褪せた文
目覚めると、眠る前より気分が悪くなっていた。それでも少将は気力を奮い立たせて身を起こした。文机に向かい、夢の中で女房が口にした歌を忘れないうちに書き留める。
「起きたか」
背後から突然声を掛けられ、少将は弾かれたように振り返った。文机の上の料紙がばさばさと訪問者の足元に落ちる。
「兄上」
訪問者は顔をしかめた長兄であった。
「入れ代わり立ち代わり、一体私に何の用です」
「何だ、具合が悪そうだというので来てやったのだぞ――」
長兄は恩着せがましく言いながら、足元の料紙を拾い上げる。そして書き付けられた歌に目を通すや、明らかに顔色を一変させた。
「――この歌が何故ここに?」
長兄が慌てたように懐をまさぐる。が、目当てのものはちゃんと懐に収まっていたようだ。
「どういうことだ……」
どういうことだ、はこちらの台詞だ。長兄がこの歌を知っているというのか。露と消えゆけ、ではなく、露と消えたい、の歌を。
「お前なのか?」
「は」
「お前がこの歌を……詠んだのかと訊いているんだ」
長兄は責めるような目で問い質してくる。
「いいえ」
即答しても、探るような目線は少将に向けられたままだ。
「兄上こそ、この歌をご存じなのですか」
夢の中であの女房に教えられたばかりのこの歌を。
「知らぬ」
「とても知らぬようには見えませんが」
「何だと」
それに、先程の不審な動き。
「……わかりました。では、懐のものを検めさせてくださいますね?」
「お前に見せる義務はないだろう」
はぐらかそうとする長兄に、少将は無言で、真正面から向かい合った。どれぐらいの時間そうして睨み合いが続いただろうか、この弱々しい弟にしては実に珍しい、てこでも動かぬような覚悟を感じ取ったらしい兄は、ついに根負けしたようにため息を吐き出した。
懐に手を入れ、取り出された薄様は、かなり古びていた。
少将はつと眉を上げた。
「……兄上はこれをどこで?」
長兄は黙ったままだ。
少将は考えを巡らせる。目の前の古びた恋文。女房の言葉。そして姫君の推察。誰が、誰を庇い、何を隠そうとしているのか。
「皆を呼びましょう。話を聞かなければ」
「お前は誰を疑っているのだ」
「誰と申されましても」
少将はそこで言葉を切り、色褪せた文を長兄の手に握らせた。
「皆、です」
「何?」
「皆がそれぞれに何らかの思惑を持って動いている。兄上も何かを知っておられるが、それでも全てを説明することはできない、違いますか」
去り際、長兄の耳元に口を寄せる。
「皆が持っている欠片を持ち寄らなければ、真実はわかりませぬ……ついて来てください」
妙に自信たっぷりな口調で言い切って、少将は自室を出て行った。




