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1.

直接の性描写はありませんが、若干SMとも取れなくもない描写があるためガイドラインを読み、迷った上でR-18ではなくR-15といたしました。嫌悪される方はご移動を。お読みいただける方はそのことをご理解の上お読みください。

拝啓 淳一郎様 桜子様


 昼間は残暑なども感じますが、朝晩はめっきりと涼しくなって参りました。ここではまだ蝉が盛んに鳴いており、この国がこんなことになっても蝉は何も変わらず蝉らしく在るのだと思うとなんだか不思議な気持ちがいたします。

 先日のお手紙でいただいたお腹の子のことについてのお申し出、お情けの深さに唯々涙いたしました。しかしながら、世間様が言うようにこの子の父親が弦也君かもしれないとお考えの上でのお申し出なのでしたら、どうぞこのお話はなかったことにしていただきたく存じます。誓ってこの子の父親は弦也君ではございません。自身が子のできぬ身であると思っていたこと、そして職業柄、数多くの男性と知り合う機会があったこと、そのような事情からその殿方たちから 「 出征する前の末期の思い出として 」 などと乞われれば、お断りせずにどなたにでも身を任せていたのです。そのときは善いことをしたような気でおりましたが、今思えば満原家の名を汚す行為でございました。ただその殿方もほぼ全員が、今尚も行方不明か戦死をされていらっしゃいます。ですから、この子の父親につきましては弦也君ではないということ以外には全く何もわからないのです。

お兄様、お義姉様もご存知のとおり、弦也君は真面目な良い子でした。師であり叔母であった私と関係を持つようなふしだらな子ではございません。最期まで、師としてまた叔母として私を慕ってくれていました。ならばその子を何故手にかけたかと、憤られていらっしゃることかと存じます。きちんとご説明することこそ償いの始まりとは思いますが、情けないことに如何しても、如何してもその理由を説明する言葉を、私は持っていないのです。せめて最期の瞬間まで己の罪を悔い、この子を産んだ後に下される刑を粛々と受けるのみでございます。

この時世の混乱の折、また罪人である私の立場からこの手紙がきっと私からお出しできる最後の手紙となるかと思います。どれだけお詫びしても詫びきれるものではないと承知しておりますが、最後にまたお詫びをさせてください。弦也君のことは、本当に申し訳ございませんでした。


                かしこ

 追伸

 もしも、先日のお申し出が弦也君のことは関係なく私と違って罪の無い一人の子供を救うためという意味で仰っているのであれば、こんなことを申し上げられる立場ではございませんがお情けに縋りとうございます。そのときにはどうか、その旨お返事のお手紙を下さいませ。いただいたお手紙を看守へ渡し、間違いなくこの子がお二人のもとへ行かれるようにさせていただきとうございます。

  昭和二十年 九月十四日 満原小夜子




 新聞紙をびりびりと引き裂く叔母の小夜子を、弦也は冷ややかに見守っていた。その日は朝から雨が降っていて、昼間とはいえ家の中は薄暗い。時折雷の音も聞こえた。その薄暗い廊下で、小夜子は雷鳴と共に呪詛のように独り言を呟きながら新聞紙を引き裂き続ける。その姿は相当に不気味なものだが、弦也はもう慣れきっていた。それは、新聞に小夜子の作品の書評が掲載されるたびに繰り返される光景だったからだ。以前、やはり同じ光景に出くわしたときに弦也は少年なりの純粋さで小夜子にこう声をかけたことがある。

 「 叔母さん、気にすることありませんよ。その書評を執筆される先生、辛口で有名な方でしょう。どんな作品に対してだって文句の一つも言っておかないと芸風が壊れちゃう方なんでしょうよ。いちいち真に受けてたら大変です 」

ところが、小夜子から返ってきた言葉は

 「 叔母さんじゃなく先生と呼びなさいと言ったでしょう!それと私より先に新聞を読まないでちょうだい 」

 というものだった。以来、弦也は小夜子が朝とは呼びがたい時間に起きてくる前に朝刊を読んでしまってから、それと知られぬように元通りに畳んで小夜子の部屋の前に置くことにした。そして、小夜子が新聞を引き裂き始めたときには本人の気の済むまで放っておくことにしている。

 引き裂かれた新聞の紙片の大きさが牡丹の花びらほどになってきた頃、弦也は小夜子の側を離れ台所へと向った。あれだけ細かく裂いたらそろそろ疲れて止めるだろう。ぬるめのお茶を用意する頃合いだと考えてのことだった。小夜子は新聞を引き裂いた後は喉が渇くのか、いつも飲み物を要求する。水でも飲んでいればいいものを、なぜか茶を欲しがる。そのうち弦也は言われずとも頃合を見計らって茶を用意しておくようになった。

 ( それにしても、毎回あれだけ荒れるならもう少し気合を入れて書けばよいのに。もう少し本気を出しさえすれば、あの書評の先生だって少しは褒める言葉も出すだろう )

 弦也はそう思って一人台所でため息をついた。事実、カレンダーを見れば締切りが三日後に迫っているというのに小夜子の筆はいっこうに進んでいない。机に向っている時間も一日のうちほんのわずかだ。すぐに万年筆を放り出し家の中をうろうろするか、ぼんやりと庭を眺めたりしている。そして締切が近くなるとぶつぶつ言いながら書き始めるというのが定型だった。

 小夜子の作品は、部類としてはエログロナンセンスとされることが多いものだった。女性なのにそんなジャンルの作品を書くことと、それに似合わぬ儚げな美しい容貌から当時話題の作家の一人となっている。デビューしたときの雑誌の紹介記事では淡い藤色の着物で少し小首を傾げたような小夜子の胸から上の写真と共に 「 鈴蘭の花のような可憐な佇まい 」 などと言われている。弦也は後に、小夜子が大切に切り抜いて保存していたその記事を読んだとき

 ( この記者は鈴蘭の根の毒のことまで含めて、この花をたとえに使ったのかしらん )

 と首をひねった。そうだとすればずいぶんと洒落っ気のある記者だ、と忍び笑いをしたものだった。

 しかし弦也はそんな小夜子の私生活を冷ややかに見つめながらも、作品については心から尊敬していた。十四歳のとき、父親の持っていた小夜子の作品を初めて読んだ日が弦也は今でも忘れられない。それまでも読書好きな少年であったから、小説を読むことの楽しみは知っていたつもりだった。しかしそれは、弦也が今まで読んできた作品とは全然違っていた。文章を読んでいるという感覚ではない。生々しく美しい幻に、それを生み出す何か不思議な生き物の体内に、飲み込まれたような体験であった。その体験はまるで初恋の相手との出会いの瞬間のように、いつまでも悩ましく弦也の心を支配した。そしてそれを書いているのが、正月など親戚の集まるときに家に来て自分を見ると 「 弦ちゃん 」 と笑いかけてくれる、あの綺麗な叔母だと聞いたときの衝撃も。以来、弦也はすっかり小夜子のファンを自認している。そしてその後に出され続けた作品も、初めて読んだときの期待を裏切らないものだった。新作が出て、それを初めて読んだ日には夜は夢に見て、昼間も白昼夢を見てしまうほどに中毒性があった。

 小夜子の作品は、グロテスクな場面は手厳しさを感じるほど徹底的だ。しかし作中で飛び散る血や脳漿と同じだけ、空の満月から道端に生えた草に宿る夜露まで様々の美しいものを散りばめる。そうかと思えば凶悪な登場人物に野の花のような可憐さを、聖人君子に毒虫のようにおぞましい一面を一匙加える。その落差こそが小夜子の作品の醍醐味だと弦也は考えていた。小夜子の小説を出版しているある出版社の編集長などは、弦也に

 「 満原先生の小説を読むとね、ファム・ファタルに振り回されているような、大変なんだけど止められない、破滅が見えているのに楽しくて仕方ない、そんな気分になるんだよ。本当に、あれは彼女にしかできない芸風なんだろうなあ 」

 と語っていったこともあった。

 ( 僕がファンだというだけじゃない、そりゃあ新聞の書評を書くあの先生は辛口だけども、こうして出版社の人だって高く評価しているのに、いつも手を抜いたみたいにだらだら書いたりして )

 それだけに、毎回いかにも面倒くさそうに原稿を書く姿が歯痒くてならない。弦也はこの叔母が本気で書いたものを見られるなら何だってするのにとさえ思っていた。

 小夜子は、弦也の父・淳一郎の妹にあたる。一度嫁ぎはしたものの、二年以上経ってもまったく子宝に恵まれなかったことを理由に嫁ぎ先から返されたのだ。しかし、父から聞かされたその離婚の理由に弦也は疑いを持っている。

 ( 結果として子供ができなかったけど、別に体の具合が悪いとかじゃなくて、きっと先生が我儘すぎて夫になった人の手に負えなかったんじゃないか )

 などと考えていた。

 嫁ぎ先から帰ってきた頃の小夜子の様子を、弦也はよく覚えていない。淳一郎が小夜子を住まわせてやるために敷地内の離れを改築するまでの間、小夜子は淳一郎の家に身を寄せていた。弦也はまだ子どもだったとはいえ物心は十分についていたはずだが、妹に甘い淳一郎が配慮して、なるべく一人でそっとしておいてやろうと顔を合わさせないようにしたのだろう。やがて離れの改築が完了し、小夜子はそちらに移っていった。離れとは言っても、控えめながら生垣のようなものも作られその内側に木々や花を植えて小さな庭まで拵えられている。更に母屋と離れの間に目隠しの木々を植えて細い通り道だけで繋ぐようにした。また、離れの側にも外に繋がる門を設け、来客は母屋の前を通らずとも離れに入れるようにしてある。敷地内に独立した家をもう一軒建てたようなものだった。小夜子はその頃から小説は少しずつ書いてはいたようだが、当時はまだ無名。その頃の生活費などはかなり弦也の父が援助していて、そのことは弦也も母である桜子の控えめな愚痴から知っていた。

 ( そうやって甘やかし過ぎるからあんな我儘になるんだ )

 小夜子の家に書生として入り、小夜子の我儘に一番近くで振り回される立場になってから弦也はつくづくそう思っている。小夜子には淳一郎の他にもう一人の兄、淳二がいる。淳一郎とはあまり仲が良くないためにめったに顔を見せないが、弦也が淳一郎から話を聞く限りだと二人が子どもの頃からそれぞれに妹を甘やかしていたようだった。それなりに裕福な大地主一族の本家の末っ子、それも女の子。両親二人どころか兄二人も手伝って、四人がかりで小夜子に甘くしていたのだ。

 弦也が小夜子の家に入ったのは、中等学校を卒業してからすぐのことだった。卒業まであとちょうど一年という頃、弦也は父親におまえは卒業したらどうしたいのかと尋ねられ、作家になりたいと答えた。てっきり反対されるかと思いきや、裕福な家の本家長男ゆえのおおらかな性格からか、それとも上に兄姉合わせて五人いる末っ子三男坊である弦也への甘さからか、あっさりと了承される。それどころか弦也の父の方から、叔母である小夜子の家に弟子として入って作家の勉強をしてはどうかと提案されたのだ。父にそう言われたとき、弦也は小躍りするほど喜んだ。もちろん、その頃の弦也は小夜子の実生活の様子など知りもしない。同じ敷地内にいながらも生活は完全に別だったし、小夜子の住む離れのある場所も三百坪ある敷地の遠い隅の方だ。その上に、あの配慮され尽くした設計。そのため、顔を合わせるのは盆暮れ正月など親戚が淳一郎の家に集まるようなときばかりだったのだ。

 ( あのときは何も知らずに大喜びしたけど、親父が叔母さんの書生になるように言ってきたのも、こうして作家の実態みたいなのに触れさせて諦めさせたかったのかな )

 弦也はふとそんなことを思う。しかし父の思惑がどうであれ、弦也は今のところこの叔母の弟子を辞める心積もりはなかった。その理由に、作家志望の人間としてもう少し小夜子から学びたいという無くはない。しかし、もうずいぶん前から弦也は小夜子に原稿の添削をしてもらっていなかった。学業と小夜子の世話で手一杯になっていたからだ。小夜子も小夜子で、弦也に原稿を見せてみろとは言ってこない。が、弦也自身の創作が捗らないとしても、焦がれて止まない世界が創られていくのを、誰よりも近くで見られることはかけがえのない幸福だ。

 ( でも、結局のところは )

 なんとなく、この叔母を見捨てることができないというのもあるだろうと弦也は思った。

 小夜子の我儘は、細かい。お茶は温めでなくてはいやとか、目覚まし時計の音はびっくりしすぎるから使いたくない、起こすときには部屋の外から適度な音量で声をかけて起こしてほしいとか、そういう類のことだ。すぐに新しい着物を欲しがるとか、流行に飛びつくとかの大金が掛かるような類のものではないのはまだしもの救いだ。だがその細かさゆえに、弦也は二年ほど共に暮らし、時に癇癪を起こす叔母に怯えることもない自分でなければ叔母の面倒をみることはできないと思っていた。

 「 弦也、喉が渇いたわ 」

 「 お茶がいい具合に冷めてますよ、先生 」

 弦也がそんなことを台所で考えていると、小夜子が背中から声をかけてきた。暖簾を片手で捲って立っている小夜子に、弦也は湯呑みを渡してやる。小夜子はそれをその場で一息で飲み干すと、満足そうに書斎へと戻っていった。


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