姫君の返事と宴の夜
「清らかな渚には何がある」
少将は、文とも呼べぬ書き付けを前に、首を捻っていた。これでは恋文ではなく、なぞなぞではないか。
実を言うと、この書き付けを少将の許に持ってきたのは、二人の兄であった。
「お前、この手蹟に心当たりはないか?」
「兄上の部屋の高欄に置かれていたらしいんだ」
「女文字だが、恋文ではなさそうだからな。お前宛だろうと思ったんだ」
長兄はさらりとそう言う。いかに温厚な少将でも、これは聞き捨てならない。
「それ、どういう意味ですかっ」
鼻白んで声を荒げるも、次兄のへらりとした笑みに気勢を削がれる。
「恋文ではないとみえるが、例の想い人からじゃないのか?」
「へ?」
確かに少将は姫君に『渚』を絡めた歌を贈ったが、これがその歌への返事だというのか? 少将は改めて書き付けを見つめる。
「まさか、お前、意味がわからないのか」
「姫君が可哀相になるなあ」
二人は顔を見合わせて、それから揃って呆れ顔を作った。
と、いうわけで、少将は今、なぞなぞと睨めっこする羽目に陥っているのであった。
「清らかな渚――。なぎさ――」
歌に優れた姫君のこと、何か歌に引っ掛けたなぞなぞなのだろう、と、古今の歌を思い出しては諳んじてみるが、それらしい歌は思いつかない。
今更兄たちに尋ねるのも癪で、少将はぎりぎりまで考え続けた。
しかし。
「三の君さま! そろそろ御支度をなさいませ!」
さすがに出仕の時間が来ては仕方がない。しかも今夜は中宮の宮が宴を催すとかで、兄たちが楽器やら舞人やらを任されていたのではなかったか――。
こういった華々しい役がまるで回ってこないが故に、少将は常に気楽な心持ちでいられたのだが、周りは黙っていなかった。身内は、やれ三男坊は右大臣の子息だというのに不甲斐ない、と嘆く。世人は、やれ三男坊は兄と違って取柄のない子だ、と嗤う――だが、当の少将はというと、比較する相手が強敵すぎるのだ、ぐらいにしか思っていなかった。自分には何もないが、それでも十分に恵まれているのだ。何を嘆く必要がある?
そうだ。例えあの姫君が自分に靡かなくとも、そんなのは、いつものことなのだ。少将は纏わりつく感情を払いのけるように頭を左右に振り、立ち上がった。
今上帝の中宮は、「中宮の宮」と呼ばれる通り、皇族の女性だった。少将たちの母とも、縁の深い御方である。中宮の宮主催の宴は、秋の月を愛でるという趣旨らしかった。
少将はただただ目立たぬように縮こまって、供された酒肴をつつく。そうしていても、特に声をかけてくる者はいない。
上席の方で
「夜雲収まり尽きて月の行くこと遅し」
などと唐の詩を高らかに吟ずる声が、夜気をはらんだ風に乗る。
やがて中宮の宮がお付きの女房を介して声をかけ、少将の二人の兄が宴席のしつらえられた御殿の庭に現れた。緑青色の龍の面を被っていて顔は見えないのだが、若い女房たちが詰める御簾の内から、妙な熱気が迸る。
顔を隠せば、二人は背格好も瓜二つ。熱を帯びた視線を浴びせる女たちのうち、幾人が二人の区別をつけられるだろうか。
月明かりだけで舞うのは心許ないので、篝火が一つひとつ焚かれていく。夕闇の中、火が楽を奏する公達の顔を照らす。高麗笛を吹くのはあの三位の中将のようだ。
納曾利――双龍の舞が始まる。




