ふみなれぬ我
女房はすぐさま色とりどりの薄様と、手習いをしたらしい反故紙を持って現れた。
少将は薄様を選び、香を焚きしめ始める。その間に帰りの車中で考えていた言葉を、反故紙の裏に書きつけてみた。
「我をまつむし……」
ちょうど七文字だ。これを二、四、五句に置いてみる。他に入れたい要素は――。
「紅葉……文、踏み……宿」
さっと当意即妙な歌が詠めれば格好良いのだが、頭の回転が速い方ではない少将には難しい話だ。指を折って文字を数え、悩みながら何とか当てはめていくことになる。けれども言葉選びの勘は以前より冴えてきたように思われるのだった。
「我」と「まつむし」は七文字の句ではなく、別々の句に配した方が流れが良いのではないか。
「もみじ葉を ふみなれぬ我を まつむしの 声する方で 宿を借りよう」
紅葉を踏み慣れていない、文を贈るのも慣れていない私を、待つ虫の声がする方で宿を借りよう。
「三の君さま、随分腕を上げられましたわね」
女房は嬉々とした調子で褒めちぎった。彼女はこういった機微に疎い少将に長年やきもきしてきたのだろう、心底晴れやかな表情を見せる。
一方、少将は、やはり姫君とのやり取りで鍛えられたのかもしれない、と思うとずきりと胸の奥が痛む。歌を考えていた間、何度か過った松虫の君の顔が掻き消えていく。
「駄目だ……思い出すな」
しばらくすると遠くから足音が聞こえてきた。女房は空気を読んで素早く去ってくれた。少将は書き散らした紙や筆、かぐわしい香の道具などを慌てて隠す。やっとの思いでそれなりに片付けたのとほぼ同時に、部屋に現れたのは父右大臣であった。
「誰と話しておったのだ?」
父はぐるりと部屋中を見回す。
「い、いいえ、何でもないのです――」
「えもいわれぬ香りだ。さては文に香を焚きしめていただろう」
相変わらずお見通しだった。
「ち、違いますっ」
「何だ、恥ずかしがるな。そういう年頃なのだから、何もない方が困るというもの……左大臣の末の姫には逢えたのか?」
「えっと……あの、衝突を」
少将がそう口走ると、父は思い切り眉を顰めた。
「何? いきなり喧嘩したのか? 穏やかなそなたらしくもない」
いえ、物理的にです、とは言えるはずもない。
「逢えた、というか、まあ……言葉は交わしましたけど」
「それは上々」
父はにやりと笑った。
「傷を癒すには、新しい恋をするに限る、とな」
「兄上にも言ってやって下さい」
少将が口を尖らせると、父は顔を曇らせる。
「ふむ……そうだなあ」
父は顎を触りながら自室に引き上げていった。少将はほっと胸を撫で下ろす。
再び火取り香炉を取り出し、香を焚きしめながら、少将はうつらうつらし始めた。
どれぐらいの間そうしていたのだろう、衣擦れの音でうっすら目を開けると、文箱の前に女房が座っている。声を掛けようとするも、何故か声は出なかった。少将はそのまま、再び眠りに落ちていった。
もみじ葉を……オリジナル
参考歌
「ほととぎす 声をば聞けど 花の枝に まだふみなれぬ ものをこそ思へ」(藤原道長)




