三位の中将
その夜、宿直所には少将と幾人かの同僚が詰めていた。酒を酌み交わし、男同士の下世話な話が繰り広げられる中、少将は姫君のことを考えていた。なぜ、返歌をくださる気になったのか、皆目わからない。あの女の童が常よりも強引に口添えをしたとも考えられるが、それで姫君の心が動くとも思えない。
「少将殿は、如何ですかな」
「……は」
物思いに耽っているうちに、話を振られていたらしい。
「ですから、少将殿は、女人の閨での振る舞いについてどのように――」
――と、絶妙の間合いで、格子が音を立てた。
「おや、どなたかおいでになられたようだ」
皆の視線が少将から逸れ、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、現れたのは――
「これは、三位の中将さま」
「こちらに用があってな」
中将はじろりと少将を見据えた。少将はまたしても同僚たちの視線に晒されることになった。中将はあくまで兄たちと競い合う貴公子であって、少将の好敵手ではなかった。少なくとも少将はそう思ったことがない。
「私に、お話とは?」
恐る恐る中将に声を掛けると、中将はついて来いと言うように顎をしゃくった。流石に少将もむっとしたが、家柄は互角、官位は上の相手に楯突くのは得策ではない。
濡れ縁で足を止めるかとみえた中将は、よほど他人に聞かれたくないのか、沓を引っ掛けて庭に降りていく。
少将が黙ってついて行くと、中将は樹々の繁った辺りまで分け入っていった。
「中将殿……中将殿! どこまで行かれます、もう中の者には聞こえぬと存じますが!」
息を弾ませながら声を上げると、ようやっと中将は身を翻し、少将に向き直る。月明かりの下、貴公子の翻した鮮やかな袖は、さながら舞を見ているようだった。
「兄上たちにお伝え願おうか。いよいよ代筆ではない文をいただけるようになったようだと」
「はあ」
気の抜けた返事をすると、中将は苛立ちを隠そうともせず告げた。
「大納言家の妹姫のことさ」
言うなり、側近くにあった木の枝を勢いよく手折った。
「そ、その姫君とうちの兄たちと、何の関係が」
声が震える。
「おや、知らぬのか。どちらも彼の姫君にご執心のようだったぞ」
「まさか。上の兄上は一度振られた女人に入れ込むような人ではありませんし、次の兄上には忘れ難いお方がいらっしゃるのですから」
「そんな拘りなど吹き飛ばしてしまうほど、彼の姫君は魅力的なのだよ」
お前にはわからんだろうが、と言わんばかりに中将は鼻で笑った。兄二人はともかく、目の前の少将が己の敵であるとは夢にも思わないらしい。あまりの軽んじられように、怒りも湧いてこず、少将は逆に落ち着きを取り戻した。
「確かに、魅力的な歌を詠まれるお方です」
「何? お前も彼の姫君と歌を?」
眉を顰めた中将に、少将は頷き、毅然と言い放つ。
「このように……思うに任せて、枝を手折るように女人を扱われるのだとしたら、中将殿、あなたには相応しからぬお方でございましょう」
言い終えるか終わらぬかのうちに、少将は後ろに突き飛ばされ、茂みに倒れ込んでいた。
「何と、彼の愚鈍な三男坊までもが姫君にご執心であったということか……これは傑作だ! お前の兄たちならばまだしも、お前ごときが私を差し置いて彼の姫君を手に入れるなど、断じて許せぬ」
手折った枝を弄びながら、中将は嘲笑うように言った。
「しかしお前も文を取り交わす仲だとなれば、私もうかうかしてはおれぬな」
少将は体を起こしながら、抗議の声を上げる。
「姫君の御心を無視して、不埒な真似をなさるおつもりか」
「五月蠅い」
中将は言い捨てると、足早に立ち去っていく。中将と入れ替わるようにして宿直していた同僚が一人、庭に降りてきた。
「少将殿! どうなされた、中将殿が嵐のように去って行かれたが……少将殿?」
「すまぬが、今宵はそなたたちに任せてもよいか」
少将は遮るように尋ねる。
「は」
面食らう同僚を尻目に、少将はもう駆け出していた。




