあさあ、今日はそんなことを申さず、貝合に集中してくださいよ、小式部」
と宥めている。
そうこうしているうちに、女の童たちが州浜や貝を入れた箱、壺などを次々と運んでくるのが見えた。少将の隠れている屏風の裏は、本当に特等席らしい。女の童たちは秋らしく、九月菊といって、表が白く、裏が黄色い汗衫で揃えているが、長く引いた裾が殊に華やかだ。ばたばたしていると幼い印象だった女の童たちも、少し分別があるように見える。
そこへ、姫君が現れた。萩襲の袿に紫苑色の表着を重ねた、落ち着いた装いである。ともすれば地味になりがちな晩秋の装束だが、姫君の隠しようのない美貌にかかれば何も問題はないようだ。
昨日見透かすような目で見られたが、じっくりと見ても、やはりきりりとした強い目の姫君だ。抜けるように白い肌に、艶やかな黒髪が映えている。あまり表情を変えないのでかなり大人びて見えているが、十三、四くらいなのではないだろうか。
廂の間に、女の童が並ぶ。先程の小式部なる女房が、少将の隠れ場所の前に几帳を立て、姫君の姿も女の童たちも見えなくなった。少将は
(あっ)
と思い、相変わらずの自分のツキのなさを恨む。しかし、驚いたことに小式部は
「姫さま、こちらに」
と、姫君を几帳と屏風の間に招き入れたのであった。たっぷりとした姫君の黒髪は、身の丈よりも長く、えもいわれぬ香りを振りまいた。
(こ、こんな幸運でいいんですか、観音さま……)
白波に……白波に心を寄せて立ち寄らばかひなきならぬ心寄せなむ
「言わないで心の中でだけ思っている方がずっと素敵ですよ」……いはで思うぞいふにまされる、より。
装束については源氏物語 絵合の巻を参考にしました。




