表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
貝合わせ異聞  作者: 柚木
19/43

御簾の内

 少将の従者たちは待賢門(たいけんもん)の外に車を寄せ、交代で眠い目をこすりながら見張りをしていた。走って駆け寄って来た少将を見て、驚きの声を上げる。

「少将さま、今宵は宿直(とのい)では」

「車を出せ。急ぎ参りたい場所ができた」

 面食らう従者たちを急かし、牛車で大納言家へと向かう。

 しかしどれだけ急いでも所詮は牛の歩み。牛車が動き始めてすぐ、少将は馬でも借りればよかったと後悔したが、彼の手綱さばきでは三位の中将に追いつきようもないだろう。

 (ようや)く大納言邸に辿り着くと門の脇に八葉(はちよう)の車が停まっていた。三位の中将の車であろう。わざわざ東の君の寝所に近い東の門から入ったということは、東の君に会うと偽ったのかもしれない。

 少将も門の脇に車を寄せたが、そこではたと考え込む。貝合の折は人の出入りに紛れて運よく入り込めたが、今宵は出入りする者もなく、門番が何事かとこちらを見つめている。

「少将さま、着きましたが……取次ぎを頼みましょうか」

 そのようなことをすれば大事になってしまう。が、そうも言っていられまい。

「……私が直に話そう。お前たちはここで待っていてくれ」

 少将は車を降り、門番に歩み寄った。

「三位の中将殿に急用があって参ったのだが。ここを通してくれるか」

 門番は少将に探るような目を向ける。

「高貴なお方と見えまするが、一体どこのどなた様です?」

「言えば通すのか」

「……」

 門番は黙り込んだ。

「三位の中将殿はそちらの姫君に狼藉を働くやもしれぬ。そう思って追って参ったのだ」

 少将が急き込んで言った時、少女の声が上がった。

「その方をお通し下さいませ!」

 姫君の女の童だ。門番はなおも訝しげに少将を睨む。

「私の言葉は、姫さまのお言葉ですからね!」

 女の童が肩をそびやかして言うと、門番は渋々少将を通した。

 少将は恐る恐る尋ねる。

「三位の中将殿は、姫君の所に?」

「ええ。東の君の所へ来たと言って入っていらしたようなのですけど、姫君の寝所に向かって来られて……小式部さまがやんわりとお断りしているとは思うのですが、踏み込まれたら、女にはなすすべがないでしょう?」

 女の童は泣きそうな顔で言い募る。やはり東の君に会う振りをしたのか。

 姫君の部屋は西の対にある。東の門から西の対へ行くには、堂々と東の対を突っ切るか、橋を渡って池を越えていくかしかない。東の対に侵入すれば、東の君に騒がれてしまう。いや、ここは三位の中将の不実を糾弾してもらうべく、東の君を引き連れて踏み込んだ方が良いのか? しかしそれでは東の君の嫉妬が増し、姫君の立場が悪くなる……。考え込む少将の袖を、女の童は強引に引っ張った。

「ぐずぐずしてる暇はありません、行きましょう、観音さま」

「ぐずぐずって、君」

 子供とはいえ、失礼な、と思ったが、いちいち言い争っている暇はない。二人は池を越え、落ち着いて眺めれば情趣溢れている筈の庭を足早に横切った。

 西の妻戸から屋内に入り、そこからは女の童の後に付き従う。兄たちによれば、姫君の寝所は邸内の奥深くと相場が決まっているらしいが。

「こちらです」

 女の童が御簾の向こうを指し示した。あちら側を透かし見ようとしても何も見えず、物音も聞こえない。まさか、帳台の中まで押し入ってしまった後だろうか。そうなってしまったのであれば、閨を暴くのは姫君の名誉を傷つけるだけだ。土壇場で少将は怖気づく。

「何を躊躇っておられるのです! さ、お早く!」

 しびれを切らした女の童が御簾を勝手に捲り上げた瞬間、少将の目に飛び込んできたのは――。

「中将殿?」

 床を這うようにしてこちらに向かってくる三位の中将の姿だった。

「ど、どうなされたのです――」

 三位の中将は少将を目にするや、少し安堵したような表情を浮かべて立ち上がろうとした。しかし足が震えて立ち上がれないようだ。

「一体何が……姫君はご無事なのでしょうね?」

 御簾の中に一歩足を踏み出そうとすると、三位の中将は背後から少将の足首を掴んできた。

「何をなさいます、こけてしまうではありませんか!」

 つんのめった少将に、三位の中将は息も絶え絶えに言う。

「行ってはならぬ」

「は」

「ここは鬼の住処ぞ。人の身で、気安く近づくものではない」

 そう言われると、怯む気持ちはあった。しかし兄の言葉を思い出し、踏み止まる。兄は言ってくれた。

「お前ならば、あるいは……あの姫君を救えるやもしれぬぞ」

と。

「ご忠告は有り難く存じますが……御免!」

 少将は三位の中将の鳩尾(みぞおち)に拳を繰り出した。普段の中将であれば簡単にかわせるのだろうし、万一当たってもそれほどの被害は被らないだろうが、今の中将は容易に崩れ落ちた。

「中将殿の従者たちに伝え、すぐに連れ帰ってもらいなさい。ここで目を覚まされると厄介だ」

 女の童に命じると、

「はいっ!」

とにこやかに応えて駆け出す。この少女、何というか肝が据わっている。

 少将は意を決して御簾の内に歩を進めた。

八葉の車……大臣以下の殿上人が乗る牛車。「八葉の文」という模様が描かれている。

帳台……天蓋付きベッドのようなもの。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ