兄の告白
少女は絶句した。ああ、この人にはもう私の言葉は届かないのか、という絶望が、恐れに変わっていく。この子は私を、まだ人だと思っていたのだろう。
しかし、私が何者かに関わらずこの歌は、私の心を確かに動かした。それが荒れ狂う海にほんの一瞬の凪をもたらすだけのものであっても。
「筆を」
「え」
「筆を持っておいで」
少女は面食らっている。
「早くしなさい」
「は、はいっ」
昨夜は結局一睡もできずじまいだった。
歌を喰らう、恐ろしい物の怪――。
私に、何が出来るというのだろう。
「どうした、弟――」
「へ? うっ、わ」
少女から聞かされた言葉を思い返しながら、上の空で邸内を彷徨っていた少将は、次兄に正面から激突したのだった。
「す、すみません、ちょっと考え事を……」
と慌てて謝りながら、あれ、と思う。兄はぶつかる前に声を掛けてきたではないか。
「兄上も、気づいていたなら避けて下さいよ!」
眉を吊り上げるも、兄の、思いの外真剣な表情に気圧される。
「考え事とは、彼の姫君の?」
「ええ」
「まさか、まだあのなぞなぞに苦戦しているのか」
「違いますっ」
「ほう」
少将は俯いた。
長兄ならば話すのを躊躇うところだが、次兄となると話は別だ。少将は、この少しとぼけた兄が、あれだけ女房たちの秋波を浴びようとびくともしない程に、一人の姫に想いを寄せていることを知っていた。そして、誰もはっきりとは言わないが、その姫がもはやこの世にないことも、気づいていた。
この人になら、姫君の複雑な事情もわかってもらえるかもしれない。少将は思い切って面を上げた。
「姫君に憑りついている物の怪は、歌を喰らうのだそうです」
「歌を、喰らう物の怪だと?」
兄は整った眉を顰めた。
「はい。それがどのようなことなのか、想像もつきませんが……もし、姫君の身体や心を損なうのであれば――」
「そうに決まっている」
兄が強い調子で言い切った。
いつもの次兄らしくない、怒りを含んだ声音に、少将ははっとする。
「兄上」
「弟よ、お前は私の恋人を知らぬのだったな」
「……お会いすることは叶いませんでしたが、兄上を見ていると、その方が素晴らしい方だったことは、とてもよくわかります」
「はは、私はそんなにも囚われているか?」
「囚われるなどと……」
兄は、自嘲気味に告げた。
「秋萩の姫を失うことになったのは、私のせいなのだ」
兄自身の口から聞くその名の響きは、甘くやさしげで、痛々しかった。
「物の怪の怒りを買ったのは、私だったのだよ」




