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21.

――― 事件当日。学徒出陣の壮行会を翌日に控えた夜 ――― 夕食は小夜子も一緒に弦也の実家で摂った。そのまま泊まっていくようにと弦也は父母に引き止められるが、荷物のこともあるから叔母さんのところに帰ると弦也が言い張って二人で帰宅した。その後、特に何も言葉を交わさず弦也は自室へ、小夜子は書斎へと引き揚げた。弦也の部屋は既に全ての荷物が片付けられており、ただ小夜子の数冊の著作だけが本棚に残されている。弦也はその中から初めて小夜子の首を絞めたときに書き上げられた「銀鱗吹雪」を取り出して、乏しい灯りを頼りに読み始めた。もう何度も何度も読んできた本は、紙が柔らかくなって弦也の手によく馴染んでいる。水底から水面へと舞い上がる鱗と儚げな泡が着物の模様のように意匠されているその表紙も、弦也は気に入っていた。読み終えると、立ち上がって自室を出て、小夜子の書斎へと向った。

 弦也が書斎に着いたとき、障子は開け放されていた。小夜子は書き物机ではなく卓袱台に原稿を広げて、縁側に向って書いている。弦也は戸口に立ったまま

「 どうして書き物机の方でなさらないんです。障子まで開け放して、風邪をひいてしまいますよ 」

 と声をかけた。小夜子はふ、と笑って

「 今日みたいに月が明るいなら、制限された灯より却ってこうした方が書きやすいのよ 」

 と、執筆する手は止めずに答えた。卓袱台には十一月の白く冷たい十六夜の月の光が当たって、小夜子と原稿用紙を青白く照らしている。その小夜子の姿は、前日の夜にすでに弦也が小夜子に刻みつけていた「 呪い 」の気配を匂い立たせこの上も無く美しく見えた。

「 生き難い世になったものですね 」

 弦也がそう言うと、小夜子は顔を原稿用紙に向けたまま

「 そうね、それなら生きなければいいんじゃないかしら 」

 と淡々と答える。弦也もまた淡々と

「 奇遇ですね、僕も同じことを考えていました 」

 と答えた。

「 ……生意気な甥だこと 」

 小夜子はため息をつきながら万年筆を置いた。そして原稿用紙を揃えて書き物机の方へ片付け、卓袱台は脇に寄せてしまった。それからゆらりと立ち上がると、ようやく弦也の顔をまともに見る。その手には、いつのまに忍ばせていたのか包丁が握られている。月の光を反射して、その鋼は十一月の夜の空気よりも冷たく凛と光った。そうして小夜子はふと弦也の手元を見てから、ふうっとため息をため息をついた。

「 できの悪い弟子 」

「 何を仰るんです。仕事を終えていない人にお出しするおやつはありませんよ 」

 そう言って笑うと、弦也は両腕を広げた。小夜子は、切っ先を弦也の方にしっかりと定めたままその胸に飛び込んだ。

 一瞬、時間が止まったかのように全てが静止した。それからゆっくりと弦也の体勢が崩れ、小夜子もそれに押されるようにして二人で畳にゆるゆると崩れ、座り込む。

「 ここに来た頃はまだ先生の方がまだ少しお背が高かったですが、いつのまにか、僕の方が大きくなってたんですね。そう思うとずいぶん永い間お世話になっていたものです。どうです、影だけ見れば、一人前の男として自分が先生と寄り添いあっているように見えませんか 」

 弦也の声は苦痛に震え幽かになって、身を寄せていないと聞き取れない。小夜子は弦也の胸に頭をもたれさせるようにして弦也と共に自分たちの影を見つめた。事実、自身の胸の少し下を刺す小夜子を弦也は両の腕で抱きしめるようにして受け止めている。そのために、影だけみれば二人は寄り添って座り甘やかな抱擁を交わしているように見えた。殺す者と殺される者の影であるはずなのに、甘美な物語を想わせる影絵。醜さと苦痛のすぐ横に存在する甘美。弦也は今まさに、自身が焦がれて止まなかった最愛の作家の世界にいるのだと感じた。彼にとってこれ以上の悦びが、他にあっただろうか。

( なんと最高のエピロオグだろう )

 ずいぶんと回転の落ちてきた頭で、弦也はそう感じた。そして、これを作り上げた小夜子に、弦也も弟子として最期まで応えようと口を開く。

「 先生、書いてください 」

 そう言うと、弦也は小夜子の着物に血の跡を残しながらずるりと畳に倒れた。その力の無くなった瞳には、月の光に照らされて書き物机の方へ這う小夜子の背が映っていた。


                                 (終)

ご読了ありがとうございました。

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