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16.

 翌日、出社後すぐに駆けつけてきたのだろうと思われる時間に宇多田はやってきた。分厚い眼鏡をかけた小柄な痩せた男で、年齢は弦也とさほど変わらないように見える。梅雨の晴れ間のじめじめと暑い中にも関わらず、シャツのボタンを一番上まで留めていた。

「 満天社の宇多田です。君は弦也君ですね。星川から聞いています 」

 そう言うと、応対に出た弦也に微笑む。弦也は何となく、その素朴な笑顔を好ましく感じた。宇多田を客間に通し、茶を出してから弦也は小夜子を呼びに行く。そして弦也に連れられた小夜子が客間に姿を見せると、宇多田は弾かれたように立ち上がった。

「 満原先生、お初にお眼にかかります!星川より先生の担当を引き継ぐことになりました、宇多田壮次郎と申します!よろしくお願いいたします!本来星川と一緒に伺ってご挨拶しなければならなかったところを、このような形になり申し訳ございません! 」

 と大声で挨拶する。世間に名の知れた作家を担当するのが初めてのようだった。新米の兵士が上官に接するときのような宇多田の緊張ぶりに、小夜子も思わず噴き出す。

「 宇多田さん、そんなに畏まられては私の方が困ってしまいます。どうぞお楽になさって。星川さん、あなたのことを誠実な良い後輩だと褒めていらっしゃいました。こちらこそ、これからどうぞよろしくお願いします 」

 小夜子に笑い混じりにそう言われて、宇多田はようやく落ち着いたようだった。

 星川の言っていたとおり、宇多田は誠実な編集者だった。器用ではないが努力を惜しまず、星川から引き継いだ仕事もほとんど違和感を感じさせずにこなした。小夜子のことを知ったのは最近になってからということだったが、担当になるにあたって実によく読んできたようで、弦也とも話が合った。年が近いこともあり、原稿を取りに来て待っている間なども二人で話が弾んだ。学校では気の合う友人に恵まれなかった弦也は、年齢が近く素直な宇多田にいつしか友情のようなものを抱いていた。小夜子もそんな星川とすぐに馴染み、慣れないジャンルながら新連載への準備は着々と進んでいった。しかし、そんな小夜子たちにまたも時代の波が襲いかかった。

「 休刊……? 」

 小夜子が眉尻をひくりと吊り上げる。小夜子は顔が整っているだけに、傍から見ている弦也にさえその表情が凄みのあるものに感じられた。宇多田にはさらにそう感じられたことだろうと、弦也はちらりとその顔を見る。宇多田は母親にひどく叱られた子供のように身を縮ませていた。

 その日、宇多田が小夜子に話したのは、小夜子が書いている「 続編銀鱗吹雪 」の連載をしている雑誌が休刊になるというものだった。小夜子だけではなく、他の多くの作家も連載の真っ最中にも関わらずである。

「 どういうことですの。私、星川さんから検閲について随分細かく教えていただいたんですのよ。連載作品だってそれに忠実に基づいてきちんと方針転換したものを載せていただいたはずです。それも、残り回数を減らす路線で 」

「 もちろんです!厳しい状況にもかかわらず、満原先生からは全く問題のない素晴らしい原稿をいただきました、ただ …… 」

「 ただ? 」

「 他の、先生方が …… 」

 宇多田が話したことは、こんな内容だった。小夜子の作品が載せられている「 月刊現代怪奇小説 」には当然ながら他にも幾人かの作家が連載している。その作家のうち幾人かは方針転換に耐えられず、ある大御所作家が今までどおりの風潮で原稿を提出した。その作家に付いている担当は、作家に 「 この原稿で載せないと言うのなら今後は満天社さんとの付き合いはやめにする 」と言われてしまった。弱りきった担当は当然、編集長に相談する。しかしその編集長も、男性がどんどん出征させられて人材不足の折に、経験が浅いまま編集長にならざるを得なかった男で、何も対策を取れず、大御所作家の言葉を恐れて言いなりに原稿を通してしまった。この一連の出来事に、方針転換に不満を持っていた他の作家が次々と便乗する。それどころか、積もった鬱憤を晴らすかのように常時よりも過激な原稿を寄せる者さえいた。結果、その号の雑誌は検閲の係官が青筋を立てて怒るような物に仕上がる。その号を発売することは勿論、厳しい監督の下、健全な雑誌になったと認められるまでは発行を許可できないとまで言われたということだった。

「 …… それで、残りの分の連載はどこに引き継がせていただけるのかしら 」

 小夜子がそう問うと、宇多田は絞り出すような声で

「 未定です …… 」

 と答えた。その答えに、小夜子の唇が何か言いたげに震える。しかし結局は言葉にならず、かわりに深いため息をついてソファの背もたれにどかっと背中を投げ出す。小夜子とて、今回のことが満天社の不手際でも、ましてや宇多田の不手際でないことも分かっていた。自由な作品が書けなくなったことに耐えられなかった他の作家の気持ちだって痛いほどわかる。しかしまさか雑誌ごと潰された上に、残り少ない連載をきちんと完結させることすらできない事態に追い込まれるとは思っていなかった。小夜子と宇多田が意気消沈している中、弦也は新たな心配事を思い出した。

「 あの。『 月刊現代怪奇小説 』が休刊になるってことは、星川さんと話していた、先生が書き進めている次の連載の件は、どうなるんですか? 」

 それを聞いて小夜子もはっと顔を上げた。

「 そ、それについては勿論、別の雑誌に枠を設けさせていただいています。当社の 『 月刊撫子 』という雑誌で 」

 その雑誌名を聞いて、弦也も小夜子も首を傾げた。文学系の雑誌ならば当然、そうでなくてもそれなりの知名度がある雑誌ならば職業柄たいていその名前ぐらいは知っている。しかし宇多田が言うその雑誌名は聞いたことがなかった。

「 ああ、もとは『 ニュー・マダム 』 という名前だったんです。でもこのご時世、敵国語はけしからんということになりまして。それで雑誌名を改めたんです 」

 それを聞くと、小夜子はまた一瞬顔色を変えた。だがすぐに笑顔を取り戻し、宇多田に

「 企画が潰れずに済んで安心しましたわ。宇多田さんのご尽力、本当に感謝しています。ところで、執筆はどのような日程でさせていただいたらよろしいかしら。雑誌が変わったとなると、やはり日程も変更になるのでしょう? 」

 と言った。小夜子の笑顔を見て、宇多田は安心したように手際よく日程の説明を始める。多少厳しくはあるが、配慮の伝わる無理のない日程が組まれていた。宇多田は一通り説明すると

「 次回伺うのは締切の、原稿をいただきにお邪魔するときということになりますけれど、そうでなくても何かお困りのことがあればすぐに仰ってください。駆けつけますから。この度は、厳しい条件を飲んでいただくことになってしまい申し訳ございませんでした 」

 と、最後にもう一度頭を下げて会社へと帰っていった。

 宇多田が帰ってしまうと、小夜子は客間のソファにぐったりと腰を下ろして、完全に脱力しきったように天井を仰いだ。

「 まさか、引越し先があの雑誌になるとはね …… 」

 弦也にも、小夜子のその嘆息の意味は察せられた。その雑誌は文学雑誌ではない。元々はファッション雑誌だったが、戦争が始まるにつれファッションどころではなくなってきたために、最近では限られた食材をいかに上手く使うかの調理法の紹介や、著名人による戦時下における婦人の在り方についての談話などが掲載されていた。元から他の女流作家による小説連載の枠も設けられており、そこが引継先になること自体はあり得ないことではない。しかしその雑誌はファッション誌であったころから 「 良妻賢母 」 を高らかに謳うような雰囲気があり、戦時中の今となってはその雰囲気はさらに強まっていた。

「 たしかに、読者層が先生とはかけ離れていますよね 」

「 そうよ。あそこの読者なんか、私の今までの作品読んだら卒倒起すような連中ばっかりよ。ま、今回の企画だけで言えば合ってるんでしょうけど。あーもう、あの雑誌のこと考えるだけでむず痒くなるわ 」

 小夜子がそうぼやく傍らで、弦也が突然ふふっと笑い始めた。

「 何よ 」

「 いや『 月刊撫子 』 ってひどいセンスの名前に改めちゃったなと思って 」

「 …… そうよね?やっぱりあんたもそう思うわよね? 」

 小夜子のその言葉を皮切りに、二人はしばらくひどく笑い合った。

「 ま、時代が時代だし不貞腐れてもいられないわね。そろそろ仕事しますか 」

 ひとしきり笑って気が済んだのか、小夜子は立ち上がって吹っ切れたように伸びをした。

「 それなら僕、庭の畑から芋でも掘っておきます。少ししたら、ふかしてお出ししますね 」

 と弦也も立ち上がる。すると小夜子がふと

「 ……悪いわね、畑仕事までさせて 」

 と言った。弦也は

「 何を今更仰います 」

 と返しつつも内心驚いている。畑は少しでも食料の足しになればと弦也から言い出して始めたことだ。今では芋類、かぼちゃはもちろん、その他の根菜や茄子など、それほど大きくない庭ではあるが二人で細々と食べるには充分な収穫のある畑ができていた。しかしそれ以上に弦也が驚いたのは、家事について労いの言葉をかけられたのはそのときが初めてだったからだ。しかし小夜子は戸惑う弦也に幽かに笑いかけるだけで、そのまま書斎へと引き揚げてしまった。

 その後、小夜子の作品はどうにか予定通りに 「 月刊撫子 」 の七月号に掲載される。宇多田が掲載誌を持参してきたときにはかなりくすぐったそうな顔で受け取った。宇多田が帰って行った後、小夜子は自分の原稿が載せられている部分以外の記事にも目を通していたようだった。しかし、雑誌の雰囲気がよほど性格的に受け付けられないのか、餌と間違えて瓶の蓋でも飲み込んてしまった瞬間の鳥のような表情をしていた。しかし、小夜子からは縁遠いものだとしても家事をする弦也にとっては役に立つ記事もあり、婦人雑誌とはいえ小夜子より弦也の方がよほど真剣に読んでいたぐらいだった。事実、いくつかの記事は切り抜かれて弦也の手帳に大切に貼り付けられていた。しかしその次の八月号ができあがったときには、宇多田はなかなかそれを小夜子に渡そうとしなかった。それを見て小夜子は

「 こういうご時世ですもの。どうか気になさらないで。私の分でしたら自分で書店で購入いたしますわ 」

 物資の不足している折、作家に配る分が足らなくなったのだと小夜子は考えたのだ。しかしその言葉を聞くと、宇多田は突然ソファの前のテーブルに額を叩きつけるような勢いで頭を下げた。

「 満原先生!今回のことは、まったく自分の不手際です、申し訳ございません! 」

 突然謝罪されて、小夜子は訳がわからない。ひとまず

「 宇多田さん、あの、どういうことなんですの?お顔を上げてお話になって 」

 とおずおずと声をかける。宇多田はよほど恐縮しているのか、しどろもどろになりながら説明を始めた。

「 月刊撫子には、以前から大和田月子先生と夢野涼香先生が連載をお持ちでした。今回、夢野先生の連載が終了したので満原先生にはそこにお入りいただく形になったんです。大和田先生の担当は別の者がしているのですが、満原先生のことについては急であったことと、取り立てて急いで報告するようなことでもないと思ったからか前号発行後にお話したようです。そうしたら、今号の巻末ひとこと欄で大和田先生が…… 」

 そこまで言うと、宇多田は俯いて唇を震わせる。

「 私のことを、大和田先生が何か仰ったのね?何て仰ったのかしら 」

 小夜子がやんわりと促すと、宇多田は自分の口からはとても言えないとばかりに雑誌を鞄から取り出し、震える指で該当の部分を開いて小夜子に渡す。小夜子はそれに目を通すと、さっと顔を青くした。しかし、弦也が何気なく覗き込もうとするとぱっとそれを伏せてしまう。それを見て、宇多田はソファから転げ落ちるようにして床に土下座した。

「 こんな …… こんな発言はとても許されるものではありません。大和田先生には私から厳重抗議の上、掲載を許した大和田先生の担当と編集長からもお詫びを …… 」

「 その必要はありません 」

 小夜子の声は、震えてはいるがしっかり芯を保った声で宇多田の言葉を遮った。

「 全部、本当のことですもの。言いづらいことを伝えてくださって、宇多田さんには感謝しています。でも今日はどうぞお引取りになって。この雑誌も、お持ち帰りください 」

 宇多田は一瞬の逡巡の後

「 では、今日はこれで失礼させていただきます …… この度は、自分と当社の不手際でご不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした 」

 と言い、もう一度深々と頭を下げた。そして立ち上がって玄関へと向かう。弦也もその後を追い、宇多田が靴を履いて外に出ると自分も下駄をつっかけて外へ出た。

 玄関を出ると、外はもう夕焼けの茜色から藍色へと変わり始めていた。宇多田は後を歩く弦也に気が付いているはずだが、しかし何も言わない。所々に薄紅のタチアオイが咲く道を、二人は少し距離を空けてだまって歩く。やがて人気のない細い路地に入ったとき、弦也は

「 宇多田さん 」

 と声をかけた。宇多田が振り返ると

「 雑誌、見せてよ 」

 と手を出す。宇多田はそんな弦也の瞳をじっと見返していたが、やがてふっと目を逸らして

「 君が見るべきものじゃない 」

 と言った。その言葉を発した次の瞬間、宇多田の体は弦也によって道沿いの家の塀に押し付けられていた。

「 僕はあなたより年下だけど、誰よりも先生の近くにいる。見るべきかどうかは宇多田さんに決めてもらうことじゃない。見せてください 」

 弦也に押し殺したような声でそう言われると、宇多田は観念したように鞄から雑誌を取り出した。弦也はそれを受け取り、その場で急く指でページをめくる。そこにはこう書かれていた。

「 …… 銃後においては、婦人ができる一番の御国への貢献は子を産んでその子供を将来御国の役に立てるよう立派に育て上げることです。品のない幻想に耽り現実逃避をしている時代ではございません。先月より、満原先生の新連載が始まりました。まだ御若いのにその名が知れ渡っている先生と誌面で競演できるのは誠に作家冥利につきるものです。満原先生におかれましては、立派なご婦人方の御読みになるこの雑誌の品位を貶めぬよう、ご立派な連載をされることを期待しております 」

 と書かれていた。事情を知らない者から見れば、先輩作家からのちょっとした威圧を込めた挨拶といったところである。しかし、小夜子がそれまで書いていた作品の内容や小夜子が子宝に恵まれなかったために婚家から返されているという事情を知る弦也や宇多田、何より小夜子本人にとってそれはあまりにも苛烈な言葉の攻撃だった。

「 実はね。読者からも、出版社宛に何通か投書があったんだ。以前の満原先生の作品を知っている、雑誌にふさわしくないんじゃないかと。筆名を変えるとかもっとやりやすい引越し先を探すとかの方法を事前に検討しなかった、僕の不手際だ。本当に済まないと思っている。ただ、そういう投書以上に今回の連載を見て続きが楽しみだという声もあるし、会社での評価も高いんだ。今後は絶対にこういうことがないようにする。こういうことを頼める義理じゃないけど、どうかそれを満原先生に伝えて欲しい 」

 宇多田のその言葉が聞こえているのかいないのか、弦也は何も言わずに宇多田に雑誌を返す。そして

「 乱暴なことをして、ごめんなさい 」

 とだけ言って、頭を下げる。そして踵を返し、来た道を帰っていった。

 家に戻ると、小夜子はまだ客間のソファに座っていた。もう陽はほとんど沈み、辺りは暗くなっていたが小夜子は灯りをつけようともせず、部屋の薄闇の中に沈んでいる。弦也が入ってくると、肘置きに頬杖をついて、帰ってきた弦也に目を向けた。弦也は宇多田の後について家を出るとき、当然ながら小夜子には何も声をかけずに行ったが、弦也が何をしに行ったのか小夜子には察しがついているのだろう、何も言ってこない。弦也の方も、そんな小夜子にどんな言葉をかけてよいかわからず二人はしばらくただ見つめあっていた。しかしやがて、小夜子はふふ、と笑いながらこう言った。

「 正妻から 『 よくも夫を奪ったわね 』ってなじられる妾にでもなった気分だわ。自分の天下だった雑誌に、こんなろくでもない女が入り込んでくるんだもの、必死なんでしょうねえ?大和田先生も、滑稽だこと 」

 そう言った小夜子の顔は実に不敵な、憎憎しいぐらいの笑みを浮かべていた。その笑顔を見た弦也も、釣られたかのように笑って見せた。

「 ……もう少ししたら、夕食の仕度をしますね 」

 そう言うと、弦也はぱっと踵を返して自室に駆け込む。そして自室の障子を閉めると、たった一度、拳で畳を打った。

 これ以降、それまで付き合いのあったほかの出版社からの仕事も続々と満天社と似たり寄ったりの状況になった。小夜子の作品が時代にそぐわなくなったからと依頼自体が取り消されたり、空襲で出版社自体が解散せざるを得ない状況に追い込まれて仕事が消えてしまうことなどもあった。こうして小夜子の仕事量は、格段に減っていった。

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